「大切なのは、自分の小さな欲を手放すこと。それは決して他人の為に手放してるってことでもなくて、実は自分の為に手放してるんだということが色んなところで経験して分かったんです。
本当に「情けは人のためならず」だな、というのはあちこちで経験してるので、手放すことに関して恐怖がないんですよ。それは自己に対する、自分の人生に対する信頼かもしれないんですけど、本当に手放すことでもっと恐らく自分は満たされた状態になるっていうことだと思います。」と語るジャパンハート吉岡秀人の人生の(その4/最終)をご覧ください。
最後は子育てに関してなど講演会の質疑応答を編集してまとめました。
カンボジア病院建設プロジェクトも合わせて是非ご覧ください。
リンク:http://irodorucambodia.org/
2016年3月14日開催 ICC SALON「ジャパンハートのこれまでとこれからの取り組み」 (スピーカー) 特定非営利活動法人ジャパンハート代表 吉岡秀人 氏
Part1はこちらをご覧ください:ミャンマーでの医療活動は自分との約束を守るため(ジャパンハート吉岡秀人の人生)
Part2はこちらをご覧ください:10年かけてでも、心臓病に苦しむミャンマーの子どもたちを救いたい(ジャパンハート吉岡秀人)
Part3はこちらをご覧ください:虫の息になって死んでいく小さい子供たちを救いたい(ジャパンハート吉岡秀人)
感じる、気付く、そしてその後の行動が人生を、社会を変える
僕はいつも思うんですけど、日本人はみんなそうなんですけど、すごく勉強好きじゃないですか、すごく蓄えるのが好きなんですよ、すごく吸収するのが好きなんですね。
ですけど、「蓄える」という作業は、銀行の貯金通帳にお金を貯める作業と一緒なんですね。
それは確かに気持ちいいんですよね。通帳にたくさんお金が貯まると気持ちいいじゃないですか、今月200万円貯まった、今月300万円になったって、嬉しいんですけど、その時点では人生なにも変わらないんですよね。
お金は使って初めて人生変化し始めるでしょ。要するに貯めたものを使うということが日本人は非常に下手くそなんですよね。だから社会も変わらない、企業だっていくらお金を貯めたって変わらないんですね。
それは初めて世の中に使った時に世の中が変化していくんですね。だから個人の人生もそうで、貯金している間は人生何も変わらないんです。そしてそれを使った時に人生が変わる。
何事も、僕らの人生もそのままで、僕は道理というのは、何も別にどこかに行って特別なことを学ぶ必要は無いと思ってるんですね。
要は同じ景色を見てても、見てるものが全く違う、感じてるものが全く違うんですね、それが人間のレベルですね。このレベルの差によって人生は変わっていくし、感じるものも違うので。
そういうことに気付いて、今度これをどう移し替えるか、という作業になったんですね。例えば今でもそうですけどこういう僕のやってるような途上国の現状というのはみんな知ってるわけですね。
それを受け取る、そしてそれをそれなりにみんなやるんですけど、何かに変えようとするんですけど、どこで引っかかるか、何をしたいと思うかはその人の個性なんですよ。
だから同じものを見ても僕みたいに行動する人と全く行動しない人がいて、次から次へと情報が来ますからね、人生も進んでいくし、どこで引っかかるかはその人の個性なんですね。
ただ1つ言えることは、社会に対して何かを発信しなければ自分の人生は変わらない。
何かを発信していくこと、言語化することは客観視する大事なプロセス
僕らは恐らく自分の頭でこういうことしたいってあるじゃないですか。
頭の中にあるイメージっていうのは極めて不明瞭なものなんですよね。或いは自分が意識しているものとずれてることがあって、それをアウトプットして自分の前に出さない限りは、実際どういうことを本当に思っているのかわからない。
自分の好きな女性のタイプすら何となくこういう人と思っていても目の前に出さないとはっきり分からない。自分がこういうことに対してこう思っていることも、恐らく頭のなかに入れてる限りは、非常にぼやけてて具体的じゃないんですよ、そしていい加減なんですよ。
出してみたら、「あれ、全然違うじゃん」とか、あれ、ということがいっぱいある。多くの場合そうなんですよ。
だからアウトプットするということは客観視する、ということでもあるんですね。言語化するってことは客観視することでもあるんですよ。とにかく自分の前に考えていることを出してみて、それから修正が始まるんですよ。
自分の頭の中にある状態というのは、この木の原木を前において、どういうものを掘ろうとしてるかというのを想像してるに過ぎない段階ですね。
掘り始めた時に、自分の中のイメージにより近づいていくわけじゃないですか、もっとここは鋭くとか、もっとここは丸くとか、そういうふうに近づいていく。それをやらないといけないんです。
頭の中にある状態であれば、当然何をやっても、その状態の中で生きてる限りは、ずーっとぼやけた人生を歩むことになると思うんですね。だから、自分の中から発信することの大きな意味は、自分の思考をより具体的にするっていうことに尽きると思いますね。
アウトプット出来ない人は、いつも人生がぼやけた状態になると思いますね。だからアウトプットすることはすごく大切なんですよ。
そうすると世間から、要するに世の中にぶち当てると返ってくるわけじゃないですか、その反応が。そしてまたより磨かれていく、ということになると思いますよね。
僕らは自分の中にあるものを、自分で意識出来ないんですよ、鏡がないと。絶対世の中に1回は当てないといけないですよ、じゃないとそれを客観的に見出だせないんで。
とにかく自分の皮膚から外に絶対1回は出さないといけないと思いますね。出した時に恥ずかしいとかいいとか、だって原木をバンって出した時に、何かこの彫刻格好悪いよね、って言われても当たり前じゃないですか。
これから研いでいくんですよ。これから本格的に自分が研いでいって、その時に「これ恰好悪いよね」とか「この木ちょっとね」と言われても当たり前の話しで、それを恥ずかしいとか、ちょっとダメだなとか、イマイチなんじゃないなかとか思うこと自体が僕からしたらナンセンスで、これからなんとでも綺麗になるんだと思いますよ。だから出すことがすごく大切なんだと思います。
大切なのは、手放すことを恐れないこと
僕ら昔から、子どもの頃から「情けは人のためならず」と教えられるんですね。本当にそうだと思ってるんですよ。だけど今は、そういうことを若い人達に教える人が誰もいなくなってきたので非常に残念な状態ではあるんです。
例えば昔、最初にミャンマーに行った頃、ただで患者を診てるじゃないですか。最初は医療団の人達が僕のお金を出してくれてたんです。日本の遺族会の人達ですね。
「吉岡先生は外国人だから、現地人と同じもの食べられないから、毎日外食してください。」、「外で焼きそば食べたり焼き飯食べたりしてください。」、「1食300円、安いですけど300円で1日1,000円飲み物とかも入れてお金を取っておきます」と、「1ヶ月3万円の食費を取っておきます」と言われたんですね。
僕は自分のメシ代ぐらい自分で出したらいいじゃん、と思ってる人間なので、そんなものまでお世話にならなくて、3万円をもらってどうするかなという話なんですよ。
ずっと村々回ってると分かったのが、慢性的な栄養不良の子たちが多いんですよ。3万円あれば1週間で6食、30人~40人食べさせられるんですよ。
村では自分たちでご飯を作ってくれるので、2つの村を選んだんですね。村のボランティアの人達も一緒にご飯を作ってくれて、ボランティアの人も一緒に飯てしてたんですけど、毎週 子どもたちに3万円か4万円でご飯を食べさせることができたんですよ。
僕はあまりご飯も食べる時間もなかったのでご飯をどんどん出したんですよ。そうこうしてるうちに診察してるとね、農家の貧乏な人達なので現金を持ってないんですよ。
そうするとみんな農作物とか持ってきよるんですよ。時々鶏肉を潰して焼き鳥にしたりバーベキューにしたりして持ってきてくれたりとか、ジュースを買って持ってきてくれる人ともいたし、何か色々なんですよね。
気がついたら台所の中が食物で溢れているんですよ。僕はお金とってないんですけど、ほんと世の中ってこんなふうになってるんだな、と思ったんですね。
お金で出したからといってお金で返ってくるかどうかは分からないですけど、言ったら僕たった1人の食費があればいいじゃないですか。
僕たった1人の食費を手放すことが100人ぐらいの子どもたち食費に変わって、栄養失調が治って、病気にならないですね。
気がつけば僕には、最初は小さなお皿1つの料理だったのが食べ切れないくらいの食事になって返ってくるようになったんです。
それは食べ切れないから最初はスタッフに持って帰らせてたんですけど、収まらないからマーケットで売るんですよね。そうするとお金に変わるでしょ。それをまた村に落としていったんです。
こうやって循環するんだな、と思ったんですね。僅かな1人の食費が、食べ切れないくらいの食事とそして自分からの信頼とか、みんなが僕のことを気にかけてくれてるんだという喜びを僕は手に入れることができて、そしてそれがまたこの人達に返ってくる。
そういうふうに世の中なってるんだ、ということを僕はずっとやってきて分かったんですよね。大切なのは、自分の小さな欲を手放すこと。それは決して他人の為に手放してるってことでもなくて、実は自分の為に手放してるんだということが色んなところで経験して分かったんです。
本当に「情けは人のためならず」だな、というのはあちこちで経験してるので、手放すことに関して恐怖がないんですよ。それは自己に対する、自分の人生に対する信頼かもしれないんですけど、本当に手放すことでもっと恐らく自分は満たされた状態になるっていうことだと思います。
再現性をピークにすることが最終到達点
自分の無力感っていうのは常に感じるんですよね。人の命を預かってますから、どんなに努力しても助からない人はいるわけなんですね。
現場がだんだん手に負えなくなってくるんですよ。言ったら徒手空拳(資金・地位など頼るものがなく、自分の身一つであること)で始めたわけじゃないですか。だけどだんだん患者が増えてきたりとか、1人で負えなくなってくるじゃないですか。
頭下げても誰かに手伝ってもらわないといけなくなってくるんですね。そのうち分かってくるのは、1人でやるよりももっと仲間を集めてやった方が、1人でもいいんですけど、さっき言った1人でやり続けるってことは芸術家になるっていうこととほぼ同義なので、僕の中では。1人でできないことは、仲間を集めればできるじゃないですか。自分がその時どっちを目指してるか、だと思うんですよね。
僕は1人で出来ないことをやりたいと思ったんですね。それから全て妥協になるんですよ。妥協になると言ったらおかしいですけど、自分が理想とするものと現実のギャップを自分の中で調整していく作業になるんです。
僕がジャパンハートという組織を作った時から1つだけ意識してることがあって、それは何かというと、科学的な組織にしよう、サイエンティフィックにやってみようということです。
長い目で見た時に自分の中にあるのは、より社会的メリットの大きいことをしようと。社会を最も潤す形にしようと思ったんですね。
なぜかというと、社会を最も潤した者が、社会から最も潤わされるということを僕は体験的に分かっているので、そうしようと思ったんですよ。
科学的な組織にするちうことはどういうことかというと、日本はいつもテレビ見ててもゴッドハンドの医者がもてはやされるじゃないですか。僕はゴッドハンドがもてはやされるような分野というのは危機的な事だと思ってるんです。
科学的であるということは再現性があるということですけど、再現性がないものを作ってるってことですよ。例えば、Aという病院にゴッドハンドがいるっていうことは、Aという病院はその人がいなくなったら再現性を失うということじゃないですか。
それは西洋医学はサイエンスだから、ゴッドハンドが重宝されたらダメだと思うんですよ。
ヨーロッパとかアメリカは、そういう特別なゴッドハンドはどういう人達が担ってるかというと彼等の世界観では芸術家の話しじゃないですか。ゴッドハンドというのは芸術家の話しであって科学者の話しじゃないんですよ。そこを日本人達はすごく勘違いしてると思うですね。
このミャンマーという国は、第二次世界大戦で20万人近く死んでる国です。何故戦争に負けたかということを日本人達はそこから学習しないといけないと思うんですね。
第二次世界大戦が始まった当初は、日本人の技量は世界の中でも圧倒的で群を抜いてたと思うんですよ。ゼロ戦のパイロットはすごかったと思いますよ。だけど、1回1回やっていくうちに撃ち落とされていきゃ次の人達が育たないわけですよ、みんな神業だから。
次に乗ってくる戦闘機乗りはどうかっていうと、長年の修行がいるわけじゃないですか。
アメリカはどうやって対抗したかっていうと、要は技術で対抗することを捨てて、飛行機の性能を上げてきたわけですね。これが科学的なアプローチーだと思うんですよ。
こうやってゼロ戦は最後は撃ち落とされていくわけじゃないですか。せっかくの人達も、せっかくの飛行機も。それで負けていくわけですね。
あらゆる分野でこの思考法が、日本はいまだにまかり通っていると思うんです。だから僕が心がけていることは何かというと、いかに再現性をこの団体の中に持ち込むかっていうことに尽きるんですね。
今は短期の人達をたくさん導入してるじゃないですか。僕という人間が張り切ってやって、そすると年々歳々力が落ちていくわけです、体力が落ちれば。そこは僕の運命線に合わせて活動が上下する、発展的にならないんですよ。
もしこれを誰でもできるようにしてしまった時に、要するに再現性をピークにしてしまうということですけど、それが最終的な到達点だと思うんです。
誰でもがなるべくできるようなスキームに変えた時に初めてこれは本当の意味で患者の利益を最大化させることができる組織になるし、プロジェクトになっていくと思うんですね。
これだけは気をつけてますね。他の多くの団体はそういうことをやってないんです。だからいつもテレビに出てくる人は一緒だし、いつも評価される人は一緒なんです。
でも今僕らのところはテレビに出ているのは看護婦さんだし、僕以外の人達一生懸命売り込んでるし、出してますよ。
誰でもが普通の子達ですから、誰でもが僕の代わりになり得る。医者も誰でもが僕の代わりになり得る。
仕組みとしてはレベルの高い医師をある程度呼びこみながら、とにかく現地の患者達のリスクヘッジをするということをしないといけない。
とにかく科学的に何でも進めていこう。なるべく再現性あるもの、そしてより誰でもできるものに変えていこう。医者のような専門家達がやる活動であってもそういうふうになるべくしていこうと常にずっと意識したきたことなんですね。それだけは気をつけてます。
人の流動性の劇的な増加によるサスティナブルの概念の変化
スティナブルの概念が変わってきたと僕は思ったんです。
どういうことかというと、僕がいる間にミャンマーだったらミャンマー人の、カンボジアだったらカンボジア人に医療技術を伝授して、その人達がやっていく、そしてそれが発展的に維持されていく、というのがサスティナブルだという感覚なんですけど、でもこの20年でサスティナブルは完全に変わったと思ってるんです。
それは人の流動性の劇的な増加なんです。去年の年末にASEAN統合されましたよね。
今どう動いているかというと、ASEAN経済統合された後に、EUをモデルにして動いてるわけですよ。そうすると今何が起こってるかというと、去年から同時にASEAN統合する時にやってたことは、医師免許の統一と看護免許の、医療者の免許の統一なんです。
ということは、僕はカンボジアに行ってカンボジア人だけに教える必要ないんですね。
例えばASEAN圏の人だったら国籍関係なく、そこで働いてもよくなるわけです。それ程流動性が上がる。そこに例えば日本人が働いてもおかしくな時代が来るかもしれないんです。
僕はいつも思ってたんですけど、今まではカンボジアに行ったらカンボジア人達が医療活動をできるようにというスタンスでやってきたんですよ。
それがサスティナブルなことなんだという感じで。僕はこれはもう違うと思ってるんですよ、
どういうことかというと、例えば日本の企業で、じゃあ外国人がたくさんいたら、日本のその企業はサスティナブルな状態になってないかと、日本社会がサスティナブルな状態になってないかっていうと、そういうわけじゃないじゃないですか。
既にビジネスの世界は変わってるんです。色んな人が、多国籍の人が混ざってやってる。それで社会はより発展的に運営されていくということが素晴らしいことだと、今のあり方なんだってなっている。
既にビジネスの世界は、今や多国籍でやっていくっていうのが当たり前になってきてるわけですよね。
言葉の問題があっても、カンボジアだからカンボジア人がやらなければいけない、ドイツだかドイツ人がやらないといけない、というような時代では既になくなっている。だからサスティナブルの概念を変えなければいけないですね。
ただ1つ僕がいえることは、効率論的にはその国の人にやらせたほうが一番いい。ただ効率論の問題なんですよ、要は日本から人を動かすと費用がかかる、或いはカンボジアからわざわざミャンマーに動いて住まわせたりしててやるのもお金がかかる。
だけどカンボジア人がやればそのままできる。だから経済的に、経営的にはその国の人にやらせることが、やってもらうことが一番効率的ではありますけど、でもそれが全てではない。
時代が変われば考え方が変わる。
理想は、個々人が躊躇なく能力を発揮できる社会
理想とする社会はどういう社会というと、自分の子ども達にも言うんですけど、個人が自分の才能や能力を躊躇なく発揮できる社会じゃないかなと思ってるんですね。
僕の父親ってもう亡くなったんですけど僕より30歳上の人間で、戦争が終わった時は10歳だったんですね。どの話を聞いても、誰から話を聞いても、僕の父親は僕より遥かに才能に溢れた人間ですよ。頭もいいし、体力もすごい。
でも結果、最後の職業は、デパートのガードマンですよ。警備員だったんですよ。
若い時に本当に貧しいから父親の手伝いて行商とかするじゃないですか。そして、大学は行けないんですね、お金の問題で。
銀行に勤めるんですけど、家の仕事がその時は自営業で上手くいってるから、銀行辞めて手伝わされるわけですね。家を継ぐっていうのが当たり前の時代じゃないですか。
手伝わされるけどそのうち、車のシートを作ってたんですけど、オイルショックで経営統合していく。そうしたら槍玉に上がっていくと、雇ってた人も辞めさせていく。
結局はこの時に止めちゃった、廃業ですね。その後職を変わるんですけど、結局時代に翻弄されるんですよ。時代に翻弄されてダメになっていくんですね。
僕は思うんですけど、本当に才能がある人は、才能を持て余した瞬間に他のことに走りますよ。うちの親父も才能分の仕事量がないんですよ。
だから余った時間で酒のんだりとか、パチンコに行ったりとか、競馬をしたりするんですよ。
エネルギー余るからですよ。だからそうなるじゃないですか。今の僕なんかはっきり言って、そんな余裕ないじゃないですか。それはもうカツカツにやってるに近いからでしょうね。
何でもそうですけど、才能を余らせた状態を作ると人は何らかの方法でエネルギーを消化しないといけない、消費しないといけないんですよ。
だから別のものに興味を持って行ったりとか、別のことをやっちゃうんですね。だから才能を余すところ無く発揮できる。うちの子どもの時代はもっといい時代じゃないですか。
少子高齢化で子どもたちは大変だっていいますけど、僕からしたら逆で、社会がそれだけ子ども達にチャンスとエネルギーを注ぐ時代になったんですよ。
だから僕は思うんですけど、日本全体としては斜陽化していきますけど、日本の子どもたちはこれからは世界で活躍する日本人達がものすごく増えると思ってるんですよ。
それぐらい子どもたちにエネルギーを日本社会は投入できてるからだと思います。
そういう話を子どもにして、僕の子どもは僕より才能あるのは僕は分かるんでね。お前達はこういう時代に生まれて、そしてお前の爺ちゃんはこうだったと。
だからお前達は、こういう時代に生まれてるから絶対才能を発揮しないといけないよ。もう何も止めるものが無い。だから今から自分は何が得意か、何が好きか、そういうものを今から、小学校のうちから考えといてそれを追求していきなさい、という話は僕は子どもにはするんですよね。
夏休みに10 歳になったらこうやって子ども連れ歩いてるんです、1ヶ月半ずっと海外ですよ。僕のやってること見せて、色々相談して話をしてね。だんだん変わってくるんですよね。医者の子どもだから、医者になりたいって言うんですけどね。
面白いですよ。この間ね、子どもを連れて行って手術も横で見せたりしてしました。
僕のところには今はたくさん高校生とか中学生とか大学生とかいっぱい来ますよ。こうやって小学生を連れた人達もいっぱい来ますけど、とにかく先人達の姿を見せろと、背中を見せることが大切。
僕ら子どもの頃みんな自営業だったので、背中を見せてたんですよ。親が、一生懸命働いて、僕は家でうちの親父が冬も春も夏も秋も同じ格好で、ステテコはいていつも車の裁断というのをしてたんで、黙々と働く姿をバカにしないんですよ。
今でもコンビニで夜外国人が働いてたら偉いなと思うし、夜働いてる人はすごいなと思う、リスペクトでもいいんですけど、そういうところを今の若い人達は見れないので、みんなオフィスの中に入っちゃってるのでなるべくこうやって見せるようにしています。
僕なんかはテレビに出たりするから間接的には子どもは見れますけど、やっぱり現場に一緒にこさせて見せるんですよ。
この前ね、作文を書いたんですよ。
これ面白いんですね、「目指せ一流の医者」というタイトルなんですけど、将来の夢ですね。
「僕の夢、それは一流の医者です。その理由は、お父さんが医者という理由もるけど、ミャンマーという国のように支援等が行き届かない国の人を助けたいからです。医者になってしたいことは、患者を助けて患者の家族の笑顔を見たいからです。それにテレビに出て、日本の医者達に見てみろ、この世界にはまだこんな医者を必要としてる人達がいるぞということを教えたいからです。僕は医者になるために、たくさんの医者の勉強をして、お父さんに上手い手術の方法を教えてもらいたいです。そして意気込みは、お父さんよりすごい医者になるぞ。」
と書いてあるんですけど、僕はこれ見て、子どもなりに今の世界の現状を理解して、そういうことに意識を向けだしたっていうことが1つと、あとは「お父さんよりすごい医者になるぞ」というのがいいところで、僕からしたら親を超えて当たり前なんですよね。
この間実は上甲さんっていう人がいまして、この人は何をしていた人かというと松下政経塾の塾頭をやってた人で、ずっと松下幸之助と一緒にいた人ですよ。
話してると松下幸之助さんの話を良くしてくれるんですけど、彼がまだ若い時に松下幸之助さんが上甲さんに「あんた、俺を超えれるか」と聞かれたらしんですよ。
松下幸之助を超えるなんて「滅相もない」と思うじゃないですか。「いやいやいやいや」って言ったら、「なんでや」と聞くらしいんですよ。
「とてもちょっと超えるなんて」と話して、「いや、超えれるやろう」と言うらしんですよ。「だってあんた僕と一緒にずっといるやろう」と言ったらしい
「僕の考えてることとか、思考、想いとか生き様とか全部横で見てるやろう。お前は僕を吸収できるやないか。それに自分を加えるわけやから、超えれないわけないやろう」と言われて「はー」て思ったと言ってましした。でも僕もそう思いますよ。
前にいる人達をあんまり神格化したり持ち上げたりすると、超えられないですよ。僕はこうやってうちの子でも僕をを超えるという視点がすごく良くて、次の世代の人達が当然前の人を超えるというのは当たり前で思考の中にないといけないと思うんですね。
そのためには、常に超えるというか、超えられるハードルとして自分を提示していかないといけないと思うんですよ。
技術的にもそうですけど僕を目標とするな、とは言うんですよね。これは超える対象であって、踏んでいく対象であって、この先に行かないといけない、という話はいつもします。
とにかく次の世代の人達にこの上を踏んでいってもらわないといけないわけですから、そうした時に社会は良くなっていきますから。
それは我が子であっても同じ、社会の一般の子ども達であっても次世代の人達には是非、越えていってもらいたいなとは思ってますね。
(完)
編集チーム:小林 雅/城山 ゆかり
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