「半端だと追いつかれるから、抜けていく」1100年続く太宰府天満宮の歴史と革新を学ぶ、特別プログラム同行記【ICC FUKUOKA 2021レポート】 | 【ICC】INDUSTRY CO-CREATION

「半端だと追いつかれるから、抜けていく」1100年続く太宰府天満宮の歴史と革新を学ぶ、特別プログラム同行記【ICC FUKUOKA 2021レポート】

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2月15日〜2月18日の4日間にわたって開催されたICCサミット FUKUOKA 2021。その開催レポートを連続シリーズでお届けします。その最終日、特別プログラムとして開催された「太宰府 歴史探訪ツアー」の模様からお伝えします。菅原道真公から数えて40代目にあたる西高辻󠄀 信宏さんに太宰府天満宮をたっぷりご案内いただいたスペシャルツアーの模様をお伝えします。ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2021は、2021年9月6日〜9月9日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページのアップデートをお待ちください。


今回の歴史探訪ツアーは太宰府

COTEN深井 龍之介さんの参加で、ICCコミュニティで盛り上がっている歴史熱。半年前の京都では、深井さんをナビゲーターとして比叡山を訪れるツアーを開催したが、今回訪れたのは太宰府。

太宰府天満宮宮司である西高󠄀󠄀辻󠄀 信宏さんに以前からICCサミットに登壇いただいており、直接ご案内いただく歴史探訪ツアーを開催した。

西高辻 信宏さんの記事一覧

コースは、太宰府天満宮からスタート。西高󠄀󠄀辻󠄀さんのご案内で境内を歩き、菅原道真公について講義で学び、ランチを挟んで、『鬼滅の刃』で注目を集める竈門神社を参拝という丸一日かけたツアーだ。

DAY3のICCサミット最終日、福岡に年1度、2度あるかどうかという降雪があったため開催が危ぶまれたが、大荒れの予報が解除されたため、小雪のちらつくなかでの開催となった。

▶ツアーの模様を動画でもご覧ください。

雪の太宰府天満宮に到着

太宰府に到着すると、福岡市内よりも2度気温が低いとのことで、本格的な雪である。時折横殴りに降るほど、日陰には少し積もる程度の雪が降っていた。

車両3台に分かれて到着した一行は案内所で合流し、宮司の西高辻󠄀 信宏さんと対面した。

西高辻󠄀 信宏さん

西高󠄀󠄀辻󠄀さん「年に数日しか雪が積もらないので、とてもいい時にお越しいただきました。

私は太宰府天満宮宮司の西高辻󠄀と申します。今日はお越しいただきましてありがとうございます。

天満宮は菅原道真公を御祭神としてお祀りしていまして、実は御墓所、お墓の上に創建された、全国でも非常に全国で珍しい神社です。

代々子孫で守っていまして、ちょうど私が40代目の子孫にあたり、今、宮司を務めさせていただいております。

この案内所は、売店機能も持っており、7年前に改修をしました。今日は緒方(恵さん、中川政七商店 取締役 CDO)さんもいらっしゃいますが、中川政七商店さんのご協力をいただいて、一緒にコラボレーションをしたお土産品なども作ったりしております」

梅をモチーフとした雑貨店のような案内所店内

仲間見世 太宰府天満宮 神社がお土産もの屋の運営に本格的に乗り出す(中川政七商店)

参道から境内に入ったところで話を聞いていたのだが、この場所にも意味があり、振り返ってみると…。

なんと西高辻󠄀󠄀さんのご自宅の前! 築400年以上だという自宅前から歴史探訪ツアーは始まった。

太宰府天満宮境内の見どころ、歴史を学ぶ

境内には、歴史や由来を知ってこそ見学の価値が高まるものがたくさんある。ご紹介いただいた一部を写真中心にご紹介していこう。

沈没した軍艦の部材を使った「定遠館」

最初に一行が見学したのが、境内に入って右手にある「定遠館」。この建物は、日清戦争(1894年7月25日 – 1895年11月30日)の黄海海戦で沈没した中国の巨大軍艦「定遠」を、太宰府出身の衆議院議員であった小野隆助という人が引き揚げて、その艦材を使って建築したもの。

【定遠館】太宰府天満宮近くにある軍艦の部材で造った館(太宰府魅力発見塾)

船のオールをそのまま利用した部分も。沈没していたことから、貝殻がついたままの部材もあるそう

敷地入り口の扉は装甲板が転用され、日本の海軍が撃った砲弾の跡が残っている。COTEN RADIOでもおなじみの楊睿之さん(通称ヤンヤンさん)と深井さんは、興味深げに見入っていた。

西高辻󠄀󠄀家の九州国立博物館への想い

九州国立博物館についても話は及んだ。太宰府天満宮が境内の3分の1にあたる5万坪を無償で県に寄付して誘致を進め、2005年に開館した国立博物館である。

西高辻󠄀󠄀さん「そもそもの着想は、私の4代前です。九州のものはほとんど京都や東京に行ってしまい、なかなか九州に留まらない。そういう状態を憂いて博物館を造りたいと国に願い出たところ、1883年ぐらい、井上馨の内務大臣時代に認可が出たのですが、日清戦争が起こってしまいました。

戦費の関係で計画が立ち消えになってしまったのですが、その後ずっとその想いが受け継がれました。

私の祖父がハーバード大学に留学した時に、ボストン美術館が市民の方々の誇りになっているのを見て、そういう意味でも太宰府にも欲しいということで、もう1回誘致運動をしました。

祖父は1986年に亡くなるのですが、その想いを父が引き継ぎ、色々な活動をさまざまな人たちと協力しながら進めて、ようやく2005年に完成しました」

景観も素晴らしい九州国立博物館(下見時に撮影)は、天満宮から徒歩で約10分ほど

神様の休憩所であり、アートが宿る「浮殿」

西高辻󠄀󠄀さん「秋に一番重要なお祭り『神幸式大祭』があり、ここはその御旅所(御神体を乗せた御神輿が巡行の途中で休憩または宿泊する場所)となっていて、この前で神楽を奉奏したりします。

それ以外使っていない場所だったので、15年前ぐらいから、現代アートの作家さんを太宰府に招聘して、天満宮の歴史などをテーマにして作品作りをして、展覧会を行っているのですが、ここを作品展示の場所としても使用しています」

上の写真では見えづらいが、御旅所を囲んだ水面に殿が映って見えることから「浮殿」と呼ばれており、中には現代アートの作品が収められている。

太宰府天満宮アートプログラム – 境内美術館 (keidai.art)

西高辻󠄀さん「ライアン・ガンダーというイギリス人のアーティストを招聘した時に作った作品が、この中に納められています。

Ryan Gander(LISSON GALLERY)

『本当にキラキラするけれど何の意味もないもの』という作品タイトルで、彼が神道をリサーチする時に感じたという、目に見えない力を磁力で表した作品です。このほか境内には、アーティストが作った作品を10作品近く展示をしています」

御神牛、1100年のつながり

門の右側に牛の像が見える

西高辻󠄀󠄀家の前にも牛の像があるが、天満宮にはそこかしこに牛の像があり、天満宮のサイトでは10箇所の御神牛をめぐるコースも紹介されている。これは、道真公が845年丑年の生まれで、道真公の御亡骸を引いてきた牛が、この地に座り込んで動かなくなったことが御本殿創建の由来となった故事にちなむ。

境内のあちこちに牛の像がある(下見時に撮影)

なお、このツアーには御亡骸を牛車に乗せて運んだ門弟の味酒 安行の子孫、42代目となる味酒 安則さんがのちほど講義を行い、ツアーにはその息子さんである味酒 安儀さんにご同行いただいた。

西高辻󠄀󠄀さん「1871年に神職の世襲制度が政府により一度廃止され、、当宮も60家ある中、57家離れてしまったのですが、100年後に呼んで戻っていただいたのが、彼のお父さんです。

今また親子一緒に奉仕してもらっていますが、ちょっと歴史スパンが長いんですけど、1100年ぐらい一緒に道真公にお仕えしているということです」

どっと笑う一行。ICCサミットのディスカッションテーマに「100年企業」や「跡継ぎ」が挙がることがあるが、太宰府天満宮はその2つを兼ねた大先輩ということである。

有名人が奉納した鳥居や灯籠、それを支える古代の知恵

よく見ると、鳥居の石の間に硬貨が挟まっている。

「この下の部分にも古いお金が挟んであって、硬貨でバランス調整を行っていたことが、解体修理をした時にわかりました」

また、境内に点在する灯籠は奉納されたものが多いそうだ。

「鳥居や灯籠は奉納された時代もさまざまです。朝ドラ『花子とアン』で吉田 鋼太郎さんが演じた石炭王、伊藤 伝右衛門や、明治期の歌舞伎俳優の皆さん、大相撲協会や麻生太郎さんの曽祖父麻生 太吉さんが奉納したものもあります」

過去・現在・未来を渡る橋

「心」という字をかたどった心字池には、太鼓橋や直線など朱塗りの3つの橋が掛かっている。水は外堀から引いているそうだ。

「最初の橋は過去、次は現在、最後の橋は未来を現していて、それを渡ることによって三世の邪念を祓い、清らかになって神様にお参りをします」

戦乱で焼け残った唯一の社「志賀社」

金印が発見された志賀島にある志賀海神社と同じ、海の神様である綿津見(わたつみ)三神が祀られている志賀社。

「何度か戦乱で焼けて他は失われたのですが、これだけは残りました。

建築の専門の方に聞くと、これは日本、中国、インドの様式を合わせた非常に珍しい形だそうで、重要文化財に指定されていて、釘を使わずに組み上げられています。

本当に悪いところは取り替えたりはしていくのですが、日本の建築は法隆寺もそうですが、手を入れ続けるとずっともちます。

一方で、一度手を入れなくなると急激に悪くなるので、日本中の神社やお寺で、危機的な状態の木造建築は非常に多い。昔は例えば大名がお金を寄進したりしましたが、今は一法人で全部やらなければいけない。大きな課題なので、いいアイデアがあればぜひ教えていただきたいです」

前後で形状の違う珍しい楼門

「この楼門は大正時代に再建したもので、前後で屋根の形状の異なる珍しい造りをしています。以前の楼門は石田三成が奉納したものでした。日露戦争の時に、戦勝祈願でろうそくを奉納するのが流行して、ろうそくの火が燃え移って全部焼けてしまいました」

非接触型の手水舎

手水舎は、非接触型&生け花でアップデートされている。

「今まではひしゃくだったのですが、流水型を作りました。両手ですすいでいただけます。中央には何かを飾りたいと思って季節の花を生けています」

参拝者を見張る「麒麟」と「鷽」

手水舎の右側には、中国の空想上の神聖な動物である麒麟の銅像と、その隣に丸っこいゆるキャラ風の鳥の像がある。

「麒麟は神域に入ってくる人に目を向けています。

幕末、長崎のグラバー邸で知られるトーマス・グラバーさんがここに来まして、麒麟の像を見て、『カッコいいので欲しい』と言われたのですが、お断りしたのです。そうしたら、スケッチをされていきました。

その後グラバーさんは横浜にあるスプリングバレー・ブルワリーというのを買い取るのですが、それが今のキリンビールになり、麒麟がラベルのモデルになったのではないかと言われています。

「キリンビール」発売の功労者 近代日本建設期の大商人・グラバー(KIRIN)

実はこの麒麟の像は2体あったのですが、金属のため1体は戦時中に鉄砲の弾になってしまいました。今ある像も1度持っていかれたのですが、博多港まで行って戻ってきました。

鳥は鷽(うそ)といって、非常に珍しい鳥で、1年で知らず知らずのうちに積み重ねた嘘を天神さまの誠心と取り替えていただく鷽替え神事の由縁の鳥で、天神様の御使いの鳥、幸せを運ぶ鳥と言われています」

境内に約6,000本ある梅の木。道真公を慕って飛んできた「飛梅」も

訪問時は、境内の梅がいい香りを漂わせていた。

「梅の木は、境内に約6,000本あるのですが、多くは献梅といって、色々な方々に奉納していただいたものです」

いよいよ御本殿へ

菅原道真公の末裔、西高辻󠄀󠄀さんの解説

「御本殿は神様がお住まいで、一般的には幣殿、拝殿があるところ、当宮の場合は御本殿のみという非常に珍しい形です。正面の御鏡の真後ろに、菅原道真公の御霊をお祀りしています。

中央の御鏡の後ろに菅原道真公が眠っている(下見時に撮影)

何度か戦乱で焼けてしまって、現在の建物は1591年安土桃山時代に筑前の国の領主小早川 隆景、(毛利元就の三男)の寄進です。

建物は、自然のものと同じような場所に柱を使うと長持ちすると言われます。当時、山を丸ごと買って山の北側に生えていた木を北側に、南側の木を南側に使っています。漆塗りをしていて非常に珍しく、安土桃山時代に再建されたので、秀吉の時代で色使いも金だったりきらびやかな特徴があります」

雪を被った本殿

屋根は檜皮葺(ひわだぶき)といって、ヒノキの皮を薄く剥いだものを重ねており、約70年に1回は全体を替えなければいけない。35年に1度、約半分を替えていて、次は2年後から全部覆いを掛けて大改修を行う予定です。

御鏡の真後ろの御内陣は、子孫しか入ることができない場所です」

ツアー一行、正式参拝を体験

今回のツアーでは、特別に御本殿の参拝も含まれていた。一行は御本殿に靴を脱いで上がり、道真公が眠る目と鼻の先で、古式ゆかしい儀式を体験した。代表となった楽天の小林セイチュウさんは、裃(かみしも)のような上着を着けて、中央に座っている。

神職が大麻(おおぬさ)、巫女が鈴祓いの儀で参拝者のお祓いを執り行った。

「御祭神でございます菅原道真公、天神様の御神徳を益々いただかれますよう、鈴の清らかな音をもちまして、今一度お清めを申し上げます」

続いて、セイチュウさんが玉串拝礼をし、一行も二礼二拍手一礼を行い、参拝は太鼓の音で終了した。

参拝の途中には激しかった雪が止み、太陽が射す場面も

参拝を終えた一行は「飛梅」の前で記念撮影。これは道真公が京都から左遷される時に「東風(こち)ふかば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と詠んだところ、道真公を慕って飛んできたという伝承が残る木で、境内で一番早く花を咲かせる梅の木なのだとか。

写真右手にあるのが御神木の「飛梅」

菅原道真公の教育学を学ぶ

雪が舞う外から暖かい講義室に移動した一行を迎えたのは、暖かいお茶と、外側を軽く焼き小豆の餡が入った梅ヶ枝餅。それをいただきながら、道真公の門弟42代目で、天満宮の権宮司(当時)である味酒 安則さんの講義が始まった。

「道真公がこの太宰府にお見えになった1,120年ほど前からあったという言い伝えもあります。道真公が食べ物に困られて、それを見かねた近くの老婆がこのお餅を作って差し上げた。その時に、蔀(しとみど)から梅の枝に巻きつけて差し入れるんですね。それで『梅ヶ枝餅』と言います。

室町時代で交通の行き来もできるようになり、宰府参りといって、この太宰府に京都からあるいは全国から参ってくる。その人たちの帰りの食料、帰りの一食分の食料がこの梅ヶ枝餅です。

神社には奉納されたお米や小豆などがあり、お神様が食べる分は取っておいて、残りを参道、旅籠屋、あるいは境内の茶店に払い下げると、彼らは参拝者の帰りの食料、梅ヶ枝餅を作ります。神社に上がったものを下げましたので、『みやげ』、宮から下げるというというのが語源です」

講義をいただいた太宰府天満宮の 味酒 安則さん

菅原道真公には、さまざまな記録が残されていて、讃岐守(今の香川県知事)に赴任した時には官舎の前に200鉢の大輪の菊を作っていたことや、京都から大宰府に移動するときは、蹄の割れた馬や舵の取れない船に乗せられたこと、その道程に50泊も要したことなどが記録として残っているという。

味酒さんは時代背景を紐解きながら、学者・政治家・教育者という3つの顔をもつ道真公を、ふんだんな知識とともに語っていった。

道真公の学者としての功績は多く、日本書紀に始まる六つの国史をジャンル別、カテゴリー別に分類して200巻にまとめた百科事典、六国史の編纂に私塾の弟子たちを率いて携わり、日本史に多大な貢献を残した(現代にその功績が伝わっていないのは、さまざまな事情があるそうで、詳細は『消された政治家菅原道真』平田耿二著参照とのこと)。

「学問は社会や人々の役に立つことが成果であるという考えです。道真公はそうとは言っておられませんが、たとえば吉田松陰の松下村塾などがそうですが、学んだことが必ず社会のお役に立つという、いわゆる『実学』の原点にあるのはやはり道真公ではないかと思います」

道真公は「唐の人たちに日本や日本の美意識を分かってもらいたい」と、『万葉集』を中国語に翻訳して中国に贈るほど語学に精通しており、中国から来た儒教、漢詩といったもののローカライズや、茶道(茶聖千利休は道真公のことを茶祖と呼んだそう)や、歌舞伎・獅子舞などの芸能の神とも呼ばれている。

その一方で、人頭税を土地税に変えて、荘園(大きな寺社や貴族が開墾した私有地)からも税金を取り立てるなど税制改革も行っている。

文化や学問で多大な功績を残した道真公だが、道真公がお生まれになる前の天皇である嵯峨天皇は、疲弊していた国の再起に向けて文章経国という宣言をされました。このことにより学者の地位が上がるだけでなく、学者であれば政治を行うという仕組みが道真公の祖父の代に構築され、、道真公も学者にとどまらず政治に携わることになり、それが大宰府へ左遷されたきっかけにつながっていく。

講義後の質疑応答タイムでは、深井さんから、道真公が諸貴族たちの反感を買うことも覚悟して税制改革を行ったことについてや、道真公を出世させたことが、藤原氏牽制の裏目に出たことなどについて鋭い質問があった。

ヤンヤンさんからの質問は、なぜ大宰府が左遷の地になったのかということ。それに対して、味酒さんは「本州から外れた島だから」とみんなを笑わせたあと、

「一応、もしも罪があったとすると、いわゆる実行犯ではないのです。天皇も後で認めますが、未遂犯なのです。ですから、沖ノ島とか佐渡島とか、伊豆七島とかそういうところではなくて、一応形としては大宰権帥(権官)とする。

菅原道真が大宰府に左遷された理由は?(ひすとりびあ)

それでもやはり大宰府というのは京都からしてみたら辺境の地。ですから、体のいい左遷という向きになりますね。大宰府では、道真公が来られた10世紀には8人左遷で来られて、7人は1年間ぐらいで京都に帰ってきなさいということで帰っています」

もし左遷から2年後に道真公が太宰府で亡くなっていなかったら、京都へ戻っていて、この太宰府天満宮も、全国の天満宮もなかったかもしれないということである。

歴史に想いをはせながら、道真公とその門弟の子孫であるお二方にご紹介いただいた太宰府を巡るツアーは、またとない貴重な機会となった。

「ホテル カルティア 太宰府」でランチ

たっぷり学んだあとは、太宰府天満宮の隣にある、門前町の歴史ある邸宅をリノベートした「ホテル カルティア 太宰府」のレストランでランチ。このホテルは、太宰府に宿泊の施設が少ないということで街づくりの一環を兼ねて、地元の企業が共同で出資をして、VMGが運営を手掛けるホテルである。

食事は前菜からデザートまでのプレフィックスコース

ランチの合間に、ドリームインキュベータ宮宗 孝光さんにツアーの感想を伺った。

味酒さんの話に真剣に聞き入っていた宮宗さん

宮宗さん「太宰府に来たのは今回が初めてです。神社仏閣が好きで、菅原道真公についても勉強して知っていました。こういった形で何十代という方が承継して運営されているのを聞いて、非常に勉強になっています。境内の樹木も1,000年〜1,500年とあって見応えがあります。

たとえば屋根のところを半分ずつ替えるとおっしゃっていましたが、全部一気に変えるのではないわけですよね。あと実際に金額も言われていましたが、それも設計で、計画というのもすごく大事です。

過去・現在・未来という橋の話も印象的でした。自分たちのやっていることの思想がわかって、経営に通じるものがあると思いました。1人では何もできない、社員だけでもできないし、お客様がいないとできない。私はそういうところに注目してしまいました。

こういうことを言うとビジネスパーソンとしては変かもしれませんが、代々続いているものが菅原道真公を起点にしてあり、そういう思いが連なるところには、色々なものが生まれると思っています」

食事が終わるころ、権禰宜の真木 智也さんが、参加者に渡すお土産を持って現れた。

真木さん「実は3月27日にあと9部屋すぐ近くに古民家を改装した施設が出来る予定になっております。

古民家宿泊施設「HOTEL CULTIA 太宰府」2021 年 3 月 27 日、 新たに 2 棟増築!(西日本鉄道株式会社)

30年後ぐらいを目安に、次の街づくりをやっていくという作業を西高辻󠄀󠄀家が代々続けてきていまして、それを私たちも協力しながら街づくりを行っているところでございます」

ICC FUKUOKA 2021で西高辻󠄀さんに登壇いただいたセッションでも、街づくりへの想いが語られていた。日本の歴史の偉人であり、西高辻󠄀さんにとってはご先祖が眠る場ではあるが、天満宮は今や地元の文化も経済も併せ持つ法人の一つであり、率先して未来の街づくりに関わっている。

▶西高辻󠄀さん登壇セッションのレポート
コロナ禍の今、街づくりをいかに推進するか? 登壇者から学ぶ、激変する社会での本質の見極め方【ICC FUKUOKA 2021レポート】

予定時間を少し押したため、楽天セイチュウさんと住友生命の松原さんはここで離脱

雪の竈門神社へ

駐車場からスタートして、拝殿までは109段の階段を登る

ランチを済ませた一行は、太宰府天満宮から車で10分の竈門(かまど)神社へ向かった。もともと縁結びの神様としてお守りなども人気の神社だったが、昨今は『鬼滅の刃』ブームで度々メディアに取り上げられている神社である。ここでは馬場 宣行 権禰宜にご案内いただいた。

「太宰府天満宮より標高が高いので、竈門神社は-2℃ぐらい寒いです」と馬場さん

「ブームのお陰で、竈門神社の『竈門』という字を日本の方々が読めるようになったのは有難いねと、宮司が喜んでいました」

この竈門神社の宮司は太宰府天満宮39代宮司であった西高辻󠄀 信良さん。『鬼滅の刃』の主人公の竈門 炭治郎は肉親の敵を打つために鬼殺隊に属しているが、この竈門神社がある宝満山は大宰府政庁の北東、鬼門の角度にあり、鬼門封じの祈りがその始まり。規模は異なるが、京の都と比叡山のような関係だ。

「昔は神仏習合の時代もあり、宝満山は山伏さんが入られて、修験がすごく盛んに行われた山です。なぜ盛んになったかというと、平安時代、最澄が遣唐使で唐に渡る時に、瀬戸内海で船が故障しまして、1年間この筑紫の国に滞在されました。

その頃ここに竈門寺というお寺があったのですが、そこに籠られたとのことで、最澄を慕った方々が、この山で修行されるようになった。山伏の修行が盛んになった場所なのです」

 

雪に加えてつららが下がる寒さ

雪が激しくなってきたため、参拝を終えた一行は授与所(お守りなどが売っている店)の屋根の下に移動して、馬場さんの解説を聞くことになった。

「今お参りをいただきました社殿は、昭和2年の建立になります。肇祀1350年を機に、古くなってきた建物に洗いをかけ、お屋根の銅板の葺き替えを行いました。また、建物自体をジャッキで上げ、下部の悪くなった材木を新しいものに差し替え、今のような綺麗な状態を保っています」

御本殿には主祭神玉依姫命が祀られている

御本殿を正面に見ながら、一行が雪をしのいでいる授与所は、1350年の歴史がある神社とは思えないモダンな建物だ。

馬場さん「竈門神社は縁結びの神として信仰があったのですが、実は知る人ぞ知る神社でございまして、宮司が縁結びの信仰をより強くしたい、皆様方にぜひ竈門神社を知っていただきたいという思いで、この授与所などを建てました。

お守りやお札を置いている授与所は、Wonderwall(ワンダーウォール)片山正通さんにデザインしていただきました」

紹介されたものを簡単にご紹介していく。

願いごとをしたためる短冊をイメージした壁。御神紋が桜のためピンク色の石を使い、人それぞれの願いの違いを凸凹で表現している。

天井にあしらわれた桜の花びらはあえて白色。「向こう側の景色が映し出されるようになっていて、春の桜ではピンクに、秋の紅葉では赤く染まって見えます。桜を通して竈門神社の四季を感じていただきたいです」

授与所外に設置された、座面が回って向きが変わるベンチ。「イギリス人のプロダクトデザイナーのジャスパー・モリソンという方に専用のベンチを作っていただきました。人間の関係性を表現できるよう、手をつなげるような距離になっています」

授与所の中には、桜のモチーフを使った絵馬やお守りがセンスのいい雑貨や化粧品のように並べられている。

社務所を特別見学

今回は、一般公開をしていないという社務所の内部も見学することができた。

社務所は、授与所と同じタイミングで建設されたが、将来のスタンダードを見据えて、木材と鉄骨を併用して建てたという。部屋の畳はい草ではなくて、色褪せず管理しやすいということで和紙を使っており、床暖房が入っている。

太宰府天満宮でフィンランドのアートテキスタイルデザイン展をした縁で、床の間の掛け軸のように吊り下げられたタペストリーはマリメッコ。その一方で、雪見障子や月見障子を合わせ、塗り壁の聚楽や、正倉院でも使われている龍村美術織物など日本文化を感じさせるものあり、かと思えば写真家のホンマタカシ氏の作品がプリントされたふすまもあったりする。

馬場さん「今回コロナがありまして、今日皆さん洗っていただいた手水所は、水が流れていたと思いますが、宮司が『たぶんコロナが収まっても、もう時代として変わってくるから、今のうちに変えよう』ということで、御屋根と手水の鉢は残したまま、境内に合うように片山さんに今の形を作っていただきました。

市役所の職員の方とか色々な人に『天満宮で一番頭が柔らかい人は誰?』と聞くと、うちの宮司だと言うのです(笑)。今の40代目の宮司も素晴らしいですが、39代宮司は本当に自分の考え方を皆さんに楽しそうに話をするんですよね。

そうするとやっぱり、みんな『できるんじゃないか』とかいう考え方に変わっていって、この形ができています。夢は追い続けるもの、見続けるもの。半端にすると追いつかれるから、妬みを買わないように、抜けていこうと、常々そういうことを申しております」

『鬼滅の刃』との関係は…

社務所を出ると、受験シーズンともあって願掛けの絵馬がたくさんかかっている。やはり目立つのは『鬼滅の刃』のイラストだ。

竈門神社との関係は明らかになっていないが、共通点としては、鬼門封じとして建てられたお社であること、山伏が修行のときに着る衣装が市松模様であること、宝満山の中腹で昔は炭作りをしていたこと、鎌倉時代の刀鍛冶の金剛兵衛のお墓が境内にあることなど数多い。

丸一日かけたロングツアーが終わり、参加者に感想をうかがった。

KAPOK JAPANの深井さん、COTENの深井さん、木村石鹸の木村さん

COTEN深井さん「宮司の西高辻さん、そして権宮司(当時)の味酒さん、お二人に話を聞けるのは本当に珍しいですから、子孫の方々ですし情報の濃度が違いますよね。味酒さんのお話はすごく面白かったです。色々な話がありましたが、そういう捉え方で道真公を捉えて、受け継がれてきたんだなというのがわかりました」

写真左が中川政七商店の緒方さん、右端が堀田カーペット堀田さん

緒方さん「天満宮の店舗コンサルと商品の提案という形で関わらせていただいていたので、何回か来たことがありました。

カタパルトのピッチもそうですが、実際に携わっていらっしゃる方が熱量を込めて伝えてくださるのと、本で見て自分なりに解釈をするのでは、ラーニングのコストや熱量の伝播が全く違う体験になる、というのを改めて痛感しました。

やはりちゃんと体験して、中で携わっている方の熱量をそのまま受け止めるということに、感動というのがすごくリンクします。自分の事業にも還元できそうだなと思います。改めてこういった企画をしていただいた(小林)雅さんとICCの皆様に感謝申し上げます。

こういったコンサルティングのお話はたくさんいただくのですが、太宰府は本当に格が違います。

移動の車の中とか、ある意味強制的に一緒の空間になるじゃないですか。パーティーが苦手なので、そういうところも素晴らしいご縁だったりします」

堀田さん「歴史の背景などを深く聞くことができて、とても楽しかったです。ただ見に来るのとは全然違います。

今回ICCサミットに初参加して、久しぶりに3日間がっつりインプットだけだったので、すごく楽しかったし、いい学びになりました。早くアウトプットしたいです」

途中激しい雪に見舞われたものの「1年に数回しか見られない景色を朝からずっと見せてもらえた」「特別な経験になった」「竈門神社はアート施設だ」「ICCサミットに来ると、ここで学んだことをそのまま模倣したくなってしまうけれど、道真公から、模倣するだけでなく、自分なりのアウトプットをせよという学びの姿勢を再確認した」など、帰りの車中も、話は尽きなかった。

ICCサミット最終日のロングプログラムは、参加者同士でより深い交流ができ、体験で学びを深めるという企画になっている。

今回の「太宰府歴史探訪ツアー」は、太宰府天満宮と竈門神社の歴史や取り組みを学び、それに関わる人たちの姿勢を知って、若き経営者たちにとって大きな刺激となったようである。

(終)

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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/荒木 珠里亜/北原 透子/戸田 秀成

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