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官僚、起業家、IPO経営者、そして知事へ——。これほど異色のキャリアを持つ人物が、日本にどれだけいるでしょうか。広島県前知事・湯﨑英彦さんが語る知事への道は、華々しい成功譚ではなく、事業の失敗から始まります。ICC FUKUOKA 2026のセッション「特別企画 起業家・経営者から県知事になる」、全5回の①は、「次は何をしようか」と考えた42歳の決断の話から始まります。ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回500名以上が登壇し、1,200名以上が参加する。そして参加者同士が真剣に議論し、学び合うためのカンファレンスです。次回ICCサミット KYOTO 2026は、2026年8月31日〜9月3日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションのオフィシャルサポーターは EVeM です。
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【登壇者情報】
2026年3月2〜5日開催
ICC FUKUOKA 2026
Session 10E
特別企画 起業家・経営者から県知事になる
Supported by EVeM
(スピーカー)
湯﨑 英彦
広島県
前知事
(モデレーター)
三浦 崇宏
The Breakthrough Company GO
代表取締役
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▶『特別企画 起業家・経営者から県知事になる』の配信済み記事一覧
官僚、起業家を経て県政へ。広島県前知事・湯﨑 英彦さん
三浦 崇宏さん(以下、三浦) こんにちは。湯﨑さん、今日はよろしくお願いします。
「-特別企画 – 起業家・経営者から県知事になる」ということで、結構異色のセッションです。
ICCの他のセッションは、資金調達とか組織の課題を克服するとか、最近のM&Aはどうなっているとか、経営はAIでどう変わるかとか、ビジネスするぞというセッションが多い中で、今回は少し風変わりなセッションをやらせていただきたいと思います。
決して多くの方が集まるものではないかもしれませんが、このテーマに関心がある方にとっては、湯﨑さんの話は生きた知恵であり、人生を変えるような気づきがあるのではないかと思います。
(ICC小林)雅さんから「興味があるなら、やってみない?」と言われたのですが、僕自身、湯﨑さんの話をめちゃくちゃ聞きたかったので、喜んでお受けしました。
湯﨑さん、今日はよろしくお願いします。
湯﨑 英彦さん(以下、湯﨑) よろしくお願いします。
三浦 今日は本当に気軽にいろいろ話せればと思っています。
官僚、起業家、IPO後の経営者、政治家という4つのキャリア
三浦 改めまして、湯﨑さんのキャリアをご紹介いただきましょう。

もう本当にいろんなお仕事をされていて、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、分かりやすく言うと、もともと官僚でいらっしゃいましたよね。
その後、起業家として、経営者としてIPOまで行って、そこから政治家になっています。
官僚、起業家、IPO後の経営者、政治家という4つのキャリアを持っている方は、日本でもほとんどいないと思います。
簡単にキャリアについてお伺いできますか。

湯﨑 時系列で言うと、僕は1990年に大学を卒業し、そのまま通産省(通商産業省、現・経済産業省)に入りました。
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湯﨑 英彦
広島県
前知事
2009年~2025年4期16年広島県知事。「イノベーション立県」を目指し、自治体として初めて「失敗してもやり直そう」をコンセプトに、ロボティクスやデジタル技術などの実証から実装を推進する「ひろしまサンドボックス」事業を実施。また、「AIで未来を切りひらく」をスローガンに自由にAIを探求するAIラボ、高校生のためのひろしまAI部、AIサンドボックスなどを進める。在職中県内で数百件の起業を実現。また、2010年知事として初めて育休をとったほか、中小企業向け人的資本経営チェックシートを作成するなど、女性活躍、働き方改革、労働市場流動性改革、リスキリング、人的資本経営等を推進。知事就任前は、2000年(株)アッカ・ネットワークスを創業、常時接続・ブロードバンド・定額制のインターネットアクセスサービスを提供し、日本におけるインターネットビジネスの基盤構築に貢献。主に代表取締役副社長として従業員・売上ゼロから5期で従業員約500名、売上高390億円、当期純利益28億円を実現し、2005年JASDAQ上場。1990年~2000年通商産業省。自動車、中小企業、原子力産業、日米通商交渉、ベンチャー振興等を担当。1998年~2000年シリコンバレーVCに出向。1990年東京大学法学士、1995年スタンフォード大学MBA。
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通産省では、もういろんなところを渡り歩きました。
最初は、製造業や、ソフトウェアなどを管轄する機械情報産業局に入りました。
三浦 iPhoneが日本に入ってきたのが2007年なので、1990年と言うと、インターネットがまだ普及していない頃でしょうか。
▶︎iPhone日本上陸15年 スマホの革命と進化を振り返る(2023年7月11日 毎日新聞)
湯﨑 既に開発はされつつあったと思うのですが、まだ日本ではほとんど使われていなかったと思います。
ちょうど、今のAIが「第五世代コンピュータ」と呼ばれていて、第五世代コンピュータを作るプロジェクト(※)がありました。
▶編集注:第五世代コンピュータとは、1980年代に通産省が主導した国家的なAI開発プロジェクト。実用化には至らず失敗とも評されるが、ここでの蓄積が現在の日本のIT・AI技術の礎となったといわれている。
三浦 1990年にはもう、日本でAIを作ろうという動きがあったのですね。
湯﨑 あったのです。
その時にはもうそれが終わりかけていて、大失敗だったのですが、そういうプロジェクトがまだ行われていた頃でした。
その後、1991年から1992年にかけて、自動車通商を担当しました。
その後、中小企業を担当して、留学して、帰ってきてから原子力を……。
三浦 留学先はスタンフォード大学で、MBAを取得されたんですよね?
湯﨑 そうです。
三浦 (省内でも一握りのエリートしか行けない) 国費留学ですよ?
湯﨑 原子力を担当して、アメリカとの通商問題を担当するためVCに出向になりました。
三浦 当時、日本にもVCがあったのですね。
湯﨑 日本にはJAFCOなど証券会社系のものだけで、あまりなかったのですが、ベンチャーのエコシステムを日本にも作らなければいけないということで、アメリカに何人か派遣をしたのです。
実はその一人が、グロービスの堀 義人さんです。
三浦 なるほど。
湯﨑 僕は役所からですが、民間からも何人か派遣されました。
それで帰ってきた時に、通産省を辞めました。
「経産省ご出身ですか?」とよく言われますが、経産省で働いたことはありません。
三浦 経産省になる前の通産省に入って、通産省が経産省がなる前にご卒業されて。
インターネットビジネス黎明期の起業

湯﨑 それで、このスライドの真ん中にあるように、ブロードバンド通信のアッカ・ネットワークス(2000年創業)という会社を創業しました。
インフラなので、結構ビッグプレー(大事業)です。
競合は、千本(倖生)さんのイー・アクセスと孫(正義)さんのソフトバンク、そしてもちろんNTTでした。
三浦 アッカ・ネットワークスは、資金調達を経た、スタートアップ的な始まり方だったのでしょうか?
湯﨑 そうですね、最初はごく少数の人数で数千万円ほどの金額で始めました。
最初のラウンドは26億円です。
三浦 当時だと、大型の調達ですよね。
湯﨑 大型です。
NTTコミュニケーションズと、当時アメリカでDSL事業をしていたCovadという2社に戦略投資をしてもらったのです。
それから、三井物産などいろんなところからお金を出してもらいました。
インフラなので、やはり何百億円も必要ですし、エクイティもすごく集めましたし、ものすごい額の借金までしました。
それで売上は、5年で大体400億円くらいです。
三浦 5年で400億円。
湯﨑 もう少しで450億円くらい。
三浦 今なら、カタパルトで圧勝するレベルですね。
湯﨑 スピードやサイズの観点で、やはりインフラは大きいですよね。
ただ、固定系のDSLは市場がすぐに飽和してしまったのでWiMAXに移行しようとして(※)、免許申請をしたのですが取れなかったのです。
▶編集注:DSLは室内で使用するアナログ電話線(有線)の通信で、WiMAXは外出先や移動中も使用できる無線の通信。
さまざまな背景があったのですが、取れなかったことがきっかけで辞めて、それから知事になりました。
「政治とビジネスに交流を」、モデレーター三浦 崇宏さん
三浦 ここまで聞いただけでももう、聞きたいところが多すぎるのですが、僕の自己紹介を先にしておきますね。
もともと博報堂という会社で働いていましたが、クリエイティブ、アイデアや企画の力でクライアントの事業課題の解決をしていく事業を、The Breakthrough Company GOという会社で行っています。

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三浦 崇宏
The Breakthrough Company GO
代表取締役
The Breakthrough Company GO 代表取締役 CEO
2007年 博報堂入社、マーケティング・PR・クリエイティブを経験した後に、TBWA \HAKUHODOを経て2017年にThe Breakthrough Company GOを設立。
クリエイティブの力で社会の変化と挑戦を支援することをミッションに掲げる。
コンビニ大手からメガバンクといったナショナルクライアントのマーケティングから、
スタートアップや自治体のプロジェクトまで幅広く手掛ける。
Cannes Lions、PRアワードグランプリ、ACC TOKYO CREATIVITY AWORDS グランプリ/総務大臣賞など受賞多数。
著書『言語化力(言葉にできれば人生は変わる)』(SBクリエイティブ)がAmazonのビジネス書ランキングで1位に。『超クリエイティブ 発想 × 実装で現実を動かす』(文藝春秋)ほか著書は5冊。
THE CREATIVE ACADEMY主催
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分かりやすい例では、ファミリーマートのブランディングやリクルートのCM制作です。
クリエイティブの力を世の中に広めたいという気持ちがめちゃくちゃあり、自民党の45歳以下の団体である青年局のPRも担当しています。

そういう流れの中で、政治とビジネスの世界の間にはすごく距離があって人的交流も少なく、僕はもっと交流があるべきだと思っているので、湯﨑さんの話を聞きたいし、もっと聞いてほしいという思いから、このセッションに参加させていただいています。
知事になろうと思ったのは「事業に失敗したから」
三浦 さて、ではいきなり質問です。
何十回、何百回、何千回と聞かれてきたであろうことを改めて聞くのは恐縮ですが、なぜ起業家だった湯﨑さんが政治家や知事になろうと思われたのか、改めて教えていただけますか。

湯﨑 すごく短く言うと、事業に失敗したからですね。
三浦 失敗したから。
湯﨑 WiMAXの免許が取れなかったので辞めて、次に何をしようかなと。
三浦 事業があれだけ大きくなって、その先の見通しが結構難しい状態になったわけですよね。
その時、どうやってピボットしようかとか、どこかに会社を売ろうかとか、いろいろ考えると思いますが、会社が立ち行かないぞという時、湯﨑さんはどう考えられたのでしょうか?
湯﨑 ピボットには3つ案があって、そのうちの2つを実施していました。
我々は固定の電話線を使ったブロードバンドを展開していたのですが、その延長線上として、インターネットと各会社をつなぐラストマイルにはいろんなものがあるので、もっともっと発展すると考えていました。
今は、電波がその典型的なものになっていますね。
我々のミッションはそれだったので、1つ目として、WiMAXは無線という選択肢であり、まずこれを追求しました。
もう1つは、今で言うところのIoTです。
かなり安い価格で、アクセスを以てインターネットにつながるという特性を活かして、IoTサービスを提供する案があったのです。
三浦 物に埋め込んでいくということですね。
湯﨑 そうです。
当時それは「M to M」、つまり「Machine to Machine」と呼ばれていました。
三浦 意味は、IoTと同じですね。
湯﨑 同じです。パソコンとネットワークではなく、マシンとマシン。
三浦 マシンとマシンの間をインターネットでつなぐ?
湯﨑 勝手につながって勝手にやりますという。
今のIoTなのですが、当時はまだIoTという言葉がなかったので。

ただ、やはり少し早かったのですよ。
市場にはものすごくオポチュニティがあると思っていたのですが、10年早かったのです。
三浦 回線のスピードや処理速度が追いついていない時代ですものね。
湯﨑 コストの問題もありましたし、最終的に無線を使わないとたくさんの機器とつながらないとか。
あと、ユーザー側がその想像が十分できなかったのです。
三浦 今なら、例えば家に帰る前にお風呂を沸かしておこうとか、アレクサでエアコン温度を調整しておこうとか、IoTによって暮らしがどう便利になるかは想像できているけれども、当時はまだその分かりやすいユーザーライフの変革のイメージがわいていなかったということですね。
湯﨑 ユーザーの個人レベルでは、わいていなかったです。
例えば遠隔で工場を自動管理するなど、企業向けが主でした。
今なら、農業でそういう管理をしますよね。
でも、ユーザー側はそれらを想像しきれていない状態で、なかなか立ち上がらなくて、免許も取れなかったので、ピボットはできませんでした。
結果として会社は、僕が退任してからイー・アクセスが買収する形で合併して、最終的に今はまとめて全部ソフトバンクですね。
三浦 「The Winner Takes It All」の世界ですよね、本当に。
湯﨑 そうですね。
激動期を駆け抜けた直後の思い

湯﨑 それで、次は何をしようかと思ったんです。
三浦 その時は落ち込まれましたか?
湯﨑 いや、あまり落ち込まなかったですね。
ものすごく強烈な8、9年を過ごしていたので、僕はすごくホッとしたのですよ。
三浦 何歳から何歳まででしたか?
湯﨑 33の時に起業して、42までかな。
三浦 僕も起業したのが33歳で、今ちょうど42歳ですので、その激動のタイミングです。個人的に、自分が聞きたい話を聞いているだけになってしまっていて、本当にごめんなさい。
湯﨑 いえいえ。
ドッグイヤー、つまり犬の1年が人の7年と同じだというくらい進化が速すぎると言われていたので、最も多忙だった7年を掛け合わせると、実質49年でしたね。
ものすごく大変でしたし、初めて作った会社だったし、会社の中も、うまくいくところもあれば、うまくいかないところもあって。
三浦 もちろんそうですね。
湯﨑 急激に人が増えたので、カルチャーとか……。
三浦 今なら、例えばメルカリなど急成長した会社のイメージがあると思いますが、当時はあまりそういうロールモデルやスタートアップの組織論など、組織の科学もなかった時代ですよね。
湯﨑 少ない時代でしたね。
その大変なところから解放されるというので、ホッとした部分はあったのです。
(続)
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/戸田 秀成


