ICCサミットにスピーカーとして登壇し、その活動や言葉で経営者たちを触発しているジャパンハート吉岡 秀人さん。2024年にICCの主催によるジャパンハート20周年チャリティディナーで紹介された、カンボジアとミャンマーのジャパンハート視察ツアーに運営スタッフとともに参加してきました。そのレポートをお送りします。後半はミャンマー編です。ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット KYOTO 2025は、2025年9月1日〜9月4日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
▶︎前編カンボジア編はこちら 「ジャパンハートは、自分の人生を豊かにするためにやっている」現地視察レポート<カンボジア編>
DAY4 ミャンマー
深夜に到着したミャンマーは、カンボジアとは一転、夜が暗い。空港から移動する自分たちの乗っているバスの明かりと、道路を照らすライトぐらいしかない。どこを走っているかわからないうちに、ヤンゴンに宿泊する外国人は皆、ここに泊まるのではないかという大規模なホテルに着いた。
翌朝は早朝から観光に出かけた。日中は猛暑のため、有名なシュエダゴン・パゴダを見に行くならば早朝のほうがいいという。パゴダはヤンゴンの中心部から1kmぐらいの小高い丘の上にある。


パゴダは高い場所にあるため、エレベーターで一気に上まで行く。カンボジア同様にお寺は土足厳禁のため、皆裸足だ。上がってみると思いの外広く開けていて、そこここにお祈りをしている人がいる。

一部補修中の場所もあったが、見事な金の装飾が施されたパゴダは、青空に映えて美しい。

このお寺の特徴は、生まれた曜日ごとに祈る場所が決まっていることで、たとえば金曜生まれの人たちは、Friday Cornerで祭壇に水をかけ、祈りを捧げることになっている。


境内は朝から着飾った多くの人で賑わっていて、ホテルの周辺より人口が多い。1時間ほど見て回ったあとは、通勤ラッシュでそこそこ渋滞する道を通ってホテルに戻った。
視覚障がい者支援の卒業生と会う
ジャパンハートは様々な事業を展開しているが、視覚障がい者の自立支援も行っている。2010年に日本のODAも入って整体師の養成コースをスタートし、現在は卒業生が100名ほどいる。

支援を受けて技術を学び、独立開業した女性にお会いして話を聞くことができた。ミャンマー北部、シェン州出身のジャーさんは、現在はヤンゴンで夫とともにマッサージ店を経営している。日本に3年間留学経験があり、日本のマッサージ師の国家資格も保有、日本語も堪能だ。
ミャンマーには135種類もの民族がいるといい、ジャーさんはカチン族、ヤンゴンから北、川を挟んで向こう側は中国という山奥のエリアから来た。幼い頃に水ぼうそうにかかって医療が整っていないため視覚障がい者になり、さらに7歳ぐらいのときの医療ミスで光すら見えなくなった。
目が見えないと自立できない、もう何もできなくて終わりだと親と一緒に泣くばかりだったというジャーさんは、今は自分の店を持ち、同じ視覚障がい者に技術を教える立場になっている。第一子の誕生を6月に控え、「すべての人が、生まれてきてよかったと思える世界を実現する」というジャパンハートの理念の体現者である。
子どもたちが暮らす養育施設 Dream Trainを見学
この日の午後に訪問したのは、「家庭や経済的な理由で学校に通えない5歳~18歳の子どもたちを受け入れ、守り・育て・自立を支援する養育施設」のDream Train。昨年のチャリティディナーでも、医療者となった卒業生が日本語で見事なスピーチを披露した。
ヤンゴンから車で移動し、舗装した道が途切れたところで、一行は下車。

団地のような住宅や平屋の民家の窓からは、勢いよくK-POPが流れてくる。家畜なのか、野生なのか、ロバがのんびり歩いてきたりもする土の道を歩いて行くと……。

Dream Trainの入口では、子ども達が来訪者を迎えるようにの両側に並び、日本の歌を歌って歓迎してくれた。


Dream Trainの活動の発端は、ジャパンハートの元スタッフがミャンマーで、農村部の孤児を保護する活動をしており、それを吉岡さんが知ったことから。2025年も新しい子どもたちが15人入所し、現在は130名近くがここで共同生活をし、勉強をしている。いずれも親元で暮らすこと、学校に通うことが困難な子どもたちだ。
当初は、不足していた衣食住の提供を目的としていたが、現在は「一人ひとりの、夢を叶える力が開花する場所」を目指して、子どもたちの自立性を育む活動に注力している。子どもたちは年齢相当の学習や外国語を学び、将来の夢を描く。過去には日本に留学した子どももいる。
もともと大学進学率が10%に満たないミャンマーだが、現在は国の教育状況がさらに悪化しているため、Dream Trainでは教育の支援に力を入れている。ここに常駐する小林 裕二さんに施設を紹介いただきながら、子どもたちと交流する時間も設けていただいた。








子どもたちは元気いっぱいで、お土産として持っていった縄跳びやシールで遊んだり、チェキで写真を撮りあったり、ピアノを弾いてくれたり。前回訪問チームからの申し送りで、サッカーのビブスを渡すと、早速ゲームが始まった。

私たち日本人も参加したが、40度近い猛暑のなか、すぐに汗まみれになって早々にギブアップ。子どもたちは元気に走り回り続けている。すばしこくてキックも強く、よく見ると裸足の子もいて驚いた。
英語が得意な子、絵を描くのが上手な子、ダンスが上手な子、さまざまな子どもたちが自分の得意なことを嬉しそうに見せてくれる。この子どもたちが学校に行けず、勉強もできない環境にあったとは信じられないほどのびのびとしている。

子どもたちの写真はあまり出さないでほしいとのことだったので言葉でしかお伝えできないが、幼いながらに自分で未来を良くすると決めた子どもたち。そこにも吉岡さんが言っていた「必ず幸せになる」という理念が反映されているように思われた。


夜は、ヤンゴンのローカルなエリアにある日系のレストランで食事。味もさることながら、朝に見学したシュエダゴン・パゴダのライトアップが見られるロケーションが素晴らしく、夕暮れから夜にかけて、たびたびシャッターを切りたくなるような美しさだった。

DAY5 ミャンマーで吉岡さんと再会
この日は帰国の予定。見学地の出発まで時間があるため、隣にあるショッピングモールのミャンマープラザを見に行くことになった。ロビーで仲間たちを待っていると、医療拠点に向かう吉岡さんとスタッフ2人がやってきた。私たちが泊まっていたホテルは吉岡さんの常宿で、吉岡さんは朝食をとらないため同行スタッフに代わりに食べてもらっているという。
ショッピングセンターは、アジアでよく見るような、中央が吹き抜けになっている催事スペースがあるつくりで、カンボジア同様に中国と韓国のショップが少し入っているが、ほとんどは地元の企業のようだ。ミャンマーのスターバックス的なコーヒーショップでは、お坊さんたちがお茶をしていた。
ビジネスエリアのためか、そもそも道を歩いている人も少なく、入っているスーパーマーケットでも買い物をしている人は少ない。経済的にも国内事情の影響があるのかもしれない。催事スペースでは、衣類やアクセサリー、ブランド品のサングラスと炊飯器、アクセサリーとカラオケマシンが並びちょっとしたカオスだった。

吉岡さんの原点、ミャンマーでの医療
ミャンマーのショッピングモールを見学した後、ミャンマーでの医療活動の拠点のひとつで、吉岡さんに再びお話をうかがうことができた。そこでもまた深い話となったのでご紹介したい。

「ミャンマーは活動としては一番古いけど、社会がこれだから、なかなかうまくいかないっていうか、まあ難しいよね」
吉岡さんのため息を初めて聞いた気がする。
いろいろな人たちの言葉から、2021年のクーデターの落とした影の濃さが感じられる。カンボジアの発展は、国のトップの方向性によってはミャンマーでもあり得た未来であり、経済成長があれば、前日に会った子どもたちも、親元から学校に通えたかもしれないのだ。
ミャンマーの社会は政府に左右されているが、日本は既得権益を守る力が強いために、社会がなかなか変わらないのでは?と吉岡さんは言う。
「日本の悪いところは、みんな同じ考え方をしてしまうこと。それは勝っているときは強い。でも負けた時に他に何もないから一気に最後まで将棋倒しになる。第2次世界大戦もそう。勝っているときはやたら強いけど、負け始めたらもう止まらなくなって、国が滅びるところまで行ってしまう。
日本の柔軟性の無さはそういうことだと思うんだよね。だから変に滅びの美学みたいなのがある。どこの国も同じだけど、ほかでは多分そういうのを緩めたりとか、変えたりするような考え方が生まれてくるはずなんだ。
時代の大きな変化というのはえてして起こるものでしょう。それが日本では大きな災害じゃないかと思っている。変化への準備ができてないと、大きな社会は前に行けない。だから僕はやれることはやりながら、本当に社会にとって必要なことを知り続けて、その準備をしている。日本国内でも5箇所に災害拠点を構えて、いつでも動けるようにしている。
これは僕の個人的な感想だけど、日本は既得権益が邪魔するんだよね。日本人がなかなか先へ行けない1番の理由はそれ。例えばアメリカだったらそれがだいぶ少ないんじゃないか。ライバルが潰しに来ることがあっても、ライバル以外の人たちが潰しに来ることはないんじゃない?
それをやってしまうのが、社会秩序を守る、変化に弱くて守りたい人たち。そういう人たちが身内を潰す。本来助けないといけない人たちが潰しにくる。流れがあるうちはみんな協力してくれるんだけど、流れがないとこに新しい流れを追い出そうとすると潰されがち。社会秩序を維持するというのが正義だと思っている。
言葉は悪いけど、世界的な大きなトレンドって、ウイルスみたいなもの。症状としては、ウイルスにかかった、咳が出る。熱が出たけど、原因はウイルスじゃない。そのウイルスは人の考え方の変化や思考で、入ってくるものなんだ。人間も出たり入ったりするし、せき止められるわけがない。
なぜそれがわからないのかというと、結局中ばかり見て、そういう人たちは既存の秩序に依存したいっていうか、そのメリットがあると思うんだろうね」
海外で、若い人たちが当たり前に勝負する世界を体験してほしい
そんな社会に暮らす若い人たちは、海外に出るべきかと質問した。
「若い時は出たらいいと思う。アウェーの環境で頑張ってやってみると、日本に帰ってきた時に日本の良さもわかるし、自分が日本人であることで受けられるメリットが結構あることが分かるので、それを利用してビジネスで成功することもできるでしょ。
外に出てみないと何が利用できて何ができないかとか、何が実は不利になっているのかとかわからない。そういう意味では外に出た方がいいと思ってる。
カンボジアみたいな高度経済成長の国に出てみるといいと思う。僕らの世代は高度経済成長の中にいたからその雰囲気は分かってるけど、今の若い人は知らないでしょ。
高度経済成長の時と、そうじゃない世界観って全然違っている。高度成長期では、1歩目が簡単に出る。もう全然ストレスなく出られるの。ちょっとやってみて分からなかったらしょうがないかみたいな程度で、あいつがうまくいってるから俺もちょっとなんかやらなあかんな、って気にもなる。
その中でうまくいく人たちがいて、調子に乗って失敗する人もいっぱいいて、いろんな世界が見られる。高度経済成長だからある世界観で、昭和という時代もあったかもしれないけど、その社会を感じるのは大切だと思う。
経済が低迷している社会は挑戦することがすごいリスクに感じるし、慎重になりすぎる。それしか知らないままだと、落ちていく世界しか見ていないじゃない。社会が日に日に変わっていく世界観の中に 2、3年埋没してみたらいいんじゃないか。
信じられないけど、カンボジアのほうが日本よりコーヒーが高いんだよ。だけどカフェに人がいっぱいいるでしょ? 高いと彼らも思ってるかというと、全然そんなことなくて。
1杯3ドルが高いとか、500円が高いという世界の中にいると、思考がそうなる。だけど500円を普通に、昔の日本人の普通の200円ぐらいの感覚で使えていたら経済感覚も変わるし、お金の数え方も変わるし、全然違ってくると思うんだよね。
だからやっぱり絶対出た方がいいよね。変化する社会というか、伸びていく社会は若い人が多いしね。だから若い人が、普通に当たり前にガンガン勝負に出れるような世界があるんだ」
NPO経営の新たなチャレンジ

それから吉岡さんは、これからのNPOについて熱く語った。株主資本主義の現在の形から、「公益」資本主義 という考えで、会社は株主のためというより社会の公器であるとし、NPOと株式会社を作り、株式会社でマネタイズした利益の一定をファンドの投資に回せばNPOをスケールできるのでは?という。
「潤沢な資金があれば、NPOで働く人はもっと給料良くなるし、余れば受益者にどんどん返っていく。そういう意味で、日本のサラリーを上げるには、NPOってすごい理想的な仕組みなんだよ。
後で知ったんだけど、原 丈人さんの『「公益」資本主義 英米型資本主義の終焉』という本にそういった考えが書いてある。今日も(ジャパンハートの)佐藤さんと話していたんだけど、NPOと会社をうまくドッキングできれば、別に同じメンバーで作らなくてもいい。
元本は基本的に減らなくて、その利益はNPOへ。これならNPOでも多分スケールし始める。 最大のボトルネックであるファンドの資金調達が比較的容易になる。仕組みを作っておけば、特に高度経済成長の国では資金が集まる。NPOの経営を寄付だけに頼るなんて弱いでしょ。
もちろん自分で儲けてもいいけど、誰かに儲けて貰えばいい。それでスケールさせていけるんじゃないかと思う。みんなから集めた資金なら株主もあまり口を出さないでしょう? そういう意味でも理想的かと思う。これを僕は次のステップの経営の仕方にしたいなと思ってる」
なんとかやれているという感覚の連続で、勝ったとか、思ったことがない
はじめは一人だった活動も仲間が集まり、病院を建設し、尊敬も集めて、吉岡さんを成功した人と見る向きもいる。「僕が吉岡さんだったら、もう人生勝ったと思うんですよね」と人に言われたときに、吉岡さんは考え込んでしまったという。
「そんなふうに思ったこともないし、勝った感覚とかないけどな。でもその人にとってテレビに出て全国的になるみたいなのがそうなんでしょうね。成功したら毎晩豪遊とかする人たちもいる。でも僕はあまりお酒を飲まないし、何が嬉しいのかよくわからない。クラブとか行って女の人と飲んだりするのが、何の喜びか僕はわからない。
初めて会った人に……喋る内容もねぇ? 僕、そこでいい話するの?とか(笑)。そこで、なぜ行くのか、何がいいんですか?って聞いてみたんだ。すると、僕と同じ世代の人たちは若い人たちと喋る機会がないんだって。
彼らは社員数が多い会社の経営者だから、若い人と喋る機会がなくて、それは嬉しいことらしい。僕の周りには若い人たちがいっぱいいるじゃないですか。普段から喋ってるから行く必要が全くないんだよ。それだったら事務局に行って若い人たちと、ご飯を食べに行くほうがいい」
だとすると、吉岡さんにとって成功とは何だろうか。 目指していないと思うが、勝ったと思えるようなことは何かあるのだろうか。
「勝ってはいない。勝ったとか思ったことないし、上には上がいるでしょ? 今はうまく破産しなくてやれているって感じ。
うまくいってるというか、なんとかやれてるっていう感じかな。5年後や10年後のことはわからない。だから成功って思ったこともないよね。多分これが1,000億の規模になっても多分ないと思うな。
このプロジェクトはなんとかうまくいったという通過点はあったとしても、ゴールがあるわけじゃない。僕はその患者さんたちを何とかしてあげたい、日々解決していこうとしているだけ。その向こうに、例えば 1万人を助けたことに何かがあるわけじゃない。日々がそうなだけ。成功したとか思わないし、うまくいったとか思わない。
なんとかやれてるっていう感覚の連続じゃないかなあ? 今日、この1年、お金をちゃんと集めて破産しないでやれているとか、病院を建ててそれがうまくいって良かったなみたいな。ただそれだけのような気がする。だから威張ることもないよね、うん」
一緒にいるスタッフを家族のようにからかって笑い、私たちの問いかけを真剣に聞き、熱心に語る。現在カンボジアでインターン中の元ICC運営スタッフ、笹木 澪莉さんの活動レポートにもあったが、吉岡さんは一緒にいる人たちと協力しながら、誇りをもって未来の一部になるため「なんとかする」日々を送っている。

リアルに勝るストーリーはない。手術を見せるのはそういうこと
残り時間もわずかとなるなか「初日に手術室で手術を見た。聞いて知っていたけれども、実際に見たこと、見えなかったことが見えたことが貴重な経験だった」という声が上がった。
「医療現場が見れるってないでしょ? せっかくなんだから見てほしいと思う。
人を近づけない方がいいし、患者のプライバシーが厳しくなっている。本当はね、医療事故が起こるリスクがあるから見せない方がいい。
それでも今のジャパンハートになぜこんなに寄付してくれる人がいるかというと、僕らがそれを見せてきたからだと思う。それで、共感してくれて寄付してくれた。それがあって今の人たちが手術を受けられているから。それこそマネーフォワードみたいなものなんだ。
未来の病気の人たちのために、子どもたちのために、自分もそうしてもらって今がある。それは僕の中では1つ、彼らのデューティ(責務)みたいなものだと思って見せている。僕らしかできない貴重な体験だから、ぜひ見てほしいと思っている」
初日の手術室では、手を伸ばせば届きそうな場所にお腹を開いた小さな子どもの姿があった。その子どもを大人5人がかりでそれぞれの役割を担って救けようとしていた。取り出した腫瘍の大きさは忘れられない。異物を取り出し、縫い合わせる。それがうまくいけば人間の体は元に戻るのか、とも思った。
「現場でリアルな病気の子どもたちに接してもらって、どうアウトプットするかは本人による。せっかく体験したんだから、なんかいい経験ができたで終わらせないで、必ず何か受け取ってもらったらいいかなと思ってる。
僕は講演でいろいろな患者の話をするんだけど、その話を聞いてストーリーに感動するじゃない? だけど実際にその患者がいれば、ストーリーはいらないんだよね。子どもたちが病気を持って生きてる姿、そのものがすごい貴重なんだ。
全員が会えるわけじゃないからストーリーが必要なんだけど、リアルには近づけない。どこまで行ってもストーリーはストーリー。やっぱり現場で知ること、患者たちに出会うことはすごいことだよ。
カンボジアの病院で(治療によって)髪の毛のない子どもたちがいっぱいいたでしょ。あの姿を見るだけで、もうそれでだけで十分じゃない。『大変な思いをして手術した』と聞く必要はなくなるでしょう。それがすごく大切だと思うんだよね」
今回のツアーではこちらが恐縮するくらい、吉岡さんに時間を割いていただいた。それはまさにストーリーに勝るリアルで、忙しいなかでも吉岡さんは対話をすることを楽しみ、大変なプレッシャーのある仕事を楽しんでおり、幸せであるという姿を見せてくださったのだと思う。
1日10数件入っている手術の合間に私たち一人ひとりの質問に丁寧に答える。入院する子どもの心を思いやりながら、NPOがスケールする方法を朝から議論する。資金の目処が立つ前に建設にアクセルを踏み、そこで実現する医療の夢を語る。吉岡さんの”ホーム”で見た姿は、日本にいるときよりさらにパワフルで、まさに水を得た魚のようだった。
昨年のイベントでは、吉岡さんを現代の偉人だと思った。今回の訪問では、ひたすらシンプルに生きる人だと思った。これをやろうと自分が決めたことを貫き、知恵と思考を注いで実行を続けると、こんなにも大きなことに到達するのかということを、今回の視察ツアーで何度も痛感した。
無償の医療を寄付だけで実現する、こんなことを、誰がやろうとするだろうか。自分の幸せの実行は、周囲の人たちや子どもたちの未来、幸せにつながるということは絵空事ではなかった。実現は容易ではないが、できないことではない。ICCサミットに参加する経営者が共感し、憧れ、触発されるのもそこなのだろう。
ワッチェ慈善病院は医療提供を再開している。ジャパンハートの拠点は増えているが、吉岡さんは今日も日本も含む各拠点を飛び回りながら、幸せであり続けようとしているだろう。まさに百聞は一見にしかずなのだが、そんな現地の様子と、吉岡さんが人生をかけて挑戦していることを少しでもお伝えできたなら幸いである。
▶︎前編カンボジア編はこちら 「ジャパンハートは、自分の人生を豊かにするためにやっている」現地視察レポート<カンボジア編>
(終)
編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/戸田 秀成