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比叡山延暦寺を訪問!天台宗総本山で「一隅を照らす」に想いを馳せる【ICC KYOTO 2020 下見レポート】

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8月31日から開催予定のICCサミット KYOTO 2020。今回は、スモールグループでの屋外ツアーやワークショップなどを数多く用意しています。LEXUSで行く特別ツアー「比叡山延暦寺を訪れ、1200年以上続く組織を学ぶ」もその一つです。伝教法師最澄様が後世に残した「一隅を照らす」の心とは? 本レポートでは、一足お先に比叡山を訪問した際の模様をお届けします。ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回250名以上が登壇し、総勢900名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2020は、2020年8月31日〜9月3日 京都市での開催を予定しております。参加登録などは公式ページをご覧ください。


次回のICCサミット KYOTO 2020では、メイン会場となるウェスティン都ホテル京都を離れて開催される複数の特別プログラムが企画されています。そのうちの一つが、9月1日(DAY1)と9月2日(DAY2)の2回に分けて開催されるCRAFTED TOUR 「比叡山延暦寺を訪れ、1200年以上続く組織を学ぶ」です。

ICCサミット KYOTO 2020 プログラム(Googleドキュメントにアクセスします)

京都府と滋賀県の県境に位置する比叡山延暦寺は、伝教大師(でんぎょうだいし)最澄が延暦7年(788年)に築いた日本天台宗の総本山です。6月某日、ICCパートナーズ一行はその舞台となる延暦寺の東塔エリアを訪問し、大改修中の国宝「根本中堂」などの歴史的建造物を拝観しました。「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という最澄の言葉に、現代を生きる私たちが学ぶべきこととは?

次回ICCサミット特別ツアーは「比叡山延暦寺」!

ICCサミット KYOTO 2020では、プレミアム・スポンサーのLEXUSが協賛する“CRAFTED TOUR ”と題された特別ツアーが複数企画されています。そのうちの一つ「比叡山延暦寺を訪れ、1200年以上続く組織を学ぶ」は、LEXUS車を試乗しながら比叡山延暦寺を訪れ、1200年以上続くその歴史を学ぶツアーです。

比叡山ドライブウェイ入口(当日は「奥比叡ドライブウェイ」を使用予定)

おしゃれなマスクカバーでお見えになったのは、今回のツアーをアレンジいただくオートクチュール京都の村山 和正さん。村山さんは、京都を中心に、寺社仏閣での伝統文化を活用したイベントなどをプロデュースされています。

オートクチュール京都 村山 和正さん

村山さんは、2019年11月にここ比叡山延暦寺で開催された、一隅を照らす50周年記念事業「照隅祭」の総合プロデューサーを務められました。

そして本日延暦寺内をご案内いただくのは、延暦寺参拝部で主事を務める星野 最宥(さいゆう)さん。

比叡山延暦 寺参拝部主事 星野 最宥さん

外国人観光客を含め、延暦寺にお越しになる参拝客の方々へのおもてなしや催事をご担当されています。今回の特別ツアーの、延暦寺側の窓口をご担当いただきます。

ちなみに「延暦寺」と呼ばれるのは、比叡山に広がる約10のお堂の総称です。約1,700ヘクタール(東京ドーム約360個分!)に及ぶ広大な敷地は、東西に分かれた「東塔(とうどう)」と「西塔(さいとう)」と、北部の「横川(よかわ)」と呼ばれる3つの区域に分けられます。今回の特別ツアーで見学させていただくのは「東塔」のエリアです。

▶東塔は延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域です。伝教大師最澄が延暦寺を開いた場所であり、総本堂根本中堂をはじめ各宗各派の宗祖を祀っている大講堂、先祖回向のお堂である阿弥陀堂など重要な堂宇が集まっています。(比叡山HPより引用)

本日は延暦寺発祥の地を、たっぷり2時間見学させていただきました。星野さんの解説とともに、一緒に比叡山を歩いてみましょう。

見学早々、ステイホーム明けの足腰に堪える石段

昭和33年にドライブウェイが出来るまでは、延暦寺を訪れるには徒歩かケーブルカー(昭和3年開業)しか交通手段がなかったといいます。今回の見学ツアーでは、徒歩で本坂を登ってきた際に訪れる場所を、スタート地点としました。

その背後には、「大書院」と呼ばれる迎賓館があります。昭和天皇即位を記念して、煙草事業で財を成した京都生まれの実業家、村井吉兵衛さんの邸宅を移転する形で昭和3年に築かれた建物です。

延暦寺の迎賓館「大書院」と御行幸記念碑

年に一度行われる最重要法儀「御修法大法」では、全国から選抜された天台宗の17名の高僧がここ大書院に集まり、天皇陛下からお預かりした「御衣」を根本中堂に奉安し、7日間21座、国家の安寧を祈願します。

残念ながら一般には非公開ですが、昨年、村山さんのプロデュースで行われた伝教大師1200年大遠忌記念「ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展」の会場として一般開放されました。

最澄もゲゲゲ? 比叡山が鬼太郎とコラボ 初公開「大書院」に妖怪画勢ぞろい(毎日新聞)

さて、いよいよツアー開始です。一同は、比叡山の山門となる「文殊楼」に向けて石段を登ります。写真では分かりづらいですが、一段一段が高くリモートワーク明けかつマスクを着用した私たちには、まさに修行とも言える辛さでした。

文殊楼に続く石段に、息も切れ切れ

こちらの石段は、寛永19年(1642年)に根本中堂の修復の際につくられたもので、古くから良質な花崗岩の産地としてしられる小豆島の石が使われています。足元の石をよく見ると、そこには「山」の文字が刻印されていることに気づきます。

これは今で言う「宛名」で、小豆島から石を運ぶ際に「山」と書くだけで「比叡山行き」を意味したのだとか。ちなみに「寺」とだけ書くと滋賀の園城寺(三井寺)、「御寺」だと京都の泉涌寺(せんゆうじ)を意味するそうです。今でも広辞苑で「山」を調べると「特に比叡山、また、そこにある延暦寺の称」と書かれています。

そしてこちらが、比叡山延暦寺の山門「文殊楼」。

根本中堂への玄関口となる山門「文殊楼」

文殊楼は、慈覚大師円仁により貞観6年(864年)に建立されました。門内部には左右にほぼ垂直な急階段があり、階上では“三人寄らば文殊の知恵”の文殊菩薩と、菩薩様を取り囲む四天王を拝むことができます。

「ここの四天王は、ジャニーズ系のイケメンですよね」と星野さん。残念ながら文殊楼の内部は撮影不可のため、その答え合わせは参拝した方のみのお楽しみ。

国宝「根本中堂」の大改修、次に見られるのは60年後?

文殊楼をくぐると、今度は下りの石段が出現しました。この石段を下った先に、比叡山延暦寺の総本堂「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」があります。

根本中堂

幾度にもわたる拡張と焼失、再建を経て、現在の建物は徳川三代将軍家光の命により寛永19年(1642年)に再建されました。実は平成28年(2016年)から約60年ぶりの大改修を行っており、現在はその外側はすべて囲いで覆われて、上記のような姿を拝見することができません。改修が完了するのは令和8年(2026年)の予定です。

改修前の全体像は、以下のYouTubeよりご覧いただくことができます。

星野さんが延暦寺と根本中堂のあらましを解説してくださいました。

星野さん「こちらの説明看板の右側にございますのは、比叡山でご修行された代表的なお坊さんです。浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞上人をはじめ、鎌倉時代に様々な御祖師様が比叡山で修行し、一宗一派を築かれました。

「比叡山延暦寺の歴史」

比叡山はよく、坐禅もすれば法華経も読むし、密教も教えればお念仏も唱えるということで、『仏教の総合大学』だと言われます。すべてを修め、その時代々々で『よし。これで人を救えるぞ』と確信した御祖師様が、それぞれの道を拓かれました。

そのため比叡山は天台宗の総本山ではありますが、それぞれの御祖師様の足跡をたどる目的で今も各宗派の方々がお参りに来られます」

「根本中堂の変遷と見どころ」

星野さん「こちらの左側に示すように、根本中堂は最初から現在ような立派な佇まいだったわけではなく、元々は大変質素なお堂でした。

最澄さんはまず、雨風が凌げるお社(一乗止観院)をこの場所につくり、そこで仏様(薬師如来)をお彫りになりました。その仏様に灯かりをともしたのが、今もなお、守り続けられる『不滅の法灯』のはじまりです。

その後、三つのお堂を大屋根で覆ったり廻廊を新造したりと、根本中堂は時代とともに拡張していきました。そして元亀2年(1571年)に織田信長による焼き討ちで焼失したあと、家光公の命によって再建されたのが今の根本中堂です。

ですから、最澄様がもし現世に生まれ変わって根本中堂をご覧になっても『こんなお堂、わしは知らん』とびっくりしておっしゃるでしょう(笑)。

根本中堂の大改修は、これまで約60年周期で行れてきました。前回は昭和30年。ドライブウェイが出来る前ですから、職人さんが昔ながらの丸太と番線の足場を組んで行いました。今は200トンのクレーン車を横付けできるようになったので、かなり大掛かりなものになっています」

1200年間、国の安寧を願い続ける秘仏・薬師如来

そしていよいよ、私たちは大改修中の根本中堂に足を運びました。こちらも残念ながら撮影不可。内部の様子については、大改修の修繕箇所を解説したYouTube動画にてご覧いただけます。

中庭を取り囲むように渡された重要文化財の廻廊を通り、根本中堂の内部へと足を踏み入れます。根本中堂は、参拝者が立ち入りを許される「中陣」「外陣(げじん)」と、御本尊が安置される「内陣」に分けられます。

内陣は、板の間の中陣・外陣に対して石敷きの土間となっており、その中央奥に御本尊の薬師如来様が祀られています。そしてその御宝前には、1200年間その灯火を絶やさずにいる言われる「不滅の法灯」が輝きます。

赤いカーペットの敷かれた中陣より、内陣を眺めながら星野さんが解説してくださいました。

星野さん「御本尊は普段は開帳はされていません。中には、最澄様がお彫りになった薬師如来様がいらっしゃいます。昨今の新型コロナ禍においては“アマビエ”など疫病退散にご利益のある妖怪も取り沙汰されていますが、薬師如来様は人々の病苦を救う仏様です。仏の世界では疫病を払ってくださる毘沙門天様、大黒天様などのスペシャリストがいらっしゃいますが、薬師如来様はその中でもオールラウンドプレーヤーでおられます。

またこのお堂は、お亡くなりになった方の『供養』は一切せず、今生きている人々のお願い事を叶えるために、国が安泰であるように、五穀豊穣であるようと365日お勤めするためのお堂です。

比叡山は京の都からちょうど東北に位置し、古来から『鬼門』すなわち災が訪れる入り口と言われていました。

京都御所と比叡山延暦寺の位置関係(Google Mapより)

そこを護るようにと桓武天皇からの勅命を受けたのが、当時比叡山で修行していた最澄様です。最澄様は毎日毎日、都に向かってお参りをされていました。その証拠に、内陣にて焼香する場所から御本尊の方向を向くと、ちょうど京都御所に向かうようになっています」

▶編集注:江戸城の東北に位置し、その鬼門除けとして建立されたを東京上野の寛永寺は、不忍池を琵琶湖に見立ており、池に浮かぶ辯天堂は琵琶湖北部の竹生島(ちくぶじま)を模しているそうです。

御本尊と参拝者と目線の高さを揃え「平等」を解く

続けて、根本中堂の“造り”についてご解説いただきました。

星野さん「こちら中陣にお立ちになる参拝者と内陣におられる御本尊は、その目線の高さが一緒になるよう設計されています。仏様と生きとし生ける者がみな平等であるとの教えを表しています。

ただし床は一続きではなく、内陣の土間は中陣に対して3メートルほど低くなっています。この空間は“修行の谷”を教えてくれています。法華経には『山川草木悉皆成仏』、山も川も草も木も、すべて仏様になる素質があるとする一文があります。そうした教えを、建物を通して教えてくださっています。こうした造りは『天台様式』や『中堂様式』と呼ばれます」

次に一行は、階段を上がり「修学ステージ」と呼ばれる鉄筋で組まれた足場を訪れました。根本中堂の屋根の高さにあるこの広々としたステージでは、屋根表面の銅板が剥がされ、葺き直しの作業が行われている様子を間近で見ることができます。

星野さん「根本中堂の屋根材には、油分が多い椹(さわら)が使われます。南木曽産のものが用いられるのですが、私たちが大改修で使う分を一度に取り寄せると供給が不足してしまう希少性の他の木材で、数年に分けて集めています」

どこからともなく迷い込んだ小鳥を見て微笑むお二人

「お堂の修繕」とは言いながらも、この写真の背景を見ても分かる通り、その素屋根はビルの建設現場に勝るとも劣らない立派な鉄骨で組まれており、大変大掛かりなものです。

その額、総工費にして約50億円。伝統工法による屋根や塗装の葺き直し・塗り替え等を行うため、この事業には「伝統技術の継承」の意味合いもあります。そのため工費の50%は国が負担し、残りの半分(全体の25%)は滋賀県と大津市が負担しているとのこと。

分析技術も活用し、当時使われたであろう塗料の組成を科学的に分析しながら、次の60年を見据えた改修が行われます。

以上、星野さんの解説つきで根本中堂を参拝させていただいた私たちですが、毎週第二土曜日には、1日2回先着20名限定でヘルメットを着用して最上部までのぼり、専門スタッフが工事の進捗を説明してくれる見学会が開催されているそうです。(2020年7月現在)

次の大改修は60年後。またとない機会に、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

天台宗僧侶になるための最終試験会場「大講堂」

根本中堂を後にした私たちが訪れたのは、国の重要文化財に指定される「大講堂」です。こちらは山の麓にあった讃仏堂というお堂を昭和39年(1964年)に移築したお堂です。

中には、ここ比叡山で修行された法然上人、親鸞上人をはじめとした各宗派の御祖師様が祀られています。そしてこの大講堂は、4年に一度行われる天台宗僧侶の最終試験「法華大会広学竪義(ほっけだいえこうがくりゅうぎ)」の試験会場としても知られます。

星野さん「試験は、いわゆるペーパー試験ではなく口頭試問によって行われます。試験の審査官は、天台宗のトップの天台座主猊下が務めます。

▶編集中:天台座主(てんだいざす)は、天台宗総本山延暦寺の住職として宗祖伝教大師からの法脈を相承し、天台宗徒及び檀信徒の敬仰する天台宗の信仰の象徴的存在。現在は、森川宏映大僧正が第275代天台座主を務める(以上、天台宗HPより)。猊下(げいか)は高僧に対する敬称。

試験を受けに来た駆け出しのお坊さんが、いきなり天台座主猊下を前にするわけです。そして後ろには、問題を出題をするお坊さんが5人もいる。面等向かっていては答えられるものも答えられないと、受験者は後ろを向いて試験を受けます。

その問答を聞いて、天台座主猊下が合否を伝えます。今までの最高得点は遡ること第18代天台座主、元三大師良源様というお坊さんが得点した95点で、これまで100点を言い渡された人はいません。

天台宗随一の荒行「千日回峰行」の山道を体験

次に「千日回峰行の阿闍梨さんが歩く道も、歩いてみましょうか」ということで、一同が向かった先は……

先程までとは打って変わり、険しい山道に

天台宗の修行の中で最も厳しいとされる千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)では、行者は比叡山の山中を7年間にわたって約1,000日間歩き続けます。1日で歩く道のりは七里半(約30キロ)。深夜に出発し、道中に定められた260箇所の礼拝所でお祈りを捧げ、約6時間かけて戻ります。

天台宗の修行について(天台宗総本山 比叡山延暦寺)

「今は昼間だからどうにか歩けますけど、実際には夜中に提灯を持って歩くので、結構危険です」と星野さん。おっしゃるように“どうにか歩ける”道であり、このような道を毎晩30キロ歩くと考えただけでも気が遠くなります。戦後に入ってからの満行者は、75年の間でわずか14人しか出ていないのだとか。

「戒壇院」が比叡山で最も重要なお堂と言われる所以

さて、階段を登った先にあったのは「戒壇院」です。

今回訪問した際にはちょうど工事中で、その全景を拝むことは叶いませんでしたが、このお堂は「延暦寺で最も重要なお堂の一つ」と位置づけられているそうです。その理由を、星野さんが解説してくださいました。

星野さん「ここ戒壇院は、天台宗のお坊さんが唯一『戒律』をいただくことができる場所です。比叡山において根本中堂はもちろん大切な場所ではありますが、戒壇院こそが、ある意味最も大切なお堂と言えます。

最澄様が比叡山で修行されて、国から正式な宗派として認められた当時、日本では奈良の東大寺、栃木の薬師寺、福岡の観世音寺の三箇所でしか、戒律を授けることが許されていませんでした。そこで最澄様は、比叡山独自の戒律を授けたいと考えました。

当時男子には250の戒律が、女子には350の戒律がありましたが、その中には『ビルマの竪琴』に見るような、裸の上に斜めの袈裟を身につけよという戒律もありました。冬の比叡山でそれをやると凍えてしまいます。最澄様はそういう現実的に守れない戒律はもういいじゃないかと、58の戒律に縮め、それを朝廷にお願いしました。

戒壇院は、国の重要文化財に指定されています

しかしこれまでの戒律を変えるなど以てのほかと大反対に会ってしまいました。それでもどうにかとお願いし続けたのですが、その願いは叶わぬまま、弘仁13年(822年)6月4日、最澄様は亡くなりなってしまったのです。

許可が下りたのはなんとそのわずか1週間後。比叡山に使者が来て戒壇の勅許が下され、そこで建立されたのが最澄さまの念願であった、この戒壇院です。

堂内には、戒律を授けるために必要なお釈迦様や、その証明者として文殊菩薩様や弥勒菩薩様がいらっしゃいます。奈良の興福寺などで戒律をいただくときは僧侶が見届け人になるのですが、比叡山では天台座主が戒律を授けて、それを証明するのは仏様になります。

毎年、比叡山に修行に来たお坊さんが戒律を授かるためにここを訪れます。通常は一生に一度しか入らない建物で、そうした意味でも貴重な場と言えます。

肝心のお堂ですが、残念ながらこちらも今塗りを綺麗にし直す工事をしており、このように囲いで覆われています」

延暦寺で唯一の“お弔い”のためのお堂「阿弥陀堂」

戒壇院を後にした私たちが向かったのは、比叡山で最も標高の高いところに位置する「阿弥陀堂」です。文殊楼へ続く険しい階段とは違って緩やかな傾斜の階段の先に、そのお堂はありました。

先祖回向の法要を行うための阿弥陀堂

ここ阿弥陀堂は、延暦寺で唯一「お弔い」をするためのお堂です。ご先祖さま、お亡くなりになった方の供養をできるのは比叡山でここだけで、逆に他のお堂はすべて「祈願」のためのお堂と言えます。

その左隣には、宝塔が立ちます。

阿弥陀堂の横に立つ法華総持院東塔

星野さん「伝教大師最澄様は、全国に6箇所の宝塔を建立されました。そのうちの一つがこちらの法華総持院東塔で、現在の建物は昭和55年(1980年)に再興されたものです。

塔の中には法要の時しか入れず、一階には胎蔵界曼荼羅や金剛界曼荼羅(あわせて両界曼荼羅と呼ぶ)といった法華経の世界が描かれています。二階は私もどこが入り口なのか知らないのですが、全国で写経された1,000巻の法華経が祀られています」

星野さんによると、ここ阿弥陀堂横では過去に歌舞伎の特別公演が行われたことがあるそうです。その名も「比叡山薪歌舞伎」。鉄管で組まれた足場ですり鉢状の観客席が特設され、1,000人規模の観劇者が来山したといいます。後方に見える廻廊には松明が焚かれ、大変幽艶な雰囲気だったと星野さんは語ってくださいました。

比叡山延暦寺の「組織」はどうなっているの?

「こうしたツアーを英語でできれば、海外からも参拝者の方がもっと来られるのでしょうけどね」と星野さん。例えば「修行」という言葉一つとっても「training」なのか「practice」なのかで伝わり方が全く異なるため、仏教の教えを他の言語で伝えるのはなかなか難しいのだそうです。

参拝部主事という役職にお就きの星野さんらしいご発言に、ビジネスカンファレンスを営む私たちは経営目線での質問を星野さんに投げかけました。

ICC小林「ちなみに、比叡山延暦寺の『組織』ってどのようになっているんですか?」

星野さん「延暦寺事務所の中には、法務部、教化部、参拝部、総務部、管理部、財務部の6つの部があります。私は参拝部という、国内外から参拝に来られる方にご対応するセクションにおります。

天台宗・比叡山延暦寺の組織図(天台宗務庁HPより)

ICC小林「延暦寺の職員になるには、お坊さんでなければならないのですか?」

星野さん「比叡山には63人の法人住職が在籍していますが、当然その人数だけではまわりませんので、お坊さん以外も採用しています。やる気のある職員さんを通年募集しています。ちなみに、お坊さんの場合は最低3年間山に籠もって修行をする必要がありますが、職員さんは修行する必要ありませんのでご安心ください(笑)」

比叡山のお坊さんには、ジョブローテーションのような制度はあるのでしょうか?という質問に、星野さんは次のように答えてくださいました。

星野さん「修行を終えたら住職になって、色々なポジションやお堂をまわったり、それから比叡山学園というのがありますので、幼稚園の園長先生を務めたり、中学校・高校の校長先生を務めたりします」

「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」

最後に私たちは、伝教大師最澄様が国宝的人材育成のために書かれた『山家学生式』の冒頭の言葉を教えていただきました。

国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり 道心有る人を名づけて 国宝となす
(国の宝とは何か。宝とは、道を修めようとする心である。この道心をもっている人こそ、社会にとって、なくてはならない国の宝である)

故に古人言わく 径寸十枚、是れ国宝に非ず 一隅を照らす 此れ即ち国宝なりと
(だから中国の昔の人はいった。「直径三センチの宝石十個、それが宝ではない。社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。その人こそが、なくてはならない国宝の人である」と)

――最澄『山家学生式』(現代語訳は一隅を照らす運動HPより)

星野さん「最澄様は、国の宝となる人間とはどのような人間かを説かれました。有名な『一隅を照らす』の一説の後では、次のようなことを言われています。

能く言いて行うこと能わざる、つまりよく発言するけれど実践が伴わない人間は『国師』であると。その逆に、よく実践はするけれど発言が伴わない人間は『国用(こくゆう)』としました。そして、能く行い能く言うは国の宝なり、つまり実践もするし発言も伴う人間こそが『国宝』であるとし、国を護るためにはそのような人材を育成すべきと説いたのです。

一方、言うこと能わず行うこと能わざる、つまりそのどれも足らない者は『国賊』であるとしました。

私たちは、この最澄様の教えを現代に広げる『一隅を照らす運動』を1969年から約50年に渡って行っています。企業のスローガンとして使われることもあれば、パキスタンやアフガニスタンで医療活動に従事されて、先日お亡くなりになった中村哲先生の座右の銘が『一隅を照らす』だと聞きました。

中村哲医師特別サイト「一隅を照らす」(西日本新聞)

与えられたポジションで全力を出しましょう。そうすれば自ずとあなたも、あなたの周りも光り輝きますよと。最澄様の教えが、世の中に広まってゆくことを願っています」

以上で、星野さんの解説つきで巡る比叡山延暦寺、東塔エリアの見学ツアーは終了。約2時間にわたる充実の時間に、ちょっと歴史に詳しくなったICCパートナーズの一行でした。星野さん、お忙しい中本当にありがとうございました!

日本が世界に誇る伝統文化を守り、発展させるために

最後に、今回の特別ツアーについて現況を少々。ICCサミット KYOTO 2020 開催1ヶ月半を前にして、2日に分けて開催される特別ツアーの定員は満員となっています。

両日ともに星野さんに比叡山のご解説いただきながら、DAY1では「コテンラジオ」の深井 龍之介 さんとTakram渡邉 康太郎さんに、DAY2では慶應義塾大学の琴坂 将広さんにナビゲーターとしてツアーを先導いただく予定です。

さらに、DAY3には「『一隅を照らす、これすなわち国宝なり』1200年以上続く比叡山延暦寺から学ぶ人材育成とは?(仮)」と題したパネルディスカッションも開催予定。特別ツアーには申し込みそびれたけれど、このレポートを読んでぜひ比叡山に登ってみたい、延暦寺のことをもっと知りたい、と思ったICCサミット参加者の方は、ぜひそちらのセッションにもご期待ください。

見学ツアーを終えた私たちは、琵琶湖を眺望できる比叡山延暦寺会館にて、今回のツアーをアレンジいただく村山さんと打ち合わせ。村山さんの熱い想いを伺いました。

オートクチュール京都 村山さん

村山さん「来年は最澄様の一千二百年大遠忌というとても重要な年で、サントリーホールディングスの鳥井 信吾副会長の音頭で伝教大師最澄1200年魅力交流を立ち上げて、色々なイベントを企画しています。

秋には織田信長による比叡山焼き討ち450年忌を記念した西塔瑠璃堂の御開帳や、平和を祈念したカンファレンスなども企画しています。その他にもゲームメーカーとコラボした神社仏閣の垣根を越えたキャンペーンであったり、とにかく比叡山や周辺を巻き込んだ色々なイベントを仕掛けていたのですが、そこに来て新型コロナウイルスが直撃しました。

今年開催するはずだったイベントが全部来年になってしまったので、ある意味気は楽なのですが、来年は怒涛の1年になります。その分今回のICCの特別ツアーでは皆さんにゆっくり見ていただいて、比叡山のことをもっと知っていただき、来年以降も足を運んでいただくきっかけにればなと思っています。

日本には、天台宗や真言宗が出来る前から、南都六宗と呼ばれる仏教がありました。南都六宗は一般民衆に門戸が開かれたものではなく、それはおかしい、民衆も仏様によって救われるべきだと最澄様が天台宗を、空海様が真言宗を始められました。その後、平安仏教、鎌倉仏教と発展して伝統工芸技術が生まれて現在の文化財が築かれ、今大河ドラマでも盛り上がっている戦国時代へと入りました。

そうした激動の歴史があった中でも、檀家さんだけでなく皆が仏教やその伝統文化をずっと守ってきたことは本当に驚くべきことです。僕は、その歴史を学ぶことは経営者はもちろんあらゆるビジネスパーソンにとって深い意味があると思っています。今回のツアーで僕が伝えたいことは、そういうことです。

ICCに来られる方の多くは経営者の方々かと思います。企業にとって特定の宗教に肩入れするとか宗教色を出すことは企業イメージによくないと言われがちですが、日本が誇る伝統や文化を企業が守る、そして活用していくということは、むしろ海外に大いに誇れることです。

特に僕らの上の世代は信心深い割りにはそういう考えがあり、僕はそれが正直嫌いです。寺社仏閣や伝統文化に寄付をしてくれと言っているわけではありません。そうではなくて、企業の人たちが伝統工芸や文化を守り、活用して、そして発展させて欲しいというのが僕の想いです」

◆ ◆ ◆

この日の取材行程では、比叡山の後は琵琶湖をまたいで反対側、滋賀県守山市のWABARAの國枝 健一さんの訪問を予定していました。

その前に腹ごしらえということで、昼食は村山さんお勧めの奥比叡ドライブウェイ「比叡山峰道レストラン」へ。特別ツアー当日では、琵琶湖を一望できるこちらのレストランで昼食をいただき、LEXUSでのドライブを楽しみながら帰路につきます。

特別ツアーの昼食処となる「比叡山峰道レストラン」

レストランからは琵琶湖を眺望することができます

「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」

名物近江牛カレーをいただき、さあ次の目的地へと車を走らせた私たちを、駐車場の片隅でひっそりと佇む最澄上人像が見送ってくださいました。皆さんは、お仕事でプライベートで、どんな一隅を照らしていますか? ICCサミットに登壇される経営者の皆さんの「一隅」もぜひ伺ってみたいですね。

以上、比叡山延暦寺の下見取材レポートをお送りしました。星野さん、村山さん、改めまして貴重な機会をありがとうございました。当日も、どうぞよろしくお願いします!

(終)

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編集チーム:小林 雅/尾形 佳靖/浅郷 浩子/戸田 秀成

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