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ICC KYOTO 2023 クラフテッド・カタパルトに登壇いただき3位に入賞した、リゲッタ高本 泰朗さんのプレゼンテーション動画【下請け町工場の奇跡! 下駄に着目したオリジナル靴で、地場産業の活性に貢献する「リゲッタ」】の文字起こし版をお届けします。ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット FUKUOKA 2024は、2024年2月19日〜 2月22日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションのオフィシャルサポーターはJ.フロント リテイリングです。
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【登壇者情報】
2023年9月4〜7日開催
ICC KYOTO 2023
Session 8A
CRAFTED CATAPULT 豊かなライフスタイルの実現に向けて
Sponsored by J.フロント リテイリング
高本 泰朗
リゲッタ
代表取締役社長
HP | X(旧Twitter)
1975年生。大阪市生野区出身。 高校卒業後、専門学校と神戸長田で靴の製造工程、デザインを4年間学び家業に戻る。紆余曲折ありながらも下請け業から自立してメーカーになり、2005年にリゲッタブランドを立ち上げる。2011年に事業を承継し代表取締役に。toB70%、toC30%の割合で製造、卸、販売をしており年商は平均15億円程度。国内は直営店とパートナーショップを合わせて約10店舗展開。2012年にラスベガスで展示会を開いたことがきっかけになり、現在は10か国でリゲッタブランドを展開している。生まれ育った生野区で履物作りにより地域活性化にも尽力しており、地域とも包括連携協定を結んでいる。2017年なにわの名工、2018年大阪テクノマスターに認定。2019年に新ブランドでグッドデザイン賞を受賞。既存製品では4商品が大阪製を受賞している。社員全員で1年以上かけて作成した経営理念「楽しく歩く人をふやす」を常に共有している。
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大阪・生野区で靴作りをしてきた家族の物語
高本 泰朗さん 大阪に「生野区」という面白い街があります。
この街には、日本一外国人が住んでいます。
そして大阪市一、銭湯があります。
その上、大阪で一番ものづくりの事業所が多いのです。
路地裏の長屋を覗くと、ミシンをかけるおばちゃんやプレス加工するおっちゃんたちに会えます。
1,980円のつっかけを作るのが地場産業。
決して裕福な街ではありませんが、生活の隣にものづくりがある愉快な街なんです。
そんな生野区で、地域と密着しながら靴作りをしてきた家族のお話を今日はさせてください。
実家は下請け30年の小さな町工場
高本 泰朗(やすお)と申します。
僕は高校卒業後、4年間の靴作り修行を終えてから、家業を継ぐために実家に戻りました。
生まれ育った家が仕事場の、5人で営む年商1億円ちょっとの町工場。
地元の職人さんたちと靴作りをしながら、細々と生活をしていました。
親メーカーの指示通りに生産して納品する下請業を30年続けていたんですが、僕が入社してすぐに下請け切りにあってしまいました。
代替わりしたばかりの親メーカーの新社長が、利益拡大のために全ての国内生産を中国製に切り替えると決定したのです。
これにより取引は突然終了し、家族は路頭に迷うことになりました。
初出展で知った、ものを売ることの厳しさ
実は僕は3カ月後に結婚式を控えていたのですが、家族で話し合い、これを機にメーカーとして独立しようと腹をくくりました。
「ここが修行の成果の見せどころ」と意気込んで靴業界の展示会に初出展してみたものの、一足も売れない惨めなデビュー戦になりました。
下請けの立場ではわからなかった、ものを売ることの厳しさを、この時初めて知りました。
とにかく急いで売れるデザインを作らないと、家族も職人さんも生活できなくなる。
そんな焦りもあり、深夜3時までデザインや設計をする日々が続きました。
その甲斐あって徐々に得意先も増え、仕事も安定してきたのですが、ほっとする間もなく、また違う問題が起きてしまいます。
父の一言で固めた決意
僕が考えたデザインのコピーが、靴業界に蔓延するようになってしまったのです。
無名のメーカーが作る新作は格好の的だったようで、ひどい時は15社のコピーが同じ展示会場に並ぶこともありました。
この事態に悩んだ時、僕は父にこう問いかけました。
「どうせコピーされるなら俺達が最初から中国で作ったら真似されへんしもっと儲かるやん?」
すると父はこう返してくるのです。
「うん、そうやな。でも、お父さんは儲からんでも生野が忙しい方が嬉しいわ」
そう、僕は父のその人柄が好きだったから、家業を継ごうと決めたのでした。
このやり取りがきっかけになり、地元が活気づく日本製ブランドを作ろうと強く決意しました。
ドイツの靴と日本の下駄、両方の良さを組み合わせた新作
その時僕が注目したのは、日本伝統の履物「下駄」でした。
下駄を調べてみると、良いところと悪いところが混在していました。
これを現代版に改良し、復活させようと、僕は木型を削り始めました。
ドイツの靴から学んだ土踏まずに吸い付くインソール、つま先に少しの力を入れるだけで足が前に進む下駄のテコの原理。
全てゼロイチで開発した新作に、「下駄をもう一度」という思いを込めて「リゲッタ(Re:getA)」と名付けました。
受け入れられるかドキドキしながらの初お披露目の展示会は、蓋を開けると大盛況になりました。
大手量販店も高評価で、新規の取引でいきなり7,000足もオーダーを出してくれる嬉しいこともありました。
その上、納品後はバイヤーからこんな連絡があったのです。
「高本くん! すごいよ! 2週間で売り切れたよ! 来年は3倍注文するからね!!!」
これには、めちゃくちゃ嬉しい思いをしました。
リゲッタを発表するまでは、最悪な売上を何とかしようと満身創痍でした。
だからこそ、このタイミングで大手に認められたことは、心の底から嬉しかったのです。
またしてもコピーが出回る
ただ翌年、バイヤーから連絡が来ませんでした。
胸騒ぎがして売り場に様子を見に行くと、なんとそこには、2,000円安いリゲッタのコピーがずらっと並んでいたのです。
「またやられた」と呟いた瞬間、視界が歪んで、そのまま倒れてしまいました。
この一件で完全に心が壊れてしまった僕は、家族に辞めさせてほしいと泣いて取り乱し、かなり困らせてしまいました。
3カ月後、まだ立ち直ることができない僕に、長男が生まれました。
震える手でわが子を抱いた時、親の気持ちが少しだけ分かりました。
この子にはやりたいことをしてほしい。
でも、今の自分はそれができているのか。
僕は、自分の靴で地元の役に立ちたかった。
でも靴の世界には、居場所がなかった。
息子が生まれた日に、そんなことを一晩考え込んでいました。
すると、こんな言葉が頭に浮かんできたのです。
「あっ、居場所がないんじゃなくて、発表する場所を間違えてただけじゃないか?」
そうか、そういうことか。
運命の東京ギフトショー出展
それに気付いた僕が、最後の挑戦で選んだのは、通販業界のバイヤーが集まる東京ギフトショー(東京インターナショナルギフトショー)でした。
通販ならリゲッタの価値を理解して最大化してくれるのでは?
この考えが当たっていました。
靴業界では「高い」と言われたリゲッタが、この世界では安いと驚かれる。
ストーリー、機能性、日本製、作り手の顔。
「これは売れる!」とブース内はバイヤーでごった返し、取引希望が止まりませんでした。
結果、かつての業界では出会えなかった大手企業から桁違いの注文が入ってくるようになり、今までになかった活気が生野区にやってきました。
大量に届く発注書を見て、「忙しくなるなあ」と呟く父は笑いながら泣いてくれました。
この展示会がきっかけになり、経営がやっと安定してきました。
コピーもついに出なくなりました。
気がつけば家族5人から100人の会社に
かつて下請け切りで倒産寸前だった町工場が、2014年に売上20億円になりました。
残念ながらこの年に父は病で亡くなってしまいましたが、死ぬ前にすごい笑顔で僕にこう言ってくれたのです。
「下請けで終わると思った人生やのに、こんな奇跡を見れて楽しかった」と。
僕の全てが救われました。
家族5人から気がつけば100人の会社に。
「楽しく歩く人をふやす」靴作りを生野で
大好きな仲間たちと、1年以上かけて作った自慢の経営理念がこちらです。
「楽しく歩く人をふやす」
町全体でものづくりを行うことは非効率です。
ですが、そこにロマンを感じます。
リゲッタと関わる人たちが、人生という道のりを楽しく歩けるためにも、これからも泥臭い靴作りを続けていきます。
こんな家族のお話に、そして僕の拙い紙芝居にこれまでお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。
(終)
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/正能 由佳/戸田 秀成