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「新規事業を生み出す人材はどのように育成するのか?」【F17-4A】セッションの書き起し記事をいよいよ公開!8回シリーズ(その4)は、新規事業を生み出す人材となるために必要なマインドや力について、オールアバウト江幡さんに自身の経験を交えながらお話いただきました。リクルートの新規事業立ち上げ屋時代についてもお話し頂きました。ぜひ御覧ください。
ICCカンファレンス FUKUOKA 2017のプラチナ・スポンサーとして、Motivation Cloud (Link and Motivation Inc.) 様に本セッションをサポート頂きました。
ICCカンファレンスは新産業のトップリーダー160名以上が登壇する日本最大級のイノベーション・カンファレンスです。次回 ICCカンファレンス KYOTO 2017は2017年9月5〜7日 京都市での開催を予定しております。参加者の募集を開始しました。
ICCカンファレンスは新産業のトップリーダー600名以上が参加する日本最大級のイノベーション・カンファレンスです。次回 ICCサミット FUKUOKA 2018 は2018年2月20日〜22日 福岡市での開催を予定しております。
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【登壇者情報】
2017年2月21日・22日・23日開催
ICCカンファレンス FUKUOKA 2017
Session 4A
新規事業を生み出す人材はどのように育成するのか?
Supported by Motivation Cloud(Link and Motivation Inc.)
(スピーカー)
江幡 哲也
株式会社オールアバウト
代表取締役社長兼CEO
オールアバウトグループ代表
小渕 宏二
クルーズ株式会社
代表取締役社長
南 壮一郎
株式会社ビズリーチ
代表取締役社長
山口 文洋
株式会社リクルートマーケティングパートナーズ
代表取締役社長
(モデレーター)
伊藤 羊一
ヤフー株式会社
コーポレート統括本部
Yahoo!アカデミア本部長
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最初の記事
【新】新規事業を生み出す人材をどのように育成するか?【F17-4A #1】
1つ前の記事
「恐怖半分・好奇心半分」のマインドが新規事業を創る(クルーズ小渕)【F17-4A #3】
本編
伊藤 今までのお話をお伺いした上で「御大」にまとめとしてお伺いしたいと思います。
江幡 哲也氏(以下、江幡) なんで御大なんですか(笑)。
伊藤 リクルート時代から新規事業の立ち上げ屋として色々やられて、さらにオールアバウトを立ち上げられて、今も色々と新規事業をやられていて。
これまでのお話とご自身の経験も踏まえ、、新規事業を立ち上げるにあたって、どの様な素養が必要かということや、大事だと思われることについて、ご意見を伺えれば。
江幡 リクルートの話をすれば、会社に入ったのが昭和62年です。当時はバリバリのエンジニアでした。ウェブは無かったので今のエンジニアとは違い、交換器で電話を繋ぐ様な通信エンジニアです。
何故入ったかというと、61年に通信の自由化が起こり、NTTが出来ました。その時に世の中が変わると思いました。そして大学3年の夏にリクルートが通信事業に進出することを知ってバイトに行き、楽しそうな会社だと思い、入社することが出来ました。
リクルートの「超亜流」事業部に新卒入社
江幡 そういう始まりなので、リクルートの中では超亜流でした。
リクルートの本流というのは江副さんが作った情報誌ビジネスで、今で言うリクナビ、当時のリクルートブックの様なものから始まっています。
要は、情報の非対称性があるところにマッチングで選択の自由を提供しています。
企業にはマーケティングシステムとしてメディアというよりは顧客獲得の効果を改善し、ユーザーには最適な物件や就職活動に関して紙媒体でやっていました。
我々がやる通信事業の立ち上げは完全な新規事業でした。世の中にとって通信事業が初めてだったので知見が無く、先輩も後輩も無いわけです。
今でも覚えているのは、1年目の時に通信事業で交換器の発注等で3桁億円くらい使わせて頂きましたが、当然完全な素人で先輩もいませんでしたね。
当時NTTから出向で来ていた、技術の神様の様な方々に教わり2年間で10年分くらい働きました。
当時は男女用、共に会社にカプセルホテルの様なものがあり、そこで暮らしていました。
伊藤 もう時効なので、思う存分ブラックな話もしてください。
江幡 そのような状況の中で、通信事業の中でも新しい事業をどんどん行っていくという部署にたまたま異動となり、3年目くらいの時にファックスネットワーク事業の立ち上げに関わりました。
これは単純なもので、データベースと連動して1箇所に送る手間と時間だけで、何万箇所にファックスを送れるというものでした。これを売る事業部でした。
今の力の7割は、新規事業の営業マン時代についた
江幡 僕はエンジニアで参加したのに、何故か営業へ異動しました。当時はエンジニアから営業への異動は無いものでした。6年半くらい営業を経験しましたが、そこが僕の今の力の7割くらいを作っています。
その商品は1枚を送って20円程なのでリクルートの中では一番安い商品でしたが、最盛期は利益が3桁億円と大変成功をした事業でした。
座布団ビジネスで、一度契約を頂くとどんどん積み上がっていくビジネスで、(リクルートの既存事業とは)全く構造が違いましたし、単純に1つの情報を複数に送るという機能を売るには、顧客の会社の情報流、物流、金流、商売の仕組み、業界の仕組みを全部知らないと提案できません。
営業マンは自分たちが興味を持った業界等に提案するためにヒアリングをして、「ここに情報を今こうやって流していますね」とか「どうやったらもっと安くなりますよ」とか「これは間を飛ばしてダイレクトに売った方が良いですよ」という提案をして、ファックスマーケティングという今のインターネットマーケティングの前哨戦を創ってきました。
その時に僕はたまたま理系であったのと、事業のエンジニアとしてシステムを作っていた方だったので、普通のリクルートの馬力型の営業マンとは違う人生を歩かねばならず、営業を全部構造化しました。
各業界でどのような情報の流れがあって、ここにはこういう形で売れて、このような効果あるということを全部データベースにしました。自分が売れるだけではなく、事業部全員がたくさん売れるようにしました。
それが今で言うSFA(営業支援システム)です。こういう仕組みをつくり、クライアントからはその仕組み自体も売ってくれと言われました。
その様なことをやっているうちに、ファックスの仕組みだけでは解決できない悩みが見えて来ました。
ここの情報の流れはファックスでは無理だとか、お金の流れも何故こんなに無駄なものがたくさんあるのか、顧客の現場に行くと事務員の方が情報を流すことや確認することに手がかかって困っているが社員だけでは改善出来ない状況等どんどん見えて来ました。
28歳くらいの時には、100個くらい新規事業の企画を作るということを自分に課して1年で100個の事業プランを書きました。
そうしている内にインターネットがやって来て、その時までにまとめた事業アイデアを実現出来そうなことが見えてきたので、上司に新規事業開発室を作らせて貰い、アメリカに行ったり、ビジネススクールに行ったりしたりもしながら蓄えたビジネスアイディアを具現化していきました。
当時それを亜流の事業部でやらせて頂いたのは幸せでしたが、一方のリクルート本流のビジネスには情報誌ビジネスをコアにして、それを横展開したメソドロジーが非常に形式知化されていました。そういう人ばかりいました。
伊藤 それは例えばどういうことですか?
江幡 例えば、こういう領域で情報誌ビジネスを展開するにはどういうコスト構造でどういう強みを持てば成り立つかというようなことを、横展開出来るようなフォーマットがあったり、その様なものを形式知化する人たちがいました。今でもいますよね?
山口 今でもコンピテンシー研究室の様なものがあります。リクルートの強さとは何だというのを常に形式知化する部門があります。
伊藤 それは何人くらいですか?
山口 主務としてリクルートの色々な現場にいたインテリジェントな先輩方が5、6名いて、各現場の最新で起きているナレッジやケイパビリティを連携させるという意味で兼務という形の方もいました。
経営企画部で全社事業のインターネット化を推進
江幡 当時は最前線でマーケットを知り、企画提案する営業が持ってきたネタを形式知化するスタッフがいて、それを一瞬にして全員に共有していました。これは今でもやっていると思います。
その様に本流でやっている仕組みがあって、亜流で色々と新しい世の中の仕組みを作っていって、とりわけインターネット時代になる前哨戦でした。
95~97年当時はリクルートをインターネット化しなければ行けない状況でしたが、情報事業をしていた人たちは非常に儲かっていたので新しい変化を起こしづらかったです。そのため、僕は変化を起こさねばいけないということをずっと言い続けました。
ヤフーや楽天やGoogleが来てやられてしまうということを予測して、アメリカで同様なことが起こっている、ということを言っていたら本社の経営企画部に異動になりました。
経営企画室の中期戦略責任者兼次世代事業開発グループリーダーになりまして、全社のインターネット化を推進する役割になり、人材系事業以外の各事業に関してもインターネット化の戦略を立てさせられました。
伊藤 オールアバウトもその流れの中にあったのですか?
江幡 そうですね、オールアバウトは個人的にやりたかった事業で事業企画は95年頃に作っていましたが当時はまだ早すぎました。
リクルートは就職や結婚等の各ライフイベントを扱っていましたが、それは毎日使う接点ではなかったため、当時は毎日使う接点が非常に欲しいところでした。そこで毎日使う接点として考えたアイディアの1つでした。
小学3年生の時からバイトをしていた江幡氏
伊藤 そうすると前のお三方(山口氏、南氏、小渕氏)は幼少の頃に好奇心が強いところがあったようにお見受けしますが、江幡さんのお話を聞いている限りは、ファックスの事業が原点だったのですか?
江幡 それは違います。仕事は0を1にする仕事と、1を10にする仕事と、10を11や12にする仕事の3つに分かれると思いますが、僕は完全に0を1にするタイプです。
それにはマインドセットがあり、やはり幼少期の頃の話になります。
僕の母方は全員サービス業、飲食店で働き、父方は中小企業経営をしていたため、会社で働いている人が家族の中に一人もいない環境の中で、僕が初めてのサラリーマンでした。小学校3年生の時からバイトをしていましたし。
伊藤 何のバイトをしていたのですか?
江幡 お店を手伝ったり、中学生の時には牛乳配達等をやらされたりだとか。お小遣いを貰えておらず自分で稼ぐことになっていました。
それで世の中の仕組みは何でこんなに変なのだろうということをいつも感じていました。ここをこうやったらもっと幸せになるのに、など理不尽なことばかりに触れていました。
また僕は、横浜の3年B組金八先生的な中学出身なので、非常に荒れていて毎日戦争でした。
伊藤 それが今のご自身にどう繋がっていますか?
事業で大事なのは結局「戦闘力」
江幡 現在リクルートの社長で同期でもある峰岸さん(リクルートホールディングス 峰岸 真澄 代表取締役社長 兼 CEO)とも話すのは、事業をやるのに戦闘力が必要だということです。
スキルや頭脳や構造化することも重要ですが、結局は戦闘力だと。
伊藤 戦闘力を言い換えるとどのような感じになりますか?
江幡 実行力や、フレキシブルに対応することも含めた勝つ力ですね。勝たなければいけません。そういうものが鍛えられた感じがします。
伊藤 本当に皆さん、戦闘力の塊みたいな感じですね。今のリクルートも戦闘力が大事、という感じですか?
山口 最近リクルートの中で経営人材やリーダーシップ人材を語る時に、4つのポテンシャルがあると話しています。
それは、先ず①好奇心、そして何故と考えて因数分解して行く②洞察力、これはロジカルシンキングと言えるかもしれません。
3番目は、好奇心を持ってつきつめたものを皆巻き込んで行く必要があるので、ビジョナリーで論理的に話す③共鳴力、そして最後が江幡さんの言葉である「戦闘力」に繋がると思いますが、④胆力です。
何が何でもブルドーザーみたいに切り開いて作っていくとか、物事はそんなに上手く進むことは無いと思うので、きちんとピボットして仲間を巻き込んで次の道に行くという様な、クルーズさんがやって来ている様なことなのだろうと思います。
江幡 先程述べた0から1のような形式知が出来ないところには戦闘力は必要だと思います。
ただ今の新規事業の7~8割はアイディアやビジネスモデルが既にある訳で、それをどうやって成し得るかという技術開発から始まりオペレーション力や資本力の方が重要なので、そちらの新規事業であれば再現可能性が高まっていると思います。
伊藤 まさに今山口さんがおっしゃった4つというところが今お話し頂いてきたことに大体当てはまるという感じがしています。
2番目の洞察力というのは、例えば構造化するとか要素分解するというところは、やれば良いという話ですよね。
好奇心とか共感力とか戦闘力とかについては、今お話を聞いていた限りはどう考えても皆さん幼少期の経験になっていますね。
ここからは後半の話題に行きたいのですが、そういう人材をどうやって育成するのかというテーマについてです。
(続)
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編集チーム:小林 雅/榎戸 貴史/戸田 秀成/横井 一隆/立花 美幸
【編集部コメント】
記事内中盤に出てくるリクルートの「形式知化」の仕組みと力も素晴らしいと思いました。素晴らしい組織の条件ですね(榎戸)
続編もご期待ください。他にも多く記事がございますので、TOPページからぜひご覧ください。
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