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seccaの上町 達也さんは、受託関係から脱却し、アーティストとして自らの価値を発信する挑戦を語ります。日本の世襲制や分業といった「集団制作」を現代の強みとして再定義。用途を満たすための技術が世代を超えた協働を生み、データ化不可能な人間の感性こそが、今後の競争優位性になっていくと語ります。
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回500名以上が登壇し、1,200名以上が参加する。そして参加者同士が真剣に議論し、学び合うためのカンファレンスです。次回ICCサミット KYOTO 2026は、2026年8月31日〜9月3日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションのオフィシャルサポーターは EVeM です。
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【登壇者情報】
2026年3月2〜5日開催
ICC FUKUOKA 2026
Session 12C
日本の工芸・アートの価値を高めるには?
Supported by EVeM
(スピーカー)
飯倉 竜
J-CAT
代表取締役CEO
石上 賢
丹青社
B-OWND プロデューサー
上町 達也
secca
代表取締役
松田 文登
ヘラルボニー
代表取締役Co-CEO
(モデレーター)
各務 亮
電通
クリエイティブ プロジェクト ディレクター
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▶『日本の工芸・アートの価値を高めるには?』の配信済み記事一覧
「制作パートナー」から「アーティスト」へ、secca上町さん
上町 改めまして、seccaの上町と申します。

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上町 達也
secca
代表取締役
1983年 岐阜県可児市生まれ
2006年 金沢美術工芸大学卒業後、株式会社ニコンに入社し、主に新企画製品を担当
2013年 手にした人の心を動かす持続的な価値を生み出すようなものづくりを目指し、secca inc.を設立し自社アトリエを構える。
自社ではsecca独自の経営を推進しながら、各作品のコンセプトメイキングを主に担当。
デザイナーとしてはパートナー企業の経営に寄り添ったデザインコンサルティングから具体的な企画、デザインを担当。
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僕は岐阜県生まれで、金沢出身ではありませんが、金沢美術工芸大学で製品デザインの勉強をしたので、金沢に縁はあったのですが、卒業後は大手のカメラメーカーで100分の1、1,000分の1ミリ台の細かい設計を伴う工業製品デザインをずっとしていました。
新規企画に取り組んでいたのですが、4、5年かけて作ったものなのに、上市すると1年後にはもうワゴンセールになってしまう、その価値の消費サイクルにまず疑問を持っていました。
それで、自分の手で何か物を丁寧に作り、丁寧な価値交換を伴って自分の手で手渡す、そんなものづくりの原点回帰みたいなものに憧れるようになり、起業につながったのです。

自分がそういうものづくりをする時、何をしたいのかを見つめ直すと、やはり自分のアイデンティティに紐づいたものに命を燃やしたいという思いがわいてきました。
そう考えると、日本で生まれ、日本でしか育ってきたことのない僕にとっては、工芸に目を向けるのが自然なことだったのです。
ただ、工芸を見てみると、決して華々しい状況ではなく、とても苦しそうな市場ばかりで、各務さんがおっしゃったように市場規模は最盛期の約7分の1になっています(Part.1参照)。
一方、僕は伝統を担ぐような立場ではないので、外からやってきて、本質的な課題を俯瞰できる立場だからこそ、少し新しいことをしてもいいのではないかなと。
それが業界の一助になると信じて、あえて新しいことをすることを選択して取り組んできました。
ジャンルをあえて絞らず、AIが発展する時代だからこそ、属人的だからできることにフォーカスし、我々とパートナーがいないとできない、体験を伴ったものづくりの結晶みたいなものを一つひとつ形にしていった、それが13年間取り組んできたことです。
例えば、料理人と一緒にただ器を作るのではなく、その方がいないと発想できない器を提案型で作り、その方の料理表現を拡張した結果できる、唯一無二の食体験を皆様に共有することを目指しました。
そんな道具作り、空間作り、さらに、食空間を彩る照明、そこから派生してホテルのエントランスのオブジェなどに広がり、その人としか作れないものがだんだんと発展してきたという、13年の歴史があります。
最近は、北陸新幹線の延伸に伴って加賀温泉駅が新しくなった時、地元の職人とコラボレーションし、彼らを立たせる(スポットライトを当てる)前提で10点ほどの大きな作品を作らせていただいています。
▶加賀温泉駅内 設置作品解説(加賀市)
ただ、後半の話につながるかもしれませんが、そういうやり方だけだと、自分たちが形にしたいもの、相手に届けたい価値を、どうしても素直に届けられないのです。
なぜなら、コラボは美しいものだと思ってしていますし、やめるつもりはありませんが、どうしても委託・受託関係になってしまうからです。
僕たちが素直に作りたいものや体験と実際のアウトプットに距離が生まれてしまうジレンマがあったのです。
ですので、13年経った今、きちんと作家やアーティストとして、自分たちの作品を世に提案していく取り組みを始めようとしています。
そこで石上さんに全力で助けを乞うて(笑)。
松田 いつからですか?
上町 半年弱前ですね。
僕たちのことを徹底的に理解してもらうところから始めて、僕たちが本当にやりたいことで、言語化できていないことを言語化したり、どんなアート文脈に整理し直せばアート市場でポジショニングが確立できるかを考えたり、そういう僕らでは到底できない発想や知見をもとに、一緒に我々の未来を考えることをさせていただいています。
世襲制度と集団制作が守ってきたものづくりの技
上町 その前提で、僕たちの視点から日本の工芸・アートの「本当の価値」は何かを考えました。
おそらく石上さんが、市場を俯瞰し、学術的な面も含めた分析をしてくださるだろうと思ったので、我々は、作り手目線から定義を整理してみました。
先ほど言ったように、僕たちは日本の工芸を中心に見ていることもありますが、歴史に立脚し、継承されてきた履歴は、我々さえも享受している価値の根っこだと思います。

そこに、先ほどの「空(くう)」など宗教心も含めて培ってきた美意識が上に乗ります。
鎌倉・室町時代の「座」に始まり、その後の世襲制度や徒弟制度にいたるまで、日本のものづくり集団や職人は、集団でギルド方式のように技を守ってきた歴史があります。
その歴史を客観的に見た時、最近は個人作家がものすごく活躍されていますが、分業や世襲制度を今のスタイルとして磨き直している集団だからできること、未来につなげられることも価値になりうるかなと思います。
その上で、工芸が飾るだけのアートと決定的に違うところは、用いられることです。
江戸や明治に作られたものであっても、今、日本料亭やお茶室で当たり前に使われているのは、過去の人とコラボレーションし続けているようで、めちゃくちゃロマンがありますよね。
我々が作ったものも未来と会話ができる、「用」がつないでいくということで、これを総合して見ると、日本が生み出す工芸・アートの独自の価値になり得るのではないかなと思っております。
飯倉 観光も同じ構造だなと思います。
歴史や美意識を感じたいというのもそうですし、集団制作について、なるほどと思いました。
例えば観光でも、ある地域にポツンと1つだけコンテンツがあっても、その地域には行かないのです。
でも、いろんな事業者のコンテンツを組み合わせてルートを作るとそれはツアーという形になって、一種の作品になりますので、すごく共感しましたね。
各務 工芸を分析してくださっていますが、見ようによっては、日本の社会そのものがこういう構造で作られているという見方もできるということですよね。

上町 そんな高い視座では考えられていなかったですが(笑)。
各務 ミクロを見ればマクロの世界が見えてくるので、面白いですね。
上町 特に北陸は、課題をたくさん抱えているのに、各地域が分断してしまっているのがもったいないです。
例えば、金沢は北陸の中では目立っていますが、隣の加賀市、県をまたいで福井や富山も工芸で栄えて頑張っています。
でも、金沢が全部のお客様を持っていくという、いがみ合い、僻み合いのようなものが発生していて(笑)、金沢を入れずに金沢以外で連携しようという話も聞こえてきます。
でも、同じ目的意識でつながって、強いコンテンツでお客様を迎えられれば面白いと思うのですが。
飯倉 本当にその通りです。
海外からのお客様の場合、そもそも青森や福島はどこにあるのか知らない状態なので、東北エリア全体として見せて、例えば、福島から上に行くと青森、そこから金沢に行くというようなルートを作らないと、訪問先の候補になりません。
エリアで分断したプロモーションの弊害として、東北がその問題に直面していると思います。
例えばですが、酒ツーリズムというものを作って、「酒と言えば東北」という売り込み方をしていかないと……。
松田 全体で見せると。
飯倉 アメリカでは全州でワインのツアーがありますが、カリフォルニア州のナパが有名なので、有名だからナパに行こうとなると思います。
日本酒も日本全国にありますが、同じように東北を集団として有名にし、東北を一周して酒蔵見学をするツアーという形にしないと、日本の価値は高まっていかないのではないかと強く感じています。
上町 それは重要だと思います、外野だから気づけるし言えることがありますよね。
中にいるとどうしても、先代、先々代からのしがらみに引っ張られたり、ゆえに素直になれなかったり対話ができなかったりします。
外から、違うベクトルをもとにつなぎ合わせてあげないと、どうしてもつながらないところがある気がしますね。
飯倉 おっしゃる通りです。
「集団制作」そのものが新たな価値
各務 今の話は、集団制作の負の側面が出てしまっているケースだと思います。
僕も今、京都の仲間たちといつも、「we」のものづくりをしています。
自分だけが成功することを目指すのが多数派である西洋の作家たちに比べ、日本のアーティストは代々つないできたものづくりや制作の姿勢が根本にあると思います。
日本がこれから戦っていく時、この集団制作という思想をどうルール化していくかについて、石上さん、解説をお願いできますか?
上町 「集団制作」は、石上さんとのセッションでも出てきたキーワードですね。
石上さんが見出してくれた言葉です。
各務 西洋との対比があって結構分かりやすいかなと思うので、解説いただけると嬉しいです。

石上 西洋においても、ジェフ・クーンズやダミアン・ハーストなどの現代アーティストは集団で制作しています。
ただ、個がめちゃくちゃ立つので、最初にまずコンセプトを作り、必要な素材や技法を考えて、最適なチームを形成する、トップダウン式で作っていきます。
でも、日本のものづくりが面白いのは、制作プロセス自体が目的にもなっていることです。
美術や工芸の世界は、いわゆる西洋のアーティストの価値観が輸入されてきた後、一人で作るようになっているのです。
陶芸家も、一人で作っている人が多いです。
そうすると、単独のスターは出てくるのですが、次世代に引き継がれるかと言うと、難しいです。
というのも、真似した真似されたという論争がすぐに起こるからです。
今までだったら技術を真似しても問題なかったはずが、それが一人の作家という存在になると、盗用だと問題視されるようになってしまいます。
集団で作られてきたものについて、近代になって個人化し、集団制作があまりできなくなった中で、seccaがあえて集団制作をしていることは、seccaの独自の価値になると思います。
例えば、チームラボは工芸ではありませんが、「集団的創造」を掲げています。
先ほど話した二元論ではない考え方を、制作プロセス自体で体現していると思います。
各務 宇治に、お茶碗を作っている友人がいます。
彼は老舗茶陶の16代目ですが、、日々、代々の主人の作品と対話しながら、まさに集団制作しています。
西洋でももちろん、過去の歴史、巨人の上に乗ってものづくりをしているとは思いますが、世代をつなぎながらものづくりをし、切磋琢磨するのは、東アジアや日本の強みというか特徴なのかなと感じます。
「用途のある」ものづくりに必要な集団制作

石上 用がある、用途があるということによって集団制作が成り立つと思っています。
鑑賞だけだと、触られないので壊れない、だから耐久性をそこまで高めなくてもいい。
一方で、用途があるものを作ろうとすると、触ったり置いたりを繰り返しますし、口をつけることもあるので、耐久性を高めなければ提供できません。
最近は用途のない工芸もたくさんありますが、用途のあるものづくりをした結果として高まった技術や技法を使って表現物を作っているのだと思います。
ですので、用途があるからこそ、耐久性を高めなければいけないからこそ、集団で作らなければいけないようになったと思います。
松田 面白いですね、勉強にもなる。
各務 日本にアートや工芸という言葉がない時は、例えば襖に絵が描かれている、用途のある創作物があって、単純な鑑賞物はほぼなかったですよね。
高貴な方にとって着物が、西洋のジュエリーであるように。役割でした。
そういう日本の工芸とアートは、独特ですよね。
上町 世襲制を否定するつもりは全然ないのですが、負の側面としては、一子相伝で守ることで権利を主張し、ビジネスをするコアの種にしていたわけですよね。
そうすると、だんだんその市場がシュリンクしたり、跡を継ぐ人もいなくなってしまったりし、せっかく10代以上つないできたものさえ、誰にも知られずに途絶えるかもしれません。
実際、茶道の千家十職において、そういう歴史があります。
▶千家十職(甘木道)
確かに守っていくことは大事ですが、閉じることの負の側面、逆に開くことで、日本全体で見た時のポジティブな効果の両方をフラットに議論した上で選択していけるといいと思います。
これは、外野だから思うことですね。
各務 ICCにいらっしゃっているような、成功した方たちに「用」として使ってほしいですね。
松田 本当ですよね。
各務 「用」として使えるユーザーがいなければ、その生態系が作れないと思います。
上町さん、ではお話の続きをお願いします。
データ化できない感性を育み続ける重要性
上町 個人レベルに階層を落として考えた時の、僕のイメージがこちらです。

これが正解というわけではないですが、作り手を定義してみました。
これまで職人と呼ばれていた人たちを定義し直したと言えるかもしれません。
先ほど見ていただいた伝統やそれによって培った「道(どう)」は、技以前に、一子相伝や世襲によってつながれてきた精神性だと思います。
ですので、道というものが下地になっているだろうし、その上に培われた技術はノウハウのような知恵です。
失敗の連続によって築いてきた知恵、繰り返し鍛錬をすることで得られる技術ですね。
それらをつなぎ合わせると、何を美しいとして結論を出すかという感性と、修練が生んだ精度、感性と知恵が生んだ美につながり、これら全体で工芸のアウトプットが支えられているような気がします。
その中でも特に、情報には置き換えられない、非言語でデータ化できない感性は、このAI時代において代替できないし、すべきでもないですし、人間性がより顕著に表れるため、重要になってくると思っています。
市場が工芸だろうがアートだろうが、やはり作り手の立場から見ると、この感性をいかに育み続けるかが、日本のものづくりが日本のものづくりであり続けるためにすごく大事なポイントでもあるのではないかと考え、絵にしてみました。
私からは以上です。
各務 まだ少し理解が追いつかない部分がありますが……(笑)。
上町 すみません、分かりづらかったですね(笑)。
各務 いえいえ、この曼荼羅のように単純ではない関係であることの魅力が、日本の工芸・アートの価値なのかもしれないですね。
分かりやすくはないけれど、それをどういうふうに伝えていくか。
上町 ありがとうございます。
(続)
▶カタパルトの結果速報、ICCサミットの最新情報は公式Xをぜひご覧ください!
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/戸田 秀成


