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「僕はこの子が死んだ時よく分かったんですけど、何で医療を続けてきたかっていうと、本当に一言でいうとだって可哀想じゃないと思うんですよ、こういう子見たら。いつもそれの繰り返しで自分で続けてきたんだな、というのがよく分かりましたね。こういう小さい子たちが最期、虫の息になって死んでいくっていう現実をね。可哀想だなって思うだけで、だから何とかしてあげたいって思うだけで、それで医療を続けてきたんだなと。」と語るジャパンハート吉岡秀人の人生の(その3)をご覧ください。
カンボジア病院建設プロジェクトも合わせて是非ご覧ください。
リンク:http://irodorucambodia.org/
2016年3月14日開催 ICC SALON「ジャパンハートのこれまでとこれからの取り組み」 (スピーカー) 特定非営利活動法人ジャパンハート代表 吉岡秀人 氏
Part1はこちらをご覧ください:ミャンマーでの医療活動は自分との約束を守るため(ジャパンハート吉岡秀人の人生)
Part2はこちらをご覧ください:10年かけてでも、心臓病に苦しむミャンマーの子どもたちを救いたい(ジャパンハート吉岡秀人)
子どもの癌で全滅していた国。もしかしたら助けられるかもしれない
もう1つできてないのは、子どもの癌なんですね。
これは生後1ヶ月の子ですけど、口から悪性腫瘍が出てきて、このまま近い将来亡くなっていくんですね。
悪性腫瘍の子も多いんですよ。どのくらい発生しているかというと、小児の悪性腫瘍に関しては、ほぼどこの国も一緒だと言われてるんですね。色んな環境要因は無いと言われていまして、データとして出てるんです。だいたい日本だと2,000人から3,000人悪性腫瘍が発生しますね。ミャンマーも同じぐらい。人口から言って、カンボジアはその4分の1位ですね。ラオスはそのまた半分位ってことになりますけど、そのぐらい発生してるんですね。
ミャンマーもほぼ同じだと思うんですけど、ラオスもカンボジアも抗癌剤の種類すら揃ってないですからね。
日本は何が一番多いかって、半分ぐらいは白血病なんですよ。白血病どのくらい助かってるかっていうと、日本は8割といってましたね。
白血病にしろ、子どもの癌は死ぬ病気じゃなくなってきたんですよ。全部は助からないですけどね、ある程度助けることができるようになってきた。
ミャンマーではこの時代に及んでまだ全滅してるんです。そしてこの20年間、その全滅に僕はずっと接してきたんですね。
だけどもしかしたら助けることができるかもしれない、と少し思い立ちまして。それはどういうことかというと、薬でもなんでも、薬価は年々、下がっていくんですよね。ジェネリックになっていくじゃないですか。そうするとすごく薬価が下がってくる。
この前 小児癌の専門の医者に、「僕は、昔からある安い薬価の薬だけで治療できたら、日本の半分ぐらいは助かると思うんだけどどう思う?」と聞いたら、「きっと半分ぐらい助かりますよ」と言ったんですね。僕もそう思うんです。
それはどういうことかというと、再発した難しい患者を対象に日本は高額な医療をしているのです。骨髄移植のようなことしなくても、昔からある抗癌剤の治療だけで恐らく半分ぐらいは生存にもっていけるんじゃないか、という目算なんですね。
そうすると、すごい数の子どもが、年間千人単位の子ども達がアジアで助かることになるじゃないですか。これをとにかく実現したいと思ったんですね。
ミャンマーもラオスもカンボジアもそうなんですけど、貧困層の子どもはやっぱり治療を受けられてないんです。
誰かが貧困層相手の病院を造らないと、このままの状態が10年、20年続くことになりますから、その間に失われる人命ってかなりの数になるでしょ。だから病院を造ろうと。
もしASEANが経済圏として統一されるならば、なに人でも働けるんですよ。そして癌の治療というのは幸いなことに計画治療なので、何月何日から何日間抗癌剤打ちましょう、という治療なので、そうすると全てバスとか安い飛行機でやってこれるんですね。そして入院して帰っていけるという状態なんですよ。
この子の場合、カンボジアの子なんですけど、この子は腎臓癌の子なんですよ。子どもの腎臓癌って、ちゃんと治療すれば8〜9割助かるんですね。だからこの子は日本に連れて来て治療したんですよ。
これは治療して終わった時ですね。
これはラオスの1才の女の子ですけど、この子も腎臓癌だったんですね。
この子も日本に連れて行って、抗癌剤も全部終わって、手術して。
この子は肝臓の良性腫瘍ですね。良性腫瘍が大きくなって、十二指腸を圧迫して食べれなくなる、吐き続ける。それで死んでいくんですけど、パスポート取るだけで6ヶ月ぐらいかかるので、間に合わないんですよね。
それで間に合わなくって、この子の場合は日本から小児外科のチームを出したんです。派遣して手術してもらいました。
こんな感じですね。
今も元気にしてます、2人ともね。
この子はラオスの子ですけど、白血病です。難しいのはこの病気は数が多いわけです。
手術した病院から電話がかかってきまして、「吉岡どうする?」と言われたんですよ。何故どうするか、というとこの子1人を日本に連れて来て治療したら、次からすごい数の手術希望者がくるぞ、と言われたんですよ。
ラオスの中で年間600人とか500人白血病があったら、250人この病気なんですよ。つまり250人の手術希望者が来るぞ、ということなんですよね。
だから「どうする?」と言われたんですね。「どうする?」と聞くのは向こうには、それこそ「受け入れないよ」「受け入れない方がいいんじゃないか」というメッセージがあるので、僕は基本的に分かりました、と言って断ったんですね。
そうしたら、僕が次に行った時にこの子が来てベットに寝るわけですよ。日に日に弱っていくわけですね。最後は動かなくなりまして、息してるだけなんです。
その頃になってその子の父親が、ラオスでも金持ちの子はタイに行くんですけど、その後に及んで、父親は「タイに連れて行きたい」と言ったんですよ。
でも動かせない、動かしたらそんまま死んじゃいますからね。そのまま翌日に亡くなったんですけど。
僕はそういう光景を沢山見てきたし、ほんと可哀想なんですよ、さっき言った心臓病の子どもが死ぬ時とか。ほんと可哀想だよね、
僕はこの子が死んだ時よく分かったんですけど、何で医療を続けてきたかっていうと、本当に一言でいうと「だって可哀想じゃない」と思うんですよ、こういう子見たら。
いつもそれの繰り返しで自分で続けてきたんだな、というのがよく分かりましたね。こういう小さい子たちが最期、虫の息になって死んでいくっていう現実をね。
可哀想だなって思うだけで、だから何とかしてあげたいって思うだけで、それで医療を続けてきたんだなと。
この子は亡くなっちゃいましたけど、いつまでも今の状態で置いとくのは僕はあんまり人としては正しくないなと思っていて、とにかくこれを何とかしようと思ってお金も無いんですけど、病院建設をやり始めたんですよ。
アジアの中で一番病院建設が容易な場所はカンボジアですね。でカンボジアに造ることにしました。
こうやって着工式、これは地鎮祭なんですけど、左の方がカンボジアの保健大臣なんですけどこうやって着工式をやりました。これは去年(2015年)の10月ぐらいなんですけど、
今はどんどん建設が進んでまして、ほぼ1期目の工事は進んでて、これは3期までいったら3期目に小児癌の子どもを受け入れようと思ってまして、1期目は周産期を中心に外科、内科からスタートして、3期までにこの体制を整えて、3期から癌の子どもを受け入れるっていうふうに今やってまして、2016年の5月にオープンできそうなので、それでやろうと思います。
ジャパンハートの活動に現在、500人以上の医療者が日本から参加していて、これに長期で滞在してるお医者さんが40人ぐらいいまして、600人ぐらいで医療活動をやってるんですけど、この人数はどんどん増えていってます。活動はミャンマーから拡大しています。
今後の展望
今僕はこれから何をしようとしているかというと、学会を巻き込んでやろうと思ってまして、ある程度の教授とか部長という人達は定年退職になるじゃないですか。
そうすると次の日から、昨日まで手術してたのに、今日から老健施設の施設長とかやるんですよ。それは社会的損失ですよね、もったいないじゃないですか。
昨日までトップレベルなのに、今日から老健施設の施設長ですよ。この位の人達がどう再生するかというのは僕の1つの課題で、この人達に若い先生達を連れて手術に行ってもらったら、僕が行かなくても安全が完全に確保される。
技術力も、日本のトップレベルの技術力がそのまま横滑りで海外に役立つのだから。この人達を巻き込んでやろう、ということで、日本の部長職の人達、教授職の人達を巻き込もうとしてます。 それは学会に対して巻き込む。看護師さんだったら看護協会、助産師さんは助産師協会そのものとドッキングしてやろうとしてるんですね。
そしてこの数をどんどん増やしてそこに、先程の話しじゃないですけど日本人達を大量投入して、そしてアジアの途上国各国の医者達を集めて直接トレーニングする、そしてそれぞれの国に帰っていく、という仕組みにしてこの病院と活用しようというふうに今考えてます。
それをいよいよこの5月からスタートしてやる、という感じで今活動中です。
これはある夏の光景ですけど、ジャパンハートは大きな組織、大きな団体とはドッキングしてやってないんですけど、個人単位でこれぐらいの人がガンガン集まってくるんですね。
1日20数件手術しますけど、たくさんの人が来るんであんまりストレスなく医療活動ができるようになりました。
2012年位から人数が増えているのは、東北の震災の影響ですね。
これは昨日もある人達と話してたんですけど、あの時に恐らく医療者達はこういうことをやらないといけない、という意識が目覚めたと思うんですね。
もう1つは、お金貯めても何か財産持っても一瞬にして人の運命は変わることがあるっていうことを、震災若い人達が悟ったということですね。
昨日もある人が、「20代の人達は完全にこの考え方になった。車が欲しいわけでもなく、何か欲しいわけでもなく、お金お金というわけでもなく、なんか純粋に社会貢献したいっていう人がものすごい数いるというふうになった。」って言われてました。「今までの人達はどちらかというと損得があったりとか、見栄があってやった人が多かったけども」とも言ってましたけどね。
東北の震災の時に、医療者の意識が目覚めたと思うんですね。現地に行けなかった人も行った人も含めて変わってきたんです。
ところが東北地方はこの後、、医療者が支援する場所が無くなってるんですね。大きな国単位でやるものと、もっときめ細やかな個別単位でやることしか無くなって、真ん中のところの医療として支援がなくなっちゃってるんですね。
そのため医療者が行く場所が無いんですね。ただ意識的に目覚めてるので、東北と同じようなシチュエーションの場所といえば海外になってくるわけですね。
それで海外にどんどん流れてきてる、という流れだと思います。今ミャンマーに来てる人達の中には、多くが三陸地方から来てますよ。仙台含めて石巻とかあの辺からいっぱい来てますから。恐らくそういうことなんだろうと思います。
(続)
編集チーム:小林 雅/城山 ゆかり
続きはこちらをご覧ください:大切なのは、手放すことを恐れないこと(ジャパンハート吉岡秀人)
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