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トップ経営者が、尊敬する偉人の業績を思い入れたっぷりに語る「世界の偉人伝シリーズもついにシーズン3! 全8回シリーズの⑦は、COTENの深井 龍之介さんが登場。著書などでも紹介していたカーネル・サンダースについて、紹介します。KFCが誕生したのが、経営していたガソリンスタンドの併設カフェだったということを、ご存知でしたか? ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2022は、2022年9月5日〜9月8日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションは、ICCサミット FUKUOKA 2022 プレミアム・スポンサーのリブ・コンサルティングにサポート頂きました。
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【登壇者情報】
2022年2月14〜17日開催
ICCサミット FUKUOKA 2022
Session 10E
世界の偉人伝 (シーズン3)
Supported by リブ・コンサルティング
(スピーカー)
北川 拓也
楽天グループ株式会社
常務執行役員 CDO(チーフデータオフィサー) グローバルデータ統括部 ディレクター
(登壇当時)
山内 宏隆
株式会社HAiK
代表取締役社長
石川 善樹
公益財団法人Well-being for Planet Earth
代表理事
深井 龍之介
株式会社COTEN
代表取締役
(モデレーター)
井上 真吾
ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン
パートナー
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8. 諦めない気持ちが、いくつになっても人生のクライマックスを呼び込む
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6.ビジネスにも応用できる、予防医学の「ポピュレーション戦略」とは
本編
井上 深井さんの話は全く毛色が違いますね(笑)。
深井 全然違いますね。これから僕がする話はだいぶ簡単です(笑)。
【COTEN深井さん選】KFCの産みの親、カーネル・サンダース
深井 皆さんが話してくれたのは、偉人が何をしたのかという話だったのかなと思いますが、カーネル・サンダースは、ケンタッキーフライドチキンを作った人ですよね。
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深井 龍之介
株式会社COTEN
代表取締役
複数のベンチャー企業で取締役や社外取締役として経営に携わりながら、2016年に株式会社COTENを設立。理念に「Create and deliver opportunities to apply meta-acknowledgement in daily(メタ認知を高めるきっかけを提供する)」を掲げる。3,500年分の世界史情報を体系的に整理し、数百冊の本を読んで初めてわかるような社会や人間の傾向・パターンを、誰もが抽出可能にする世界史データベースを開発中。COTENの広報活動として「歴史を面白く学ぶコテンラジオ(COTEN RADIO)」を配信。「Japan Podcast Awards2019」で大賞とSpotify賞をダブル受賞。Apple Podcastランキング1位を獲得。ICCサミット2021KYOYO他複数回登壇。NewsPicksにてリベラルアーツを語る「a scope」を連載。NTT「ナチュラルな社会をめざすラボ」顧問。
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皆さんご存知かと思いますが、この人はどう生きたのか、僕からお話ししたいと思います。
まずケンタッキーフライドチキンですが、言わずもがな世界で百数十カ国に、約25,000店舗あるらしいです。
ちなみにカーネル・サンダースの「カーネル」は、名前ではなくて「大佐 」という意味の尊称で、ケンタッキー州から尊称を贈られています(※)。
▶編集注:カーネル・サンダースの「カーネル(大佐)」は軍の階級ではなく、ケンタッキー州に貢献した人に与えられる「ケンタッキー・カーネル」という名誉称号(名誉大佐)。
石川 サンダース大佐ということですか?(笑)
深井 そう呼ばれています。
実際軍隊に入っていたこともあるのですが、(すぐに)2カ月ももたずにやめているそうです 。
そんなカーネル・サンダースが、なぜ尊称を贈られることになったのか、話をしていきたいと思います。
母親に代わって家事をしていた子ども時代
深井 生まれたのは、1890年のインディアナ州です。赤いところですね。
1890年は、ちょうどアメリカが西部開拓が終わったと宣言をした年で、西部劇の時代がちょうど終わってネイティブアメリカンが最後の抵抗をやめた頃です。
この年にハーランド・サンダース(カーネル・サンダースの本名)が生まれて、6歳のときにお父さんが亡くなってしまいます。
それによって家庭が貧困状態になって、弟と妹がいたのですが、お母さんがシングルマザーとしてとても大変になります。
お母さんは、缶詰工場でトマトの皮むきの仕事をしたり、服を作ったり、当時は社会福祉も充実していないので、とりあえず子どもたちを育てるために色々な仕事をしました。
お母さんがすごく大変だったので、6歳ぐらいのサンダースも家事を手伝って、家計を助ける、苦労のスタートとなっています。
サンダースのお母さんは泊まり込みで、かなり遠くの工場で仕事をしていたようです。
そのときに、子どもたちに当面の食事としてライ麦パンを焼いて置いていくという習慣があったそうです。
あるとき、何かの理由でそのパンが無くなっていて、サンダースは長男なので、お腹のすいている弟や妹に食べさせてやらないといけないと、見よう見まねでパンを焼いたらしいのです。
この時点で結構すごいなと思うのですが、パンを焼いたら、とても上手くできたそうです。
7歳のときの話ですが、自分はすごくよく出来たと思って、このパンをお母さんに見せてあげたい、食べさせてあげたいと、歩いて5時間ぐらいかかったそうですが、遠い道のりを5歳の弟と2歳の妹を連れて、パンをお母さんの工場まで持っていくのです。
石川 相当面白いエピソードですね(笑)。
(一同笑)
深井 そうなんですよね。
そのときにお母さんと同僚のおばさんたちがすごく喜んでくれます。
それが原体験になったらしくて、こう思うわけです。
「僕は食べ物で人を幸せにできるんだ」という、強烈な原体験がこのときサンダースにできます。
10代で家出後、30代後半まで職を転々
深井 10歳の頃から、学校に通いながら、お母さんに楽をさせたい一心で農園で働き始めます。スライドは、カウボーイの写真なので農園とは違うと思いますが…
12歳ぐらいのときに、お母さんが再婚して新しいお父さんが来ます。
それ自体はいいことだし、お母さんも子どもたちを楽にさせたいと思って再婚したと思うのですが、サンダースは新しいお父さんと全然そりが合わなくて家出をします。
家出をした後、その後ずっと職を転々としますが、それがなんと30代後半まで続きます。
家出して学校もやめてしまっているから、学歴も小学校卒業程度で、どんな仕事をしたのかというと、まず陸軍、機関車の灰さらい、機関士、路面電車の車掌、ペンキ塗り、弁護士と、たくさんの職に就いています。
弁護士は当時のアメリカでは、誰でもなれるような職でした。
保険外交員、フェリー会社の経営、商工会議所の秘書、ガスランプの製造販売、タイヤのセールスマン、ガソリンスタンド経営と、色々なものをやっています。
山内 脈絡が全然ない。
深井 ないんですよ(笑)。
脈絡はないけれど、一生懸命ではあったらしくて、1つ1つの仕事をものすごく頑張っていたようです。
けれども、空回りをたくさんしていたらしく、例えば弁護士を廃業したときも、裁判官の賄賂の取引を告発してクビになるみたいな。
なんでそれでクビになるのかという話ですが、当時の西部開拓時代から間もないアメリカは、そんな時代だったわけですよね。
運もなかったらしくて、フェリー会社から手を引いた直後に、ものすごい儲けが出たりしています。
だから全然うまくいきませんでした。
ガスランプの製造販売に手を出し大金をつぎ込んだときは、ちょうどガスから電気の時代に変わるところで、大損をして全財産を失います。
そういうことを、30代後半ぐらいまでずっとしているわけです。
40手前、ガソリンスタンド経営が軌道に乗るが…
深井 40手前で、1つ転機が来ます。
タイヤのセールスマン時代に知り合った石油代理店の偉い人から、「ガソリンスタンドをやらないか?」と声をかけられたらしいのです。
たぶんちょうどアメリカが車の利用に切り換わっている時期で、ガソリンスタンドの需要が非常に上がって来ているときだったのです。
このガソリンスタンドを始めた地が、ケンタッキー州でした。サンダースの出身はインディアナ州です。
このときにサンダースがやった革新的なことは、圧倒的なホスピタリティでした。
今の日本のガソリンスタンドと一緒ですが、窓を拭くとか、空気圧を計るとか、そのほか、パンクしていたら無料で修理もしていたそうです。とにかく徹底的におもてなしをしました。
サンダースのガソリンスタンドは非常に人気が出て、サンダースはガソリンスタンドで初めて軌道に乗り成功します。
しかし、1929年の世界規模の大恐慌の影響で破産します。
井上 やっぱりついていないんですね。
(一同笑)
深井 はい(笑)。ついていないんです。
ガスランプに続き2度目の破産でした。
ガスランプも大失敗で全財産を失い、ガソリンスタンドも大恐慌で全財産を失うのですが、ここで普通なら絶望するところ、ガソリンスタンドには適性を感じていたようで、再起をします。
北川 スライドが同じですね。
(一同笑)
深井 同じです(笑)。
井上 ここまでチキンは一切なしですね(笑)。
深井 全然出てきません。なかなか出てこないですよね。
2回目のガソリンスタンドは場所も変わっています。
お金がなかったので、非常に治安の悪いところで再起をしたようです。
併設カフェのフライドチキンが大人気に
深井 そのとき作ったのが併設のカフェで、サンダース・カフェといいます。
山内 ガソリンスタンドのおまけみたいな。
深井 そうですね。
ガソリンスタンドに併設してカフェを作るのですが、ガソリンスタンドも恐慌の後で需要があると言えばあるのですが、まだ不安だし、というときに、娘さんから「お父さんは食事を作るのがすごく好きで上手いから、食事を提供したら?」と言われたらしいのです。
サンダースが思い出したかどうかは分かりませんが、ライ麦パンの経験もあるわけじゃないですか。
石川 そうなんです。僕が気になったのはそこなんです。
サンダースの根本原理は、食で人を幸せにできることじゃないですか。
そこに全然いかないんですね(笑)。
(一同笑)
食以外のことをひたすらやっていますよね(笑)。
井上 娘に言われるまで(笑)。
深井 気づかなかったんです。
何をやっていいか分かっていなかったのです。
物置小屋のようなところで、テーブル1つと椅子6脚だけを置いて、とりあえず自分で料理を作って出し始めたそうです。
そのときに出したのが、フライドチキンなんです。
フライドチキンは南部の料理で、一般的には田舎の料理ですが、お母さんがすごくいいレシピを持っていたそうです。
お母さんのレシピをベースにフライドチキンを出したら、それが大人気になるのです。
山内 おまけで作ったカフェのサブメニューというか、そこからなんですね。
深井 そうなんです。
45歳でケンタッキー州からも評価されて、「ここから成功したんだな」と思うじゃないですか。
▶編集注:この頃「州の料理への貢献」が評価されて、ケンタッキー州知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を与えられている(Wikipedia)。
それが違うんですよ(笑)。
(続)
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続きは 8. 諦めない気持ちが、いくつになっても人生のクライマックスを呼び込む【終】 をご覧ください。
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/星野 由香里/戸田 秀成/小林 弘美
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