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「面白いという感覚を磨くためには、いろんなものに目を向け、自分を磨いていかないといけない」

「面白いという感覚を磨くためには、いろんなものに目を向け、自分を磨いていかないといけない」(ビズリーチ 南)

第一線で活躍する起業家が起業するにあたっての心構えや取り組み方など、起業やベンチャーを志す学生の方々との質疑応答形式でセッションが行われました。ICCカンファレンス STARTUP 2016 「人生は挑戦だ!」(前編)をご覧ください。

登壇者情報
2016年2月17日開催
ICCカンファレンス STARTUP 2016
Session 3 「人生は挑戦だ!」

(スピーカー)
仲 暁子   ウォンテッドリー株式会社 代表取締役CEO 
千葉 功太郎 株式会社コロプラ 取締役Co-Founder 
丹下 大   株式会社SHIFT 代表取締役社長
南  壮一郎  株式会社ビズリーチ 代表取締役社長 
 
(モデレーター)
小林 雅      ICCパートナーズ株式会社 代表取締役

起業家・ベンチャー企業を目指す20代への熱きメッセージ

小林雅氏(以下、小林) 早速セッションをスタートしたいと思います。いろいろ挑戦されてきた方々の生の声を皆さんぜひ聞いてほしいと考え、企画したセッションです。

簡単に自己紹介からスタートします。まずは仲さんから、自己紹介を含めて説明いただければと思います。では、仲さん、よろしくお願いします。

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ウォンテッドリー代表 仲 氏の自己紹介

仲暁子氏(以下、仲) こんにちは、紹介に預かりました、仲と申します。Wantedly使ったことある方どれぐらいいますか?多いですね!ありがとうございます!

簡単に自己紹介しますと。京都大学を卒業し新卒でゴールドマン・サックスに入って、日本株を販売していました。そのあとフェイスブック・ジャパン立ち上げの時期に参画しました。そのときに今のウォンテッドリーの着想を得まして、起業をして。そこから早や4~5年経って今に至るという状況です。

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仲 暁子   
ウォンテッドリー株式会社 代表取締役CEO

1984年生まれ。京都大学経済学部卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社。退職後、Facebook Japanに初期メンバーとして参画。2010年9月、現ウォンテッドリーを設立し、Facebookを活用したビジネスSNS『Wantedly』を開発。2012年2月にサービスを公式リリース。高校留学中、留学生同士のコミュニティサイト運営に携わる。大学では、大学の履修情報やキャンパス周辺の生活情報を掲載したフリーペーパー「chot
better」を立ち上げ、京都市内の中小企業向けにHP制作会社を設立。Facebookでの経験を通して、ソーシャルメディアの可能性を肌で感じたことが、Wantedlyというサービスを思いつくきっかけとなる。ウォンテッドリー設立後、人と人が繋がることにより、個人の可能性を最大限広げるサービス作りに取り組む。趣味は面白いものを創る活動。「ジョジョの奇妙な冒険」と岡崎京子、庵野秀明監督が好き。世の中をより面白くするプロダクト作成に日々没頭している。

ウォンテッドリーは、「シゴトでココロオドル人をふやす」というミッションを掲げてやっています。皆さんちょうど大学生で、これから社会に出てどういうキャリアを積んでいこうかとか、どういうふうに仕事していこうかみたいに考えてる方多いと思うんです。

仕事というのは「お金を稼ぐための手段で、自分の人生切り売りする」というものではなく、「自分の自己実現である」とか「社会貢献を通じて、そこにお金が付いてくる」ということだよねと定義してます。(ウォンテッドリーでは)仕事で本当に心がワクワクするような人たちを増やしたいと思って、日々事業やサービスを展開しています。今日はよろしくお願いいたします。

小林 ありがとうございます。よろしくお願いします。では、次にコロプラの千葉さん、よろしくお願いします。

コロプラ Co-Founder 千葉 氏の自己紹介

千葉功太郎氏(以下、千葉) みなさん、こんにちは。コロプラ、取締役Co-Founderの千葉です。僕は、コロプラ創業メンバーで、社長の馬場と一緒に、2008年の末にコロプラを創業して、ちょうど8年経ったところです。携帯のスマートフォンゲームやってるベンチャーです。あえて、超レッドオーシャンのゲーム業界のど真ん中で、ゲームしかやってない会社です。ゲーム一本で戦っていこうと本気で頑張っていて。

今、グループ実はなんだかんだで1000人くらいおりまして、東証一部上場企業になっていて。あっという間に大きくなってますが、まだまだ、世界のレッドオーシャン市場で戦うには規模が小さいと思ってるので。もっともっと仲間を集めて頑張りたいと思います。

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千葉 功太郎
株式会社コロプラ 取締役 Co-Founder  

慶應義塾大学環境情報学部卒業後、リクルート社に入社。ネット黎明期よりWebサービスやモバイルサービスの立ち上げに従事し、2000年よりモバイル系ベンチャーへ。コンテンツからマーケティング、開発まで様々なモバイルビジネスに関わり、2009年コロプラ立ち上げに参画。位置ゲーを通じた地域活性に取り組む。2009年12月に取締役副社長に就任し、新卒採用、育成の面からコロプラの成長に従事。2015年11月に一般社団法人モバイル・コンテンツ・フォーラムの代表理事に就任。現在は、コロプラネクスト、「Colopl VR FUND」等を通し、未来を見据えたコロプラ、業界の活動に取り組んでいる。

僕自身は慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)の結構初期メンバーなんですけど、学生のころからいろんなビジネスやったりしました。大学卒業後にリクルートに入って、3年で辞めてしまって。あとはずっとベンチャー企業にいます。しかも、リクルートのときから一貫して仕事はモバイルインターネットの仕事しかしてないですね。なので、携帯電話とかスマートフォン、インターネット機能がつくようなサービスの中で技術とか、コンテンツとかをずっとやってきました。そういう意味ではずっと同じことをやり続けています。あとは個人でもいろいろ、投資とかもしているので。スタートアップの支援とかも個人ではかなり頑張ってやってます。今日はよろしくお願いします。

小林 よろしくお願いします。では、SHIFTの丹下さん、よろしくお願いいたします。

SHIFT 代,表 丹下 氏の自己紹介

丹下大氏(以下、丹下) 皆さん、こんにちは。SHIFTの丹下と申します。今、SHIFTというソフトウェアの品質保証をする会社を経営しています。

僕のキャリアは、他の登壇者の方々とちょっと違ってインクスという金型を作ってる会社に新卒で入りました。インクスは通常2カ月かかる金型の制作納期を2日で作ったという結構有名なベンチャー企業でした。

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丹下 大
株式会社SHIFT 代表取締役社長 

1974年広島県生まれ。1997年同志社大学工学部卒業、2000年京都大学大学院工学研究科機械物理工学専攻修了。同年、株式会社インクス(現ソライズ株式会社)に入社。たった3名のコンサルティング部門を、5年で50億、140人のコンサルティング部隊に成長させ、ものづくりの現場において、数多くの業務改善コンサルティングを手がける。2005年9月、株式会社SHIFTを設立。国内4兆円のブルーオーシャン市場と言われるソフトウェアテスト事業で業績を伸ばし、2014年11月、東証マザーズに上場。海外展開も含め、さらなる事業の拡大を意欲的に進める。

インクスでの仕事としてはキヤノンさんとトヨタさんにコンサルティングやっていました。そういう仕事を経て起業しました。

今日のテーマに合致するかなって思うのが、僕は2005年に自分で会社作ったんですけど。会社作ったときに目的はまったく決めてなくて。とにかく30歳になったら会社を作ろうというので、自動的に会社を辞めて、一人で起業しました。紆余曲折ありながら、今なんとか11年目で上場までさせてもらったというのが、僕のバックグラウンドです。すごく楽しみにして来ましたので、いろいろお話できたらいいなと思います。よろしくお願いします。

小林 よろしくお願いします。では、ビズリーチの南さんお願いいたします。

ビズリーチ 代表 南 氏の自己紹介

南壮一郎氏(以下、南) ありがとうございます。いろんなことをやってきた南と申します。ビズリーチという会社を創業してちょうど6年半経ちまして。今、500人ぐらいの会社になっております。

やってることは、企業と仕事を探す求職サイトですね。企業と、仕事を探す方々の間が非常にあやふやになってますので。それをインターネットの力を通じて直接つなげていくこと、そして活性化していくということを、この6年間やってきました。

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南  壮一郎   
株式会社ビズリーチ 代表取締役社長 
 
1999年、米・タフツ大学数量経済学部・国際関係学部の両学部を卒業後、モルガン・スタンレー証券株式会社に入社。東京支店の投資銀行部においてM&Aアドバイザリー業務に従事する。その後、香港・PCCWグループの日本支社の立ち上げに参画し、日本・アジア・米国企業への投資を担当。2004年、新プロ野球球団設立に興味を持ち、東北楽天ゴールデンイーグルスの創業メンバーとなる。球団では、チーム運営や各事業の立ち上げをサポートした後、GM補佐、ファン・エンターテイメント部長、パ・リーグ共同事業会社設立担当などを歴任し、球団事業においては不可能とされていた初年度からの黒字化成功に貢献。その後、株式会社ビズリーチを創業し、2009年4月、管理職・グローバル人材に特化した会員制転職サイト「ビズリーチ」を開設。インターネットの力で、日本の採用市場を可視化し、日本の新しい働き方、企業の採用のあり方を提案。さらに、20代向けレコメンド型転職サイト「キャリアトレック」やシンガポールを拠点とするビズリーチのアジア版「RegionUP(リージョンアップ)」も開設し、創業6年強で従業員数561名(2016年1月)の組織へと成長。また2010年8月、ビズリーチ社内で、セレクト・アウトレット型ECサイト「LUXA(ルクサ)」を立ち上げ、同年10月に、株式会社ルクサとして分社化。2015年5月、ルクサはKDDI株式会社の連結子会社になる。

ありとあらゆる領域のサービスやってまして。実は新卒向けにも「ニクリーチ」という、大学生が登録すると会社が焼肉を奢ってくれるというわかりやすいサービスやってますので。一度、簡単ですので登録していただけるとありがたいなと。

僕自身はですね、千葉さんが一貫性を持ってモバイルの世界でキャリアを積んできたっていう一方で、僕はまったく一貫性がないキャリアを送ってきました。ちなみに、「絶対ブレない「軸」のつくり方」という本を書いておりますが、ブレブレの人生を送ってます。

新卒ではモルガンスタンレーという外資系金融機関に入り、前職はなんとプロ野球チームを作るという経験をしました。そして6年前にインターネット会社を作るということでビズリーチをやっています。一つだけブレないのは「やりたいときにやりたいことをやる」ことですね。これを自分のモットーとして、今後とも頑張っていきたいと思います。本日はよろしくお願いします。

「会社は仲良しグループじゃ崩壊する。プロとして結果を出す仲間を選ばないといけない」(ウォンテッドリー 仲)

小林 よろしくお願いします。では早速 質問したいと思います。東京大学の今林さんに質問のマイクを渡してください。

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質問者1 東京大学の今林です。よろしくお願いします。2つ質問があります。一つは、経営者とか、トップになって初めて見えたことや初めて気づいたことはどんなことでしょうか? もう一つは、自分が大事にしている習慣などがあればお伺いしたいです。

小林 トップになってわかったこと。仲さんからいきましょうかね。

 私は、大学の二回生のときに一回起業みたいなのやってるんです。そのときは、学生で4人でやってたんですけど、「社長は孤独だ」ということはありましたね。そのときから、組織が何倍かになったときでも本質は変わらないと思っています。

あとは、最近思うのは、採用の考え方は結構変わりましたね。例えば、最初は、一緒にいて楽しい人を採用してたんですね。友達の延長線とか。でも、会社というのは仲良しグループじゃないから、結果出していかなきゃいけない。ギスギスすることもあったりとか、お互い詰めあったりすることある中で、会社は仲良しグループじゃ崩壊するんですよね。なので、友達とか仲良くなくていいから、同じ方向を向いてちゃんとプロフェッショナルに結果を出していく仲間を選ぶようになりました。(著名ベンチャーキャピタリストのベン・ホロウィッツ (著)の)「HARD THINGS」って本は皆さん知ってるかな?すごいおすすめなので読んでください。そういうのを、トップになって学びました。

小林 千葉さんはどうですか。

千葉 今の、人の話はまさにそうですね。コロプラを作ったときから、仲良しな人を一切採用しないというポリシーで組織を作っていました。プロフェッショナルとして仕事をして、同じ目線でやってくれる人。結果それで何が起きたかと言うと、こんなに会社が大きくなったのに、役員で飲みに行ったことが過去2回しかないんですね。役員合宿0回。飲み会2回。マザーズに上場したときと、東証一部に上場したときの2回しか飲み会やったことがなくてですね。それぐらいのプロフェッショナル傭兵集団みたいな。それでもベンチャーはできるんだなっていう。

小林 「仲の良さ」と「できる」「できない」という2軸があるすると「仲良し」で「できる人」はいなかったのですか?

千葉 難しいですよね。意外と難しい。仲良しが会社のフェーズによってまた変わってくるので。仇になるときもあるかもしれないし、逆も然りですよね。仲良しという期間を乗り越えることもあると思うので。

「なんでそれがウケているのか?話題なのか? アンテナを張り、街を歩いて世の中の動きを徹底的にリサーチしている」(コロプラ 千葉)

後半の質問の答えはできると思います。僕が普段心掛けていること。コロプラは、BtoC、コンシューマー向けのサービスをしてる企業なんです。よく学生には話してるんですけど、一般コンシューマーの目線っていうのを、日頃から皆さんに意識してほしいなと思うんですね。BtoCで直接C向けのサービスをやる仕事をするときもあれば、BtoBtoCでBtoCの事業をしてるところのコンサルティングだったり、広告だったり、マーケティングだったりってことを支援したりとかあると思うんですけど。

結局最終的にエンドユーザーがいる。恐らく今日ここに来てる人たちは、マーケティングで言うと、多分データの0.1%の端っこぐらいの、特異点で切られちゃうようなタイプの人たちなんですよ。つまり、ここの、自分の考え、今いる皆さんの考えとか、友達の、横の人の考えっていうのは、多分社会のマジョリティの意見では全然ないんですね。

それでも、コンシューマーサービスをやるということは、全体の、マジョリティの動きだったり、意見だったり、気持ちだったりというのを、ちゃんと日頃から認識していないと。自分はこう思うのにとか、こういうのをやったらどうだろうというのは、全然世の中に受けないみたいな話はあるし。ベンチャー企業を志向してる人も世の中では本当0.数パーセントだと思うので。非常にエッジが立ってるんですよね。

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だからこそ、普段から僕が心掛けてることは何でも気にするようにしてます。コンビニの棚に並んでるもので、変わったやつを検索しまくるとか。あと地上波テレビをよく見ますね。特に視聴率が高い番組は録画してでも見るようにしたりしています。

最近、今年になって心掛けているのは、歩くことです。東京大学には月1~2回ぐらい来てるんですけど虎の門あたりからてくてく10キロぐらい歩きます。道を変えながらずっと店とか街を見ながら来て、検索しまくるんですね。歩きながら流行ってるものを検索するんです。

例えば、皆さん行ってるかもしれないけど、「いきなりステーキ」が最近すごい支店が増えてるんです。すごい並んでるし、どうしてなんだろうと思ったら、入って、食べて、検索しまくって、「なるほどこういう新しい手法だな」とか思いながら、余計なことずっとあれこれ考えながらやって食べているんです。

多分BtoCのビジネスをやる上で、自分が好きとか嫌いというのはどうでもいいんですよ。何でそれがウケているのか、楽しんでるのか、話題になってるのかというのを、常にアンテナを張って、ひたすらそこに興味関心を深くしていくと、いろんなビジネスの種が詰まってるし、考え方の思考がそっちに近づいていくと僕は思ってます。なので皆さんは、どんなビジネスをやるにしても、そこの意識を持った方がいいんじゃないかなと思います。

小林 では丹下さん お願いします。

丹下 トップになって変わったことは僕は、小学校6年生のときから社長になりたかったんですよ。それは、よくいろんなところで話しているんですけど。社長になりたくて、なるためにはどうしたらいいかをずっと考えたんですね。

僕はロボットを作りたかったので、理系の学校に行ってロボットを作ろうと思ったんですけど、大学で熱心に勉強しなかったので、ロボットを作る仕事には就職できなかったんです。それでコンサルティング・ファームに入ったわけです。コンサルティング・ファームが一番、ビジネスを学びやすかった。

サラリーマンを僕は5年やってたんですよ。サラリーマンをやったほうがいいと結構思ってるんです。唯一悔しかったのが、皆さんは優秀ですよね?優秀なんだけど、年が違うというだけで下に見られんですよね。

「君、まだ若いよね」と。「多分、経験ないから僕の言うこと聞いておきなさい」と上の人に言われるっていうのが一番むかつくことでしたね。僕が社長になった瞬間、代表取締役の名刺になるじゃないですか。そうすると、今まで自分の上司みたいに振る舞っていた人が、「初めまして」と言って、こう、名刺をくれるみたいな。それがすごいうれしくて。目線が一緒になるというのが「やった」みたいな。それが一番うれしかったですかね。

小林 南さんのほうから。

「面白いという感覚を磨くためには、いろんなものに目を向け、自分を磨いていかないといけない」(ビズリーチ 南)

 後半の心がけている習慣に関する質問を、お答えしますね。さきほど千葉さんが言ったことって、僕はすごい共感する部分があって。日々のルーティーンからどうやって外れるかというのを常に心がけているんですね。

僕はすごい恵まれていて、幼稚園から中学校までを海外で育ったんですよ。カナダというところで育った。感覚が外国人になった頃にまたいきなり日本の公立中学校2年生に戻されて、5年間日本の公立の学校に行くと、県立高校からまたアメリカの大学、また日本に戻ってくるというのを繰り返していて。

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本当に、ずっとマイノリティなんですよね。向こうではオール白人の小学校でしたし。日本ではバリバリ帰国子女で。それが田舎の、日本の中学校に帰ってきた。丸刈りにして学ラン着せられて、体操服に「南 壮一郎」と書いて、お母さんに「ママ、プリズナーになったよ」と家に帰ってきて言ったらしいんですよ。

そういう経験通じて、やっぱり世の中というのはギャップがあるんだなとか、差があるんだなとか。その感覚がすごい重要だと思ってるんですね。日本に帰ってきて、日本は変だなとか。アメリカの大学に行っていて「ビバリーヒルズ高校白書」という当時の人気ドラマがあったんですけど、みんな190センチぐらいの白人のブロンドの格好いいやつらばっかりがいるわけですよ。

そういう中でどうやって男として活躍していくのかというところだったり。アメリカの大学から日本に帰ってきて。またこのときもマイノリティなんですよね。皆さんのように、同級生とか日本に1人もいないので。そういうのがやっぱり経験としてすごく大事でしたね。

先ほど自己紹介でお話したように、金融からプロ野球、プロ野球からインターネットと、関係ないところを歩き渡ってきましたけども、先ほどもちょっと触れたように、面白いと思うものを追い続けてきただけ。別に起業したかったわけでもなければ、経営者になりたかったわけでもないので僕は。どちらかというと、常に面白いものがあるところに自分は流れていきたい。その「面白い」という感覚を磨くためには、さきほど千葉さんがまさに言ってきたように、いろんなものに目を向けていかないといけない。もっと言うと自分の感性というものを磨いていかないといけない。

日常的にやってるのは、僕は月一回必ず海外に行ってる。海外ではマイノリティだから、普段の自分のようにやっぱりコンフォタブル(快適な状態)には生きられない。普段生きてるようなルーティーンから出るように、海外に行く。土日でも行けるので。そこで違う言語を話したり、いろんな言語を聞いてみたり、匂いを嗅いでみたり、食べ物を変えてみたりというのを、意図的にやるというのを、この10年ぐらいはやっております。

小林 素晴らしいです。ありがとうございます。

(続)

編集チーム:小林 雅/小林 泰/根岸 教子/藤田 功博

続きはこちらをご覧ください:「とにかく20代のうちは貪欲に何にでも取り組むと、やがて光が見えてくる」

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