ダボス会議への出席やローマ教皇への謁見など、世界で活躍する退蔵院 松山大耕さんに、ICCカンファレンス KYOTO 2016に登壇頂くにあたり、特別インタビューをさせて頂きました。4回シリーズ(その2)は、松山さんが大学卒業後、経験した修行時代についてお話し頂きました。普通では知ることのない、お寺の修行生活が壮絶です。是非御覧ください。
登壇者情報
2016年5月17日 インタビュー実施(場所:退蔵院)
ICCカンファレンス KYOTO 2016 登壇者 特別インタビュー
(語り手)
松山 大耕
臨済宗妙心寺退蔵院 副住職
1978年京都市生まれ。2003年東京大学大学院農学生命科学研究科修了。埼玉県新座市・平林寺にて3年半の修行生活を送った後、2007年より退蔵院副住職。外国人に禅体験を紹介するツアーを企画するなど、新しい試みに取り組む。外国人記者クラブや各国大使館で講演を多数行うなど、日本文化の発信・交流が高く評価され、2009年5月、観光庁Visit Japan大使に任命される。また、2011年より京都市「京都観光おもてなし大使」。2016年『日経ビジネス』誌の「次代を創る100人」に選出される。2011年には、日本の禅宗を代表してヴァチカンで前ローマ教皇に謁見、2014年には日本の若手宗教家を代表してダライ・ラマ14世と会談し、世界のさまざまな宗教家・リーダーと交流。2014年世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席するなど、世界各国で宗教の垣根を超えて活動中。著書に『大事なことから忘れなさい~迷える心に効く三十の禅の教え~』(世界文化社、2014年)『こころを映す 京都、禅の庭めぐり』(PHP、2016年)がある。
(聞き手)
小林雅
ICCパートナーズ株式会社
その1はこちらをご覧ください:「勝手に将来が決まっているのが嫌だった」退蔵院 松山大耕氏の青春
小林 大学で研究されて、その後はどうされたのでしょうか? 就職されたのですか?
松山 いやいや、就職せずに、いきなり修行に行ったのです。
小林 もともと、「寺を継ぎたくない」という話だったと思うのですが・・どういう転機があったのでしょうか?
人生の転機
松山 転機は2つありました。
1つは、(東京大学の)文科Ⅱ類にいるころなのですが、やっぱり周りの環境に影響されて外交官をやろうかとか、弁護士をやろうかとか、若干思ったことがあったのです。
ただ、ダブルスクールしている友人たちを見て、ある日突然「これ、自分じゃなくてもいいな」と思ったのです。
彼らが、そういう道に進めば、世の中は上手く回るけれども、私はお寺に生まれて、檀家さんや御用達のみなさまなどいろんな方々にお世話になったのです。そして、自分は長男ですしね。
そうやって、自分に継いでほしいと思ってくださっている方がたくさんいらっしゃる。
今の世の中、首を切られることはたくさんあっても、望まれてなる仕事はなかなかないなと思ったのですね。
そういうところで一生過ごすのも、大変冥利だなと思ったのが1つの理由です。
もう1つは、農学部に入ってから、長野県に半年住んだときの話です。
長野県の住んだところに、ある妙心寺派の末寺があったのです。その和尚さんは、本当に素晴らしい和尚さんでした。
今の時代に、すごく雪深いところで、冬は3mぐらい雪が積もるのです。その中で、檀家1軒もないのです。観光もやっていない。托鉢だけで生活している和尚さんなのです。
写真提供:退蔵院
こんな時代に、そんなすごい人がいるのかと思いました。こういう立派な人がいるのだったら、この世界は間違いないなと、そう思ったのです。
その2点で、お坊さんやろうかなと思ったのです。
それで、修行道場に入って、3年半修行をしていたわけです。
禅の修行の厳しさ
松山 修行というのも、禅の修行は大変厳しいことで有名なのですが、「聞きしに勝る」というか、聞くのとやっているのと全然違うと思いました。大変なのですね。
小林 大学1~2年のときの、下宿した寺の下働きとは大違いということでしょうか?
松山 全然違いますね。
本当に、外の世界と遮断されるわけです。浦島太郎なわけです。
まず入門するときには、3日間、玄関でずっと頭を下げて入門を乞います。
その3日間が終わったら、本堂の横の真っ暗な部屋に通されて、4日間ずっと坐禅するのです。
それができたら、始めて入門を許されるのですが、ものすごく、いろいろ考えるのですね。
それは、初関、初めての関門と言うのですが、要は、ずっと1週間、何もしないわけでしょう?
頭下げているか、坐禅しているだけ。だからもう、いろんなことを考えるのです。
「自分には、ほかにも進むべき道があったのではないか?」「なぜ、こんなことをしているのか」とか、ものすごく考えるのですよ。
本当に自分はやる気があるのか自問自答する時間なのです。
その期間の中で、雨が降ってきて、樋から水が流れていくときもあります。
そうすると、その音が般若心経に聞こえてきたりして「これ、このままずっと続けてたら鬱になるな」みたいに思うわけですよ。
そういう、すごく心理的なプレッシャーを1週間目にかけられるのです。それが終わったら、初めて入門を許されます。
写真提供:退蔵院
そして毎朝、3時起き。
1時間、お経を上げる。
2時間、坐禅。
昼間は畑を耕したり、薪を割ったり、草を刈ったり。ご飯も、お風呂も薪ですから。
毎日、毎日、そういう作業をやっていました。
また、夜は9時に一応消灯になるのですが、そこで寝られるわけではなくて。
そこから自分の座布団持って行って、縁側でずっと居残り坐禅をする。
大体、寝られるのは夜中の12時ぐらいになります。
翌朝3時に起きるわけですから、ほぼ3時間睡眠ですよね。
テレビもラジオも、携帯も新聞も、何もない。本も読んではいけない。
プライベートな時間は、トイレの個室だけ。それ以外全くプライバシーはありません。24畳の部屋に20人で寝ていましたからね。
本当に、修行道場でものすごくインテンシブな生活をするわけです。それを3年半やりました。
小林 それは、3年半と期間が決まっているのでしょうか?
松山 決まっていないですね。
それは師匠が、その道場の老師様が「お前、もういいぞ」と言うか、もしくは、自分のお坊さんとしての師匠が「もうそろそろ帰ってこい」というか、どちらかなのです。
私は3年半で、うちの住職が帰ってこいと言ったので帰らせてもらったのです。長い人は、それこそ15年、20年いたりもします。
大体、3年というのが一つの区切りになります。
写真提供:退蔵院
小林 20人というのは同期というか、同じような時期に入ってくるのでしょうか
松山 お堂が20人というだけで、ほかにも役割があるのです。
例えば、老師様の付き人だったら、老師様のすぐ近くにいなければいけないし。
全体で40人ほどでした。
小林 ちなみに、ドロップアウトしていく(辞めていく)人っていらっしゃるのでしょうか?
松山 いますよ。
大体、3分の1ぐらいドロップしますね。最初の半年でドロップする人はドロップしますね。
私の同期が10人いました。10人の中で4人逃げて、結局3人帰ってきたのです。でも、その3人は最後までちゃんとやりました。
小林 厳しい世界ですね。
松山 そうですね。
それで、3年半修行をしました。
埼玉県から中山道を歩いて京都に戻る
私、埼玉で修行をしていたのですが、古式ゆかしいルールに乗っ取って、一人で歩いて(京都の退蔵院まで)帰ってきたのです。
中山道 (出所:五街道 Googleマップ)
小林 そういうルールがあるわけですね。
松山 昔から、修行が終わった際には行脚して帰ります。東海道はちょっと面白くないなと思って、中山道を帰ってきたのです。
京都まで歩いて28日かかりましたね。歩く、特に一人で歩くというのが、ものすごく修行になると言われて、帰ってきたわけです。
実際そうで、ものすごく自分の弱さが見えるのですね。歩き始めて5分で後悔しました。
なんで後悔したかというと、まず遠い。600キロぐらいあるのです。そして荷物が重い。
要は、今まで1回も通ったことがない道を一人で行くわけです。ものすごく不安なわけですね。泊まるところもないでしょう。
食べるものも、恵んでもらうか、お布施で頂いた中から、お蕎麦買わせてもらったり、そういうことをするわけではないですか。
交通機関も使えない、その中でずっと一人で帰ってきたのです。
ちょうど2日目に台風に直撃されて、暴風雨の中30キロぐらい歩いたことがありました。
ワラジですから、足が血だらけになりますし、トラックとかが来たら、バシャーンと、上から下までズブズブになります。
その中、たまたまたどり着いたお寺がありました。
「有難い」の意味を知る
初対面でしたが、そのお寺の和尚さんに「すみませんけれども、こんななりですが一晩なんとか泊めていただけませんか」とお願いしました。
そうしたら「よう来た」と言ってくださったんです。
まだ10月でしたが、ストーブを出してくださって、衣を乾かしてくださって。温かいお風呂に入れて、店屋物で天丼をとってくださって。
もう、涙がブワーッと出てきたのです。
「有難い」という感覚はこれだと、心の底からわかりました。
「有難い」というのは、「有ることが難しい」と書きますが、本当にそうだなと思って。
有ることが難しい、つまり「無いから有難いんだな」と思ったのです。
写真提供:退蔵院
お腹いっぱいのときにフレンチのフルコースを食べてもきついだけですが、お腹減っているときに、おにぎり1個食べたら美味しい。
誰でも分かるのですが、それはやってみないと分からないです、本当のところは。
そういう経験をさせていただきました。
あとは、例えば、歩いて帰ってくる途中に唾を吐きかけられたり、「うるさい」と怒鳴られたこともあったのです。
しかし、ステキな出会いもたくさんありました。峠道を歩いているときに、ハーレーに乗っためっちゃいかつい兄ちゃんが、横に停まったのです。
「うわ、カツアゲされるのかな」と思ったら、「ドネーションしますよ」と言って、500円を喜捨してくれたり、裸足で行っていますから、おばちゃんが靴下持って来てくださったり。
皆さんの愛で歩かせていただきました。
帰ってきて1つ思ったのが、もし仮に「自分がスニーカーを履いて、リュック背負って行っていたら同じ経験ができただろうか」ということです。
絶対、できなかったですね。
この皆さんのお気持ちは、自分自身に対してではなくて、この衣に対するものだなと思ったのです。もちろん、仏陀のすごさであり、あとは今までの諸先輩方の修行の賜物です。
そういうことをすごく感じました。それがちょうど10年前です。
そこから、今、退蔵院の副住職をさせていただいています。
写真提供:退蔵院
小林 今、いろんなメディアとか書籍で、ご活躍を目にするようになったのですが。
そのきっかけとなった出来事というのは何だったのでしょうか?
(続)
編集チーム:小林 雅/榎戸 貴史/戸田 秀成/根岸 教子
続きは 「ローマ教皇に会え」「ダボス会議に行け」退蔵院 松山大耕氏の”なんとかする力” をご覧ください。
【編集部コメント】
続編(その3)では、いよいよ、ダボス会議への出席やローマ教皇への謁見といった機会について、きっかけとそこから得た学びをお話し頂きました。大変貴重なお話でした。是非ご期待ください。感想はぜひNewsPicksでコメントを頂けると大変うれしいです。
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