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特別対談「町起こし・産業づくりプロデューサー対談」【K16-9F】のセッションの書き起し記事をいよいよ公開!4回シリーズ(その2)は、主にアスヘノキボウ小松さんとmachimori市来さんに、町興しを始めたきっかけや、その中で経験した困難等についてお話しいただきました。是非御覧ください。
ICCカンファレンスは新産業のトップリーダー160名以上が登壇する日本最大級のイノベーション・カンファレンスです。次回 ICCカンファレンス KYOTO 2017は2017年9月5〜7日 京都市での開催を予定しております。
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登壇者情報
2016年9月6日・7日開催
ICCカンファレンス KYOTO 2016 「ICC SUMMIT」
Session 9F
特別対談「町起こし・産業づくりプロデューサー対談」
(出演者)
市来 広一郎
株式会社machimori
代表取締役
各務 亮
株式会社電通 京都支社
プロデューサー
小松 洋介
特定非営利活動法人アスヘノキボウ
代表理事
(聞き手)
井上 真吾
ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン
プリンシパル
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【前の記事】
【本編】
井上 小松さんと市来さんは元々地元が今いらっしゃるところ、というのがきっかけの1つだと思いますが、まずどうしてそういった取り組みをされるようになったのか、そのきっかけをお聞かせください。
アスヘノキボウ小松さんが街づくりを始めたきっかけ
小松 僕は出身は仙台で、女川町は同じ宮城県内ではありますが70キロぐらい離れていて用事がないといかない場所なので、震災前は2回ぐらいしか行ったことがありませんでした。
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小松 洋介
特定非営利活動法人アスヘノキボウ
代表理事
http://www.asuenokibou.jp/
1982年7月2日生まれ。仙台出身。2005年4月に株式会社リクルートに入社。入社7年目に東日本大震災が起こる。「地元の復興に役立ちたい」という想いから2011年9月にリクルートを退職。被災地の課題を見つけるために宮城県内全ての被災地を3ヶ月間毎日訪問。その中で宮城県最大の被災地である女川町に出会い、女川町で活動することを決意。被災地初のトレーラーハウスによる宿泊施設である「エルファロ」の企画・立上げを行いながら、町内の全産業界が組織する女川町復興連絡協議会に入り、復興提言書の作成や再建・起業支援を行う。2013年4月に特定非営利活動法人アスヘノキボウを設立、2014年4月には女川町商工会職員として、まちづくり担当を兼任。『コレクティブ・インパクト』による女川、そして日本の社会課題解決を目指すために、国内外、セクターを越えてチームを作り、起業、事業開発、移住促進、人材育成、ヘルスケアなど多岐にわたる事業を行っている。
被災した宮城県女川町で挑む”千年に一度のまちづくり” – 注目の社会起業家特集「アスヘノキボウ」
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女川に入って仕事するとは全然思っていませんでしたが、東日本大震災があって地元が宮城ということもありまして、地元に戻ってボランティアをよくしてたんです。
地元に戻っているうちにだんだん気持ちが入ってきて、どうしようという時に上司に相談したら、自分の生き方を大事にしたらどうだ、という話しをしてくださいまいた。
僕はリクルートで働いていたのですが、辞めたOBの人達に会ったら全員辞めろ、早く行け、と言うんですね。
リクルートはそういう会社なので、「じゃあ辞めます!」と言って辞めて、課題は現場に行って探せ、ということをよく言われる会社だったので、とにかくいろんな町を回っていました。
今 何が起きていて中長期的な課題は何があるのかを聞いて回っているうちに、たまたま女川に行ったら、「来週から手伝って欲しい」と言われて手伝い始めたのがきっかけです。
井上 それはどなたに言われたんですか。
小松 商工会の方に手伝ってほしいと言われました。
僕等が回っている中で一番困ったのが宿が無かったことなので、「被災地に宿を作ろう」というプロジェクトを立ち上げてその企画書を持ちながら他に何ができるか回っていたら、「正に宿が必要」という話になりました。
宿があればボランティアや作業員の人達が現場に留まって作業ができるので効率的に進みますが、宿は津波でほとんど流されてしまったので、震災後はみんな3時間とかかけて作業に来てたんです。
その時間がなくなるのでそういう意味でも宿があった方がいいし、当時作業員が何千人、何万にと必要だと言われていたので、宿があると色んな商店等が復旧した時に、買物する顧客が増えるので経済が動く、だから宿がとにかく必要だという話をしていたら、商工会の方達が「俺たちもそれは必要だから是非やろう」と言われました。
井上 宿が必要だという話は小松さんの方からされたんですか。
小松 僕等が実際動いていて困ったこと、要は現地に行く時に内陸から毎日通うので時間が無駄なんですよね。
なのでそういうのが必要だと言ってたら、俺達も必要だと思っているから是非やってくれと言われたんです。
井上 まさにそこの出会いで、やろうと言われたので女川町になったんですね。
小松 そうですね、全然何も考えてなかったですね。
machimori市来さんが街づくりを始めたきっかけ
井上 ありがとうございます。市来さんはどのようなきっかけで始めたんですか。
市来 両親が熱海の銀行の保養所で働いていていました。
私が中学とか高校生の時に数年で熱海の街が一気に廃墟のようになっているのを目の当たりにしました。
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市来 広一郎
株式会社machimori
代表取締役
1979年静岡県熱海生まれ、熱海育ち。東京都立大学大学院理学研究科(物理学)修了後、アジア・ヨーロッパを3カ月、一人で放浪。その後、IBMビジネスコンサルティングサービス(現日本IBM)に勤務。2007年に熱海にUターンし、ゼロから地域づくりに取り組み始める。遊休農地の再生のための活動、「チーム里庭」、地域資源を活用した体験交流ツアーを集めた、「熱海温泉玉手箱(オンたま)」を熱海市観光協会、熱海市などと協働で開始、プロデュース。2011年、衰退した熱海の中心市街地をリノベーションする民間まちづくり会社、株式会社machimoriを設立。いずれも空き店舗を再生し、カフェ「CAFE RoCA」を、宿泊施設「guest house MARUYA」、コワーキングスペース「naedoco」をオープンし運営している。また熱海市の公園施設の運営を通して公共空間の再生にも取り組んでいる。
廃墟のようだった熱海を再興する – 注目の社会起業家特集「machimori」市来広一郎(1)
熱海市民の意識を変えた”地元体験ツアー” – 注目の社会起業家特集「machimori」市来広一郎(2)
熱海を活性化した空き店舗のリノベーション – 注目の社会起業家特集「machimori」市来広一郎(3)
税金に依存しない「街づくり」を熱海は目指す – 注目の社会起業家特集「machimori」市来広一郎(4)
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高校の時に毎朝の通学の電車の中で、毎朝友達に「熱海なんとかしなきゃやばい」という話をしていたらしくて、その友人は「毎日そんなのを聞かされてうざかった」と言っていました。
僕も全然覚えていませんが、当時からそういうことを思っていました。
ずっとそのことを思っていたので、会社に就職する時も「何年かしたら熱海に帰ろうと思っています」と面接でも言いました。
面接で「◯◯をコンサルティングする」というテーマでプレゼンするように言われたので、熱海のコンサルティングをテーマにしました。
常に熱海というテーマはあり、就職活動をする時はいずれ必ず熱海に帰ろうというのは決めていました。
直接的に本当に帰ろうと思ったのは2000年代半ばで、熱海がどん底のところからちょっと良くなってきて、リゾートマンションとかが建ち始めた時です。
それを見ていて逆に、熱海が東京みたいになっていく、昭和な感じとかそういう良さが消えていくんじゃないかと思い、それを何とかしようと思っている人が誰もいなそうだったので自分がやらないとまずいと勘違いした、という感じです。
井上 それはすごく明確なきっかけがあったというよりは、何となくずっといつかやるとは思っていてたけど、その辺のリゾートマンションは違うぞ、ということで始めたわけですね。
ありがとうございます。熱海での取り組みに対しても色々学びがあるお話だったんじゃないかなと思うのですが。
市来 そうですね。
各務 僕はよそ者として京都で活動させていただいていますが、地元を愛するが故にやるというのもまたなんか立脚点が違う感じがします。
「よそ者が来て荒らしている」という反応
市来 僕は10年ぐらい熱海の外に出てから帰ってきたんですが、熱海の人たちは僕が地元出身だということを知らない人が大半なんです。
なので、「よそ者がやって来て荒らされている」というのはずっと言われていました。
各務 最初は絶対言われますよね。
市来 カフェをオープンして1年ぐらい経った頃、おばちゃん達十数人の集団がいきなり殴り込みにきて、席を占領して「ちょっとあなた座りなさい、熱海の人間でもないのに何様のつもりでこんなことやってるの」と言われたのです。
私が「熱海の出身なんですけど」と言ったら「あ、そーなの、じゃーいいわ。頑張ってね」と言って帰っていきました。
そういうことってあるんだなと衝撃だったんですが、そのくらいよそ者に対する怖さとか不安があるということを常に感じています。
京都ほどではありませんが、熱海も老舗は100年、200年ぐらいやっているところがあって、弊社の取締役のメンバーにも150年続いている干物屋の若旦那がいます。そういう人達にとっても僕みたいなのがいるとやりやすくなるんですね。
飛び抜けて変わったことをやる人がいると、多少今までと違うことをやってもそんなに目立たなくなってくるので動きやすくなるというのもある。
元々熱海は旅館を頂点としたヒエラルキーがものすごい町なので、旅館に対してものが言えないという環境だったんです。
干物屋が旅館に対して、例えば提案することすらできないんです。
井上 ヒエラルキーのトップは旅館なんですね。
市来 僕等の取り組んできてことがすごく画期的だったらしく、ずっと「何それ?」といった感じだったんです。
干物作りの体験を旅館さんと組んでやってみると、その取り組みの外にいる旅館の人からすると考えられないような常識が当たり前のようになった。
そこは僕も鈍感な方なのでよく分からずにやっていましたね。
井上 触媒としてというか、先程 各務さんもおっしゃっていたように慣性の法則もあるでしょうし、伝統芸能や、リゾートマンションではなく「古き良き」というところを大切にしたいというところが共通する部分だと思います。
地元出身ではない人に対してもそうですし、変えることに対する反射的な抵抗という部分もたくさんあり、ご苦労があるかと思います。
どういうきっかけで地元の人のマインドセットが変わり、ついてきてくれるようになったんでしょうか。
市来 未だに色々と言われたりしていますが、象徴的なのは元々地元が熱海で旅館さん等に割り箸を卸している会社の3代目の方が「若い奴がかっこつけてやって、ばかじゃないか」と初めは言っていたと後から聞きました。
その人が自分の身の回りとかで「このままではまずいな」と思った時に相談できる人があまりいないので、「取り敢えずむかつくけどあいつに話してみよう」という感覚で僕等に相談してくれたんです。
恐らく今までは、チャレンジや変えたいという気持ちがあった時に、持っていく場所が無かったんだと思うんですね。
そういうことをきっかけに繋がりが始まるということは多かったですし、そこからそういう人達を後押ししたりしたので、ついてきてくれたのかなと思います。
僕等がずっと意識していたのは、変わりたくない人を変えようとは思っていなかったので、ちょっとでも変わりたいとか何かやりたいと思っている人を支援する。
その人が変わると連鎖的に周りが変わっていくという姿が一番嬉しいですね。
井上 そういう意味では正に、ICCのロゴ=旗ですが、旗を立てるということですね。
やはり最初は抵抗にあったけれど、旗を立ててもう1回元気な町にするんだ、ちょっとあれだけど何かやってみよう、というと声がかかった。
旗を立てる、アクションを起こすということが大事だということですよね。
市来 そうだと思います。
井上 小松さんはそういう意味ではちょっとスタートラインが違うと思いますが、震災の復興、更に復興を超えて新しい価値を生み出すということですごく綺麗なストーリーですが、その中に本当に色んな苦労があり、女川町の方から「お前に気持ちが分かるのか」と言われたり、ということがあったと思いますが、どうでしたか。
「よそ者」を乗り越える
小松 そうですね、今の話と基本は変わり無いですよ。
同じ宮城県とは言え、仙台と女川は距離があるので僕はよそ者なんです。
入った時に、手伝えと言った商工会の人は応援してくれるんですが、他のみんなは知らない中でいきなり「宿を作ります」とやってるわけなので、「誰だお前」となりますよね。
かなり色々言われたみたいです。
僕も気付かなかったんですが、あいつ裏で金を貰ってるんじゃないかとか、何か思惑があるんじゃないかとか言われたこともあったようですが、僕は普通に宿を作るプロジェクトを淡々と進めていました。
トレーラーハウスが40台ズラッと並んだホテルを作ったんですが、これは結構インパクトがありました。
それが見えた瞬間にみんな「こいつは敵や怪しい奴じゃない、ちゃんとやると言ったことはやるし、形にして見せてくれる」というところから皆さん手を差し出してくれる部分は変わったかなと思います。
東日本大震災ならではで言うと、東日本大震災を機にみんな変わろうという意識は通常の地方より大きく違って、ものすごく大きなうねりを生み出すんです。
そのうねりに乗っていった人と乗らなかった人の差というのは、女川に限らず東北は全体に残っていると思います。
ただ町の人達も言っているのは、そういったうねりに乗れなかったり、変化しようということに抵抗している人達はもちろん受け止める必要はあるけれども、やるかやらないかだからやった人がすごいし、その人達を尊重すべきだし、どんどんやる人を応援していこうと。
やらないで文句言っている人もいるけれど、それは受け止めてそのままにしていこうという考えで、皆さんかなり割り切っているような感じがします。
井上 まずは分かってくれる人、やってくれる人と一緒にやる、それは各務さんも同じですよね。
各務 そうですね、禅問答みたいになってきますが、もうやりたいからやるだけで、僕も結局それを変えようとか気負いすぎちゃうと、もう誰の為にやっているか分からなくなります。
誰かの為というよりは結局は自分がやりたいからやっていて、そのことに共感してくださる方にもちろん喜んでもらえれば嬉しいし、精神的な話になりますが、最近は「全て自分がやりたいからやらせてもらっている」というつもりでやっています。
本当に自分がやりたいこと、自分が楽しいと思うこと、意味があると思うこと、それに共感してくださる方、その方達の思いに報いたい、ただその結果として変わるか変わらないかは分からない、自分がやれることを全力でやるしかないなと思っています。
(続)
続きは 注目の地域プロデューサー対談 – 「危機感こそが行動を変える」地域が変わるタイミング をご覧ください。
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編集チーム:小林 雅/榎戸 貴史/戸田 秀成/城山 ゆかり
【編集部コメント】
続編(その3)では、地域プロデューサーとして、町が変わる為のきっかけやタイミング、地域での活動で重要なことについて議論しました。是非ご期待ください。他にも多く記事がございますので、TOPページからぜひご覧ください。
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