ウォンテッドリー仲暁子氏、ビズリーチ南壮一郎氏を迎え、「人生を変えるきっかけ」についてのインタビューを行いました。両氏の起業に至るきっかけや、学生目線でのアドバイスなど。セッションからまた一歩踏み込んだお話を伺いました。
登壇者情報 2016年2月17日開催 ICCカンファレンス STARTUP 2016 特別インタビュー「人生を変えた出来事」 (語り手) 仲 暁子 ウォンテッドリー株式会社 代表取締役CEO 南 壮一郎 株式会社ビズリーチ 代表取締役社長 (聞き手) 渡辺 裕介
司会 南さん、仲さん、よろしくお願いします。
一同 よろしくお願いします。
今の自分を作り上げる原体験
司会 まず、一つ目の質問。今回のイベント、「人生を変えるきっかけになる起業にする」ということが、このイベントの趣旨でした。
お二人の今までの人生を振り返ってみて、このタイミングで人生が変わったな。今の自分を作り上げる原体験になったなみたいなところがあれば、具体的にお聞かせいただきたいと思います。まず、仲さんから。よろしいですか。
仲暁子氏(以下、仲) そうですね。きっかけですよね。もしかしたら、求めてる回答と違うかもしれないんですけど。
起業した当初は、エンジニアがいなかったんですよ。エンジニアをすごい探してたんですけど、なかなかいなかったので、最後は自分でソフトウエアを書こうと思ってたんです。ところが、勉強してたんですけど、なかなか上手くいかなくて。ついつい眠くなっちゃって、全然勉強できない。
そんなあるとき気管支炎になっちゃって。声が出なくて、外に行って人としゃべれないみたいな感じだったんで、2週間ぐらい家にこもってたんですよ。起業してから、友達とかともそんなに会ってなかったので暇で暇で。もう、バーッと参考書とか読んで、見ながら書いていったら、意外と動くものができて。それがウォンテッドリーの最初のプロトタイプの原型なんですよね。あの気管支炎がなかったら、ウォンテッドリーはないなって思う。
南壮一郎氏(以下、南) ただ、仕事のし過ぎで気管支炎になったんだよ。
仲 いやいや、喉が弱いだけです(笑)。
司会 起業する時点でもうすでに何か一つ、自分で大きな行動を起こしてると思うんです。その行動を起こすきっかけになったことって何だったんですか。
仲 南さんも先ほど「別にそんなに起業したくはなかった」と言っていたじゃないですか。私は実は、学生のときに1回トライしたんです。サイバーエージェントの藤田さんの本を読んだら、「目的はなくてもいいから起業しよう」という言葉が書いてあり、「わーすごい」と思って起業したら、やっぱりいろいろ大変でした。
空中分解したんですよね。自分は「向いてないな」と思ったので、もう止めようと思ったんですよ。ですから、どちらかと言うと、ウェブサービスを作って、そこで売上が月数十万円上がれば、結果生きていければいいかなぐらいのノリだったんですよね。
人生を変える“きっかけ”
司会 フェイスブックに、転職されてると思うんですけど。そのきっかけとかっていうのはどうですか?
仲 昔、真面目に漫画家を目指してたんです。そのときに、ボツ原稿を投稿できるサイトを作ったんですよ。それを、世の中にマーケティングしたいと思って、何かイベント探してたら、たまたま住んでた札幌近くでIVSのイベントがあって参加したんです。
大学生の時に描いた作品:http://www.amazon.co.jp/dp/B01APAIS8A
社会人2年目で描いた作品:http://www.amazon.co.jp/dp/B01B9DV6M2
南 ゴールドマン・サックスのあとの話しですか??
仲 そうです。
南 札幌でも漫画書いてたの?
仲 そうなんですよ。近くで、そのIVSのイベントがあったので、Googleで検索して問い合わせしたんですよ。「イベント 札幌 IT」で検索し、検索結果に出てきたイベント(IVS)をクリックしてエントリーしましたね。
いろいろ考えてしまうと意欲がなくなってしまうので「まずやってみる」みたいなスピリットが構大事ですね。そこに行ったことによって、(当時インフィニティ・ベンチャーズの)小林さんにに会ったんですよ。当初は(新サービスの発表の場の)Launch Padに出たいというメールをしたんですけど、その時はプロダクトができてなくてスタッフとして参加しました。スタッフの仕事は海外ゲスト担当の通訳の仕事でした。
そこでフェイスブックの日本の立ち上げを担当していた児玉太郎さんにお会いしてからのフェイスブックに入社です。すごい、Googleで検索して、検索結果に出たイベントにエントリーを適当にやってみたら、結果として人生が大きく変わるということはありますね。私は結構そういうのよくやるんですよ。
仲 暁子 ウォンテッドリー株式会社 代表取締役CEO 1984年生まれ。京都大学経済学部卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社。退職後、Facebook Japanに初期メンバーとして参画。2010年9月、現ウォンテッドリーを設立し、Facebookを活用したビジネスSNS『Wantedly』を開発。2012年2月にサービスを公式リリース。高校留学中、留学生同士のコミュニティサイト運営に携わる。大学では、大学の履修情報やキャンパス周辺の生活情報を掲載したフリーペーパー「chot better」を立ち上げ、京都市内の中小企業向けにHP制作会社を設立。Facebookでの経験を通して、ソーシャルメディアの可能性を肌で感じたことが、Wantedlyというサービスを思いつくきっかけとなる。ウォンテッドリー設立後、人と人が繋がることにより、個人の可能性を最大限広げるサービス作りに取り組む。趣味は面白いものを創る活動。「ジョジョの奇妙な冒険」と岡崎京子、庵野秀明監督が好き。世の中をより面白くするプロダクト作成に日々没頭している。
南 行動を起こしたってことよね。思いついたことを行動に起こしたら、イベントに参加し、そこで新しい出会があって、フェイスブックに転職したとということになる。
仲 まさにそうなんですよ。
司会 自分の直感で惹かれていったところに転職したいということでしょうか?
仲 そうですね。あと、そろそろ東京に戻りたいなというのもありましたね。いろいろ重なっていいタイミングだったと思います。
司会 次に南さんの人生を変えるきっかけになった出来事をお話いただけないでしょうか?
南 僕は今でもそうだけど、別に起業家になりたいと思ったことないし、今でもなりたくないと思ってる。経営者が、別に自分の天職でもないと思っています。
「好きなときに好きなことをやりたい」というのが、僕のコンセプトです。あえて仕事で言うんだったら「プロデューサー」かな。よく「好きな経営者、尊敬してる経営者誰?」と聞かれるけど、答えは秋元康さんなんですよ。いろんなところで、いろんなかたちで自分自身のアイデアみたいな発想をどうしたら表現できるのかっていうのが好きで。これ、子どものときからずっと変わってないんだよね。
それがある意味、大きく、仕事っていうものに変わったのが、楽天イーグルスに入ったときなんです。当時の上司が楽天の三木谷さんとインテリジェンスの創業者でもある島田さんと、そして(現在ヤフーの)小澤さんだったんです。その3人が僕の上司だったからとても刺激的なわけですよ。
仲 強烈な人たちですよね。
南 3人とも、起業家でもあったし、経営者でもあった。その3人と共に、0から事業を作る経験をさせていただいた。それまで僕は、どちらかと言うと外資系の金融マンとして育ってきた。ROIだったり、合理性だったりをみていて。お金を儲けるということそのものが、事業活動の中心だったのが、世の中を変えていくということに仕事の中心が移った。
世の中に大きな影響を与えていく、世の中をより良くしていくということが、こんなにも楽しいんだなって。こんなに面白いんだなって思えたこと。これがやっぱり原体験として一番自分を変えたとは思うんですよね。
仕事は面白ければいいんだと。仕事は楽しんでもいいんだと。そのとき思えたんです。仕事はどちらかと言うと、自分の能力だったりスキルをお金に換えることだとそれまでは思っていた。
今でもそう思う部分もある一方で、でもやってる仕事、使ってる時間を楽しんでもいいんだ。ワクワクしてもいいんだ。ドキドキしてもいいんだ。そして何よりも、喜んでもらってもいいんだという感覚が今はある。周りの方々だったり、世の中がより良くなってくる姿を見れるのが、楽しい。ワクワクする。楽天イーグルスをやってる途中もそうだし、振り返ったときにすごい自分としては楽しかった。
仙台で過ごした3年間というのは、やっぱり自分自身の道場みたいなものですね。ドラゴンボールでいうと「精神と時の部屋」みたいなもので。あそこで過ごした3年って本当に30年ぐらいに感じるし。小澤さんもよく言うんだけど、僕たちやっぱり、普通の人だったんですよ。本当に。僕も小澤さんも、島田さんも。スターフェスティバルの岸田社長も。そんな普通の人の集まりだった僕たち7~8人に0から半年間で球団を作れと。強烈な面白い経験をさせていただいて、みんな本当に覚醒してしまったんだなと。
だから、誰でもそういうチャンスはあると思うんですよね。自分自身が何か面白いものを考えて、それを事業にしていったり、それを集団だったり組織にしていく以外にも、周りにたくさん面白いこと。それは、ウォンテッドリーだったり、ビズリーチだったり、NPOだったり、いろんなものがあると思うんだけど。そういうものに巻き込まれていく。巻き込まれていくということがすごい大事なんじゃないかなと。
僕はやっぱり最初巻き込まれたので。この楽天イーグルスという一つ大きな渦に。そこで、やっぱり感じたものが今の会社になってる。もっと言うと起業するきっかけになった。巻き込まれていけと。
とにかく面白い人の周りに面白いことが起こるし、面白いことやってる人たちのところに「手伝わせてください」とするといい。まさに仲さんはIVSに「手伝わせてください」と言って、巻き込まれて、今のウォンテッドリーがあると思うんだけども、そういうのってすごい重要なんじゃないかなと。
自分が面白いものを発想するというのはなかなかできないから。面白いものを発想しているところに突っ込んで行って、手伝わせてくださいとフェイスブックに連絡してるぐらいだから。すればいいわけよ。あとは、2回目のIVSのときには実際に巻き込まれてそれがあって、結果があったわけだから。とにかく面白いのに巻き込まれに行けというのが、僕の楽天イーグルスでの経験を通じて感じるところです。
人生はストーリー。せっかくやるなら面白いことをやろう
司会 スポーツやりたいと言ってモルガンスタンレー辞めたりとか、楽天イーグルスを作ると聞いて、「これだ!」と思って楽天の三木谷さんところに行って、会いに行くみたいなことだったりとか、南さんの行動力の源泉とは何でしょうか?
南 かっこよく言うと、僕は人生を結果から考えてるんです。結果から逆算するというのすごい大事にしてるんです。残念なことに人は死んじゃうんですよね。どこかのタイミングで。多分、僕も皆さんもそうだと思うんだけど、「死ぬ」というのが、一つの確定事項であるだろうから、それは50年後100年後かわからないけども、死ぬ瞬間があるわけです。
死ぬ瞬間では何考えるのかなとか、死ぬ10年前は何を考えてるのかな。おじいさんになったら何を考えてるのかなと思ったら、絶対、20代の頃とか30代の頃、「超楽しかったよ」とか言って、元気な頃を絶対思い出すと思う。「こんなことが、あったよ」という感じでね。僕はまだ結婚もしてないけども、多分孫とかに自慢するわけですよ。「じいちゃんこんなことやってたんだぜ」スポーツ新聞見て「この球団作ったぜ」とか。「俺、この会社作ったんだ」と。
街中が、自分が作った事業とかサービスとか、自分の関係性があるもので溢れていたらこんなに面白いことないだろうなと。これは僕が描く理想的な世界なんですよね。きっと孫に、「じいちゃん、なんか映画みたいな人生じゃないか」と言われたら、超ハッピーだと思うんですよ。ということは、それを実現するためにどう逆算して作っていけばいいのかということを考えてみる。映画だったり、小説だったり、漫画でも面白いやつは要はストーリーが面白いんですよ。だから、自分の人生がストーリーだと思ったら、意図的に面白いことをやっていかないと、ストーリーとして面白くないんですよ。意図的に面白いことって、普通に考えたらやらないことだったする。
南 壮一郎 株式会社ビズリーチ 代表取締役社長 1999年、米・タフツ大学数量経済学部・国際関係学部の両学部を卒業後、モルガン・スタンレー証券株式会社に入社。東京支店の投資銀行部においてM&Aアドバイザリー業務に従事する。その後、香港・PCCWグループの日本支社の立ち上げに参画し、日本・アジア・米国企業への投資を担当。2004年、新プロ野球球団設立に興味を持ち、東北楽天ゴールデンイーグルスの創業メンバーとなる。球団では、チーム運営や各事業の立ち上げをサポートした後、GM補佐、ファン・エンターテイメント部長、パ・リーグ共同事業会社設立担当などを歴任し、球団事業においては不可能とされていた初年度からの黒字化成功に貢献。その後、株式会社ビズリーチを創業し、2009年4月、管理職・グローバル人材に特化した会員制転職サイト「ビズリーチ」を開設。インターネットの力で、日本の採用市場を可視化し、日本の新しい働き方、企業の採用のあり方を提案。さらに、20代向けレコメンド型転職サイト「キャリアトレック」やシンガポールを拠点とするビズリーチのアジア版「RegionUP(リージョンアップ)」も開設し、創業6年強で従業員数561名(2016年1月)の組織へと成長。また2010年8月、ビズリーチ社内で、セレクト・アウトレット型ECサイト「LUXA(ルクサ)」を立ち上げ、同年10月に、株式会社ルクサとして分社化。2015年5月、ルクサはKDDI株式会社の連結子会社になる。
僕も割と真面目なので、何かを判断するときに、合理的に考えるんです。でもその合理性を超えないと面白さが出てこない。外資系金融マンが、プロ野球チームをやってたら超面白いじゃないかと。プロ野球チームを目指してたのに、「インターネットだ」とか言って辞めて、それでうまく行ったらこれも面白い。これ、一つ一つの判断に噛み砕いていくと、「よくそんな勇気出ますね」と言われるんですけど、ネタなんです。僕にとっては。すべてネタです。小説だったり、漫画だったり、映画を作るためのネタなんですよね。このときにこれやったら、絶対ネタとして面白いよねと。
今度40歳の誕生日になるんだけど。また面白いことやるわけですよ。ネタで。40歳の誕生日なんて何もやらなくてもいいはずなんだけどね。でも、せっかくやるんだったら、何か面白いことやろうとか。ほかの人の誕生日やるんだったら面白くしようとか。絶対ね、ネタだらけなんですよ。人生って。
だから、そのネタを作るために、ちょっとした勇気だったり、ちょっとした行動だったり。ネタのためだったらやるわけですよ。だって、失敗してもネタだから。むしろ失敗したほうがネタになるので、失敗談をたくさん作っておいたほうが面白い。人は成功談より失敗談のほうが求めてるから。だから、そういうのが、自分のパワーの源だったり、行動力の源になってるんじゃないかな。
仲 すごい客観視してるんですね。自分のことを。
南 そう。超客観視してる。子どものときからね。小学校のときから。映画の「マトリックス」のシーンであったじゃない。自分にとって世界はずっと、ああいうことだと思っていて。だから見えてるものというのは嘘だと思ってるから。ゲームだと思ってるからだから全然怖くない。だからいま触ってるこの机、これだって本当に存在するかどうかわからない。疑ってる。
仲 どういうきっかけでそういうの思うようになったんですか。
南 わからないんだよ。小3、小4ぐらいの時に、なんかそう思ったら、人生が面白くなってきた。何やってもよくなったから。「俺、無敵」みたいな。「最悪リセットボタンあるじゃんこの辺に」と思ってるから。
仲 リセットボタン、本当の人生ではないじゃないですか。
南 わかんないよ?(笑) それは、わかんない。
仲 途中で、あるとき、「どうやら俺の考え方は普通じゃない」らしいということに気づくじゃないですか。でも、その方が楽しいしみたいな感じなんですか?
南 もちろん気づいたんだけど、このほうがちょっと得だな思って(笑)。
「マトリックス」の世界もそうなんだけど、そうやって世界を認識すると、自分以外の人間は何も考えてない、要は「エネルギー」なんですよ。自分以外はフィクション。その中で生きていくと、いろんな表の入り口があると裏口が必ずあったりするから。「あそこは絶対裏口あるんだよね」とか。「これバグだよね」とか。ゲームだからね。そういうの見つけるのがすごい好きだったし。
やるべきことはやるべきなんだよ。これも多分ゲームの一番重要なポイントで。基本的に人に怒られるのが嫌いだし。文句言われるの嫌いだから。やるべきことはやるわけ。勉強とか運動とか。親に通知表見せたことないし。学校で基本的にノートも取ったことないし。それでいいじゃん。ゲームの範囲の中で、ちゃんと出すべき結果を出せばいいと思っているから。
裏でこそこそ、ゲームの穴つっつくみたいに先生の嫌なところ突っついてみたいな。学生時代は、そういうのがすごいやってて楽しかったね。だから、小学校のときからルール無視。ルールブレーカー。昔からね。それのほうがストーリーとして面白いからという感じで。だってもう40歳、ただのおっさんだからね。ただのおっさんよ。でもあと50年ぐらいは生きるからさ。楽しくいこうよって感じなんですけど。
あとね、結構秘密が多いと人生楽しい。秘密重要。だから、僕と仲さんしか知らないこととかあると、僕と宇佐美さんしか知らないことがあると面白い人生になる。それだって、表門だから。俺が言ってるストーリー。裏門が、最後もっと面白いから。言えないストーリーがもっと面白いんだよね。2人だけの、会ったときだけのストーリーだから。そういうの常に意識して、ずっとやってきた。
司会 すごい面白いですね。そのストーリーの何年後が撮りたいですね。ぜひ。裏門ストーリーを。
南 本書いてみたらチャプターができて。なんか台本作ってるみたい。
司会 自分の人生を。
南 大変だから、書くのって。
仲 確かにそうですよね。
南 本書くのは本当に大変で、毎回嫌なんだけど。書き終わってみると、将来見たときにちゃんと一つのストーリーになってるんだろうなって思う。年取ると昔のストーリーが美化されて嘘つき始めるから。本書くことでその時点まででちゃんと区切る。その時点でちゃんと、ジップロックしたような感じになるから。嘘を付けなくなる。そういうのって楽しいなと思う。仲さんも絶対書いた方がいい。絶対自分の本書いた方がいいと思う。
“人は環境によってつくられる“普段と違う世界に触れよう
司会 ありがとうございます。次の、最後の質問です。人生を変えたいとかモヤモヤしてる学生に対してのメッセージをお願いします。
仲 私が学生だったら、多分シリコンバレーに行って、スタンフォード大学に交換留学に行って、向こうのコミュニティに入り込むということをやると思いますね。
司会 その心は。
仲 一番エキサイティングで、最先端なものは、今はシリコンバレーとかサンフランシスコに集まってるわけじゃないですか。 人は環境によってつくられるものだと思うので。環境を変えるっていうことですね。日本ももちろん、東京ももちろん、ホットで面白いと思うんですけど、私が学生で、まだ20代前半とかだったら、シリコンバレー行っちゃうかもしれないですね。
南 僕の答えもすごいシンプル。みんな焦りすぎだと思うんですよね。先のこと考えすぎ。大学生は、大学生しかできないことを、ぜひやってもらいたいなと思う。まさに、海外に留学するとか、海外に住むということはできないですもん。今、僕がやろうと思っても。会社やってるし。もっと言うと仕事やってるときもできなかったし。でも大学生の一番の得する部分というのか、大学生の一番持ってるものというのは時間だと思うんですよね。その時間は、大学生でしかできないような使い方でやってほしいなと思ってます。
僕は親のおかげでずっと海外で育ったし、大学もアメリカだから、仲さんが言ってることは僕も同じような気持ちです。海外に住むというのは、それはシリコンバレーでもいいし、貧困問題に興味があれば、アフリカでもインドでもいいし、社会福祉に興味がある人は北欧でもいいと思うんですね。要は、自分のコンフォートゾーンから出て暮らしてみる。生活をしてみるっていうのは、すごい若いうちにしかできない経験だと思っているし。自分自身をよく知る経験になると思ってる。
やり方は本当に自由だとは思うんだけど。僕だったらやっぱり留学しますよね。100%留学ですね。シリコンバレーのスタンフォード大学でもいいし、どこかのインターンでもいいし、どこでもいい。さっきも言ったように、世界中のどこでもいいから、やっぱり自分が普段慣れてないような環境に身を置いてみる。慣れていない習慣・言葉・食事、もっと言うと違う考え方、違う空気。環境がすべて人を変えると思っているので。それは僕が仙台に引っ越して、球団をやったのもそうだったし。そこでベンチャー企業で働かしていただいてもそうだったと思うし。環境によって考え方は大きく変わるので。出会う人が全然変わってくると思うので。影響受ける度合いだったり大きさも全然違うと思うんですよね。
だから、大学生だったらもう、必ず全員留学してもらいます。必ずしろと言います。1年間は。休学してでもいいし、交換留学でもいいし。どんなかたちでもいいから海外に行って、世界を一回、自分の目で見て体験してきてほしいなと、こういうふうに思います。
(終)
編集チーム:小林 雅/小林 泰/根岸 教子/藤田 功博
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