9月22日〜24日の3日間、石川・能登にて開催された「ICC石川・能登コネクテッド」。ICCサミットの登壇者・参加者たちが3日間にわたって石川や能登を訪れ、ディスカッションを重ねました。この記事では、DAY2の「ICC能登コネクテッド」のプログラム、東日本大震災大震災から復興事例のケーススタディ①から、GRA岩佐 大輝さんのプレゼン書き起こしをご紹介します。ぜひご覧ください。
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット FUKUOKA 2026は、2026年3月2日〜3月5日 福岡市での開催を予定しております。詳しくは、公式ページをご覧ください。
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【登壇者情報】
2025年9月22〜24日開催
石川・能登コネクテッド
Session 2 東日本大震災大震災から復興事例のケーススタディ①
Produced by ICCパートナーズ
(スピーカー)
岩佐 大輝
GRA
代表取締役CEO
(モデレーター)
荒木 珠里亜
ICC運営チーム
白井 智子
CHEERS
代表取締役
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荒木 珠里亜さん(以下、荒木) では、早速プレゼンテーションに入っていきたいと思います。
お一人10分ずつプレゼンテーションをしていただいた後、40分間のQ&Aになります。
しっかりプレゼンテーションを聴いていただいて、皆さんでQ&Aをしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
では、岩佐さん、よろしくお願いいたします。
本セッション記事一覧
- GRA岩佐さん「グローバルレベルの産業を創り出せれば、地域は再び栄える」
- 東の食の会 高橋さん「日本の各地でそれぞれ頑張り、つながって素晴らしいコミュニティを」
- 死んだ人は挑戦できない、ということを自分に言い聞かせて生きる
「ミガキイチゴ」の岩佐さんプレゼン
岩佐 大輝さん(以下、岩佐) 皆さん、こんにちは。
宮城から来ましたGRAの岩佐と申します。
私の事例が皆さんの役に立てばいいなと思いますので、一生懸命話をしようと思います。

「ミガキイチゴ」というブランドイチゴを作っている会社を経営しています。

私はもともと農家だったわけではなく、2002年からITの会社を経営していました。
2011年の東日本大震災で故郷が壊滅的な状況になり、宮城に戻ったのが、私が農業を始めたきっかけです。

▶︎『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(Amazon)
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ですから、まだ15年くらいしか農業をしていないです。
宮城県の山元町は、宮城県の一番下のほうにあります。

その辺りに、住まいがありました。
どういう状況になったかと言うと、本当にショックだったのですが、スライドのような壊滅的な状況になってしまって、人口の4%くらいが亡くなってしまいました。

唯一の産業、129あったイチゴ農家が4農家に
山元町の唯一の産業みたいなものが、イチゴの農業でした。
人口は1万人ちょっとしかいませんが、イチゴハウスが流されて129あった農家は4農家になってしまい、働く場所もなくなり、JRの常磐線も流されてしまったので、人々は流出してしまい、厳しい状況になりました。
最初にやったことは、ボランティア活動を始めて、NPO法人GRAを作ることでした。

特定活動非営利のボランティアをしたり、産業創出のお手伝いをしたり、まちの人と一緒になって、どういうまちにしたらもう一度盛り上がるかということを色々考えたりしました。
NPOの活動は、2021年までの10年間、ずっと続けていました。
グローバルレベルの産業を創り出せれば、地域は必ず栄える
自分自身は起業家なので、それとは別に、雇用を作ることで地域を豊かにしようと強く思うようになって、GRAという会社を創りました。

当時考えていたのは、今でも本当にそう思うのですが、どのような条件にある地域でも、そこにグローバルレベルで勝負できる産業を創り出せば、その地域は必ず再び栄えるということです。

どうしても厳しい状況になると、隣のまちと自分のまちとを比較してしまったり、隣の家よりも支援物資が少ないみたいな気持ちになってしまったりするのですが、視座を上げて、世界の中で自分たちの地域がどういう状況にあるのかという風に考えることが、すごく大事だなと思いました。
そういうことを言うことで、みんながそういう意識を持つようになればいいなと思って行動したことを覚えています。
震災の5日後、井戸掘りからスタート
農業は本当にゼロから始めて、井戸掘りからスタートしました。

それが2011年の9月のことで、震災の5日後くらいです。
私はまだ東京で会社を経営していましたが、結果的に、その会社は共同創業者に譲って、宮城での活動に集中することになりました。
最初は、この3人でスタートしました。

中央にいるのは、農業40年のレジェンドの橋元さんという方で、左奥は私の同級生の橋元君です。
それぞれ家を失い、橋元君は当時5歳の娘さんが幼稚園バスに乗り遅れたのですが、流されて亡くなってしまいました。かなり厳しい状況でしたが、イチゴでもう一度まちを元気にしようと、志をともにした3人だったので、一緒に始めました。
1年後からこのハウスの鉄骨を買ってきて、ハウスを組み立てて、イチゴを育ててみたところ、結構いいイチゴができました。
なぜいいイチゴができたかと言うと、レジェンドの橋元さんは勘と経験を活用して、朝の3時、4時に水をあげたり、肥料のコントロールをしたりしました。橋元さんは、僕らが出社する8時くらいになるとパチンコに出かけていました。
(会場笑)
でも、すごい作り手で、僕らがイチゴ作りを教えてくださいとお願いしたら、すごく怒られて、イチゴ作りというのは、イチゴに話しかけろ、みたいに言われたのですよね。
(会場笑)
IT×農業で、面積当たり2倍の収量に
岩佐 橋元さんに、イチゴと会話するのにはどれくらい時間がかかりますか?と聞いたら、15年くらいかかると言われました。自分は実家だからいいのですが、若い農業者が来て、15年ついていくのは難しいなと考えました。

当時は先端園芸、今はアグリテックというマーケットがある程度ありますが、そういう状況になって、たまたま自分の専門分野がIoT分野の技術だったので、センサーが張り巡らされたハウスに投資をしました。

振り返ると、当時はITで稼いだお金を全部突っ込んでも足りなくて、個人保証で5億円か6億円くらい借りました。
火だるま作戦みたいな感じで突っ込んでやっていた感じで、ハウスを作ってみたのはいいのですが、周囲からはいろいろとひどいことも言われました。
農業は、保守性が高い業界なので、自分はまちの出身者でしたが、新規参入する時には、色々なことを言われました。
でも意外とITと農業は相性が良く、強烈に農業にとって良い作用が多かったのです。



その結果、面積当たりで採れるイチゴの量が日本の平均値の2倍になって、販売単価も2倍になったので、面積当たりの経営効率が4倍になったのです。

この頃から、ベンチャーキャピタルとか事業会社もやっと出資してくれるようになったりして、だいぶファイナンス的には楽になってきました。
それが、2015年ぐらいでした。

ハイエンドのブランドイチゴが生まれた経緯
ただ、良いものだというだけでは売れないので、ブランディングをしていこうと、「ミガキイチゴ」というブランドを一点突破戦略として、高いものは1粒1,000円以上で販売しています。

その他にも、1箱1万円くらいの商品、1パック1,000円ちょっとくらいの、普通のイチゴよりもちょっと高いけれども、普通の家庭でもなんとか手が届く商品など、ハイエンドに絞っていこうと考えました。

当時の山元町の問題は、全てのイチゴ農家が仙台イチゴとして出荷していて、山元町の農家は、なぜ山元町で作っているのに仙台イチゴなんだろうと思っていたし、仙台市でイチゴを作っている人は一人もいなかったということでした。
そういうことがあって、地域というものをもっと際立たせる地域ブランドを作ろうというのが、新しいブランドを作った理由です。
最初はどぶ板営業で色々なお店を開拓しました。
やはり食ブランドは、どこで売られているかというチャネルが大事です。
いい加減だとブランドが立ち上がってこないので、営業してハイエンドな店舗に置いていただくことが重要です。

イチゴ狩り来園者のほうが、町の人口より多い
次にやったのが、ICHIGO WORLDというイチゴ狩りの施設を作ったことです。
人口12,000人ぐらいしか山元町にはいませんが、年間5万人以上の方が来園して、イチゴ狩りをしています。

面白いものを作ると、本当に世界中から人が集まってくるのだなというのは、感覚として強く持っています。

加工品もたくさん作っていて、いわゆる6次産業化、垂直統合をやって、お酒を造ったりコンビニとコラボレーションしてスイーツを作ったり、加工品の売上高も増やしていっています。

海外、特に東南アジアの国に輸出をしています。
▶︎農業生産法人 株式会社GRA 1 現状の取組(農林水産省)

新規就農支援の学校を開校
2015年には新規就農支援事業といって、イチゴを事業にしたい個人や会社の人が山元町に来て、勉強をして独立を目指すプログラムが学べる、ミガキイチゴアカデミーという学校を始めました。


今は、卒業した方が、30名以上農家として独立している状況です。非常に多いですね。

難しいのは、株主としてはコンペティター(ライバル)をたくさん作るビジネスをして、どうするんだというような状況があります。
我々としては、雇用が増えてまちが賑わうのはソーシャル・インパクトがあっていいじゃないかと、意見がぶつかるような時期もあって、今もそういうコンフリクトがちょっとあったりします。
やっていることはずっと、栽培を形式知化して、勘と経験を定量化するようなことです。

消費者とつながるスイーツ事業
次にやったのは、スイーツ事業で、「いちびこ」というイチゴのうさぎのブランドを作りました。


東京で店舗をたくさん展開していきました。

三軒茶屋店が最初の店舗で、今は9店舗ぐらいです。東京はほかに新宿など、色々なところにあります。





日本ハムの本拠地がある北海道ボールパークFビレッジや、東京ディズニーランドに隣接するイクスピアリにも店舗があります。
▶︎いちごスイーツ専門店(ICHIBIKO 北海道ボールパークFビレッジ)
▶︎ICHIBIKO(IKSPIARI)

あとは、新しいブランドへの取り組みです。

まさに、今日来てくださっているひらみゆき農園さんが作っている、能登のブルーベリーを使わせていただいたり、イチゴ以外のベリーを使って、カフェを展開しています。


農家として作るだけではなく、売るところまでやることで、消費者とできるだけつながろうとしています。
海外でも「ミガキイチゴ」を作る
海外の事業にも力を入れていて、インドやマレーシア、ヨルダンなど、小さな農場をたくさん造っています。

▶︎復興の想いを込めた“ミガキイチゴ”をインドへ(JETRO)
海外で日本のイチゴは、まだまだニッチなマーケットなので、小さいながらも色々なところでやっています。

かなり資本主義と農業を地域に持ち込んだみたいな感じのことをやっています。

自分自身が起業家であるので、そこで勝負しようと思っていたのですよね。
2023年には、投資家や従業員にストックオプションを行使してもらったり、経済的に投資家に還元するということで、農業スタートアップ初のM&Aでエグジットしました。私自身は経営者として残っています。
▶︎ミガキイチゴのGRA、世界の食料・農業を支えるクミアイ化学工業とM&Aで合意(PR TIMES)

一番の自慢は、これですね。

「桃鉄(桃太郎電鉄)」です。
(会場から「すご~い」の声)
すごいでしょう? 僕の自慢です。
(会場拍手)
▶︎【桃鉄スイッチ】東北地方のおすすめ物件【桃太郎電鉄2020】(桃鉄スイッチ攻略ガイド)
一点突破で行こうということで、イチゴ農園ではなく「ミガキイチゴ農園」で、1億円で売られています。
少しずつ知られていくブランドになってきたのかなと思います。
震災前と比べて交流人口は10倍、町民所得は1.5倍に
こちらは、最後のスライドです。

私たち起業家がやらなければいけないこととは、一番は経済的価値を創り出すところだと思います。
特に株式会社でやっているケースでは、本当に経済的な利益を出せないと、何の役にも立ちません。
サステナブルでないということだと思います。
もう1つ大事なのは、「誇りの醸成」と書いたのですが、自分たちのまちで生まれたイチゴの技術やブランドが世界に広がっていると山元町の人がみんな思うと、何が起きるかというと、緊張感とかそわそわ感とか、そういう甘酸っぱい感覚がまちに起こるのです。
そうすると、ICCの雰囲気もそうですが、ICCスタンダードがありますよね。
ああいうものがあると、みんなが緊張感、プライド、誇りを持って、アウトプットが素敵になっていくのです。
そういう状況が作られて、素敵になっているのを感じています。
経営的には、年間の交流人口が、震災前の10倍以上になっています。
イチゴの一点突破でやった結果、100万人以上が来るようになったということです。
僕だけではなくて、まちぐるみでやった結果、町民所得が、これは決して高いと思わないけれども、震災前の1.5倍になっています。
イチゴ農家が山のようにできたので、経済的にも盛り上がってきました。
そういうことが、できたことです。
この事例が役に立つのか分からないですが、能登でも農業や一次産業に携わっている方々のお手伝いが何かできればいいなと思って、数年来、ちょっと顔を出して、皆さんにお会いしたりすることがたくさんあって、これからも能登に通い続けて、皆さんと何か一緒に作れたらいいなということで、私の事例紹介を終えます。
ありがとうございました。

▶︎大阪万博で実る「1粒1000円」の宮城イチゴ 東日本大震災の復興を象徴(日本経済新聞)

白井 智子さん(以下、白井) ありがとうございました。
能登の企画が立ち上がった時に、ぜひ岩佐さんの話を皆さんに聴いていただくのがいいのではないかと、お話しさせていただいたのですが、皆さん、いかがでしたか?
復旧や復興の話の中で、夢が持てるというのは、実は一番の力になるのではないかと、岩佐さんの言葉をお借りすると、甘酸っぱい感じがしたなと思います。
では、続いて、高橋さん、お願いします。
編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/戸田 秀成/小林 弘美


