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「問」の本質とは何か?

「一番僕が気になるのは、人がより良く生きるとは何かという問いです。と言うのは、より良く生きるとは何なのだと考える時に、人類はこれまでどう考えたかというと、苦しみを取り除けば幸せになるに違いないと思っていたのです。

その苦しみとは何かと言うと、貧困と病気です。この貧困と病気の二大苦しみだったのですが、戦後、日本はこれをある意味取り除いたのです。にも関わらず、データを見ると全然幸せになっていない。」

予防医学者である石川 善樹さんと質問家であるマツダミヒロさんをお迎えし、「問」の本質とは何か?を深く議論しました。「自己紹介とは何か?」から始まり、「人がより良く生きるとは何か?」などぜひ考えながらICCカンファレンス TOKYO 2016  異分野対談 「予防医学者  X  質問家」(前編)をご覧ください。

登壇者情報
2016年3月24日開催
ICCカンファレンス TOKYO 2016
Session 2E 異分野対談「予防医学者 X 質問家」

(スピーカー)
石川 善樹 株式会社Campus for H 共同創業者
松田 充弘 マツダミヒロ事務所 代表取締役

司会者 ICCカンファレンス TOKYO 2016の特別企画は異分野対談「予防医学者 X 質問家」です。予防医学者である石川 善樹さんと「質問家」のマツダミヒロさんがどのような対談になるのかとても楽しみです。

まず最初に自己紹介も含めまして、今取り組まれていることでしたり、最近関心のあることなどについて順番にお話いただいてもいいでしょうか?それではまず松田さんからお願いします。

自己紹介とは何か?

松田充弘氏(以下、松田) 僕はいつも自己紹介というのは困るのです。

石川善樹氏(以下、石川) さっそく問いかけが始まりましたね(笑)そもそも、自己紹介とは何か。

松田 石川さんは自己紹介とはどういうもんだと思っていますか?

石川 僕はアメリカへ行った時に、こういう自己紹介もあるのだなという経験をしました。日本ですと、所属の歴史を話しますよね。自分はこういうところに所属していましたというものが自己紹介である場合が多い。

ところが、あるユダヤ人の友達は、自己紹介をご先祖様の話から始まるのです。おじいさん・おばあさんはこういう人で、自分の両親はこんな人で、そして僕が生まれたのです、で終わる。自分の話はせずに、そこで終わっちゃうのです(笑)

でも、そこまで聞くと、すごくその人のことがよくわかる。だからあなたがいるのですねというふうに。

そこで初めて自己紹介にもいろいろなパターンがあると学びました。

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石川 善樹 
株式会社Campus for H 共同創業者
予防医学研究者、博士(医学)   

広島県生まれ。東京大学医学部卒業後、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。
「人がより良く生きるとは何か」をテーマとした学際的研究に従事。
専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、マーケティング、データ解析等。講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。NHK「NEWS WEB」第3期ネットナビゲーター。著書に『疲れない脳をつくる生活習慣(プレジデント)』『最後のダイエット(マガジンハウス)』、『友だちの数で寿命はきまる(マガジンハウス)』など。

松田 なるほど

石川 僕らの脳は楽をしたいから、すぐにパターンで処理しようとします。そのパターンでやっていく典型が自己紹介だと思うのです。

名刺を出すとか。おそらくそういうものを崩そうとして、松田さんは質問家と名乗っていらっしゃるのじゃないでしょうか?。

松田 そうです。ですから、あえて言えば質問をする人です、ということになる。

石川 だから、今日の対談は楽しみにしていました!

松田 こちらこそよろしくお願いします!さっそくですが、石川さんは最近、どんなことを考えていますか?

石川 そうですね・・・例えば昨日考えていたのは、「失敗とは何か?」ということです。失敗について考えていたら、すごい面白いことに気がついたのです。

松田 お、なんでしょうか?!

間違いの本質とは何か?

石川 まずどう考え始めたかというと、「失敗=間違い」ともいえるので、じゃあ間違いについて考えようとなったのですが、漢字を見ると「間違い」というのは間が違うということだなと。

つまり、「間」がわかってないということなのです。要は、間違いの本質というのは、「間」にあるのだろうということを思いました。

松田 なるほど。

石川 そして、「間」についていろいろ調べてみると、面白い発見がありました。「間」が破綻することというのはよくあるのですが、その破綻をした間をどう元に戻すかというのが「祭り」なのだそうです。

破綻した間を「吊り上げ」て元に戻すというのが「祭り」なのです。ということは、間違えた後は「祭り」をすればいいのだということになる(笑)

松田 おもしろいですね(笑)ちなみにどうして「間違い」について考えてたのですか?

石川 あー、そうですね。そう言われてみて思い返すと、僕が間違いということを真剣に考え始めたのは、アップル社の「think different」というキャンペーンをみて衝撃を受けたのがきっかけですかね。

「different」というのは日本語で訳すと「違う」という意味なのですが、違うというと日本語ではwrongという意味も含みます。

「think different」もよく考えると、アメリカ人というのは基本的にみんな全然違うのです。人種も全然違う。全然違う中での違うという意味と、日本のようにそもそもみんな一緒の中での違うというのは、全くことなる意味をもつんじゃないのかなと。

そして、違う中で違うというのは、一周するとどういう意味なんだろうか・・・なんてことを果てしなく考えながら毎日生きています。面倒くさい人生です(笑)

「問」とは何か?

松田 学問という字は、「問」で学ぶとなってますね。「問」を立てると学びになると思うのですが、おそらく多くの人は「問」を立てることによって答えが出ると思うから学びになるというふうに思うのでしょうが、僕はそうではないと思うのです。

「問」を立てること自体が学びだと思う。そこはどう思いますか。

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松田 充弘
マツダミヒロ事務所 代表取締役

東北芸術工科大学デザイン工学部卒。
カウンセリングやコーチングの理論をベースに、自分自身と人に日々問いかけるプロセスを集約し、独自のメソッドを開発。質問するだけで、
魔法にかかったようにやる気と能力が引き出され、行動が起こせるようになることから、「魔法の質問」と呼ばれる。講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。ニューヨーク国連本部の学校をはじめ世界各国の学校や企業で講演を行う。『賢人たちからの運命を変える質問』(かんき出版)『しつもん仕事術』(日経BP社)他30冊を超える著書がある。

石川 それは僕は考えたことはなかったです。

松田 答えを出すことは確認でしかないという感じです。

石川 あー、それはわかります。実は問さえ立ててしまえば、あとはみんなで力を合わせれば解けちゃいますからね。

松田 「問」が間違っていなければ、「問」が正しければ。

石川 研究者というのは、大きく分けると、「問」を立てる側に立つのか、それを解く側に立つのかというので分かれるのです。

僕は自分で解く力は弱いと思った。「問」を立てる方が強いと。

そして実はもう一種類の人たちがいて、ディスカッションが得意な人というのがいる。この人が多分「質問家」という人に近いのかもしれませんが、この人と話すと何故か問が深まったり、答えへの道筋が見えたりするのです。

そういう壁の役。研究者というのはだいたいこの3パターンに分かれるのです。

研究者はどれもこなさなければならないのですが、自分がどこに比重を置いて研究者として立っていくのかという時に、僕は自分が「問」を立てるほうが上手いと思ったのです。

松田 定義を把握したりということでしょうか?

石川 そうですね。僕は、みんなが何となくこうだと思っているその定義が、わからないのです。

松田 定義が腑に落ちないとなかなか進みにくい。

石川 今日は良い天気ね、と言われて納得できない。「良い」とはなんだ、雨だと駄目なのか、というように。

そういうのが本当にいちいちわからない。ですから、研究者としてはそれで良いのですが、イチ社会人として見た時には、完全に失格です。本当にわからないのです。

松田 そのわからないことを明確にすることが、多分問いの産み出し方だと思うのです。そこが、わからないでも何となくそれでも良いやと思っていると、なかなか問を立てにくい。何となく生きてしまうでしょう。

石川 そういう意味で、どうしてそういう質問家というところへ行き着いたのですか。

松田 僕はそもそも20代と30代で全然違う仕事をしていたのです。

30代から質問家になった。20代はベンチャーの会社の経営をやっていたのですが、それがあまりしっくりこなくて、また社長も首になったということもあって、辞めてしまったのです。

そして、本当に僕は何をしたいのだろうと思った時に、いろいろな人が質問をしてくるわけです。

それに答えていく瞬間が、すごくシフトチェンジが起きるというか、答える瞬間に気づきがあったり、ああそうかと腑に落ちる瞬間があって、質問と言うのはおもしろいと思ったのです。

石川 そう考えると、普通の人はそういう質問はあまりされないですね。

僕はスポーツ選手と話していて、彼らが極めて特殊だと思うのが、常に今年の目標とかを聞かれるということです。普通聞かれませんでしょう。

聞かれるから彼らは答えていて、そして答えていくうちに変っていくのですが、変りながら自分の中で明確になっていく。

それが多分、良いタイミングであったのですね。会社を辞めて、次どうしようかということを考えるに際して。

松田 そうですね。その時に、質問とか、あとはコーチングとかに出会って、質問に答えるというのはこんなにも変化が起きるのだなということに興味を持ち始めて、毎日質問を作って(メルマガの)配信してということをずっとやっていたのです。

参考資料:魔法の質問

石川 どのような質問内容でしょうか。

松田 その日の出来事から質問を作るということをやるのですが、例えば今日はたまたま「問の本質」というキーワードが出てきたのです。

そのキーワードが面白いと思ったら、問の本質とは何だろうという質問を作って、そのメルマガを配信するのですが、それで読者がすごく増えていって、反響が大きくなっていったりする経緯です。それで毎日質問を作っていましたね。

石川 修行のような感じですね。

松田 そう。修行です。

石川 そうなると僕とやっていることは一緒ですね。

最近の僕は、もう自分では解かないですね。チームを作って、解く専門の人間を作っている。

僕は問うのです。例えば最近、ミッキーマウスに関する問いを作りました。

ミッキーマウスは100年間でいろいろ進化してきています。簡単に言うと可愛くなっているのです。手足が短くなって、目と頭が大きくなって、可愛くなっている。

その絵をたまたま見ていて、「100年間でこのように進化してきたのだとすると、では次の100年でミッキーはどのように進化するのだろう?」とすごく興味を持って、今その問題を解いています。

松田 その解いた先には興味があるのですか、ないのですか?

石川 あー、そういわれてみるとあまり解いた先には目が行ってないですね。むしろ解く過程で次々にあたらしくて深い問いが生まれるので、それに忙殺されます(笑)

松田 すると、問いを生み出すもっと根本に、もっと気になる問題があるということですね?

石川 そうです。一番僕が気になるのは、人がより良く生きるとは何かという問いです。と言うのは、より良く生きるとは何なのだと考える時に、人類はこれまでどう考えたかというと、苦しみを取り除けば幸せになるに違いないと思っていたのです。

その苦しみとは何かと言うと、貧困と病気です。この貧困と病気の二大苦しみだったのですが、戦後、日本はこれをある意味取り除いたのです。にも関わらず、データを見ると全然幸せになっていない。

と言うことは、苦しみを取り除くというだけでは、何かより良く生きるということとは関係なさそうだから、そうではない豊さの再定義が必要だと思ったのです。

松田 石川さんが今までで一番自然に近い体験や経験をしたのはどんな時でしたか?

石川 原体験で言うと、小学校の2年生の時なのですが、学校から家へ帰る途中に原っぱがあったのです。そこで僕は寝転がって雲を見ていて、「ああ、雲が流れているな」と思ったのですが、ちょっと待てよと気づいた。

「雲が流れているのではなくて、地球が動いているのではないか」と。そして、雲を固定して、地球が動いていると想像してみると、すごい乗り物酔いをしました(笑)

それが最初に自然と自分との結びつきが感じられた経験でした。

松田 最近で言うと何かありますか?

自然とは数式

石川 これは少し特殊かもしれませんがあります。みなさん自然というと緑とか山というものを想像するかもしれませんが、僕にとっての自然というのは実は数式なのです。

自然は数学の言語で書かれているというのがあって、深遠なる数学の式を見ると、僕は「ほう」と思うのです。例えば、ハーバート・サイモンという人がいますが、彼はノーベル経済学賞を取った人で、いわば知の巨人と言われる人です。

彼が、こういう数式を書きました。theory of social complexityというもの。人とか社会とか自然というものを考える時に、実はこれが一番基本となる考え方なのです。

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これはとてもシンプルです。人工、人が造ったものがあり、社会があって、自然があるのですが、結局人は自然と言うものに適応していくために、社会の中でいろいろな人工物を作る。

例えば椅子とか、カメラというものだったり、貨幣システムとか政治システムだったり、いろいろな人工物がある。

僕ら研究者というのは世の中というものをこのようにすごく単純化して見ているのです。

自然の中のものとソサイエティとの相互作用の中で、Artifactという人工物が生まれたと。こういう、もはや数式なのかというくらいのシンプルなものなのですが、これを見て僕は自然との結びつきを感じます。

松田 直接的な結びつきだけではなくて、精神的な結びつきですね?

石川 そうですね。数式と精神的に結びつくって、はたからみると変態ですね(笑)

松田 少し切り口が変ってしまいますが、石川さんと喋っていると、何でも知っているように感じます。知識というのはどこからやってくるのですか?

知識とは何か?

石川 あー、それはよく言われますが、自分ではそういう認識はないですね。まず言っておくと、僕は本屋が苦手です。何故かと言うと、本屋へ行くと「こんなにまだ自分が知らないことがあるのか」と思って絶望するからです。そして、これをいつか網羅できる時があるのかと考えて、また絶望する(笑)

松田 ということは網羅したいのですね?

石川 したいのです。一方で、もう一つの悩みは、勉強すればするほど片っ端から忘れていくという悩みもあるのです。

情報を読む、見る、理解するという勉強の仕方だと実は知識って溜まらない。知識を溜めるには、自分がまず不思議に思わなければ駄目なのです。

不思議に思ったことと言うのは絶対に忘れないですよね。「これって不思議だな、なんでなんだろう、こうなっているのではないか」という仮説が出た段階で初めて情報を取りにいく。

すると、それは知識になるのです。きっと自分が知識を忘れないこととか、ずっと覚えていることが大事なので、そうなると不思議に思うことというのが大事なのですが、不思議に思うためには「普通だな」とまず思わなければ駄目なのです。

普通なのが実は普通ではないね、という普通に対する感度というのが大事。普通なことが普通ではなかった時に不思議だなとなる。

「普通」とは何か?

松田 自分なりの「普通」の定義が必要になるのですね?

石川 ええ。たとえば、ニュートンはリンゴが木から落っこちるのを見てびっくりした。この感性なのです。

例えばアインシュタインが一般相対性理論を思いついたのは、何を不思議に思ったか。自由落下している時、高いところから人が飛び降りた時。その自由落下をしている人は、重力を感じないのではないかと思った。

立っていると重力を感じるのですが、自由落下している人は重力を感じないのではないかというところから、彼は十数年後に一般相対性理論というのを考える。

あるいは、光を光のスピードで追いかけたらどう見えるのだろうかというのを15歳くらいの時に考えて特殊相対性理論というのも作った。

このように、みんなが「光だね」「落ちるよね」というようなところを不思議に思う力というものが必要なのです。

松田 それでは、普通を認識して、それが何故だろうと不思議に思うと、そこで初めて知識を取りに行くという感じなのですか?

石川 そうですね。そこで、自分のイマジネーションとインフォメーションが結びつく。自分のイマジネーションを働かせた段階で、インフォメーションを入れると、そこで初めて知識というものになっていくわけです。

松田 多分、これを読まなければならないとか、この本が出たからとかで読むと、何の下準備もなく情報だけやってくるから、何も残らないという感じですね。

質問者 今の流れで一つ質問なのですが、石川さんの人生の中で、一番自分の中で疑問に思ったことって何だったのでしょう?

そこから得たものも合わせて教えていただければ嬉しいです。

人生の意味とは何か?

石川 あー、それは人生に意味はあるのか、というものですかね。

よく考えていくと、いずれ人類は滅びるし、そもそも太陽系自体もなくなるし、宇宙もいつかはなくなるでしょう。そう考えると、どうせいつかなくなるのだったら、自分の人生に意味はないのではないのかと思った。

そして、基本的に人生などどうでもいいのだというスタンスに立った時に、すごく自由になれて、気楽になれました。

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司会者 お二人の話の中で、「問」の本質というところがありました。当たり前のところに「問」を設定して、すごい法則が見つかったというような。

多分 松田さんも毎日問いを考えていく中で、「問」をどういう形で考えるかというところにも興味があるのですが、その問をセットすることによって得たいことと言うか、何を思って毎日問いを考えられているのでしょう?

松田 その問を作ること自体はあまり意味がないというか、問を作ろうということが目的ではない。

ですから、そこの答えはなかなか出ないのですが、何かしらの関心ごとがあって、その関心ごとの解決に一歩近づく度に「問」が出るだけなのだと思うのです。

石川 そうですね。自分の関心ごとからしか「問」はでないですから。

松田 ただ、中には「問」が浮かびにくい人と、浮かびやすい人がいると思うのです。それは多分いかに関心を持てるかだと思うのですが、多分石川さんは自然に関心を持てるのだと思うのです。

でも、なかなか「問」にたどりつかない人は、どのようにすると関心を持てると思いますか。

石川 実は僕も、「問」に関してはかなりトレーニングをしたのです。というのも、学者というのは基本的に、クエスチョン、ソリューション、プレゼンテーションという三つしかやっていないのです。

最初はソリューションから学ぶ。と言うのは、何が解けるのかということをいっぱい知らないと、「問」が生まれにくいというのはある。

だから、解き方をまず習うのです。そして、次がプレゼンなのです。プレゼンというのは、学者の場合は論文の書き方ですね。

そこでプレゼンまではよく習うのですが、クエスチョンだけはあまり習わない。だから、解いたり、プレゼンするのはスキルアップが容易なのですが、クエスチョン、問の立て方だけは体系化されていないのです。

そこで、僕が見て思ったのは、問を立てるのが上手い人というのは、ロジックがすごく弱いということです。

ロジックに強い人というのは、やはり物事を因果で見やすい人なのです。でも、問というのは因果ではなくて、相関で見なければならない。相関、パターンです。

一見繋がっていないようなパターンでも何か似ている気がすると。そして、因果で繋がっていないからおかしいということになって、「問」がポロポロ生まれてくるのです。

ですから、理屈よりも直感、かなり感覚的に生きている人の方が「問」を立てるのに良いと考えられている。それが、僕が留学していてすごく学んだことでした。

そして、直感的、感覚的な人というのは、喜怒哀楽が激しい人なのです。女性は結構――こうパターン化して言ったら怒られるかもしれませんが――直感で生きているのです。

彼女たちは直感で物事を捉える。だから、喜怒哀楽が激しいというか、様々な感情を自由自在に経験することというのが、実は「問」を生み出しやすいのではないでしょうか。

だから、例えばダウンタウンの松本さんは、いろいろなことに怒っていますでしょう。その怒りを笑いに変えているのですが、そういう観点で見ると、僕はあまり怒りという感情は持たない。

それによって何か見れなくなっているものがあるなとは思った。政治に対して怒りを持つと、政治のことについて知りたくなりますでしょう。

怒りを持たないと、興味を持たないことについては知ろうとしない。そういう意味で言うと、「問」を生むためには情緒が豊かであることが必要なのでしょう。

松田 なるほど。身近なことに関心を持つためには、元々感情的に生きているというところが必要だと?

石川 そうですね。いろいろな感情でもってそこを見るということです。そこは気をつけています。

(続)

編集チーム:石川 翔太/井上真吾/小林 雅/渡辺 裕介

続きはこちらをご覧ください:「問」を考えることの意味

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