ICCサミットにスピーカーとして登壇し、その活動や言葉で経営者たちを触発しているジャパンハート吉岡 秀人さん。2024年にICCの主催によるジャパンハート20周年チャリティディナーで紹介された、カンボジアとミャンマーのジャパンハート視察ツアーに運営スタッフとともに参加してきました。そのレポートをお送りします。まずはカンボジア編から、ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット KYOTO 2025は、2025年9月1日〜9月4日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
ICCが吉岡秀人さん率いるジャパンハートのチャリティディナーを開催したのは、2024年3月のこと。それからちょうど1年が過ぎた。

このときにチャリティオークションとして出品されたジャパンハートの視察ツアーに、ICC運営チームとして3月14日〜18日で参加し、拠点のあるカンボジアとミャンマーを訪れた。病院やDream Trainといった活動の拠点や、2025年内に完成する新しい病院の建設地を見学し、忙しいなかで吉岡さんや、一緒に働く皆さんにたっぷりお話を聞くことができた。




現地で病気と闘う子どもたちや、勉強のために親元から離れて過ごす子どもたちと接してさまざまなことを体験し、個人的には多少の旅行気分も満たされて、とても実りのある訪問だった。
しかしご存じのとおり、3月28日にミャンマーをマグニチュード7.7の大地震が襲った。報道やジャパンハートのさまざまな発信にあるとおり、当日その時間に、吉岡さんはミャンマーで震源地に近いワッチェ慈善病院で手術を準備しており、若い女性の甲状腺がんの患者さんに麻酔をかけたところで地震が起こり、病院は半壊状態になった。
このミャンマーの中部にあるザガイン地区ワッチェは、2004年のジャパンハート創立当初からの拠点であり、原点ともいえる場所。2023年夏にICC代表の小林 雅が行ったときは訪問可能だったが、2024年の後半からは政情の不安定さが増しているため、ツアーでは訪れないとされていた場所である。
▶︎国軍クーデターから3年 混迷深まるミャンマー —見落としてはならぬアジアの紛争 日本の関与の在り方は?—(一般社団法人 平和政策研究所)
訪れるには危険が伴うが、ずっと医療は継続されており、被災当日から吉岡さん自ら陣頭指揮をとって、ジャパンハートは怪我人の手当をし、現在も被災の大きいエリアへの巡回診療を続けている。4月初旬に吉岡さんは緊急帰国して会見を開いて現場の状況を伝え、ミャンマーへの支援を呼びかけた。
▶︎トピックス(ジャパンハート)…ミャンマー地震への支援のお願い、活動状況など
この記事は地震前の見学と話の内容だが、この視察ツアーで見た吉岡さんの横顔と、ジャパンハートの活動、カンボジアとミャンマーの見学内容をお伝えできたらと思う。
▶︎後編ミャンマー編はこちら「僕は日々、患者さんたちを何とかしてあげたい、解決していこうとしているだけ」ジャパンハート現地視察レポート<ミャンマー編>
DAY1 カンボジアに到着
ICC運営スタッフは、2024年の10月から2025年の3月まで、4回に分けて視察ツアーに参加した。3月はボランティアで参加するICCの運営スタッフら6人と、一般の支援者2人の合計8人が3月14日の夜、カンボジアのプノンペンの空港に集合した。

空港からホテルへ向かうタイミングは、ちょうど退勤のタイミング。話には聞いていたが、大きな建物が立ち並んでいるかと思えば、深夜までやっていそうな露店が並ぶエリアもあり、中国や韓国の銀行のビルもあって、まさに高度経済成長中、活気のある雰囲気。カラフルなネオンが光り、車と一緒にバイクやトゥクトゥクも道路を疾走する。
宿泊したのはイロハ ガーデン ホテル & リゾート。日本人経営のコロニアル調の素敵なリゾートホテルだ。プールを臨むテラスで食事やお酒を楽しむことができる。


DAY2 ジャパンハートこども医療センターを見学
朝起きてカーテンを開けると、大きなクジャクが塀の上にいてこちらを見下ろしていたのに心底驚いたが、朝食のあと出発まで少し時間があったので、近所にある昔ながらの市場「ボンケンコン市場」へ見学に出かけた。


日本にないような珍しい野菜や果物、魚、衣料品、生活用品などありとあらゆるものを売っており、奥のほうにイートインスペースもあって、欧米人の観光客が食事をしていた。どこまでも続いていきそうな広さでローカル感たっぷり、朝から晩まで、一晩中どこかしら営業しているという。
「こども医療センター」で手術を見学
2016年から運営されている「カンボジア ジャパンハートこども医療センター」は、プノンペンを北へ35km離れたカンダール州にある。ここでは小児一般診療・小児がん治療のほか、成人の内科・外科などの一般外来に加えて産科や緊急外来も受け付ける。365日、年中無休で運営している。

到着するとすぐに、一行は手術室へ向かった。この日は朝から吉岡さんが固形がんの手術に立ち会っているといい、手術室の中で見学させていただけることになった。執刀しているのはカンボジアの医師ふたりで、吉岡さんは開口一番「もう取れちゃった!」と言う。

「最初に取ったほうが治療は楽。こんなに大きくなって、皮膜も薄いから破れやすいけれど、彼ら2人は手術の経験が日本と比べて4倍〜5倍あって上手。日本は抗がん剤でまず治療してからだけど、彼らは上手だし、いきなり取りにいく。
年間を通して小児がんの手術を行う期間が決まっていて、岡山の国立病院の方も年2、3回来てくれます。僕らがいたほうがいい手術もあって、いることは事故予防でもある。難しい手術は僕らがやります。
こんなにきれいに取れて、腎臓がんなら大体8割ぐらい助かる。日本と同じで、お腹のがんは進まないとわからない」
そう話している横で、小さな子どものお腹が縫い合わされていく。取り出した腫瘍を見せてもらったが、こんなに大きなものがどこに入っていたのかというぐらい子どもの体は小さい。難しい手術で、もっと時間がかかることを想定したスケジュールだったが、医師たちの技術もあって驚くほど速く終わった。

医師の神白 麻衣子さんによると、日本からのボランティアの医師はカンボジアで多くて3〜4人、少ないときは1〜2人で、日本とカンボジアを行き来する医師もいる。医師はジャパンハートのメディカルチームを通じて、または国際医療に興味のある医療者が、検索で知ってやってくる。
子どもを抱えた親は、口コミやfacebookを通じてジャパンハートを知ったり、プノンペンの大きい国立病院から紹介されてやってくる。もちろんそこでも治療はできるが、治療費を工面できない。そこで無償の医療を提供しているジャパンハートを紹介されるというわけだ。
ほかにも無償医療を提供する病院はあるが小児がんを扱っていなかったりするので、そういった患者も紹介されてくる。逆にジャパンハートは放射線治療を行っていないため、現地の他の病院と提携していたりもするそうだ。
手術の見学のあとは、施設内を見せていただき、ここで治療を受ける入院中の子どもたちと面会した。よちよち歩きの小さな子から、中学生ぐらいまで年齢はさまざまで、年長の子どもは年下の面倒をよく見ている。母親と一緒に入院生活を送る小さな子もいる。付き添いは1人と決められており、感染対策などから入れ替えはできない。病室の窓の外から我が子に手を振る父親の姿もあった。






院内も敷地内も明るくて、清潔な雰囲気。外の気温は本格的な雨季の前で35度近くあるが、屋根の下はまだしのぎやすく、診察を待つ人々が並んでいる。このほか産科の施設などもある。
すれ違う現地スタッフや近所の商店の人々は皆、明らかに外国人の我々に笑顔で応対をしてくれる。カンボジアの人たちは総じて穏やかで優しい印象だったが、それはおそらくジャパンハートの皆さんとの普段の関係の裏返し。お茶に立ち寄った病院近くのショップのオーナーは、スタッフのために週末の食事まで作ってくださるそうだ。
吉岡さんとのQ&A
手術を終えた吉岡さんにお時間をとっていただき、ここからは2時間ほどの質疑応答の時間となった。悩み多き世代からさまざまな質問が出たが、その回答でも考えたくなるような言葉が次々に出てくる。その一部をご紹介しよう。

「早くやらないといけない。お金は集まるやろって」(新病院建設について)
「ここはガンばかり診るから、ちょっといびつ。年間80人前後新たに入院しているけれど、1割しか助からなかった昔に比べ、5割は助かるようになった。でも5割は死んでいるということ。1週間に1人ずつ一生懸命診ている子に死なれたら、みんな(医療者)のほうが精神的に病んでしまう。
子どもの病気っていっぱいある。他の子どもたちの病気、子どもたちも診てあげたい。まだ来れていない患者がいっぱいいるし、病院にすらかかっていない人たちもいっぱいいる。そういう子どもたちも受け入れた方がいい。もっといろんなこともできないといけない。
だから早くやりたい、早くやらないといけないなと思って、お金のことを考えるけれど、お金は(いずれ)集まるやろって」
「僕が目指すのは、自分が本当に担保できる質、目指す質を作り上げること。それができるメンバーとスケールがあればいい」(お金、仕事について)

「前に看護婦さんたちに、一体いくらぐらいのお給料が欲しいの?と聞いてみた。そしたら手取りで毎月50万ぐらい、県立病院から来た人はせめて30万と言う。手取りで50万なら、企業は70万円をその人に出さないといけないでしょ? それだと病院の経営は持たないんです。
病院は公共投資だから、政府が補填して維持できている。基本は大赤字で、設備投資も何もかも上がっているから、圧縮できるところは人件費しかない。だから働く人の給料が上がるわけないんです。でも命に関わる重たい仕事をしているから、そのぐらいもらって当たり前と僕は言い続けてきた。
それでも、命に関わるから金よこせ、もっとよこせみたいに思ったことは1回もなかった。僕のまわりには金金金、っていう看護師はあんまりいなかった。それは、なんでかなと考えてみた。
僕は志の高い看護師たち、お金のことよりも人を助けてあげたい、力になりたいとか、お金のことはいらないわけじゃないけど、そこじゃないんですみたいな人たちを集めてやってきたんだと思った。
自分の人生ももう60だから、あと何十年も続かない。もう死ぬまでこういう人たちと一緒にいようと思った。だからお金が欲しい人はお金が集まるところへ行ってください、僕はこのままこの人たちと一生過ごしていく、と思った。だからお金というのは自分がどの世界で生きていこうとするかにかかっていると思う。
以前は、企業は多国籍に展開してフランチャイズとかもしてお金の総額を上げていくほうがよかったけど、今は違うでしょ? そこを目指していない人が多い。
たとえば1店舗、2店舗しかないけれど、特別なものを作っていて、世界中から買いにくる、注文が入るという時代ですよね。かつてのようにスケールするところに魅力がない。
結果的にスケールするならしたらいいと思うけれど、僕が目指すのはそこじゃなくて、自分が本当に担保できる質、目指す質を作り上げるほうが大事。それだけのメンバー、そのスケールでやれればいいと思う。
聞いた話では、若い人はお金のある人に以前のようにはついていかなくて、1つのこと、1つの道をやりこんでいる人、その人たちの背中を追いかけてみんなついていくというんだ。
だから、スケールっていうものをある程度捨てられるんだったら、自分の生き様や、自分のやってる内容に共感してくれる人たちを集めていったらいい。お金は、大企業も倒れるような時代に1つのところからお金をもらうってリスクでしょ? 副業できる時代だから、それを実現すればいい。
結局はどんな世界で生きていきたいかにかかっていて、お金が飛び交う世界に本当に価値があると思う人はそれでもいいし、自分自身の生活や心の安定が欲しい人は、それを手に入れればいいんじゃないかなと思う。
だけど経営者のやることは、職員たちの生活を保証してあげること。僕も本当は一生懸命それをしたいの。NPOは生活が低いとか給料が安いっていうのを、僕は崩したい。
ようやく現場で働く、医療者の給料を上げることができた。日本の平均年収以上に持っていきたいし、例えば50代なら50代の平均賃金を支払わないといけない。なんとか出せるようになってきたけど、まだバックヤードの人たちの給料は上げ切れてない。次に僕が目指してるのはそこなの」
「もし結果が決まっていても、どう考えて対処するかが僕の人生」(運命に逆らおうとしているか?という質問に対して)

「病気は自然だから、医療者のレベルを超えてくるんですよ。太刀打ちできないものがいっぱいある。いつも僕は言ってるんだけど、人の命を助ける作業は、重力に逆らうようなことだと思ってる。
人を殺すのは、上から物を落とすような作業。力がなくてもできる。でも、人の命を助ける作業は下から投げ上げる作業。能力もいるし力もいる。投げ上げても多くは元に戻る。時々石が屋根の上に落ちて助かる、みたいなイメージ。
日本で医療をやってる先生たちで自信たっぷりの人もいるけど、やってもやっても自分の能力を超えてくるようなものばかり。それでも扱わないといけないから、何とかしてあげたいんだけどどうしようもないみたいなのが結構ある。だから医者が驕ることがあり得るのかなって思う。
僕が最近思うのは、何もしないでいいという決断。何もしない勇気を日本人は持たないとかえって患者のためにならない。あと3カ月間一緒に過ごせる時間があったのに、医療をやる方が正しいと思って、手術することが正しいと無理やりしたから……ということがある。
もちろん、患者がそれでも手術してほしいと言ったらやる。だけど患者が「それなら止める」と言ったら、それを認める。日本ならば助かる可能性が20%ぐらいあるならば、手術すると思う。でも患者の意思を尊重して、家族にも話して家に帰す。僕らも一緒に写真撮ったりして、そのときは元気に帰っていきます。
人の運命って何歳で死ぬとか、一人ひとり決まっているんじゃないかと最近思っている。その最後で、僕がこういう係をさせられてるのかなと思ったりとか。
僕らはどう考えても全く分からないから悩んだりするけど、物事の因果とかわからないから、一生懸命右往左往しながら手を尽くして、助けようとして無理するし、その子たちが死んだら悲しい。それは無知だからできるのかもしれない。
もしその結果は決まっていたとしても、それに対してどういう風に自分が考えて、対処するかが僕の人生。結果を知っていたら、それは全部起こらないことでしょ。知らないからそうやって自分の人生を僕らは大切にするし、実感して生きていこうと思う。これが最近の僕の結論。
運命にはずっと逆らおうとしてるけど、本当に運命に逆らっているかどうかわからない。だってバタフライ・エフェクトみたいに波が起こって、何かが何かに派生して起こっていて、世の中はとても複雑に絡んで動いているからね。
そこでさっきの話なんだけど、今日、ここでこうやって喋ることもあらかじめ決まっていたかもしれない。現象は固定されていたとしても、その現象を味わってる人の心は自由なんだよね。その感情を味わうために実は生きてるのかもしれないと僕は思ってる。
もしも自分の子どもが何らかの理由で死んでしまったとすれば、めっちゃ悲しい。耐えられない。でもそれはもしかしたら決まってたかもしれない。
その時に味わう僕らの感情っていうのは、自由なんだよ。だから、この感情を潰すようなことをすることが僕は罪なことだと思っている。アウシュビッツにとらえられたユダヤの人たちが最後に守れて自由だったって言ってるのは、心の自由を奪われなかったこと。
心の自由というのはすごく大切で、それが僕らの最高の取柄かもしれない。それが僕らが生きている意味なんじゃないかな。それを味わうことって、本当に意味があるんじゃないかなって思ってる」
「僕らは大きな流れのごく一部。だけど僕らがいなければ100年後もない」(何を全うしたら、人生のミッション達成?という質問に対して)
「それはあんまり意識したことがない。
若い時は、キャパを大きくしていかないととか、もっと武者修行をとか色々思うんだよね。その時は、もともと目指したところが、いろんな病気の子どもや、なんとかこういう病気を治したいとか思ってた。だからそれなりの高い志を持ってやっていた。
だけど30年経って同じこと、同じ病気を治そうとやってる。人間って、人生で何か形あるものとか、形ある成果を残したいと思うじゃない? それを残せる人もいるのは確かだけど、僕は結果的に自分のプロセスしかいない、ということを悟った。
もっと抽象度を上げていくと、自分の中ではいろんなことをしたんだけど、世界の、人類の医療っていう大きな流れのなかで、僕はごく一部の場所にいるだけ。だから、目標とかないんだよね。ただ、その一部であることにはちゃんとプライドを持って、そこをちゃんとしていきたいとは思っている。
だけど自分に何を課すとかっていうのはない。だって、100年後から見たら大したことないから。だけど、そこで僕らがいなければ100年後もないわけで。だから未来を生み出すための一部になってるっていうこと。それでいいと思う。
それより大切なのは、自分としてしっかりと全うしながら、患者の手術を一つひとつ終えていくこと。それぐらいしか考えてない。ミッションとかストレートなものは、だんだんなくなってきたね」
「数値化で測れない世界にいたい。そうすれば自分で価値を決められるから」(幸せについて)

「例えば、70歳で死のうが80歳で死のうが、もう自分が日々まっとうな幸せであり続ける、それだけだね。
30歳の時に幸せだった体験とかあるとする。それはその時は幸せなんだけど、でも振り返ると記憶の断片でしかない。同じ体感値を持って、その幸せを味わうことはできない。
30歳の時食べたおいしかった食べ物を、今食べて違うものに感じるように、もっとおいしいものを食べないと、同じようには感じられない。だから、人間にとって幸せっていうのは、今幸せじゃないとダメだと僕は思ってる。しかも幸せってのは体感だから、この体感を自分で持ち続ける必要がある。
そのためには止まってしまったらダメでしょ。止まってたら、過去のその断片を何個も繋ぎ合わせていくだけになる。だから年取ってもやっぱり幸せであり続けないといけない。
むしろ僕は、年を取ると幸せじゃないといけないと思う。そうじゃないと若い時の苦労が肯定できないんじゃない? 何でもいいんだけど、行動して、幸せの体感を味わい続ける必要があると思う。
だから、日々自分がある程度納得できるような時間を過ごしていきたい。いい人に囲まれたいと思うし、そういう人たちだけでやっている。
この世界には、悪いやつもいる。僕の中にもそういうところがある。でもそういうことは理解しつつも、いい人たちと1つのこの領域で、あとこれから20年自由な時間を過ごして人生を送るというふうに思っている。どちらにも行けるけど、僕は悪い側の方に行く決意はしなかったんだよ。だから自分は幸せになっているし、幸せになり続ける。
幸せであるとか、満足してるとか、こっち側のほうがあまり数値化しにくいんだよね。逆側は比較的お金に換算できたり、説明しやすいでしょう?
だからなるべく数値で測れない方にいようかなと僕は思ってる。そういうものを大切にしてくれる人の信頼もそうだし、あまり数値化できないような世界の中にいたい。なぜならばその世界に行くと、自分で価値を決められるから」
「誰のためにやっているか。もちろん自分のため。ジャパンハートは、自分の人生を豊かにするためにやっている」(他の国や団体の医療活動との違いについて聞かれて)

「決定的に違うのは、ジャパンハート以外は、現地の人たちのためにやっている。それがその目的であり結果なんだよね。でも、ジャパンハートは自分のためにやっている。自分の人生を豊かにするためにやっている。
自分の人生を豊かにするっていうことは、自分だけというエゴではなくて、人の人生を豊かにすることによって、自分の人生が豊かになるというフィロソフィがあって、人をいい加減に扱ったら自分の人生がいい加減になるっていうこと。自分の人生を全うするために、自分を豊かにするために、みんな参加してる。これがジャパンハートのフィロソフィ、最も大切なこと。
かわいそうな人がいるから助けるということじゃなくて、相対的には自分自身のためにやることが前提。だからいい加減なことはしない。それは、自分の人生のためだから。
だから苦労する。それは自分の人生のためだから。だから一生懸命技術も磨く。自分自身のためだから。患者のためになるけれど、ならなければならないんだけど、その向こうに自分の人生の質ってのも設定されてる。
その他の団体ではそれはない。気の毒な人たちがいて、概念的に現状は良くないから、その人たちを助けましょう、その人をよくしましょうとなり、自分の人生は6割でもオッケー。
目的を自分の人生としたとき、もしかしたら8割良くなるかもしれないのに、6割で自分の人生を妥協するかといったらないでしょう? 8割を目指せば自分の人生8割豊かになるってことが分かってるんだから、それを目指そうと。そこが究極的な違いで、僕らのフィロソフィっていうことだね」
「組織が存続する、温存するために、理念を失いたくない」(ジャパンハートを持続可能な組織にするのか?という質問で)

「そのテーマについては考えたこともあるよ。でも今の僕の感想としては、持続可能にしようと思ってやってはいなくて、結果的になるものだと思う。彼らが僕が一生懸命やって、仲間だから一緒に働き続けたいとは思うけど、だからと言って妥協するつもりもないので、結果的に10年続きました、結果的に20年やってますみたいな感じになるのかなと思っている。
無理やりにやってもらうものでもないし、無理やり続けるものでもない。活動そのものがそうだよね。常に役に立ちたい、有益でありたいと思ってるけど、組織が存続する、温存するために、理念を失いたくない。僕らはここで人を助けたいけど、ジャパンハートのために彼らを利用するわけではないので。
あとから続ける人がいるのかもしれないけど、あくまでも彼ら・彼女らを引きつけるジャパンハートであり続ける必要がある。必要がなくなれば、それは自然淘汰されていくわけで、彼らに必要なものをどこまでどういう形で提供できるか、時代に合わせて提供できるかっていうことがあるからね。それをやっていく。
その中で、堅実に行動、お金を集めたり、いい人を採ったりっていうのは、持続性を持たせるといえるかもしれない。そういったことはするんだけど、それは組織を持続するための意味合いより、よりいい医療を提供するためにやっている方が強い」

「(佐藤さん)私は逆です。拡大というかそういう医療を広げたいみたいな欲、欲と言っていいのかわからないけど、野心は私、すごくあります。
自分たちが傲慢であるからではなくて、人の心が救われるような医療、人の人生を大切に扱うという価値観が医療の現場でたくさん広がればいいというのが実感としてあり、そう思っているので、活動を広げるとか、例えば新しい病院を作ることなどに対して、欲というかそういう野心があります。
吉岡は質の部分もすごく大切にしてくれるので、役割が違うというか、その一つひとつの質をめちゃくちゃよく維持するために、全ての人と関わっていってくれるんです。だから、ジャパンハートは組織になっているわけで、吉岡だけが残しているわけじゃない。私のようにガツガツ野心を持ってる人もいる。
今、すごいいいチームだと思っています。やりたいことがやれて、見ているところが一緒なんです。質に絶対妥協しない人たちがいるから、広げていっても皆さんが求めるレベルはほぼ作っていける。結果的に持続もできるし、拡大していきながら、中身が薄っぺらくならない」
「ギブすることだけ考えてたら、人間は長期的には豊かになる。新鮮な空気を吹いたければ、吐き切ることに決まってる」(豊かさについて)

「目先のお金とかって、現場でテイクしようとするそのものじゃない? 自分がもらうことを主として、いろんな得とか損とか、まずテイクすることからギブっていうのを考え出してる。だから豊かになれないんだと思うんだよね。その利益も、考え方なんだと思う。
僕が数えられるものはあんまり利益としないように、認知しない方がいいよって言ったのはそういうこと。豊かさは数えられないから。だからある程度集めないといけない。なんか1つの感覚になったとき、豊かだなと思う。だからそういうことだと思う。
ギブすることだけ考えてたら、人間は長期的には豊かになる。
だけどギブばかりしていたら、やっぱり人間は不安になるんだよね。だって、自分からは減っていくから。お金ばかり与えてたら、減っていくから不安になるでしょ。自分が未来を信じられるかにかかってるし、ギブすること自体に満足感がないと難しいと思う。
そのためにはギブ&テイクをする癖を、なくすことじゃないかな。後からじっくり回収しようと考えて、今はこれでいいって納得できるかどうかなんだよね。本気でやっていれば、相手から何か取ろうと思わないでしょ。最初はギブばっかりだよ。だからそういう風に信じられるかどうかなんだよね。
いつも僕が言ってるのは、とにかくギブのことだけに意識を持っていく。新鮮な空気を吸いたければ、吐き切ることに決まってるでしょ。そうすると一番たくさん新鮮な空気が入るでしょ。
人間の体って面白くてね、死にそうなぐらい空気を吐いても全部の空気は出ないの。肺の中には20%の残気が残っていて、なくならないの。そして吸い込めるだけ吸い込んだつもりでも、胸郭があって、肺がそれ以上膨らまないようになってる。
要するに僕らはおそらく20から80ぐらいの間で生きてる。ミニマム20でマックス80。だから出しきっても滅びないし、限界まで入れても破裂しない。100は入らないんだ。それが僕らの体の理だと思う。ならばそういう風にしたらいいだけ。
でもみんなそうしないんだよね。もう自分が滅びるぐらいにと思って、出して出してギブしても20%余力があるから滅びないんだよ。そういうことを信じれるかどうかだよね。吐き出して本当に苦しくなったら、人間は最後吸うんだよ。もう足りないと思って、そこで窒息する人はいない。
出せば陰圧が発生するから、さっき言ったみたいに自然に吸い込まれるようになる。本当にそうやって出すことに意識を向けたほうがいい。
完璧じゃなくてもいいと思うんだ。別に60%で吸い込んでもいいと思うけど、吐いてから吸い込む方がいいでしょ? そこは自分で選べばいいわけで、死ぬほど吐けって言ってるわけじゃないから。死ぬほど吐いたほうが入ってくるけれど。
吐くときにもいいところに吐かないといけない。空気の悪いとこで吐いて吸うと汚い空気が入ってくるから、自分が綺麗なところにいる必要はある。ギブ&テイクっていうことをやっぱ変えていかないといけないから、一番先に自分のためにやっている苦労、自分のためにギブしてるんだよっていうことをフィロソフィで伝えていますね。いい仲間がいないと続かないよ、そういうことって」
吉岡さんやジャパンハートの皆さんに話を聞いて感じられたのは、吉岡さんは今、幸せであり、ギブし続けることで信頼できる仲間ができ、幸せな状態を続けているということ。ジャパンハートは極めて個人的な活動であったが、さまざまな人たちがそれに共感して、個々のギブを重ねていった結果、今の形まで成長してきたということだ。
夕食まで時間があるとのことで、再び車に乗ってウドンの仏塔を訪問。ちょうど夕暮れの時間帯で、丘を登るとウドン県の町が360度見渡せた。

靴を脱いで急勾配の階段を上がり、頂上から街を見下ろすと、360度のそこここに特徴的な形をした仏塔が見える。人が登ってきた…と思ったら、仏塔の番人なのか、快適な寝床を求めてなのか、階段の手すりにハンモックをくくりつけて、眠る準備をしていた。

仏塔のたもとでは、ナイトマーケットが開店準備を始めている。夕闇せまる湖が美しく、カンボジアの若者たちは湖沿いでデートをするらしい。このとき吉岡さんたちは、この日行った手術のレビューを行っていて、その後私たちの夕食に合流してくださった。ざっくばらんに話の輪に入り、楽しそうに笑いの中心にいた。


DAY3 カンボジアの新病院建設地へ
カンボジア2日目は、前日吉岡さんから構想を聞いた新病院「ジャパンハートアジア小児医療センター」の建設現場見学からスタート。200床規模の大型病院で、完成すればさらにガン以外の多くの子どもたちを診ることができると、吉岡さんたちは意気込んでいる。
▶︎ついに今年開院。命の格差を埋める新病院建設プロジェクト 新たな完成予想図を公開~カンボジア国内からも大きな期待を受けて建設進行中~(ジャパンハート)


建物の中に入ると、いきなり大きな円形の吹き抜けがあり、この円形の場所で、各フロア入院中の子どもたちが眺めたり楽しめるような企画などをしたり、日本の病院ではできないことをしたいとのこと。日本でもクラウドファンディングなどで資金を集めながら急ピッチで進められており、年内には完成予定だ。



猛烈な暑さの中、建設は着々と進んでいる。最上階まで上がると、周囲は民家や商店がぽつりぽつりとあるような静かな地域であることがわかったが、前日訪れた「こども医療センター」がそうだったように、病院ができれば町ができるという。

見学を終えて車に戻り、しばらく走っていると日系のショッピングセンター、イオンモールが現れた(ミャンマーでも2023年開業予定だったが、国内情勢の関係で着工が無期限延期となっている)。カンボジアの経済発展のポテンシャルを感じるが、話に聞くところでは最初は集客が大変だったらしい。


カンボジアには現在イオンが3つあり、少しだけ見学したが内部は日本と同様、巨大な食品スーパー、100円ショップのダイソー、家電のノジマ、フィットネスクラブやアパレル、欧米ブランドのショップなどが入っている。日本ほどではないが、涼しいモール内はそこそこ賑わっていた。
その後、プノンペン観光では定番とされている、カンボジアの負の歴史をたどるキリングフィールドとトゥールスレン虐殺博物館を見学した。これらの場所では、1970年代の支配的政権下で約200万人の人々が死亡したとされている。


悲惨な歴史を前に言葉もなくなる一行。人間の善意の塊のような新病院のあとのこの落差は激しい。博物館には欧米人の観光客が多く、展示や記録にショックを受けている。怖いもの見たさもあってかダークツーリズムには一定の人気があるが、市の中心地にあるため余計にカンボジアの背負った負の歴史の大きさを感じさせる。
カンボジアの食、在住日本人のビジネス
カンボジアの食は日本人の口に合うものが多く、美味しい。辛くもなく濃くもなく、米食もあり、宗教的に制限のあるお酒や肉などもなく、南国フルーツも豊富である。どんどん海外のものが入ってきていて高度経済成長中の国であるが、人は素朴で優しい。フランスの植民地だったこともあり、コロニアル調の建物には風情がある。


カンボジアの最終行程では、現地でビジネスをする日本人のショップを2つ訪れた。カンボジアの伝統的なテキスタイルを使ったアパレルブランドSuiJohと、カンボジア特産の胡椒を作るKURATA PEPPERである。ICC SAKE AWARDにも出展した天盃は、この胡椒を使った食前酒を造っている。

カンボジアを満喫した後は、一路ミャンマーへ。ジャパンハートが運営する児童養育施設、Dream Trainと新たに作っている新拠点を見せていただけることになった。

▶︎後編ミャンマー編はこちら「僕は日々、患者さんたちを何とかしてあげたい、解決していこうとしているだけ」ジャパンハート現地視察レポート<ミャンマー編>
編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/戸田 秀成