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働く喜びやモチベーションとは何か?

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「僕、31歳まで無職を続けるくらいですから、結構世の中を引いて見ていたし、別に自分が何かしなくても誰かがするしという感じで考えていた節があったんですよね。でも、とりあえず食わなきゃいけない、金を稼がなきゃいけないから就職してエンジニアになりました。
元々「モノ作り」が好きだったので、エンジニアの仕事自体はすごく楽しかったですね。でも、いざマネジメントをする側になると、すごく孤独な仕事だし、自分がプロダクトを作って世に出すという訳ではなくなってくるので、結構葛藤がありましたね。エンジニアとマネージャーというのは水と油みたいなところがあって、マネジメントは孤独で全然楽しくないなって思ったんですよ。その時に、そもそも自分は何をモチベーションに働くのかということを初めて考えるようになりましたね。」

「生きるとは何か? 働く喜びとは何か?」をテーマに様々な経験をした3名の方をお迎えし、深く議論しました。特別対談(その1)の「働く喜びやモチベーションとは何か?」 をぜひご覧ください。

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【登壇者情報】
2016年3月24日開催
ICCカンファレンス TOKYO 2016
Session 5E 特別対談「生きるとは何か? 働く喜びとは?」

(スピーカー)
平栗 遵宜 freee株式会社 執行役員開発本部長
南 章行  株式会社ココナラ 代表取締役 
水島 淳  西村あさひ法律事務所 パートナー

司会 特別対談セッション5Eは、「生きるとは何か?働く喜びとは?」というテーマで始めたいと思います。まずは簡単に自己紹介をしていただきたいと思います。

水島淳氏(以下、水島) 水島淳と申します。西村あさひという法律事務所で弁護士をしています。

社会人になって6年間程M&Aロイヤーをしていまして、その後スタンフォードのビジネススクールに留学しました。

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水島 淳(みずしま あつし)
西村あさひ法律事務所 パートナー

国内外の企業・スタートアップの戦略的アクションの実行戦略の設計をサポート。M&A、事業提携、国際展開、資金調達、新規ビジネス構築、IP戦略等につき、目指す戦略に最も適した枠組・手法を設計・助言。
2012年から2014年まで米国シリコンバレーにてハードウェアベンチャー企業WHILL, Inc.の設立メンバーを務め、事業運営・2ラウンド約15億円の資金調達に貢献。
米国コロラド州のスタートアップインキュベーターBoomtown Acceleratorにてメンターを務める。また、宇宙ベンチャー振興のための組織Spacetideのメンバーを務める。
成蹊大学法科大学院非常勤講師。M&A、国際租税等に関する執筆多数。
2004年東京大学法学部第一類卒業(LL.B.)、2013年スタンフォード大学ビジネススクール卒業(MBA)。

スタンフォード時代は、1年目は中国人のPhDとソフトウエアのスタートアップをやっていましたがうまくいかず、2年目はハードウエアのスタートアップ(WHILL)を立ち上げて事業開発と資金調達をしていました。卒業後もシリコンバレーに残り、合計で2年程それをやった後帰国して、今また西村あさひ法律事務所に在籍しています。

▶水島さんの著書 『スタンフォードの教え「ビー・ユアセルフ」』(扶桑社)

現在は、弁護士として、事業戦略のエクセキューションの部分のデザインで、ビッグビジネスなるビジネスをメガビジネスに、ということを大きなテーマに掲げています。

非連続的な事業戦略、たとえば、事業領域の展開とか、地理的展開であるとか、M&A・資金調達、知財戦略、あるいは法制度のボトルネックへの対応といったものについて、方法論の部分での、ビジネス上のゴール実現のための戦略をデザインしています。

具体的には、新規のビジネスの構築にあたってこういう権利義務の設計が長期的な収益に効くのではないかとか、目指すディール成立の確度を上げるためにこういう交渉の構図にしてはどうかとか、同じビジネスゴールを目指すならライセンスを受けるより逆にN&Aする形にした方がよいのではないか、長期的な優位性確保のためにこういう方法論で知財を守っていくのがよいのではないかなど、戦略実行の方法、エクセキューションの部分で様々な企業をサポートさせていただいています。

司会 ありがとうございます。それでは南さんお願いします。

南章行氏(以下、南) 株式会社ココナラの代表取締役の南と申します。よろしくお願いします。
ココナラは、立ち上げてもうすぐ4年くらいになるサービスです。C to C のサービスECのプラットフォームという言い方をしていて、「~を教えますよ」「~アドバイスします」といった、自分の得意に基づいたサービスをオンライン上で販売できて、誰でもそういった方にお願い、相談できるというようなマッチングのプラットフォームです。

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南章行
株式会社ココナラ 代表取締役

1975年生まれ。名古屋市出身。1999年に慶応義塾大学経済学部を卒業後、住友銀行に入行。2004年1月に企業買収ファンドのアドバンテッジパートナーズに入社、5件の投資・経営に関わる。休職し、2009年に英国オックスフォード大学MBAを修了。帰国後、ファンドでの業務の傍ら、音楽を使った若者向け社会起業プログラム、NPO法人ブラストビートの設立を主導した他、NPO法人二枚目の名刺の立ち上げにも参加。2011年アドバンテッジパートナーズを退社し、自ら代表として株式会社ウェルセルフ(現株式会社ココナラ)を設立。「一人ひとりが『自分のストーリー』を生きていく世の中をつくる」というビジョンを掲げ、知識・スキルの個人間マーケットプレイス「ココナラ」を運営している。

もともとのキャリアとしては、99年に住友銀行に入って5年ほど、主に企業調査部というところで大口融資先の再生プラン考えたり、中に入って審査というか経営状態をチェックしたりといった仕事していました。
そもそも、企業再生みたいなことをやりたいという思いがあって銀行の道を選んだのですが、銀行に入って5年くらいしたところで、日本で企業再生ファンドという形式のものが立ち上がってきたのを初めて知って、やりたかったのはこれだということで、アドバンテッジ・パートナーズという(日本を代表する)PEファンドに転職し、7年半在籍しました。

通産5件くらいの企業買収の案件に個人的に関わっていました。その間1年間休職してオックスフォードのMBAに留学し、そこで、オックスフォードの看板授業の一つである「社会起業」というのに初めて触れました。

その間にリーマンショックがあったりいろいろ世の中が変わっていく中で、若い人達はロスジェネの世代の僕達よりももっと大変だと、海外にいながら妙に客観的に感じる時期だったんですよね。

その結果、留学が終わってアドバンテッジ・パートナーズには帰ったんですけれども、向こうで見つけた若者向けの社会教育プログラムを日本に輸入してブラストビートとして立ち上げました。

そのブラストビートを通して、若者を元気にすると実は大人の方が元気になるということが分かり、誰もが本業とは別の社会貢献的活動に携われたらいいのではないかと思い始めて、オックスフォードの同期と「二枚目の名刺」というNPOを立ち上げました。

そのような感じで、2年間程、昼間は散々仕事をしながら、深夜と週末はNPOの活動をするという生活をしていました。

そして、そこで色々な思いを抱いたり、これからの人生について考えたりしている時にちょうど度 2011年の東日本大震災があり、背中を押された感じで起業しました。

司会 ありがとうございます。

平栗遵宜氏(以下、平栗) 僕はというと、31歳で初めて就職したんです。それまでは、弁護士を目指していました。

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平栗 遵宜
freee株式会社
執行役員 開発本部長
 
2012年10月にfreee株式会社に参画。freeeの開発組織のマネジメントを担う。freee の第1号社員。freee参画以前は、法曹を志すも挫折。創業間もない freee にて、背水の陣でソフトウエア開発を習得。最初の1年間で25万行のプログラムをリリースし、一線級のエンジニアとなる。エンジニア経験最短での「デブサミ」登壇を果たした。経験に縛られないことを強みとして、freeeらしく、前例のない最高の開発組織づくりを目指す。東京大学法学部卒。

水島 話題の記事を拝見しましたよ。

参考記事:東大法学部卒(31歳・無職)が半年でプログラマーになれたのは生存本能のおかげ~『freee』開発者・平栗遵宜さん

平栗 本当ですか? 父が弁護士だったので、その後を継ぐ形で東京大学の法学部に入ったのですが、最終的にダメで。やはり31歳無職というのは社会的にも相当厳しい立場で、当時たまたま友達の友達が立ち上げたばかりのfreeeを紹介してもらい入社しました。

最初の2年間はエンジニアをしていましたが、3年目からエンジニアが30人、40人体制になったためマネジメントに携わるようになりました。現在は、完全にマネジメントと経営をしています。

司会 ありがとうございます。今回、テーマが「生きるとは何か?」という大変な壮大なものになっています。

皆さんには、ご自身の人生を考えるようになったきっかけとなるような実体験がおありではないかと思うんですけれども、そのあたりのお話を聞かせていただけたらと思います。

人生を考えるようになったきっかけは?

平栗 僕、31歳まで無職を続けるくらいですから、結構世の中を引いて見ていたし、別に自分が何かしなくても誰かがするしという感じで考えていた節があったんですよね。

でも、とりあえず食わなきゃいけない、金を稼がなきゃいけないから就職してエンジニアになりました。

元々「モノ作り」が好きだったので、エンジニアの仕事自体はすごく楽しかったですね。

でも、いざマネジメントをする側になると、すごく孤独な仕事だし、自分がプロダクトを作って世に出すという訳ではなくなってくるので、結構葛藤がありましたね。

エンジニアとマネージャーというのは水と油みたいなところがあって、マネジメントは孤独で全然楽しくないなって思ったんですよ。

その時に、そもそも自分は何をモチベーションに働くのかということを初めて考えるようになりましたね。

昔のことを思い返しているうちに、元々人とコミュニケーションすることや、困っている人を助けることが好きだったことに気づきました。

そういう点では、むしろマネジメントは自分には向いているのかもしえないと考えられるようになりましたね。

そして、僕はまだ働き始めてまだ丸4年経っていないので、まずは安定した収入を得られるようになって、家族と子供をちゃんと養えるようになりたいということが、棒の中に原始的なモチベーションとしてあり、また働くことの本当の目的でもあります。

ここにいらっしゃるお二人は本当にピカピカの経歴を持っていらっしゃって、多分収入も相当おありだと思うのですが、どのような自分なりのモチベーションをお持ちなのか伺ってみたいです。

 人と違うモチベーションですか?

平栗 はい。

 僕はそもそも、長いキャリアプランを作るのが好きではなくて、その時その時面白いことをやっていこうというスタンスなんですよね。でも、若い頃はわりと二歩先を読むような感じでした。

モチベーションの要素として2つあって、まず一つは父親の影響です。父は職人肌の人でマネジメントができる人ではなかったのですが、起業パートナーが亡くなられて経営に相当苦労したと聞きました。

僕をぎりぎり大学までは行かせてくれたけれども、何とかそこまで粘って倒産したという苦労を見ていたので、僕には、才能ある人を助けたいなという想いがベースとしてありましたね。父親には、大学まで行かせてくれて本当にありがとうという想いがあります。

そして、大学3年生の秋に山一證券が倒産したことが、僕の人生のスイッチになったんですよ。

高校2年の時からずっと商社に行きたくて、大学時代には留学して英語を勉強して、就職活動の時には商社に行く気満々だったのですが、山一倒産したというニュースを見た瞬間に、すごい世の中になるなと思いました。

このレベルの会社が倒産してしまうのだから、もう一気にいろいろな会社が潰れていって、これからの世の中リストラの嵐になっていくだろうと思いました。

一生懸命頑張って勉強して、いい大学に行って大企業に入ったのに、リストラされて40代50代の人が路頭に迷うんだなと。

そんな世の中、何だか嫌だなと思ったんですよね。その瞬間、そういう人達を救いたいと思って僕のモードが一変したんですよ。

企業再生という言葉が自分の中に明確にあったかはさておき、結局商社は一社も受けずに、どうやったらそういう企業を助けられる側に回れるんだろうかと考えるようになっていました。

その時の発想というのは、例えば財務リストラして会社が生き延びればいいということではなくて、中にいる人を救いたいということにモチベーションがありました。

当時はPEファンドがなかったので、金融かなコンサルかなと思ったのですが、何となく、銀行が経営に噛み込んで人を送り込んで再生するイメージがあったので、銀行に行くことにしました。

その中でも、企業再生に定評があるかなと思った住友銀行に行ったんです。それからPEファンドを見つけてPEファンドに入っていったんですけれど。

よく「ハゲタカファンド」みたいな言われ方をされるのですが、僕のモチベーションは、人を切ってでも企業を再生するというのとは全く違って、中にいる一人一人を救いたいということにあるんですよね。

振り返ってみると、そのPEファンドも2つのNPOも、生きる力の獲得支援を目指していました。

今やっているココナラも結局そうで、一人一人が自分の得意を生かし誰かの役に立つ経験をすることで、生きれるようにしてあげたいという思いがすごくあります。

今この世の中、システムが大きくなりすぎてしまって、自分が誰の何の役に立っているのかということが感じにくい世の中になっていると思います。

けれども、それは人の根源的欲求だと思っていて、それを満たすことで、自分の人生というのは「まんざらでもないな」と思える瞬間を全ての人に持ってほしいと思っています。

また、自分に何か夢があったり辛いなという時に、何か得意を持っている人に頼んで助けてもらえるから、自分はこれで生きれるという感覚というか。

そういう意味で言うと、ココナラのコンセプトは「生きれる」なんですよね。振り返ってみると、ココナラも、ブラストビートというNPOも、「二枚目の名刺」というNPOも、PEファンドも、一人一人が自分らしく生きれるということや、生きる力を獲得していくということの支援の形であって、僕はもともとそれにすごく興味を持っていたんだなということを、起業してから気づきましたね。

司会 そのきっかけは、やっぱりお父さんの会社というところに?

 もう、どれがという訳ではないんですよね。

やはり人の人生は、その都度何かやっていた点が、振り返ってみたら線になっていたというようなことです。

そのうちの一要素がそういう父親で、そういう家に生まれたということで、たまたま留学したらそこでNPOと出会ってしまったみたいなことです。

その時にグッときたからやったということだと思うんですけれど、その都度その都度は別に深い点ではないんですよ。

そしてたまたま後から振り返ってみたら、生きる力獲得支援を目指していたということに気がついたという話ですね。

水島 僕はやっぱり、純粋に面白いことがしたいのと、それから、人前に出たいという想いがすごくあります。

みんなで集まって集団として何かをするのがすごく好きで、恥ずかしながら、我侭で、関西人なので目立ちたがりです。そして、情熱があって燃えるかどうかが、常に自分の中での基準になっています。

ただ、面白ければ何でも燃えるのかというとそうではなくて、社会還元しなければというプレッシャーみたいなものがエネルギーになっているような気がします。

僕は幼い頃からよく熱を出す子で、3歳の頃に、扁桃腺を除去する簡単な手術で入院した経験があります。

後々、中学高校くらいになって、そういえばあの時に一緒に入院してた子どうしてるのかなみたいなことを母親に聞くわけですよね。

そうしたらあまりよくない話も聞いて、何と言ったらいいか、「もらってる感」をすごく感じたんです。健康な体や、普通にご飯が食べられることに有難さを感じて、こんなにもらってるから何かを返さないとと。

それから、中学生くらいの時に、神戸にずっと住んでいた僕の祖父母が、京都に引っ越したんですよね。

京都の室町通にあるマンションなんですけどね。室町通というのは、かつては呉服屋さんが並んでいて京都の伝統的ないいお家があったところで、祖父母のマンションなんていうのは、おそらく、そもそも呉服屋がなくなったからそこに建っているんですよ。

日本文化や室町通と言う日本が誇る財産を作ってくれた呉服屋が潰れて、そこが更地になってマンションが建っている。

当時は先ほどの話の時よりも大人になっていたので、「やはり経済だよね」というのをすごく強く感じたんですよね。

要は着物を買ってますか?っていう話で、僕も少ししか買ってないですし、そんなに着てないので、やはりその経済がまわらないと、いくら「日本文化頑張れ」と言っても回らないですよね。

そして潰れるんですよね。なくなるんですよね。だから、自分はその人達のお陰で日本文化は素晴らしい、みたいに外国の友達や仕事の相手方に言ってもらえて、ある意味得をしているのに、その人達に何も返してないというのがありますね。

なので、僕は社会に何かを返すというのを目指せればなと思っていて、でも、それは崇高な理念ではなく、借りがあるというプレッシャーであると言ったほうが正しいですね。

 プレッシャーなんですか。面白いですね。

(続)

編集チーム:井上真吾/小林 雅/Froese 祥子/渡辺 裕介

続きはこちらをご覧ください:自分にとってカッコいい生き方とは何か?

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