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夜の新企画、JAPANESE SAKE NIGHTで、日本のお酒の魅力にハマる【ICC KYOTO 2020レポート】

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8月31日~9月3日の4日間にわたって開催されたICCサミット KYOTO 2020。その開催レポートを連続シリーズでお届けします。今回は、DAY1の9月1日、夜のウェスティン都ホテル京都で行なわれた特別プログラム「JAPANESE SAKE NIGHT」の模様をお伝えします。同時間帯に別会場で開催されていた、無鄰庵 ライトアップ・ビアガーデンの様子も覗きました。ぜひご覧ください。

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回250名以上が登壇し、総勢900名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2020は、2020年8月31日〜9月3日 京都市での開催を予定しております。参加登録などは公式ページをご覧ください。


夜の無鄰庵の特別企画

DAY1のプログラムを終えた19時半すぎ。ウェスティン都ホテル京都の会場の中と外で、京都ならではの雰囲気たっぷりの特別企画が進んでいた。

まずは会場から歩いて約10分の無鄰庵。政治家・山縣有朋が南禅寺近くに建設した美しい庭園をもつ別荘を、昼間は休憩スペースとしてICCサミットの参加者に開放し、夜はライトアップ・ビア・ガーデンを開催した。

新企画! 京都ならではの贅沢休憩スペースは、あの名勝「無鄰菴」!【ICC KYOTO 2020下見レポート】

この9月1日は、THE KYOTOとの対談企画が開催され、翌2日は、金剛流能楽師 宇髙 竜成さんによる能楽特別体験が開催された(写真)。

ビアガーデンだけに、よなよなエール、COEDOほか、ICCサミットにご協力いただいているメーカーのおいしいビールが集結。それ以外のお酒は……会場の特別な一角に集結していた。

世界に教えたい、日本のおいしい酒が集結

ソーシャルディスタンスを意識した、広々とした会場

ウェスティン都ホテル京都の中でも和を感じさせる会場「葵殿」では、前回のICCサミット FUKUOKA 2020で、白糸酒造をご紹介いただき、白糸酒蔵見学ツアーの開催に尽力いただいた博多の酒販店、住吉酒造の庄島 健泰さんのご協力により「JAPANESE SAKE NIGHT」を開催した。

JAPANESE SAKE NIGHTの模様を動画でもぜひご覧ください。

会場には7つの酒蔵の酒を試飲できるブースを並べ、うち6つの酒蔵のスペシャル・トークセッションを壇上で開催する。ゲストは着席で食事しながらセッションを聞き、各酒造のブースを回って試飲を楽しむという趣向だ。

このレポートでは、庄島さんと運営スタッフでも日本酒好きの金田拓也さんをナビゲーターに、ご参加いただいた酒造が語りつくしたセッションのほんの一部を、お酒を楽しむ風景と合わせてご紹介したい。

庄島 健泰さん(以下、庄島) こんばんは。住吉酒販の庄島と申します。今日はJAPANESE SAKE NIGHTにご来場いただきありがとうございます。私は酒を造っていなくて、酒屋です。

全国津々浦々渡り歩きながら、最高の酒はどこにあるんだと探し求める日々を送っていますが、今日の6軒の酒蔵と1軒のワイン蔵は、僕が思う今、日本の、もっと言えば世界中の人に日本の酒ってこういうものだと伝えられる熱量がある蔵にお集まりいただきました。

たぶん飲んだらびっくりするぐらい美味しいと思うんです。そういった美味しさのその先にある魅力、お酒の持っている伝統やローカル性、手仕事だったりを持った酒蔵の人たちに今日は来ていただいています。

これから順番に蔵を紹介していきますが、一蔵一蔵、その蔵の持ち味のテーマを設けて、そのテーマに沿って話をしていただきます。その話を全部つなげると、今、日本の酒ってこういうところに来てるんだなというのが分かっていただけるように、リレー形式で話をつないでいきたいと思います。

今西酒造
「酒の神が宿る地で酒造り。こんな誉れなことはない」

スタートは今西酒造の今西将之さん。引き継ぎもない状態で潰れそうな蔵を継ぎ、サラリーマンから酒造りを始めて、8年で人気銘柄となった「三諸杉」を作り上げ、蔵の再建を果たした。

今西 将之さん(以下、今西)もともとは30歳で家業にに戻ってくる予定でした。そこから10年かけて父から引継ぎをして40で代替わりをしようという計画でした。

父が余命3カ月と知った28歳の当時は、蔵に関しては全くノータッチで、本当に青天の霹靂でした。呼び戻されてから、結局1週間後に父が亡くなり、何の引き継ぎもなく社長になり、酒蔵を継ぐことになりました。

そこで初めて決算書を見ました。消費者金融から電話がかかってくるほど、本当に潰れかけ。1年もったらいいぐらいの経営状態でした。継いだ当時、うちの蔵は多角経営をしていて、酒造が一事業部で、飲食2つ、宿泊業もしていて、どれも事業が真っ赤っかでした。

座して死を待つならと、酒造以外の全事業を売却して酒に集中したのですが、当時うちの酒は、もう恥ずかしいぐらいめちゃくちゃ不味くて(笑)。全国から酒を買ってきてブラインドでテイスティングをしたら1つだけ不味い酒がうちみたいな。こんなの立て直そうにもやばいよという状況でした。

庄島 彼の酒蔵は大神神社(おおみわじんじゃ)という今有名な神社の参道にその売店があるので、質で勝負しなくてもおみやげ需要があった。それが今はさらに掛け算として経営の強みになっているのですが、そのときまではそれに頼って経営していたけれど、もう無理というところまできてたんですね。

飲んでいただいたら分かると思いますが、三諸杉はもうトレンドど真ん中。この軽い飲み口、やわらかい飲み口、さわやかな飲み口。この酒を彼らは8年で造ったのですが、普通はできないです。

通常の日本酒より度数の低い13度、フレッシュかつ米のうまみを感じる「三諸杉」は軽やかな飲み口

作り手としてのすごい能力があるということですが、それはいったん置いといて、仮にこの味ができたとしても、そのもう1年もたない酒蔵が、なぜ今人気銘蔵の仲間入りができたのでしょうか。

今西 そうですね、まあ2つですね。1つは、やはり味です。

僕らの業界は味がすべてなので、美味しくないとそもそも土俵にも乗らないし、話にもならない。とにかく美味いものを作ろうとしました。僕が絶対的に美味いっていうものをまず作っていく。そのためにもう死ぬ気でやっていくっていうのがまず1つ。

もう1つは流通、強力なパートナーシップを全国に組んでいます。今は42軒しか流通をしていなくて、だいたい市場規模の2分の1から3分の1ぐらいの特約店数ですが、その特約店様とはすごく密な情報共有をします。

三諸杉はどんな人間がどんな思いで造っていて、未来のビジョンまですべてを共有できています。お客様への価値の最大化は、しっかりブランドを創ること。そして酒は古い業界だけあって、業界のルールみたいなものがあります。そこをどストレートにばく進しました。

庄島 彼はもうここ30年ぐらい続く地酒の世界のスターになる方法をきっちり抑えている。おそらく彼が最後じゃないかな。「三諸杉」を見ると、今の地酒のシーンがすごく分かります。

金田 ブランドの次の一手はどんな事業戦略を考えているのですか?

今西 次は地元、ローカリティの深掘りです。今でも結構深掘っているんですけど、よりもっと深掘っている。理由はなぜかというと、うちのある奈良県の桜井市三輪、この三輪という所が、酒の神が宿る世界唯一の場所なんですよね。

大神神社という神社が日本最古のお酒の神様なのです。そこには杜氏の神様がいたりとか、すごく特別な聖地みたいな場所なんです。その聖地に残る唯一の蔵がうちだから、うちは酒の神が宿る水、米、酒造りができる唯一の蔵と考えたら、こんな誉れなことはなくて、それをより一層表現していく。

そのために今年からやっているプロジェクトとしては、自分たちのコメ作りをやっていく。自社での米作りであったりとか、地元には杉の神が宿るような場所なので、その杉を表現していく、そういう展開を考えています。どんどん、どんどん地元を深掘っている感じです。

油長酒造
「500年前の技術革新を、今ふたたび」

無濾過無加水生酒の、とろりとした滑らかな口当たりが特徴の「風の森」を醸す油長酒造 山本 長兵衛さんは、酒造りの歴史にインスパイアされて、未来へ向けた革新に挑む。

山本 長兵衛さん(以下、山本) 「風の森」というお酒は非加熱で生酒というのですが、搾りたてそのままで生き生きしたお酒を楽しめます。それとともに、時間軸とともにどんどん味わいが変化していきますので、開けたてから2時間後も味が違いますし、1週間後も2週間後もそれぞれの切り口で、豊かな味わいを楽しめます。

庄島 2番めに山本君に来ていただいたのは、さっきの今西酒造も油長酒造も同じ奈良県で、日本酒発祥の地というのを皆さん誇りに酒造りをされています。他の奈良県のお蔵さんもそれはかなり意識されてますね。

特に「風の森」というブランドは、それを酒に落とし込み、販売・経営していく哲学がものすごくはっきりしている。飲んでいる方は「こんな日本酒飲んだことない」というぐらい、もうフレッシュでピチピチとして、生き生きとした味わいでびっくりされたかと思います。なぜ発祥の地のお酒がこんなに、日本で最も刺激的で最先端の味なのでしょうか。

数ある「風の森」シリーズから2種類が登場。開けたては微炭酸が残る

山本 日本人はおそらく3000年くらい前からお米を食べている。そのころから炊いたり蒸したりしていたお米がお酒に自然に姿を変えたりしながら、切っても切れない関係です。つまりお酒もこの3000年あるのですが、初めの2500年と、この手前の500年というところで実は画期的に違うポイントがあります。

前半の2,500年は、極論を言うと濁っていて、どぶろくです。要は発酵したものを、食べるような感じでそのまま飲んでいました。どぶろくは今でもあって、もちろん濁っていて、すごく美味しいのですが、発酵が止まってないとか、いろんな意味でデメリットもあります。

ちょうど今から500年前の室町時代後期に、お寺がお酒造りをしていた時代があります。お寺がお酒というと妙な感じがしますが、世界的に見ると、例えばベルギーの修道院で今でもお酒造りをしていますし、例えば教会では自分のところのブドウ畑でキリスト教の儀式に使うワインを造っています。

皆さんご存知のドン・ペリニヨンは、瓶内で発酵させたシュワシュワのシャンパンを見つけ出した技術者は修道院の醸造技術者です。それとほぼ時を同じくして日本でも1500年代にお寺が寺院醸造を盛んにしていた時期がありました。この時期がどぶろくから澄み切ったお酒への転換期です。

転換した理由は、どぶろくのままだとお金にならないからです。どぶろくは発酵を止めてはいないので、2週間で味が変質してしまう。ところが清酒はそんなに早く悪くならず、流通できます。要は日本酒は、どぶろくから清酒にすることによって流通性を高めて、その商圏を飛躍的に大きくしたところに大きなポイントがあるんです。

これは室町時代の寺院が献金の集まらない時代に、お酒に耐久性や流通性を持たせて、自らが経済活動をしていくための策でした。そこでお酒を搾る作業であったり、耐久性を持たせるために加熱火入れなどプロセスの変化があると、例えばお酒造りの容器というのも変わっていきますよね。

かめ壺で作っていた時代から木桶と言われるような大きな桶を使い、そうすると大量生産も可能になってくる。そうすると結局江戸時代になったら今度は奈良ではなく、灘とか伏見とか交通の便のよいところが大量にお酒を造って、江戸時代首都江戸にお酒を流していくという流れになります。

その礎となる技術が寺院での醸造から始まった。奈良はそういう革新的な技術が確立した場所だからこそ、今から革新的なことをやっていこうっていうのが自分の考えです。

庄島 僕が「風の森」にものすごく共感するのは、今のスタンダードは昔の時代のクレイジーな人たちのチャレンジの積み重ねが今なわけですよ。どぶろくから酒を搾ろうとか、カメ壺から大きな木桶で仕込もうとか、それまでなかった技術や道具を使ってやろうとした人たちは、その時代で一番クレイジーなんだと思います。

たぶんこのICCに集まっている人たちもそうだと思いますが、やはりその先に行かないと、未来のスタンダードは作れない。歴史に対してものすごく真摯であるからこそ、日本で一番、今チャレンジしないと未来に伝えられないだろうというのが「風の森」の考え方です。

金田 山本さんが油長酒造を紡がれてきたときも、そのときのメインで造られている方によって、そのスタンスみたいなものも全部違うのですか?

山本 そうですね。やはりこういうのは家業が多いですし、父から色々聞いたこととかもありますが、それを研ぎ澄ませていった結果今の姿があり、奈良の寺院醸造に端を発する醸造技術の革新というのが500年前にあったからなのです。

だから今から革新的なことをしておかなければ、500年後にもしかしたら1,000年前の室町から変わっていないことになってしまう。せっかくなので今からやっていきたいなと思っています。

白糸酒造
「自分の舌を頼りに、いらないものを削ぎ落とす」

白糸酒造の田中 克典さんは、ICC FUKUOKA 2020でCRAFTEDカタパルトに登壇。酒蔵見学のツアーも開催いただいた。「田中六五」は庄島さんと二人三脚で作り上げた福岡で大人気のお酒だ。

庄島 僕は10年前に家業の博多の酒屋に戻りまして、田中も10年前に家業に帰りました。その当時、東京至上主義というか、新しい酒を造ったらとりあえず東京で、有力な酒屋で頭を下げて売ってもらって故郷に錦を飾るという流通経路が主でした。しかし「田中六五」という銘柄は、田中と一緒に、福岡で飲まれる定番酒を目指して10年前にスタートしました。

田中 克典さん(以下、田中) 改めまして、皆さんこんばんは。田中です。

前回のCRAFTEDカタパルトというのに登壇させていただいたのが、ICCに参加した初めてでした。日本酒が、この素晴らしい方たちの前でどういうふうに表現できるかという可能性を秘めて登壇させてもらったんですけど、超緊張して何もしゃべれなかったというのが福岡の思い出です(笑)。

日本酒が皆さんの少しでも、楽しい宴の一環となって飲んでいただければという思いで来ています。

田中六五」は、10年前に福岡の糸島という、福岡から車で30~40分くらいのところで酒を造っていまして、お酒にはお米を使うのですが、酒米の王様、山田錦が生まれた産地です。その産地の真ん中、田ん中の蔵で、65%まで精米したお酒というので「田中六五」というお酒を造りました。

「田中六五」に加えて全国で18店舗しか取り扱いのない生もと造りの「K65 2019」も登場

庄島 彼の酒が出るまでは、いい酒もあるんですけど、自信を持って地元を代表してこのお酒を飲んでたら福岡を感じてもらえるよっていうのがなかったんですね。いろいろ食の自慢はあるけど、お酒の自慢ができるものがなかったんです。

僕は市場をつくり彼は酒を造り、二人三脚で毎年どっちが勝つかみたいな、はじめはずっと僕のほうが強かったのですが、「田中六五」は、毎年足りない、足りないで、倍々ゲームどころかもう3倍ゲームみたいになっています。1年目のもう100倍ぐらいの生産量になっています。

僕らは最初から客単価2,000円の店から3万円の店まで、みんなが定番と思ってもらえて、恥じない品質のものをつくろうと思ったのです。それがはまった今、地銀の頭取や経済界の重鎮とか、福岡の街を動かしている人たちがどこかへ行くたびに、「田中六五」を抱えて持っていってもらえるようになりました。

つまり、お酒が一つの街の象徴になれる可能性があるというところですね。福岡で7割売れているんです。東京市場、大阪、関西市場を頼らずとも地元で成長していけるモデルとして、彼の蔵は全国でも業界では注目されています。

金田 「いいものができた」というぐらいの感覚で話されていますが、かなりの試行錯誤があったのではと思います。「これだ!」となるまでに、それをどう乗り越えていらっしゃったんでしょうか。

田中 酒造りってみんなやっていることは一緒なんですよ。米があって、造る過程は一緒。レシピはあるようなものなんですけど、最初に造ったものは、造ったというより出来たほうが強くて、それを自分はその酒に対してどう感じたか。最近自分の中でやっと浮かんだ言葉が、『削ぎ落す造り』なんじゃないかなって思います。

無駄なものをなくす。できるだけ伝えたい、ここの味にしたいねみたいなのを見つけたというか、削ぎ落す酒造りというのが、最近の僕のテーマかなと思っています。造っていくうちに、この、ここいらないんだよねみたいな、これを取るためにじゃあどうするかみたいなのを、毎年、毎年、自分の舌だけなんですけど、そこがあってやってきたっていう感じですかね。

松瀬酒造
「外から来たからこそわかる土地の個性を酒にする」

松瀬酒造 石田 敬三さんは、生え抜きの杜氏。オーナーは別にいて、社長と二人三脚で酒を生み出している。土地の魅力を写し取った「松の司」では、新たな酒の楽しみ方、驚きを紹介している。

庄島 今日来ている酒蔵はだいたい皆さん、オーナーシェフなんです。要は会社の経営をしながら酒造りもしているという酒蔵がほとんどなのですが、しかしこの松瀬酒造さんは松瀬(忠幸)社長という社長がいらっしゃって、石田さんは生え抜きの取締役杜氏です。製造のトップで、なおかつ経営にも携わっているという、経営者と作り手の二人三脚である蔵なのです。

昔は今みたいなオーナーシェフはいませんでした。会社は会社で、杜氏という造りのプロフェッショナル、要はシェフを雇ってそれで造っていたのですが、それが時代の流れとともに市場がシュリンクして、自分で造んなきゃいけなくなった人たちが多いわけです。

そうすると自由度が増して面白い酒が市場にどんどん出てくるのですが、「松の司」、松瀬さんのところは昔ながらの、社長の経営と杜氏の哲学と美意識が、ものすごくいい形で実現されていて、僕はどちらかというとそういう蔵がもっと増えてほしいなと思っています。

蔵の後継ぎじゃないと経営に携われないとなると面白くないので、酒造りに憧れている人のスーパースターとして、こういう石田さんのような方にスポットライトが当たればいいなと思って、今日は来ていただきました。

石田 敬三さん(以下、石田) いやいやスーパースターじゃないです(笑)。

日本酒ってもともとは蔵元と杜氏の分業で、その形を保っている蔵はなかなか今、少なくて伝統なので、この形のメリットを最大限に活かせる仕事を、自分の立ち位置から考えてやっていくのが使命かなとは思っています。

季節雇用で杜氏さんと呼ばれる製造主任が、うちとか昔ながらの出稼ぎで石川県の能登半島の先から働く人を連れてきて、半年間こもりきりで造るというのをずっと続けてきました。

僕が酒造りしたいと大学を卒業してから入って、古典的な杜氏さん出会ったときに杜氏さんはもう74歳。23歳の男と74歳の杜氏さんが師弟関係になりました。言葉も通じないし、生まれた背景も違うし、国籍上は同じ日本人ですけど、メンタリティが外国人と日本人以上に離れていましたね。

金田 最初に庄島さんから、松瀬酒造の取締役でもありながら杜氏もされているとありましたが、杜氏さんが経営まで携わるような二人三脚スタイルは、あまりないものなんですか?

庄島 昔は杜氏は季節雇用だったので、年間を通して蔵にいることはなかったのですが、杜氏が年間いることでできるようになったことがあります。これが「松の司」の話の本題なのですが、松瀬酒造は滋賀の竜王町の家で代々続く名家の社長でした。

石田さんは京都生まれなので別に竜王町とは縁もゆかりも、それまではなかった。でも石田さんが松瀬酒造に入って1年中竜王町にいることで、どの蔵よりもと言っていいくらい、景色、環境、水も土もすべてをひっくるめて、酒の瓶の中に竜王町を込める酒造りをされているんです。

今日持ってきている「松の司」も、竜王町でも田んぼの違う、土壌が違う2種類を造り分けている。外から入ってきて酒造りさせてもらっているという感覚があるからこそでは?

作り方、山田錦の品種、酵母も同じだが、川に近い砂地/粘土質の田んぼで造り分けた「松の司」。それぞれ瑞々しいさわやかさ/しっかりした存在感という味の違いがある

石田 都会育ちなので、田んぼで米ができるというと米は米、トマトはトマトで同じものという感覚で酒を造れるはずと思っていました。ところが始めてみたら、土壌によってトマトに向く畑・向かない畑、芋でも里芋がおいしいところ・まずいところが当然あって、米にももちろんあったわけです。

都会から田舎に行ったときに、それは当たり前のことだと知らなかった。魚や肉はなんとなくそう思っても、キュウリ、米、トマト全部にもそういうことがあって、それがやっぱりオンリーワンの個性であるべきなんですよね。

この仕事を続けているうちに、だんだんと個性を出したいっていうことが目立つ業界になってきています。そこの土地土地に必ず個性があって、それをどういうふうに表にゆがめないで出してあげるのかは、ほんまの土地のまなざし、愛情であって、自分の仕事やなっていうことを感じたのは、外から来たからかもしれないですね。

金田 この田んぼの、このエリアはこういう背景があってというのを聞いて、実際飲んでみて味も違う。先ほど試飲させていただいて、すごくわかりました。楽しみ方が全く違います。

石田 それを感じていただける時代になったし、(庄島)健泰さんにもそこに共感していただけています。

お酒は純米、純米吟醸、純米大吟醸、そのカテゴリーで選ばれるっていうのが実際なんですけど、でも提供するほう、造るほう、見せるほうはプロでないといけないので、その正しい形でどう捉えていくか。それを違いがわかる、感じる人がしていくべきことかなという気はしますね。

田舎に住んでいて個性のある田んぼ、畑があるけれども、内側にいると見えへんことが必ずあるので、外から田舎に行った自分や、博多なり東京なり名古屋なり飲んで分かる人が、田舎に対して価値を見つけて教えてあげるっていうのは大きな流れですし、すごい価値やと思いますね。

勝沼醸造
「酒には、おいしいものを造りたくて仕方なくなる魔法がある」

この夜、唯一のワイナリーとして参加してくださった勝沼醸造の有賀 裕剛さん。日本食に合うワインとして酒販店に並べられ親しまれてきた「アルガブランカ」で、日本ワインの新時代創造に挑む。

金田 酒蔵さんにお集まりいただいたなか、1つだけワイナリーの有賀さんが混ざっていらっしゃるので、庄島さんはメッセージを伝えたいんだろうなと思います。

庄島 彼のお父さんの代から、そこで提供している「アルガブランカ クラレーザ」、「アルガブランカ イセハラ」というワインを販売していたんですが、そのときは日本酒として、日本の酒、日本酒の延長にあるものとして、白ワインをみんなに伝えていったんですね。

甲州というブドウが持っている特性だったり、日本の食卓に合うワインなので、日本酒よりもさわやかなポジションというか、日本の酒として認知してもらおうというので、ぐーっと人気も出て一銘柄に育ったんですけど、彼はフランスでがっつりワインの修業をしてきた。

それで「日本酒じゃないよ。ブドウから作ってるでしょ?」となり、今彼の代になって、本格的というと語弊があるけれども、1,300年の歴史がある甲州という地場の品種で、世界と戦えるワインを造ろうとしている、マジで天才の醸造家です。

2018年のクラレーザ、イセハラが登場

有賀 まず私の父が住吉酒販さんに、庄島さんのところもそうなんですけれども、お願いして取り扱ってほしいという運びになったんですけれども、その考え方としては、これまで日本のワインというのは、皆さんの持っている印象が美味しくないという単純な一言に尽きるものだった。

それを世に伝えていくのはなかなか難しいので、切り口としては日本で造られたお酒であること、さらに思いを込めて造ったものであることを切り口にすれば、住吉酒販さんが扱っているお酒と同様に、私たちのワインも日本酒ではないかというところがあったわけです。

そこからもう15年ぐらい経って、住吉酒販さんだけではなく、全国に特約店さんがあります。ある程度認知され、さらに日本のワインでも決して不味くないというふうになってきました。次のステップとしては、我々のお酒の本質の部分、「ワインである」ということを伝えていきたいですね。

金田 日本で造られたワインは普通に受け入れやすいものだと、一消費者としては思っていました。そこまでして日本の酒だ、日本酒の一環であるというブランディングをしないとだめだったんですか?

庄島 「その時代は」ですね。その時代はやっぱり生き残るすべとして、日本酒の流通に乗っかるしかなかったという境遇だったのです。

有賀 ワイン造りの日本における背景として、もともと山梨県の甲州市勝沼という場所は、食べるためのブドウの日本一の産地なんです。その生食として出荷できないものをなんとかお金にできないかというところで、ワインの産業ができあがった。だからB級ブドウを使っていて、要はB級、C級のワインしかできないんです。

金田 もともとワインを造るためにブドウを作っているわけではないし、あくまで余剰の物をワインにしている。

有賀 そうです。私で4代目になるんですけど、父は3代目。3代目として考えることというのが、やはり自分の代でワイナリーを潰したくないですから、じゃあ次、考えるべきことは本格的なワインを造ろうとなりました。

ここにいらっしゃる酒造りの人たちは、みんな思うと思うんですけど、やり始めたらおいしいものを造りたくて仕方なくなるっていう魔法があるんですよ、これが。もう売上がどうとか、どうでもよくなるっていう、酒には魔法がある。

今日こうやって来てすごく思ったのは、本来もともと私たちが日本酒だっていうことを言い始めて、一緒にやっていくんだという思いでやってきたんですけれども、まだまだ日本のワイン業界は、ここにいらっしゃる方々には到底価値観、考え方、ビジョンが同等レベルに来ていないので、非常に恥ずかしい思いでいます。

金田 僕は今30ちょっとなんですけど、普通に日本のワインって美味しいなってイメージすらもっていました。

庄島 それは本当にここ数年、やっぱり彼を筆頭に、ちゃんとしたものを造ろうという人たちがどんどん増えてきたというのが全体的にあって、それが年々掛け算のように結果が出てきているので、今日本のワインを口にした方は、美味しいものとして認識されていると思います。

クラフトビールもそうですよね。クラフトビールも昔は全然美味しくなかったけど、よなよな(エール)さんとかCOEDOさんみたいな方たちが現れて時代を変えていったように、日本のワインも彼らが今、そういう時代を作っていっている。

有賀 日本のワインは、酒類全体の日本における消費で、日本で4.4%しかありません。ビールが約20%で、日本酒が10%ぐらい。そこでワインは4.4%なんです。そのうちの4分の3が輸入ワインです。その中で、実はその中の84%が外国からの輸入で日本でボトリングしただけなんです。それを国産ワインと言っているんですよ。

僕らは畑から耕してやっていたのに、それを今まで黙っていました。私の父は、「中身は日本のワインじゃないんだよ」っていうことを言ったら、我々業界全部が潰れてしまうと思ったからです。

ですが、2018年の10月に区分けされました。国産ワインと日本ワイン。僕らのやっていることは日本ワインで、ボトリングだけは国産ワイン。それはラベルに表記されるようになりました。なので、ここにいる皆さんには、日本ワインというのを応援してもらいたいんです。

旭酒造 櫻井 一宏
「ハレの日に、いいお酒の需要ができた。日本酒には可能性がある」

盛大な拍手で一番最後を締めくくるのは、「獺祭」の旭酒造、櫻井一宏さん。世界で飲まれている日本酒の代表的な存在として、日本酒の未来というテーマでお話しいただいた。

金田 すごく興味本位なんですが「獺祭」の日本と海外の出荷はどのくらいの割合なのでしょうか?

櫻井 一宏さん(以下、櫻井) 2019年まで、だいたい2割弱が海外でした。今年はコロナで、実は海外のほうが調子よくて、もしかしたら3~4割いくかもしれない。日本酒全体の輸出の金額でいうと、2019年が234億円で、うちが約15%。今年はもうちょっといきそうな雰囲気ですので、2割いけるかもと、ちょっと期待してますね。

庄島 すごいですね。しかも向こうで造っているんじゃなくて、すべて日本で造っていて、世界で飲まれている日本酒の2割が、獺祭になると。

櫻井 そうなんです。それがもう、山口県のど田舎で造っているというのは、ちょっと面白いですよね。地元で売れなくなって、外に行くということをやってきた結果、海外に行くことになり、今の獺祭が出来上がったのですが。

庄島 獺祭のすごいところは、今回参加してもらっている蔵と、基本的には造っているサイズや手間は変わらないんですよ。ただそれを一年中、永遠に手作りしているわけです。

そこが世の中の人たちが知らない真実というか、気持ち悪いぐらい手作りなのが獺祭です。それを世界に出荷するほど、毎日手作りしているっていうことです。気味悪いです。

櫻井 「気味悪いほど手作り」ってうれしいですね。

庄島 本当に気味悪いです。しかもさまざまなデータが取って活用されていますが、造る部分は完全に手作業ですよね。

櫻井 そうですね。でもここはたぶんICCに参加してらっしゃる企業の皆さんは、普通にデータは取りますよね? 機械があれば使いますよね? 一般的な企業さんのしていることを、うまく真似しちゃうのがうちの会社の酒造りなんですよ。

それをやった結果すごくいいのが、PDCAを回していけること。今年のお酒が美味しくなかったのはなぜなのかというのが分かるんです。その辺のデータがなかったり、見える化していないと、悪かったのは米なのか、今年の造りなのか、気温なのか、運なのか、よく分からない。

データを取ると、その辺が分かる。米の責任なのか、造りの責任なのか、それとも瓶詰のタイミングが2~3日早かったみたいなのが、全部分かるので、調整していきやすいのです。年間でだいたい3,000回酒を仕込んでいて、3,000回PDCAを回せるっていうのは、めちゃくちゃ強くないですか?

庄島 普通のいわゆる地酒ぐらいの規模だと、それが50回とか、もう100回だとすごくて、ああ、すごい、よく造るよねっていうのが、100とかっていう数字なんですけど……異次元です。

金田 3,000回のPDCAを回すのに、どのぐらいの人数やられているんですか?

櫻井 酒造りのメンバーが今120名いますね。酒造りでは日本で一番人数の多い酒蔵かもしれないです。普通の酒蔵さんは冬にしか造らないんで、その時期に人を集中しないといけないんですが、うちは年間通して毎日毎日、毎週毎週もうずっと造っています。

庄島 コロナで出荷が伸びたと聞きました。この先どういうふうに海外は推移していく予想ですか?

櫻井 海外は2、3、4月と思いっきり下がったんです。ロックダウンしたり、飲食店がどんどん夜逃げしたりという状況で厳しかったですが、6、7月ぐらいでまた復活してきて、実は8月なんかは、出荷が追いついていない状況だったんです。

3、4、5月で国内外落ち込んだので、これはやばいと思いっきりブレーキ踏んで製造量を3割ぐらいにぐっと減らしたのですが、結局海外が伸びた。海外が伸びても出せないっていうので、10欲しいと言われても、5か6しか渡せないみたいな状況です。

中国のお客さんなんか、めちゃくちゃ元気なんですよ。「第二波が来たらどうするの?」と言ったら、「そんなの来てもしょうがない、来るまで楽しむんだ」って言って、自粛が終わった瞬間から、バンバン飲むんです。

アメリカみたいに合理的に考えて、感染者が増えていっても距離を取っていれば飲んでいい、外で飲めばいいみたいなのをちゃんとやっている国は堅調に伸びていったりと、国ごとに伸びる量が違います。コロナで厳しい時期に助かりましたね。

生酒の獺祭のほかに、ICCサミットではいつも大人気のスパークリングも提供

庄島 それって要は、海外のアルコール消費量が増えたってことですか? それとも日本酒の需要が増えたのでしょうか?

櫻井 そうですね。日本酒は年々輸出が伸びていると言われますが、実際にそうなんですね。今回コロナで下がるかなと思ったのですが、それでも日本酒が飲みたいとか、美味しいものが飲みたいっていう人は根強いんですよね。そういうお客さんが本当に飲んでくれて、買ってくれましたね。

結構びっくりするほど飲む。しかも自粛になって若い人が暇になったせいか、ちょっと海外の日本酒の層って若返ったんですよね。その辺を見ていると面白いし、まだまだ可能性あるなと思いました。

日本酒って非日常なんですよ。国内でもそうですが、普段はテレワークだから、うちでちょっとビールかチューハイを飲むか、オンライン飲み会みたいな感じじゃないですか。それが週末とか、大事な人と飲むときにいいワイン、いいお酒を飲むようになるような時代になっていると思うんですよ。

そこが海外でも日本酒ってすごいと、ガッとはまってくるんです。だからアメリカでは本当に飲食店にどこも行けなかった、外出禁止のときが明けた瞬間は、実はシャンパンと日本酒の売上がめちゃくちゃ伸びたんです。

それまでは実はテキーラとかウィスキーがめちゃくちゃ伸びていたんですよ。それがロックダウンが明けて、日本酒も、シャンパン、スパークリングワインも、同じタイミングでいきなり伸びました。もう華やかなハレの日の酒を待っていたんだなっていうのがよく分かる感じなんですよね。

日本の皆さんも絶対そうなると思うんですね。今回改めて、ハレの日のお酒と日常のお酒ってバッと分かれたと思うんですよね。日常とは分けて、週末に飲むときはもうまい酒を飲みにいこうよというふうに絶対なっていると思うんです。

庄島 消費のメリハリは絶対ついてますよね。うちは福岡のフレンチレストランを経営してますけど、選ぶコースの単価が上がっている。自粛で我慢していた分をメリハリ利かせて、張ったときのハレのときに日本酒が選ばれるように、我々も頑張っていかなきゃなというところでしょうか。

櫻井 はい。みんなで頑張っていきましょう。楽しくいきましょう。

庄島 そうですね。今日は獺祭の、今日しか飲めない生酒をご用意いただいています。

櫻井 そうですね。生酒って味が変わりやすいのであんまり出したくないんですが、今日は、ICCの日にちに合わせて一番いい搾りを持ってきました。ぜひ飲んでください!

「一番タイミングを合わせた生酒を持ってきました」と櫻井さん。目を引く緑色の瓶はイタリアワインの貯蔵用のもの。「今日はお祭り。特別の日なので楽しくいきたいなと」

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トークセッション終了後、一緒にナビゲーターを務めた金田さんと

スペシャル・トークセッションの終了後、庄島さんは、今回の企画について、こう説明してくれた。

「今回は、酒の魅力も、個性も立っている蔵という観点で選ばせていただきました。この蔵を全部見てみると、今の日本の酒の魅力がわかります。全部が見えて、1つが見える感じですね。さぁ、ようやく飲めるかな!」

このレポートではだいぶ割愛したが、庄島さんが語ったそれぞれの蔵の紹介は、酒造りに携わる人々への愛と尊敬にあふれており、それだけでもお酒を飲んでみたくなるほど。それに加えて造り手が出てくるのである。1つのブースだけでなく、初めて出会うお酒との出会いを楽しんだ方も多かったのではないだろうか。

ナビゲーターを務めたふたりは冒頭で「ラジオのようにBGMとして聞き流して」と言ったが、トークセッションは、多角的にも、深さとしても日本の酒の魅力や現在地が伝わり、ICCサミットのセッションに並ぶほどの内容だったのではないかと思う。

1791年創業、京都伏見 松本酒造の松本日出彦さんは、この日多忙のため欠席だったがお酒をご提供いただいた。「澤屋まつもと 守破離 1678 SAIDO」(写真左)は西戸村1678番地の田んぼで育てた最上級の米を使った酒で、味はきめ細やかで凝縮された味わいだが、驚くほどに後味はすっきり

無鄰庵でのライトアップ・ビアガーデン、そしてJAPANESE SAKE NIGHT、さまざまな日本の酒を楽しむ夜の企画は、ただ楽しく、美味しいだけではなく、夜のパーティでも魅力的なコンテンツとなることを証明した。酒がその潤滑油となって、交流がより和やかに、円滑になったことはいうまでもない。

最後に、JAPANESE SAKE NIGHTの企画段階から入っていただき、Co-Creationいただいた住吉酒販の庄島さん、ご参加いただいた7つの酒造の皆様にも深く御礼を申し上げたい。

(続)

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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/塩田 小優希/尾形 佳靖/戸田 秀成

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