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2019年9月2日〜5日に開催されるICCサミット KYOTO 2019。その下見レポートを2回シリーズでお届けします。第2回目は、京セラとのコラボ企画を検討するため訪れた稲盛ライブラリー見学と翌日行った打ち合わせについて。京セラの経営や稲盛和夫氏のエピソードも満載です。ぜひご覧ください。
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回200名以上が登壇し、総勢900名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。次回 ICCサミット KYOTO 2019は2019年9月2日〜5日 京都での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
みなさんこんにちは、ICCパートナーズの活動をお伝えする浅郷です。参加予定のスタッフの方々はFacebookの投稿でご存知かもしれませんが、3月14日〜15日、京都の視察旅行に行ってきました。
ICCサミット KYOTO 2019で使用する会場、新しい企画や検討するべき事項、カンファレンス作りの過程についても、ぜんぶ見える化してしまうICCパートナーズ、その視察の模様をレポートしたいと思います。今回は次回の新しい企画につながる、京セラ・稲盛ライブラリーの見学や本社訪問の模様をレポートします。
京セラの本社を訪問
ICC小林 雅が尊敬する京セラの創業者であり、日本を代表する経営者、稲盛和夫氏。ICCサミットに執行役員上席 研究開発本部長の稲垣 正祥さんがご参加いただいていることや、京都に本社があること、見学できる施設があることから、いつか訪問させていただきたいと考えていました。
それが実現したのが、今回の下見のタイミング。私たちは、稲垣さんとの打ち合わせに先立って、稲盛ライブラリーを見学することにしました。稲盛ライブラリーは本社隣にある建物で、5フロアにわたって創業者、稲盛和夫さんの人生哲学、経営哲学を中心に、技術者、経営者としての足跡や様々な社会活動の記録が無料で公開されています。
見学の旨をお伝えしたところ、創業40周年の社史を編纂したという、1981年入社、総務人事本部 文化施設課の塚田 俊彦さんにライブラリーをご案内いただくことができました。そして収納されている京セラ、そして稲盛さんにまつわる数々の展示の詳細な説明と、それにまつわる裏話までうかがうことができました。
塚田さんにうかがったエピソードからは、偉大な経営者としての側面にプラス、稲盛さんの人間的な温かさや悩み、迷いを垣間見ることができました。いちイノベーターとしての努力、信念がぶれないように自問自答を続けていることや、現在に至るまで挑戦を続けている姿に、私たちは心打たれました。
レポート前半の稲盛ライブラリーの見学では、ダイジェストになりますが、私たちが見学を通して学んだことなどをご紹介できればと思います。
稲盛ライブラリーを見学
稲盛ライブラリー見学の前に、私たちは元々社員教育用に作られたという、稲盛さんの生涯をたどる映像「敬天愛人」を観ました。
映像では、偉大な経営者と称される稲盛さんが、生まれ育った鹿児島で、挫折の多い子ども〜青年時代を送ったこと、結核にかかり死を覚悟したこともあったこと、進路も就職も、望んだ通りにはいかなかったことが描かれていました。
新卒で入った会社を辞めずに続け、技術的な対立から京都セラミック株式会社を7人の仲間と設立したこと、経営の知識ゼロから試行錯誤して従業員と向き合ったこと、そこから全従業員の心を一つにする”フィロソフィ”と、全員が経営に参加する”アメーバ経営”(※)が生まれた経緯などは、ご存知の方も多いでしょう。
▶アメーバ経営:組織をアメーバと呼ぶ小集団に分けて、それぞれの計画を立案、達成していくことで「全員参加経営」を目指す。京セラ創業者の稲盛和夫氏が提唱。詳しくはアメーバ経営。
近年の功績としては、52歳のときに「国民のために電話料金を引き下げたい」と設立したDDI(現在のKDDI)や、史上最短の再上場を果たしたJAL再建の印象が強い方もいらっしゃると思います。
その根幹に流れるのは「利他の心」。それをもって、事業だけではなく、京都賞など多くの社会活動に取り組んでいることも紹介されました。その経営を学ぶ勉強会的組織、盛和塾をご存知の方も多いでしょう。生い立ちから現在に至るまでをダイジェストで紹介するこの映像は、ライブラリー観覧の前に必見です。
さて、そのあとは、塚田さんのご案内で、1階からライブラリーツアーの出発です。
1F 総合展示/生い立ちを知る
1Fは総合展示となっており、時間の余裕があまりない方は、ここで他の階の展示のハイライトを観ることができます。この階にしかないのは「生い立ちコーナー」。直筆の大学の卒業論文などを見ることができます。ちなみに卒論は、就職が決まってからテーマを変え、半年間で完成させたそうです。
几帳面な文字が、稲盛氏の性格、社風そのものだそうで「几帳面に細かいことを言う会社なのです」と塚田さん。
稲盛氏はどの役員よりも腰が低く、細いことにもよく気づき、催事などで一緒になることも多い塚田さんに「寒い中 案内係で立たせて申し訳ない、風邪をひかないように」と、声をかけてくれるようなお人柄だとか。著名な経営者となった近年もそれは変わらず、そういうところに皆、惹かれるのではということでした。
お客様第一主義の信念を貫く
技術者、経営者としての歩みを学べるこのフロア。ライブラリーには、著書が数々翻訳されている中国、韓国の観覧者も目立つそうで、中国では京セラというよりも、稲盛さん個人の知名度が高いそうです。私たちが訪問したときも、中国からの団体客がいました。
2Fでは、新卒で技術者として入社した松風工業での働きぶり、1959年4月に京都セラミックを設立してからの道のりや、その時々での革新的なプロダクトが解説とともに展示されています。
私たちは塚田さんに伴われ、展示を観ながら、京セラ、そして稲盛さんに関する興味深いエピソードの数々をうかがうことができました。たとえば設立したばかりの京都セラミック株式会社に、創業当初から受注があった理由です。
「パナソニックさんは当時、フィリップスの技術や部品を輸入してテレビを作っていた。そのコストを下げるには国産化ということで、関西では技術力のある松風工業に発注し、その担当が稲盛だったのです。
稲盛氏が開発したブラウン管テレビ用の絶縁用セラミック部品U字ケルシマ
当時経営が傾いていた松風工業は、しょっちゅうストをしていました。ところが稲盛はお客様第一主義という信念で、松下さんを困らせてはいけないと納期に間に合わせるよう自分が作り続けた。スト中の会社はロックアウトしているので、奥様が一度帰宅して、できた部品を塀越しに受け取り、それを持って高槻まで自転車で届けていたそうです。
組合幹部からは、スト破りだと責められていたそうです。そこまでしてお客様のためにやっていたので、独立したときに半分の注文をまわしてくださったそうです」
順調なスタートを切った京セラは従業員を増やしていきますが、人が増えることでさまざまな問題に直面します。
出資者含む7人の創業メンバーは当初、自分たちはどんな仕事をしてでも稲盛さんに研究をさせるという意思で会社を作ったものの、稲盛さんは「自分の技術のために従業員の人生をだめにしてはいけない。会社を作った以上、彼らの人生を守る責任がある」と痛感。技術者より、経営者として生きることを決心します。
そこで経営理念「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」を作り、自身もそう生きていこうと努力し、自分ではなく周りの人に研究をしてもらって力を集めたのが京セラの成功の秘訣ではないかと語っているそうです。
塚田さん 「以前に技術の役員が、京セラの技術力の源をマスコミに聞かれたときに、『京セラはそんなに優秀な技術者はいないが、みんな真面目で努力をいとわないところが素晴らしいのだと思う』と答えています。これは稲盛がいつも教えていたことです。それが成果につながっているのではと思います」
社運を賭けた大型の設備投資
その後、数々の経営判断により、順調に成長していった京セラ。たとえば2000年ぐらいまで看板商品だった、リスクをとって社員を賭けた半導体パッケージを受注したときのエピソードです。
塚田さん 「半導体ICは、テキサス・インスツルメンツ(TI)のジャック・キルビーさんが発明したもので、たまたま別の商談でTIに出入りしていた稲盛が、こういうものができたと見せられていました。そのときは受注できなかったのですが、後日、インテルさんから注文がきたのです。
▶1958年 半導体ICの発明(Jack Kilby、米国 TI)~集積回路~ – 日本半導体歴史館
当然現地にもメーカーはあったのですが、当時、アメリカのセラミックスメーカーは半導体の将来に懐疑的でした。そのために設備投資を控えて、注文を受けなかったのです。そこで京セラは、当時の京セラでは考えられない大型の投資で鹿児島の工場に設備を作り、社運を賭けました。
アメリカの駐在員から電話が入ったとき、稲盛は家族で若狭に海水浴に行っていたらしいです。もし受注したら、設備にかなりお金がかかるという話だったのですが、即答で受けると返事をしたそうです」
戦略的な買収をしたことがない
続く展示では、オイルショックを全員給料を下げて乗り切ったことや、サイバネット工業、ヤシカの合併、三田工業の再建など、一見アグレッシブな拡大路線が続いていききます。
塚田さん 「稲盛が戦略的に買収をしたことはありません。もともと長期の戦略を立てないタイプで、
今を一生懸命生きれば明日が見えてくる、明日を一生懸命生きれば、あさってが見えてくる、と若いころ言っていました。
5年、10年計画を作るのもあまり好きではありませんでした。頼まれて、経営が悪化している会社を支援したり、銀行や証券会社がもってきた話で、実際現場を見てみると情がわいてしまって社員を路頭に迷わせるのに忍びないと買収したり。鹿児島人の心意気でしょうか。
三田工業で再建を担当した役員は、サイバネット工業では工場長でした。彼が再建に赴いたときに
自分は稲盛さんに助けられたから、何としてでも三田工業の社員を助けて恩返しをすると言って活躍し、中心になって稲盛と立て直しました。今はプリンタ、複写機部門で非常に大きな大黒柱となっています。
私ども、当時はカメラや電子機器の部門が強くなかったのです。でも再建した社員の大部分が、後日、第二電電を作るときに一緒に行ってもらって、役員、管理職になって第二電電を支えました」
稲盛氏の最終的なねらいは、通信ではなく携帯電話にあったという
最初は自分が関わる気がなかった通信事業(第二電電)も、通信の自由化はいいことで、競争があってしかるべきだという考えと、ほかにプレイヤーが増えないことから参画を決定したといいます。決断するときは、半年の間「動機善なりや、私心なかりしか」と自分に問い続けたのだとか。
塚田さん 「DDIが儲かるかどうかではなく、日本の電話料金を安くしようという強い想いで始めました。我々は日本の国民のためにやるんだ、と言い続ける稲盛の言葉が社員を鼓舞して、みんな高揚感がありました。
日本の設備を買うのでは基本的にNTTと同じになるから、アメリカの設備を買っています。NTTとはできるだけ違う方式にこだわり、純粋な競争をするんだと言っていました」
JALの全社員から感謝のメッセージを贈られる
近年の経歴ではなんといってもJALの再建が記憶に新しいところ。これには京セラ社内でも最初は反対が強かったそうです。
会長就任当時、全社員に送ったメッセージ。丁寧だが率直に課題を伝えている
塚田さん 「うちの役員も反対しましたね。経営者としてそこそこ名前があるのだから、いまさら素人が航空会社の再建に関わって、キャリアに味噌をつけてもしょうがないだろうという考えでした。
JALさんでは、現場を回っては意見やアイデアを聞いていったそうです。それまで経営者が現場に降りてくることはあまりなかったそうで、社員の方々は驚いたそうです。一方、上の方々には具体的なことより、人間としてという話が多かったらしいです。
再建にはアメーバ経営担当者を随行させ、「JALフィロソフィ」の手帳を配布して浸透を図った
稲盛はコストダウンを非常に得意としています。JALはもともと優秀な方々の集まりだったので、少し伝えただけでかなり変わっていったそうです。工具や部品類に値段を書いて、コスト意識を高めたりして、自分たちで改善をしていくうちに、2年7ヵ月という史上最短の株式再上場につながりました」
▶JAL再建、稲盛氏側近が語る「企業再生の成功に必要不可欠なもの」 – ダイヤモンド・オンライン
退任時、航空機のエンジン部品で制作したオブジェと約22,400人の社員から感謝のメッセージが贈られた
人生・仕事の結果とは『考え方×熱意×能力』
稲盛さんは、私たちと同じように試行錯誤する人だったというのがわかるエピソードもうかがいました。
塚田さん「人生・仕事の結果とは、『考え方×熱意×能力』と、ここにありますが、私が入社したころは、『能力×熱意×考え方』で、『能力』が一番目でした。それから2、3年がたって、石にかじりついででもやり遂げる『熱意』がないといけないと、『熱意×能力×考え方』になり、そして最終的には『考え方』が一番最初になって落ち着いています」
稲盛ライブラリーには、手帳やメモ、愛用品など実に多くの展示があり、業績以外にも人となりに触れるものを見ることができます。ただしこれは周囲の人の努力によるもので、稲盛さんは「過去のことを振り返るより、先のことを考えるほうが楽しい」というタイプだということです。
20年前に山科から現在の本社に移ってくるときも、デスクも椅子もすべて処分すると言い、創立30年、35年のタイミングでの社史の編纂提案も不要と断ったとか。そこを塚田さんらが食い下がり、40年のタイミングで根負けした稲盛さんから許可をもらったことから、塚田さんらが語れるエピソードが増えたそうです。
人として正しく生きることに努め、人情に厚い稲盛さんの姿は、大家族の父親のようなイメージと言ったところ、まさにそんなお話も聞くことができました。
塚田さん「会社創業当時の土曜日、社員みんなで琵琶湖に湖水浴にいったときのことです。一人、泳げないメンバーがいて、みんなが泳ぐのを眺めていたら、稲盛さんが俺の背中に乗れといっておんぶして泳いでくれたそうです。そのときはうれし涙が出たといいます。
一人でぽつんといる人を見ると、気になって放っておけないようです。それだけに、気がつかないと、社員のことをもっと考えてやれと怒られます」
創業当時に愛用していた鞄と当時の名刺。この鞄を持って営業活動も行っていたという
7人の同士とともに始めたスタートアップから、現在グループ従業員数75,940名(2018年3月31日現在)で、世界にはばたくプロダクトを生んでいる京セラ。稲盛和夫氏の経営を学ぶ「盛和塾」は、2019年末で解散、終了が決まっています。盛和塾以外でも、稲盛さんの経営のエッセンスを学ぶ場を設けられないかというのを、翌日、稲垣さんとの打ち合わせで探ることにしました。
ICCサミット×京セラCo-Creationの可能性を探る
翌日、京セラ株式会社 執行役員上席 研究開発本部長の稲垣 正祥さんとのアポは、まず京セラ ファインセラミック館の見学から始まりました。
セラミックはガラスと違って小さな結晶によってできており、日常気づかないような、さまざまなものに使われており、その進化の変遷や、用途の広さが実感できる、圧倒的な数のプロダクトが展示されています。ここでの撮影は不可だったので、興味のある方はぜひご覧いただければと思います。
2018年5月に発表されたコンセプトカーに関する展示
稲垣さんは、過去にICCサミットにご参加いただいています。私たちが前日の稲盛ライブラリーを見学して感動したことをお伝えすると、フィロソフィがどのように社内で実行されているのかを教えてくださいました。
月次決算を社内放送で全社に発表する
まずは、ICCサミットに参加いただいている方々にもなじみの深い「アメーバ経営」の話から始まりました。
塚田さん「JALなど、小集団に分けられないものでも、アメーバ経営を応用できることにしたのがすごいなと思いますね。うちの現場ですと、プロセスごとにアメーバがたくさんあります。
そのアメーバごとに、損益計算書を出します。時間あたり採算表というのがあって、原材料費、設備の償却、水道光熱費など、労働時間、そういったものを小さなアメーバごとに毎月出して、どこに無駄があるのかすぐにわかるようにします。小集団ごとにフィードバックがかけられるから、効率がいいのです。
毎月最終日の昼に月次決算をして、概算をその日の夕方に発表します。その翌日には、全体放送朝礼というのがあって、〜〜事業部は、先月の生産がいくらなど、粗利を総時間で割ったものが全部出ます。共通の指標でやっていますから、他部署でも、あの事業部は先月良かったなどというのがわかります。
近隣の住民にもきっと聞こえていると思いますが(笑)、あまり気にしていません。むしろ社員全員がそれを知るほうが大事だと思っています」
「社員を幸せに」から生まれた「ダブルチェックの原則」
一見、面倒で効率の悪いように思われる「ダブルチェックの原則」が生まれたのは、互いに監視をするようなネガティブな発想からではないそうです。
稲垣さん 「個人的な見解ですが、稲盛和夫の根底にあるのは、社員を幸せにしたいというのがモチベーションで、さまざまな決定の根源にあると思います。
世間では、経理の担当者が使い込みをしたというのがニュースになったりしますが、うちのシステムは、伝票を書いて、必ず他の人がチェックします。人間とは弱いものだから、ふと魔が差すことがある。そういう不幸なことを起こさせないためにできた原則です。
手間ではありますが、社員がそうなってしまわないように作っている。そこは手間を惜しまずやるのです。経営効率を意識しているわけではなく、みんなが働いて幸せに、を目指していると思います」
近年は、圧倒的カリスマの稲盛氏が築いたものをどう引き継いでいくのかという課題があるといいますが、創業以来変わらない経営方針が、今の時代に再評価されているのか、学生からの人気も年々高まっています。
稲垣さん 「年に2、3回、新しいフィロソフィが追加された冊子が出ている時代もありましたが、それも今や稲盛語録となって完成しています。フィロソフィが完成したものだと思うと、その価値が失われてしまうのではと感じることはあります。変えるところは変えて、残すところは残すということが、どんなふうにできるかが課題ではないでしょうか。
稲盛ライブラリーではフィロソフィが印刷された名刺大のカードをもらうことができる
現在の山口(悟郎)会長は、フィロソフィに書いてあることを、形として受け入れるだけではなく、その本質をよく考えて、自分で考えて行動しろと言っています。言っていることを本当に理解すれば、京セラは堅苦しい会社ではありません。
昨日は課長を連れて社長のところへ行き、ちょっとおもしろいものができたので聞いてくださいと言行ったり、2日前は係長クラスの社員を連れて、社長のところへ相談に行きました。間を通すことなく、フラットにやろうという意識があります」
みんなの心を一つにする「京セラ流コンパ」
聞くところによると、京セラには「京セラ流コンパ」という伝統があるといいます。
稲垣さん 「たいがいの事業所に和室があり、そこで集まって仕事の話を真面目にする伝統があります。もとは稲盛が、みんなの心を一つにするために始まったのですが、それが定着して、伝統になりました」
関連会社統括本部 欧米事業支援部 欧米課責任者 山村是人さん 「今日はコンパだから、定時後は打ち合わせができませんというと、コンパならしょうがないかと相手も諦めますね(笑)」
稲垣さん 「僕は入社する直前、内定通知書をもらうときに会社に来たら、いきなりやかんに焼酎が出てきて、飲まされました(笑)。
コンパをするときはフラットに、役員が新入社員にお酌をしたりします。先日は、経営学者の野中郁次郎さんが、稲盛経営学に興味をもたれて、コンパに参加したいということで、私の研究開発の部署のコンパに参加されました。
せっかくなので講演もしていただいて『イノベーションをどう生み出すか』というテーマでディスカッションもしました。若い人たちも喜んで、最後には一緒に肩を組んで社歌を歌いました(笑)」
▶記事中盤で、野中氏が京セラフィロソフィやコンパについて言及。
伝統・制度・思想に対する代替の道とは? オルタナティブ創造社会への挑戦(FUJITSU JOURNAL)
この他にも”ワイガヤ”もやっているそうで、それをちゃんと行うと、腹落ちして制作過程でもブレなくなるそうです。「慣れるとピンとくるコンセプトが出てくるようになる」と、稲垣さんは実感のこもった口調で語っていました。
なぜ京セラは全社イベントを重視するのか
京セラは、コンパや”ワイガヤ”だけではなく、運動会や創立記念式典など、イベントも盛んだそうです。
稲垣さん 「全事業所で、運動会も開催しています。年1回、全社スポーツ大会というのもあって、すべての事業者から代表選手を出して、1日スポーツ大会をします。
運動会では、こんなに足が速かったのかとか、一生懸命応援しているとか、ふだん職場で出ない面が出ます。僕はこの立場になったので、去年は横浜、今年は大阪に出席するとか、大会会長になったりしています(笑)。
コンパや運動会みたいなことを、なぜ稲盛が一生懸命やったのかなと考えたことがあります。
当初は会社を作ったものの、京都の零細企業で人が集まってくるわけではない。そしてなんとかみんなの力が集まらないと、生き残っていけません。
だからコンパや運動会で、社員同士のつながりを一生懸命作り、社員の絆を大切にしようとしたのだと思います。昔は、創立記念式典の全会場を稲盛が回っていたので1日ずつずらして設定して、それだけで2週間潰れたりしていました(笑)」
二日間の訪問で印象深かかったのは、なによりも上位にあるのは、人、仕事、会社を愛して、人として精進し、強い意思をもって真面目に仕事や人生に臨むことで、幸せになるという稲盛さんの信念。7万人を越える規模となってもそれを守るプライドが、ブルーの制服から表れているようでした。
前日の塚田さんしかり、稲垣さんにしかり、フィロソフィを自分のものとして理解し、自分の言葉で語ることができる方に現場で聞くことができたのは素晴らしい体験でした。どのような形になるかはまだ未定ですが、この体験をICCサミットに参加いただく方々と分け合うことができたらと考えています。以上、現場から浅郷がお伝えしました。
(終)
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子
ICCサミットとは?
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回200名以上が登壇し、総勢800名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。次回 ICCサミット KYOTO 2019 は2019年9月2日〜5日 京都市での開催を予定しております。
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