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ジャパンハートの創設者で小児外科医、𠮷岡 秀人さん。ジャパンハート公式YouTubeチャンネル内でのシリーズ『秀人の部屋』の収録が、2023年11月、ICCパートナーズオフィスで行われました。対談形式で行われるこの企画の第2回目ゲストは、元競泳日本代表で、現在スイミングアドバイザー/スポーツコメンテーターとして活躍する岩崎 恭子さん。YouTubeでも公開中のこの対談の書き起こし記事を全2回に分けて公開します。第1回目は、ふたりの出会いから、それぞれのプロジェクト、「幸福論」まで。自分が世の中にできることは何かを考える、すべての人に読んでいただきたい内容です。ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット KYOTO 2024は、2024年9月2日〜 9月5日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページのアップデートをお待ちください。
この記事は、こちらのYouTube映像の書き起こしから構成しています
【ジャパンハート、𠮷岡 秀人さんの記事】
▶【保存版】「何のために生きるのか?使命感とは何か?(ジャパンハート吉岡秀人 特集)」(全7回)
▶大切なのは、手放すことを恐れないこと(ジャパンハート吉岡秀人)
▶ミャンマーでの医療活動は自分との約束を守るため(ジャパンハート吉岡秀人の人生)
▶10年かけてでも、心臓病に苦しむミャンマーの子どもたちを救いたい(ジャパンハート吉岡秀人)
▶虫の息になって死んでいく小さい子供たちを救いたい(ジャパンハート吉岡秀人)
ICCサミットは、ジャパンハート𠮷岡 秀人さんの活動に共感し、応援したいという思いから、2024年4月4日、チャリティディナーの開催を予定しています。
岩崎 恭子さんが衝撃を受けた、𠮷岡さんとの出会い
𠮷岡 秀人さん(以下、𠮷岡) よろしくお願いします。
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𠮷岡秀人(よしおか ひでと)
ジャパンハート
創設者/小児外科医
1965年8月12日生まれ、大阪府吹田市出身。大分医科大学(現 大分大学医学部)卒業後、大阪・神奈川の救急病院等で勤務。1995年、単身ミャンマーへ渡り医療支援活動を開始。その後一時帰国し、2003年からミャンマーで活動を再開する。2004年に国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立。2021年12月 「第69回菊池寛賞」受賞。毎日放送(MBS)『情熱大陸』には3度出演。
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▶𠮷岡 秀人プロフィール詳細(ジャパンハート)
岩崎 恭子さん(以下、岩崎) よろしくお願いいたします。岩崎 恭子です。
▶岩崎 恭子(スポーツビズ)
𠮷岡 前回、小松成美さん(ノンフィクション作家)から、今回岩崎さんをご紹介いただきました。岩崎さんと小松さんのご関係を最初にちょっとだけお伺いさせてください。
▶【『秀人の部屋』小松成美×𠮷岡秀人 Part1】~波乱万丈な人生、何が大切か~(YouTube)
▶【小松成美×𠮷岡秀人 Part2】~人生に本気で向き合う~(YouTube)
岩崎 小松さんはスポーツライターもされていらっしゃるので、ずいぶん前からもちろん成美さんのことは存じ上げていたんです。確か5~6年前に取材をしていただいて、その後は共通の友人などもいて、一緒にお食事をさせて頂いたりしていました。
そこで「秀人先生のジャパンハートに恭子ちゃん、興味ない?」という話を聞いて、私、NHKの『最後の講義』に出ている先生を拝見したんですよ。すごく感動して、先日、先生のイベントをご一緒させていただきました。
𠮷岡 ありがとうございました。
岩崎 最初に先生の話している姿を見たのが『最後の講義』だったので、すごい迫力があったんです。心の中にズドーンと言葉がどんどんどんどん入ってきて、私は全部メモを取っているような状態でした。
お医者さんはとても寡黙な方もいらっしゃいますが、先生の言葉のチョイスが素晴らしくて、だからこそ発信できるっていうことがあるのかなと思います。
人の命へのストレスに、いかに対処するか
岩崎 お医者さんはとても寡黙な方もいらっしゃいますが、先生の言葉のチョイスが素晴らしくて、だからこそ発信できるっていうことがあるのかなと思います。
𠮷岡 おそらくですが、日本の医者の中で一番、僕が人の死を見送っている医者の一人だと思うんです。
その中でも多分一番理不尽というか、小さい子どもが治療を受けられなくて死ぬとか、国が戦闘をしていて病院に通えなくて亡くなっていくとか、治療そのものがまだ広がっていないとか、いろいろな原因で、大人もそうなんですけど、亡くなっていく人たちを一番見ているのが僕なんだと思うんですよね。だからその分考える機会も悩む機会も多かったような気がするんですね。
逆に、治療しなければ長く生きる子も結構いるんですよ。例えば、このままだともうどうせ死ぬから何とかしてあげたいと思って治療するでしょう? それがかえって子どもを早く死なせてしまうことって結構あるんですよ。
後でやらなきゃよかったと思うこともある。やらなかったら治療による痛みにもあわないし、どのくらいの長さになるかわからないですけど、少しでも長生きしたのになみたいなこともある。親は治療したことで救われているかもしれないけど、子どもに関してはまた別じゃないですか。
だから多分、多分ですけど、助けようと思って死なせてしまった数というのは、僕は断トツだと思うんですね。
そういう環境の中にいるので、多分悩むことも落ち込むことも多いし、日本ではなかなか味わわないような苦労をすることもあるんです。それを言葉にできないと自分の中で得体のしれないストレスになって、溜まり続けるんですね。
それが言葉にできることによって客観視できるんですよ。僕らの中にあるものって外に出して客観視さえできれば、それに対処できるんですよ。
例えば、僕に胃がんができたとして、それがわからないと得体のしれない痛みに襲われ続ける。でも検査とかしてそれが胃がんだということを発見できれば初めてそこで対処できるじゃないですか。そういう感じになっているんですね。
だから、より具体的に言語化して自分の前に出すことによって僕はそのストレスに最後まで押しつぶされないで済むんですよ。なぜならば対処できるから。
これができないと人はずっとストレスをため続けて得体のしれない苦しみを味わい続けると思うんですね。だから多分僕が今までそういう目に遭いながらも、そういう目に人を遭わせながらもやってこれた理由っていうのは、多分言葉にできたからだと僕は思っています。
一生懸命に生きて受ける向かい風で、飛び上がることができる
岩崎 それは自分で、いつ気がついたんですか?
𠮷岡 それは40代ですね。40代で気がつきましたね。
岩崎 でもそのもっと前から、そういう経験もされてるじゃないですか。
𠮷岡 そうですね。
岩崎 それはやっぱりその中で悩みながらっていうことですか?。
𠮷岡 そうですね。悩みながらですね。
人生っていうのは常に苦しいことがメインじゃないですか。大変なことのほうが多いし。だけど、だから悩みながら行くしかないんですね。だけどこれもいつも思ってるんですけど、結局僕らは一生懸命生きるしかないんですよ。何にぶち当たっても一生懸命やることしかできない。
その結果どういうふうになるかわからないじゃないですか。うまくいくこともあればうまくいかないこともあるんですけど、でも少なくとも苦しみを経験すると、辛い思いとか、世の中の反発を買うとかっていうのは一生懸命生きている人間にしか起こらないことだと僕は思ってるんですよ。
一生懸命走ってる人間には強い向かい風が吹きますけど、歩いてるような人間に向かい風は、その風の強さしか受けない。でもその向かい風が無いと、飛行機が上昇気流に乗って飛び上がらないように、僕らの人生もやっぱり同じようになってると思っているんですよ。
だからとにかく僕がいつも気をつけてることは、一生懸命生きることだけなんですよ。
この地面にいる時はすごい苦しみで辛かったんだけど、上昇していくにしたがって見える景色が変わっていくじゃないですか。
それと同じように今まで思っていたこの景色が全然違うものに、意味の捉え方ができたりとか、その向こうにあるいろんなことが見えたりとかし出すんですよね。例えば、子ども達を死なせてしまったから、今こういう形のものを作っていこうと考えたり、それで助かっていく子が出てくるでしょう?
岩崎 はい。
𠮷岡 そうすると子ども達を死なせてしまったという経験が無駄にならないじゃないですか。人の命に変わるから。
その景色を見れるかどうかは、その時自分が浮かび上がれるかどうかにかかってるっていうのを体感値としてわかってきたと思うんですね。
だからしんどくても一生懸命前に向かって走るということは続けています。
あとは逆に、最初からうまくいっているようなことは僕は本当にヤバいなと思って生きているんですよ。要するに後ろから風が来ているような状態っていうのは常に「やっぱりなんかうまくいかないのかな? これは」って思いながらすごく警戒します、逆に。
岩崎 逆に。
𠮷岡 逆に警戒するんですよね。
岩崎 それはもともとあった先生の性質ですか?
𠮷岡 うーん、どうなんですかね。僕は例えば、僕の言葉が人に影響を与えるとしたら、それはその中に僕は芯が通っている言葉を出せるからだと思うんですけど、芯というのは鉛筆の芯みたいなものも言いますけど、神とも書くことができて、それは僕の体感値だからと思うんですね。
人生はすべて体感値じゃないですか。例えば、悟りというものを体感できないと悟りを語れないように、すべてが感覚的なことなんです。
幸せも体感値じゃないですか。だから、その体感値を伴っているから人に伝わるんだと僕は思っています。
それはその人の中に、別の僕の話を聞く人の中にある、それを感受するものがなければ絶対話は伝わらない。僕の言葉が岩崎さんに伝わったとしたら、それは岩崎さんの中に同じものが存在していて、それに多分僕が、そこが共鳴しているだけだと思うんですね。
だからそこに共鳴できる人は、例えば、人を助ける、僕みたいな医者になって助けるとしたら同じことができると思います。
岩崎さんが「着衣泳」プロジェクトを始めた理由
岩崎 私は競技をしている時から、目の前にあることを一生懸命やることしかできないんです。それをやってきて、もう引退だなって自分で決めて次に何ができるかなと思った時に、ちょうど水泳のイベントでレッスンをしてくださいと言われる機会が大学在学中にあったんです。
その時に、自分も教えられて育ったから伝えることはできるだろうって思ったんですけど、それこそ体感しているものを言語化するのがとても難しくて。
𠮷岡 難しいんですよ。
岩崎 そうなんですよ。こうしてああして、みたいな感じで、身体を支えてあげたり。
体の力を抜かないと、人間は浮かないんですけど、この子はここまで力が入ってるなとかっていうのはわかるので、そういうふうに表現しながらだったんです。
今まで自分が速く泳ぐことしか考えてなかったんですが、人に伝えることができるのはすばらしいことなんじゃないかなってちょっと気づいたんです。
今までもちろんたくさん応援してもらったし、私が行くことで喜んでもらえるならということで伝えることを始めたんですけれども、すごく常に勉強になりますし、自分が選手として泳ぐのとは全く違うもので、自分のことだけ考えていればいい選手のほうがよっぽど楽だなって思いました。
その中でたまたまテレビの企画で、夏だったんですが、溺れないようにするためにはどうしたらいいかというので、オリンピック選手でも洋服を着たまま泳げるのかっていうのを参考例としてやったんです。
ワンピースを着てピンヒールを履いて、海上自衛隊の波の出るプールでバシャンバシャンやられて。これ、私じゃなかったら多分大変だろうなと思いながら、ちょっとお水も飲みながら経験したんですけど、初めての経験で、命を守ることって、競泳より大事なんじゃないかって初めて気づいたんです。
もちろん人より溺れない確率は低いとは思うんですけど、私は静岡で育って、海でも川でも遊んでいたので、危ない思いもしたことがあって、自然には逆らえないことを知っていました。自然に恵まれたところにいたのに、こういうことを知らなかった自分が恥ずかしかったんです。
競泳選手だった私だからできることがあるんじゃないかなと思ったのが20年も前なんですよ。
それをやっと最近形にすることができまして、「着衣泳」を広めるプロジェクトっていうのを作ったり、命を守るために水泳をやるという項目で小学校とか水泳をやるんですけど、今はそこが全く伝わってないんですよね。
▶岩崎恭子が『着衣泳を広めるプロジェクト』を発足(スポーツビズ)
泳ぐイコール競泳で、速く泳がないといけないっていうふうになってしまっていて、それだけではいけないのではという気づきから、この活動をするようになりました。
オリンピック選手になるとかそういうのではなくて、両親が、私が海でおぼれないようにとか、強い体を作ってほしいという思いがあったんですね。
私の父は、私が3歳か4歳くらいの時に急性白血病になってしまって、当時はまだ治る病気ではなかったのですが、薬がちょうど合ったというのもあって、今まだ元気に生きていてくれています。でも私が小さい頃の写真を見ると、抗がん剤で髪の毛が抜けていたりします。
私は三姉妹なんですけど、まだ小さい子が3人もいるのに、父は自分も闘いながらとか子どもを育てなければいけないと思った時に、やっぱり元気な健康な体を作ってほしいという思いがあって、水泳を習わせてくれたんです。
だからまず自分を大事にするというか、溺れないためでもあるし体も強くなるために始めたのが、水泳だったのかなと思いますね。
𠮷岡 いいですねえ、でも、なんか繋がっているんですよね、多分ね。
岩崎 そうですね。
あなたが世の中に与えられるものは何か
𠮷岡 僕らだったら医療者になる時に、人を助けたいと思ってなるじゃないですか。でも自分が世間から評価されたりゴッドハンドなんか言われ出したら、もうそっちのほうがメインになって勘違いしてくるじゃないですか。でも元をただせば人を助けたいという気持ちがあってやり続けているんです。
技術は時代とともに変遷するじゃないですか。これ僕いつも言うんですけど、人を助けたい気持ち、困ってる人を助けたいとか病んでる人を助けたいって思う気持ちはもう、昔から変わらない。
だから数千年前の人も僕らも一緒なんですよ、きっと。こういうものが伝わると僕は思うんです。こういうものだけは、時代がどんなに変わっても継承されるものなので、そこのオリジンを忘れると人は離れていくことになると思うんですよ。
これは僕の持論なんですけど、世の中に自分が与えるものがなくなった時、自分の周りには自分より年上の人しかいなくなるって僕は思ってるんですよ。
人に与えるものがある人の周りには、年齢関係なくいろんな人が集うようになると思うんですよ。
だから多分ここから岩崎さんがそれをやられてて多分ずっと自分の周りにそういう人たちが、いろんな年齢層の人がいれば、岩崎さん自身がきっと、世の中に十分与えるものがあると思うんです。
社会の在り方としてというか、人間としてはいろんな年齢層の人が周りにいるべきじゃないですか。その中で人間は自己を規定していくので。
だから、岩崎さんが一生そういう影響を与えるというか、世の中にいい影響を次の世代に与えるためのすごいツールなんだと思うんです。
僕は10代の時に医者を目指したときに思ったことがあって、それは何かって言うと、すごく影響を受けた言葉なんですけど、「地位とか名誉とかお金は、それを求めてはいけない。それは世の中に自分がそれを使って、世の中に何かをするために自分が手に入れるもの、与えられたものである」というスタンスなんですね。
この言葉に僕は10代で非常に影響を受けて、以後そういうふうに生きようと思ってやってきたんです。僕の技術もそうだし、岩崎さんのオリンピックで優勝したという経験もそうなのかもしれないです。それは世の中に岩崎さんが多分何かを与えるために与えられたものだという、僕はそういう解釈をするんですね。
我欲だけでは、幸せになれないと気づいた
𠮷岡 ただ、お金もそうなんですけど求めてはいけないって戒めながら生きているんですけど、人間だから弱いからすぐそっちのほうに引っ張られる。でもその言葉があるから、いつも寄り戻して引き戻して中道を生きていくというか、そういうふうにして今までやってきたという感じです。
人間が欲をなくせないというのは、当たり前のことなんですよ。この事実に突き当たって、欲をなくせないんだけど、どうしたらいいのかと思ったときに、それはコントロールできるだけの大きさの欲にしておけばいい。
つまり、100の欲があって20でコントロールしたらそれを半分ずつにしていく。そして20以下だったら、たとえば12.5にしてしまえば欲はコントロールできている。でも人間だからまた欲が出て来て、それは20を超えて25,30になってくる。そのたびに欲を鎮めるっていう行動を常に持続的にしていけばいい。こういう癖をつけてるんですよ。
人間だから絶対欲は膨らむ。膨らむんだけど、ああ、この欲が自分の中に最近出てきたなと思うと、ああ、そうかと思って、今はこういうことに気をつけて、この欲を鎮めないといけないんだなと考える。
珍しいことに、先日僕、アジアでは全然なかったんですけど、日本国内のホテルでお金を盗られたんですよ、6万円くらい。部屋の中でした。
盗られたときに悔しいじゃないですか。一応ね(笑)。
最初は悔しいって思うんですけど、次に僕はもっとお金を何かのために使っておけばよかったなと思うんですよ。
同じ6万円を盗られるんじゃなくて自ら必要なものに投下しておけば、それは寄付でもいいし、別に多分スタッフにご飯とかでもよかったのかもしれないんですけど、そういうことに使っておけばよかった。そういうことを最近意識してなかったんじゃないかって、はたと思ったんです。
逆にお金が出て行ったから、今度、これから近い将来入ってくるんだろうなと思ったし、それは僕の所に入って来なくていいんですけど、ジャパンハートの所に入って来たらいいんですけど、1つの物事をそういうふうに捉えられるようになったんです。
このことの意味をただ損した、失ったじゃなくて、盗られたじゃなくて、解釈が変わってきたんですよ。多分同じことが起こっても見える世界が多分全然違う世界になってきたんですよ。
そうやって身の周りに起こるいろんなことを、ただ、その事象が起こったと解釈しないで今自分のそういう欲とか、あるいはルーズにしていたこととか、それと結び付けて、起こったことによって今そこに気づかないといけないんだなって思うようになってきた。
だから周りからは自分が生きていて、一生懸命生きていていろんなことが起こってくるんですけど、そのことを自分のそういう内面的なことに結び付けて、それに対してそのつど対処していくということをやっています。
岩崎 そういうことをしていけば欲だけにならなくなっていくっていうことですか?
𠮷岡 だと思いますね。
欲っていろんな欲があって、欲があること自体は悪くない。その欲を、我欲にしてしまうか、そうしないかっていうだけの違いがあるんですね。お金が欲しいとか威張りたいとかっていうのは我欲じゃないですか。
自分は、それでは幸せにならないんだなと思って、もうちょっと違う欲を持つようになっているんです。
それが僕にとっては人の命であったり、周りのスタッフの喜びであったりとか、そういう欲に変えていますね。そうすると直接自分の所に来ないので、自分が腐らないというふうになっていますね。
それを喜びと呼ぶと、まあそういう欲ですね。
岩崎 本当に思っていることが同じって言ったら先生に申し訳ないんですけど(笑)、本当に私もそうなんですよ。例えば、最近、些細なことがあって、この前たまたまタイヤがパンクしてしまったんですが、ちょうど時間もあったときで良かったとか、そういうふうにすごく思えるんです。
今パンクしたのは、今だからパンクして多分それはいろんなことがあったんだろうなと思えるので、先生のおっしゃっていることが全部、そうなの、それですって、腑に落ちます。『最後の講義』の時もそうだったんですけど。
自分自身が積み重ねていくことと訓練を勝手にできているっていう感じでしょうか?
𠮷岡 多分そういうことなんだと思うんですよね。
お金を稼ぐより難しい、幸せになること
𠮷岡 意識が進化していかないとなかなか幸せにはなれないと思うんです。お金を稼ぐことは多分10代でも20代でもできるんですけど、僕はこれも、本当によく子ども達にも言うんですけど「幸せになるのは難しい」って言うんですね。
一生懸命生きて、本当に幸せになれるのは30代、早くて。
普通は40代以降だと僕は思っています。
幸せになるために僕らは生きているわけですね。言ってみれば、そういうのを体感するために生きているんですけど、どういう状態を幸せと認知するのかということになるじゃないですか。
それはもしかしたら美味しいものを食べていることかもしれないし、その人の、それぞれなもので、分からないです。
でも究極を言うと、自分が近い将来死ぬって分かった時に、これが幸せだと言えるものが、多分究極の幸せなんですね。それはおそらくきっとおいしいものを食べることではない。例えば、家族や、恋人と本当にいい時間を過ごすとかかもしれないですね。あるいはすごくやりたいことをやっていることなのかもしれない。
人間というのは、いろんな周りの人たちによって支えられるように規定された存在だから、おそらくそういうものをしっかり感じられる状況こそが、僕らの幸せなんじゃないかと思います。
例えば、すごく周りの人たちが自分のことを信頼してくれているとか、それは家族も含めてですけど、すごい必要としてくれているとかすごく大切にしてくれているっていう、この状態が僕らが多分幸せと感じるものなんじゃないかなと今は思っています。
その状態を作るにはどうしたらいいかと考える時に、まさにその人たちがそう思ってくれるように自分が生きていないとなれないじゃないですか。それは一言で言うと、周りを大切に家族を大切にし、幸せにしていくことが積み重なれば、そういうふうに気がつけばなっているっていうこと。
だから時間がかかるんですよね。お金で買えるものは、そのわずか一部でしかない。自分を支えてはくれません。
僕は医者であるとか、あるいは会社の社長であるとか、教師であるとか、全部それをなすための手段じゃないですか。
そういうものを使って、自分が世の中に働きかけて世の中から最終的にそういう状態を達成させてもらうというか、その状態をずっと続けて生涯いけたら幸せだと、僕は思っているんですよ。そういう感じで生きられたらいいって単純に思っていて、今、結構自分もそういう状態になっているんです。
いろいろ求めるけれど、それはそれでプロセスの一部だから素晴らしいことだと僕は思っているんですけど、だけど本当に幸せになってほしいと思っているから、子ども達に、すごく大切なことは周りの人たちとか世の中を幸せにすることなんだよっていうことを伝えていますね。
評価される・されないというのは本質的じゃない
岩崎 私も自分がインタビューで「今まで生きてた中で、一番幸せです」って言ったものですから、やっぱりその後、2番めに幸せだったことなんですか?とか聞かれたりとか、自分で幸せって何なんだろうというのを二十歳前後の時、すごく考えたんですね。
そんな時にたまたま相田みつをさんの「しあわせは いつも自分のこころがきめる」というものを見て、ああこれだってなったんですね。やっぱり幸せって自分でちゃんとしっかりと噛みしめるものだなって、人と比べるものではない。
𠮷岡 そうですね。
岩崎 そこまでだったんですけど、この後というのが、自分を大切にして人を大切にするということが幸せにつながるっていうのを、今すごく実感して。
𠮷岡 多分、幸せってこれもその時の体感値じゃないですか。
今まで味わったいろんな幸せがあると思うんですけど、それを、今思い返すことしかできない。思い返すときに記憶はあっても体感がない。だから今、幸せじゃないと幸せじゃないんですよ、人間。
例えば、過去めっちゃ幸せだったとしても、今幸せじゃないと人間っていうのは幸せな人生だと思えないんですよ。だから多分僕らはずーっと幸せを持ち続けないといけないんですよ。
その方法は年齢とともに変わってくるし、それを保つためにどうしたらいいかっていうのを考え続けないといけないってことです。
何かをやり続けないとその幸せを得られないんじゃないですか。それをやるための道具がそれぞれの人に今与えられているものしかないので、それを使ってやるというだけの話だと思うんですね。
だからこれも僕が40代、50代になってたどり着いた心境ですけど、やっぱり人生っていうのは後半よくならないといけない。年取るにしたがってやっぱりよくならないといけないですね。
仮にですよ、70代、80代、もし岩崎さんがボロボロになって、この後すごく不幸な人生を歩むとするじゃないですか。
そうしたら多分若いときの自分を過度に評価してすがるか、あるいは周囲を否定するんですよ。だけど若いとき、例えば、僕がゴミを漁るような生活をしていたとしても、年をとった時に本当にいい仲間と幸せないい家族に囲まれて生きていたら、自分の人生はこれで良かったんだと思います。
死ぬときに自分の人生を全肯定できて死ねます。だから年をとっていくにしたがって、人生は良くなっていく必要があって、そのためにはやっぱり積み上げというか積み重ねが必要だし、そのためにはずーっと同じように世の中のために何かをし続けられる自分であり続けたほうがいいと思うんですね。
だから今、水泳をやってこられてそれを使って、今、世の中で発信されているじゃないですか。これって一生続けられるんですよ。もう一生岩崎さんは幸せになるツールは手に入れているんですよ。
あとはそれを続けていくだけ。それが世の中にとって評価される・評価されないっていうのはさっき言った別の次元の話です。結果的に評価される、評価されないっていう部分は本質的じゃないんですね。
大切なのは、今言ったような形でそれをやり続けて世の中をすこしでも幸せにしていこうとする姿勢と言うか、その行動にあるんじゃないかなって僕は思うんですね。
孤児院に暮らす子どもたちに伝えること
岩崎 幸福度が今、世界的にも日本はすごく低い。こんなに恵まれている国なのに、私はどうしてだろうとすごく思うことがあって、それってなぜだと思いますか?
𠮷岡 僕は2つあると思っていて、まずギブアンドテイクを教えたから。ギブアンドテイクばっかりしか教えていないからですね。もう一つは与えることを教えていないからだと思います。
僕らの上の世代の人たちより、今は少なくとも僕らの世代の人たちのほうが与えることを学び始めています。だから多分幸せになる可能性が高いです。
これは僕の考えですが、貧しい国のお金が無い人たち、みんな子どもの目がキラキラしてますねってよく言うんですけど、彼らは基本的にあんまりギブアンドテイクできていないんですよ。お金がないからです。だから持っている人があげるっていうだけの話です。
そしてお金をちょっと持っている人から奪おうとする。人間の本性でもあります。でもお金のない人たち、本当に貧乏な人は助けるんです。関係性がギブアンドテイクじゃないんですよね。
お金って、ギブアンドテイクじゃないですか。100円のお金を出したら100円のものを手に入れるっていうだけの話で、そこで120円の価値のあるものを手に入れたら得したと思って喜んでいる。
こういうギブアンドテイクを親がやって子どももそのように損得で生きさせるから、子どもはいつまでたってもそこに付加価値を見てしまう。
100円を払って100円のものを手に入れればそこで価値は消滅するでしょう? そこに付加の価値は生まれないじゃないですか。
でも、投資の概念のように、預けて後で利子を受け取る、要するに100円のものを預けて、後で10年後に200円にしてもらってもいいじゃないですか。それが価値を増やす方法になる。
今、ミャンマーで僕らは孤児院みたいなのをやっていて、そこで何百人も生活しているんです。家が貧しくて引き取られてきた子や親が亡くなってしまった子たちで、そこで教育する機会も与えて、勉強ができる子、芸術家になりたい人、あるいはプロのスポーツ選手になりたい人、それをみんなで応援しようと思ってやっています。
▶Dream Train 子どもたちの夢や未来を育む養育施設(ジャパンハート)
彼らに僕が2つ言うことがいつもあって、1つは僕がやっている病院に呼びます。
その時に伝えることは、「今までは君たちは与えらえる対象だった」と。その与えられる対象というのは、社会的には貧しい人たち。ここでこれから君たちは与える練習をしないといけないよ、と伝えます。
それはなぜかというと、将来豊かになっているという現実を作るために、与えるということをさせてるんだっていう話をするんですね。彼らは今までは援助される対象だったけれど、今度は将来は与えるくらい豊かになるっていう現実を作るために呼んでいるんですね。で、その話をするんです。
もう一つ言っているのは、君たちは普通の子どもと違ってこういうところに来て、まあ言ったら普通の子ども達よりはるかに不自由な生活をしている。
普通の子どもは親が子ども2、3人に対して親が1人いて、両親がいて大切にしてもらっている。でも君たちは何百人に何人かしか面倒を見てくれる人がいない。それは君たちにとっては普通の子ども達よりもはるかに厳しい環境、辛い環境の中で生きてきている。
だから将来は、絶対普通の子ども達より豊かになって幸せにならないといけない。
そうでないとあなたたちの人生、損したことになるよと。だから絶対そういうふうになるっていう意思を持って生きていかないといけないって話をしています。
(続)
▶カタパルトの結果速報、ICCサミットの最新情報は公式X(旧Twitter)をぜひご覧ください!
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/戸田 秀成