今回のインタビューはICCカンファレンスのボランティア・チームの3名(坂本・松尾・福村)が担当し、30歳前後のビジネス・パーソンや大学生が直面する課題について、リンクアンドモチベーション麻野さんに直接質問しました。
麻野さん自身の働くモチベーションやキャリアの考え方を語って頂き、「どんなキャリアを歩んだら良いのかわからない」と悩んでいる方、「仕事がつまらない」、「会社や上司はまるでわかっていない」と失望している方にぜひ読んで頂きたいインタビューとなりました。ぜひご覧ください。
登壇者情報 2016年6月25日開催 ICCカンファレンス CONNECTION 2016 特別インタビュー「働くということは何か?」 (語り手) 麻野 耕司 株式会社リンクアンドモチベーション 執行役員 慶應義塾大学法学部卒業後、株式会社リンクアンドモチベーション入社。2010年、中小ベンチャー企業向け組織人事コンサルティング事業の執行役員に当時最年少で着任。同社最大の事業へと成長させる。2013年には成長ベンチャー企業向け投資事業を立ち上げ、アカツキ・ネオキャリア・ラクスル・ビズリーチなど計15社に投資。全く新しいスタイルのベンチャー投資として注目を集める。自らも複数の投資先企業の社外取締役、アドバイザーを務める。2016年、新規事業としてHR TECHサービス「モチベーションクラウド」を立ち上げ。「ビッグデータ×人工知能(AI)」で組織人事領域の改革に挑戦している。 著書 :「すべての組織は変えられる〜好調な企業はなぜ『ヒト』に投資するのか〜」(PHP研究所)、「就職活動の新しい教科書」(日本能率協会マネジメントセンター) (聞き手) 坂本 達夫=質問者1 松尾 彩佳=質問者2 福村 圭祐=質問者3
働き続けるモチベーションの源泉は何か?
今回のインタビューはICCカンファレンスのボランティア・チームの3名(坂本・松尾・福村)が担当しました。30歳前後のビジネス・パーソンや大学生が直面する課題を直接質問することでリアリティのあるインタビューとなりました。
質問者1 麻野さんは、新卒でリンクアンドモチベーションに入社して、今まで勤め上げられているわけですよね。
麻野耕司氏(以下、麻野) そうですね。リンクアンドモチベーション一筋で、14年目ですね。2000年に会社ができて、2002年に内定して、2003年に新卒で入社したので相当長いですね。
質問者1 ご自身は、転職を考えたり、「もう、辞めてやる」というのはなかったですか。
麻野 「もう、辞めてやる!」というのはなかったです。
仕事柄、クライアント企業の経営者様から「うちに来ないか」というお誘いいただいたりすることはあるので、そういうお声掛けをいただいたときに、「そんな選択肢もあるのかな」と考えるぐらいはありました。
真剣にというわけではないですが、ちょっと頭によぎるぐらいはありましたね。
質問者1 麻野さんは今まで転職をせずにずっとモチベーションが高く維持されていると思いますが、何がそのモチベーションの源泉になってきているのでしょうか?
麻野 この13年の中で、僕のキャリアを大きく分けると2つになります。
前半の6~7年は、管理部門でリンクアンドモチベーションの会社創り、具体的には人事や社長室の仕事をやっていました。後半は現場でクライアント企業様の会社創り、具体的には組織人事コンサルティングの仕事をやっています。
その中でも、前半の、人事で採用のリーダーをやっていたときのことがすごく強い影響を私に与えています。
リンクアンドモチベーションはものすごく採用に力を入れる会社なんです。創業者で、今も代表者の小笹(小笹芳央氏 リンクアンドモチベーション代表取締役会長)が、リクルートにいたときに江副さん(江副浩正氏 リクルートホールディングス元会長)の下で採用のリーダーをやっていました。
そのときの採用活動というのは、従業員3,000人のリクルートに対して新卒を1,000人採用しますというものでした。新卒の採用予算が86億という金額なんですよね。それだけで会社1社が上場できるぐらいの予算規模です。
リクルートも採用に命をかけるような会社じゃないですか。小笹はその源流にいたので、リンクアンドモチベーションも採用に力を入れています。
マッキンゼーなどの外資系の経営コンサルティング会社やそれこそリクルートといった会社と激しい採用の戦いを繰り広げていたんです。
向こうのほうがいろんなブランドや実績がありますし、優秀な人もたくさんいます。
そんな中で採用で勝つためには、僕は会社のビジョンを語るしか、武器がなかったんです。
そのときに「リンクアンドモチベーションをこうしていくんだ」とか、「社会をこう変えていくんだ」というのを、思い切り吹いて語っていたわけです(笑)。
そのときに語ったビジョンを実現しないと辞められないなという気持ちが残っているんだと思います。それはすごく強いと思います。
当時 僕は「50年後のリンクアンドモチベーション」というテーマでプレゼンテーションをしていました。「SONYやHONDAみたいな会社にします」とよく言っていたんです。
ソニーやホンダというのは、技術者の会社です。ソニー創業者の井深さんもホンダ創業者の本田宗一郎さんも技術者出身です。
戦後間もない頃に創業したベンチャー企業で、彼らが技術を使って何を成し遂げたのかというと、世の中を物質的に豊かにするということを成し遂げました。
いろんな製品に技術を込めて、それを1人1人のところに届けることで、物質的に豊かにするというチャレンジに50年ぐらいかけて取り組み、成功しました。結果として、日本は、すごく物質的に豊かな国になりました。
リンクアンドモチベーションも同じように「技術」の会社です。
僕たちは「モチベーションエンジニアリング」という技術を使って、いろんなビジネスを行っている会社なのです。
今はもう物質的にはかなり豊かになったので、次は「モチベーションエンジニアリング」で精神的に豊かな社会を創っていこうと語っています。
いろんな製品に技術を込めて、それを世の中の人に送り届けることで、次は精神的に豊かになるようなチャレンジをリンクアンドモチベーションは50年かけてやっていくんだ。
50年後、僕たちはSONYやHONDAみたいに技術で社会を変えたと言われたい。
彼ら彼女たち(SONYやHONDA)は物質的に豊かな社会をつくったけれど、僕たちは精神的に豊かな社会をつくるんだ。
というような内容のプレゼンテーションをして、よく採用をしていました。
「そういうチャレンジを一緒にしましょう!」というメッセージだったのですが、現段階ではリンクアンドモチベーションはSONYやHONDAみたいに偉大な会社にはまだなっていないですよね(笑)。
僕のその話を信じて入ってきた後輩たちがいるので、「途中で辞めたら、俺は本当に嘘つきになっちゃうな」というのがありました。「やらなきゃな」という気持ちがすごくありますね。
他の会社から誘ってもらえると、「うわー、この会社は魅力的だから、この社長の下でやってみたいな」という気持ちもあるんです。
当然、未上場のスタートアップに転職して、ストックオプションをもらったり、個人で独立してやったほうが、金銭的には潤うと思います。
しかし、そのときに語ったビジョンを一定レベルで実現するまでは逃げられないなという想いがあります。
なぜリンクアンドモチベーションで新しい事業に取り組むのか?
質問者1 麻野さんは新規事業なども担当し、まさにイントラプレナー(Intorepreneur/社内起業家)ですよね。
独立や転職をして、新しく事業をスタートするのではなく、リンクアンドモチベーションの中で新しい事業を行うのはなぜでしょうか?
麻野 理由としては、3つありますね。
1点目は、自分のやりたいことと、会社のやっていることが重なっているからですね。
僕は仮に独立起業するとしたら、同じコンセプトの会社をつくっちゃうと思います(笑)。モチベーションをテーマにした会社を。
2点目は、それをやるに当たって、独立起業するよりもリンクアンドモチベーションで新規事業を作ったほうが活用できるリソースが現段階では多いんですよね。
会社のリソースを使える反面、自分の描いているビジョンや戦略を実現しようと思ったら、自分が代表者ではないので、意思決定をしてもらうためには色々な社内調整なんかがあるわけです。
それが、会社の中で働くという意味では、ちょっと嫌なところですよね。
一方で、自分でやったら、全部自分で決められますが、もう1回、リソースを0から集めるところから始めないといけない。
そう考えたときに、社内調整のコストは多少かかったとしても、リンクアンドモチベーションのリソースを使えたほうがいいなというのが2つ目です。
3つ目はやっぱり、創業者の小笹も含めてお世話になりましたし、その分、受けた恩を返したいなというのがあります。
特に自分が採用リーダーをしていたとき、慕ってついてきてくれた後輩たちに、ちゃんと夢を叶えさせてやりたいなという気持ちもあるのです。
自分のやりたいことと会社でやっていることが重なっているということ、リソースを使えるということ、周りのメンバーたちが好きだということ。その3つがありますね。
今回 話をしてて初めて、「なぜ自分が辞めないのか」が整理されました(笑)。
こんなこと言ってて、来月別の会社に転職していたらすみません。そのときは何か理由をつけます(笑)。
「組織づくり」や「チームづくり」の大切さ
質問者1 そういう選択もありますから。
「やりたいこと」がモチベーションで、「世の中をもっとよく」みたいな気持ちは、もともとリンクアンドモチベーションに入る前からありましたか。それとも、入ったあとで、できたものでしょうか。
麻野 うっすらありましたね。入社したときは、「組織変革コンサルティング」に興味がありました。
中学、高校の部活や、大学時代のサークルで、組織やチームというものは結構大事だなという思いが何となくあったので。
事業内容に惹かれて入ったという部分はありました。
中学と高校ではバレーボール部をやっていて、大学生のときはイベントサークルをやっていました。
僕は、関西の進学校(甲陽学院)だったのですが、スポーツとか基本的にすごく弱いんですよ。
バレーボール部とか1番ひどくて、そもそも学校にそんなに運動神経のいい人は多くないんですけど、その中でも人気スポーツのサッカーや野球、バスケをやらないような人がバレーボール部に入部するので、中学のときは本当に1勝もできないぐらい弱かったです。
(甲陽学院は)中高一貫なのですが、中学からそのまま高校に上がったときに、すごくいい監督が来て、0から指導してくれて、ものすごく強くなったんです。
僕たちが高校に進学したときは、地域の6部リーグの中の6部に当然いたんですが、リーグ戦はほとんど全部優勝して、卒業する頃には2部まで上がっていました。
質問者1 監督だけでそんなに変わるものですか?
麻野 いや、本当に変わったんですよ。
質問者1 どう違ったんですか?
質問者2 そこを知りたいです!
麻野 基本的に監督がすごく厳しいんですよ。だから、本当は同期15人ぐらいいましたけど、最後は4人ぐらいしか残っていなかったですね。それで、後輩たちと一緒にチームを組んでいたんです。
例えば練習試合とかでミスするじゃないですか。そうすると監督に呼ばれるんですよ。
「お前、勝つ気があるのか」と言われて、「あります!」と言ったら、「嘘つけー!」と言って怒鳴られるんです。でも、『ない』と言ってもダメだし、『ある』とダメだし、どうしようもないじゃないですか(笑)。
最初は意味が分からなかったですが、要は、運動神経も悪い割に、今で言うとモチベーションが低かったんですね。
例えば、バレーボールの日本代表の試合とかで見たことがあるかもしれませんが、遠くににボールが飛んで行くと、飛び込むじゃないですか。絶対間に合わないのでも、スーッと飛び込んで終わるじゃないですか。
あれは、間に合うか間に合わないかを考えてから飛び込んでいたら、間に合わない時があるので、考える前に飛び込むというのを徹底しているんですよ。そうすると、ギリギリで間に合うときがある。
だから、判断をせずに全部飛び込むという感じなんです。
僕たちは割と「あ、間に合わなさそう」と思ったらすぐ諦めていたりしたので、そういうところから直されて全部飛び込むようなチームになりました。
本当に爪の先にボール当てて返すみたいなことが度々ありました。
あとは、「声を出せ」ですね。「お前ら、運動神経は悪くても、声は出せるだろう」みたいなことですね。「何で声をださないんだ」と。
やっぱり、声を出さないから、間にボールが落ちるということがあったので。声を狂ったように出すみたいな感じでした。
もう、ずっと、叫んでるぐらい声を出さないといけないんですよ。だから、ほかのチームも苦笑いみたいな感じになりましたね。
本当に、肩慣らしでパスするときも「頑張って行きましょー!」と言って、「おー!」とパスするみたいな感じです。
ヤバいでしょう(笑)。だから試合前練習でも本当に「あの学校、ヤバくない?」となっていました。
でも、すごく声が出るので、ものすごく連携がよくなりました。
背が低いので、スパイクを打っても、打っても、ブロックで跳ね返ってくるけれども、跳ね返ってきたらそこにもう、誰かがフォローに行っているみたいな感じです。
すごく強くなったんですよね。不思議なものですよね。
他にも監督が勝つための方法を考えてくれて。1人1人を見たら強いチームと比べたら敵わないんですが、長所が多少はあるんです。
ものすごく背が高い選手が2人(同期と後輩)いました。彼らは背が高いので、センタープレイヤーとして速攻やブロックは得意なんですね。
でも、レシーブが全くできないんです。触ったらボールがどこかに行くかわからないくらいに下手くそでした(笑)。
だから、敵がサーブを打ってくる時に、極力レシーブをさせないんです。ネットの前に立たせておいて、残りの5人で全部レシーブする。
逆に僕なんかはレフトプレーヤーだったのですが、スパイクが全然だめなんですよ(笑)。ジャンプ力もないし背も低い。
でも、レシーブだけは、ものすごく練習して上手くなっていました。
気合い入れてスパイクを打っちゃうと外れたりするので、全部ブロックアウト、つまりブロックで弾いて外に出すということをしていました。
横に(ボールが)飛んだら点が入るんですけれど、中に跳ね返ってきたボールが床に落ちたら向こうに点が入ってしまいます。でも、そこはチームメイトがしっかりフォローしてくれたので失点を防いでいました。まさにそれぞれの強みを 活かしたチームでした。
モチベーションを高めたり、スキルを組み合わせたりで、監督がいい組織づくりや、チームづくりをしてくれて、ものすごく強くなりましたね。
就職活動のときにやりたいことがなかなか見つからなかったのですが、リンクアンドモチベーションの話を聞いたときに、「この組織変革コンサルティングというのは、あの監督がやっていたみたいなことをやるのかもしれない」と思って、心にフッと入って来ましたね。
ただ、入社したときはまだ自分のやることというのがボヤっとしていました。
人事のときも社長室のときも、会社を代表して会社の説明をすることが多かったので、その中でだんだん磨かれていったというほうが強いと思います。
質問者1 新卒でリンクアンドモチベーションという、(当時は)ベンチャー企業に就職されたわけですが、親は反対されたのでしょうか?
麻野 父親は、ベンチャー企業のリンクアンドモチベーションに入社することには猛反対でしたね。
父親は、自動車の塗装設備をつくるエンジニアで、海外勤務がすごく多かったのです。僕も小学校低学年はアメリカで過ごしていました。
僕は、総合商社の内定を1社もらって、海をまたいで仕事をしてみようかなと思っていて。両親もすごく喜んでいました。
そして、ある日突然、僕が「リンクアンドモチベーションに行く」と言ったら、親は狂ったように怒っていましたね(笑)。
当時、何もないぐらい本当にリンクアンドモチベーションという会社は小さかったので。怪しいじゃないですか。「モチベーション」なんて(笑)。
息子が危ない宗教にはまっているぐらいのリアクションでしたね。「洗脳されているんじゃないの」みたいな。
父親は猛反対だったので、自分で決めてリンクアンドモチベーションに来たんです。だから、親からキャリアとか仕事について影響を受けた、というのはほとんどないですね。
人格としては、当然いろんな影響受けていると思いますが、こと仕事に関しては、ほとんど影響を受けなかったですね。
「やりたいこと」ではなくても「やってみる」
質問者1 今、投資だったり、新規事業だったりをご担当かと思いますが、
それは、ご自身で手を挙げて「これをやりたいです」と訴えられた感じでしょうか。
麻野 僕は、リンクアンドモチベーションでの13年間の前半は管理本部にいて、リンクアンドモチベーションの会社づくり、後半は、どちらかと言うとクライアント企業の会社づくりで現場に来ました。途中から、中小企業、ベンチャー企業向けの組織・人事コンサルティング部門の責任者、執行役員になりました。
自分で「やりたい」と言って立ち上げたものが投資事業でしたね。それまでは、1回も何も言ったことないです(笑)。最初2年ぐらい現場でやっていたときも、「明日から人事」みたいな感じで、人事なんかやりたいと思ったことが1回もない中で異動は決まっていました。
その時は、異動するのがものすごく嫌でしたね。
組織変革コンサルティングをやるために入社したのに「新卒採用やってくれ」と言われました。
言葉は悪いんですけれど、「学生の相談に乗るなんて俺は全然やりたくない」と思っていたのですが、僕は割とやり始めるとはまっちゃうタイプなんです。
やってみたら新卒採用にものすごくはまりました(笑)。
うちの会社の格言で「最初の配属はポーカーのカードである」という言葉があります。新卒が配属されると、「何でこの部署に配属されたんですか?」と聞いてくるじゃないですか。
はっきり言って特に理由なんかないわけです。適性云々と言おうと思えば言えますが仕事もしたことがない新卒の適性なんか分かるわけないですよね。
しかし、新卒の学生は、自分が世界の中心だと思っていたりするので、理由がないと納得できなかったりします。
「今のあなたはビジネスの世界においては、明日消えても誰も困らないぐらいの、何でもない存在です。だから、あなたがこの部署に配属されたことにも、特に理由はないです。
でも、あとから配属されたことを意味があるものにすることはできる。今、特に深い意味はないけれど、自分で意味をつくれ」という話をします。
ポーカーの配られたカードには「何故、そのカードなのか?」という理由がないじゃないですか。でも、配られた後の自分の切り方次第で、このあと素晴らしい手にできるかもしれない。
「ここから、お前がどういうカードの切り方をするかが大事なんだぞ」という意味で、「ポーカーのカードです」と言われるんです。
僕も絶対、最初の頃の配属なんかは意味ないですね(笑)。
人事も、やっていったら面白かったんです。
コンサルタントは、モチベーションエンジニアリングを語って「お金をもらう」仕事ですが、採用は、モチベーションエンジニアリングを語って「人生を賭けてもらう」という仕事だったので、「これはコンサルタントの仕事以上に重いし、深い」と思って、途中からはまりました。
そして、結構、機嫌よく人事をやっていたら、「明日から社長室です。IRをしてください」みたいな感じで異動になりました。
それも、当時は全然やりたくないと(笑)。
その日から、僕はまったく経営の数字も読めないのに、IRとか、M&Aの担当となり、機関投資家に詳細な数字の質問をされて大変でしたね。
だんだん面白くなってきたら、また次は「現場に行け」と言われました(笑)。そのとき8年目だったので、「今から現場でもう1回やるの?」とさすがに思いましたね。
質問者1 一営業としてやれということですか?
麻野 最初の半年間は一営業でした。テレアポから始めました。
質問者1 それこそ、「もう、辞めてやるわ」とかにならないんですか?
麻野 人事に行ったときも、社長室に行ったときも、あとから面白くなったので、「ちょっとやってみるか」という感じになりましたね。やってみたらもう、コンサルティングにも、ものすごくはまって(笑)。
質問者1 これも、はまっちゃったんですか!
麻野 「面白れー」みたいになりました。半年間やってみて、半年後にその部門の責任者になって、執行役員になりました。そこまでは一度も異動を希望したことはなかったです。
2年半前の2013年に自分から会社に提案をして、「新しい事業として投資事業をやりたい」と提案しました。
「今の事業や仕事を全部やったままだったらやっていいよ」と。「人も0、お前も今まで通りやって、アドオン(add-on=追加のもの)でだったらやっていいよ」と言われてました。
投資事業をやっていて、もう15社投資しているんですけど。未だに専任メンバー0名です(笑)。どうやってやるか考えましたね。
中小・ベンチャー企業向けのコンサルティングを提供しているので、いろんなベンチャー企業様がクライアントにいらっしゃいます。僕のコンサルティング事業のメンバーが投資案件をソーシング(発掘)してきます。
投資契約は管理本部にお願いしています。投資実行されたらコンサルティング部門で支援をしています。
投資事業に関しては社内では「やってみれば」という感じでしたね。既存のコンサルティング事業で結構結果を出していたんですよね。
5年やって、売上げも当初の5倍ぐらいになりましたし、会社の利益のかなりの部分を、僕たちの部門で出していていました。
会社全体で1,500人ぐらいいますが、僕たちの部門が当時30人ぐらいで、営業利益の何分の1かを僕たちのところで生み出すくらい収益性が高い事業だったんです。一定の結果を出したのも手伝ってか、「やってみれば」という感じでした。
社内調整の大切さ
麻野 新規事業を進めていくには社内調整もとても大切です。
僕は、部下たちに「社内調整とか、社内政治みたいなものを舐めるな」と言います。「それもビジネスマンのスキルだぞ」ということを言っています。
社内でも「役員に言ってもまったく話を聞いてもらえない」とかいって不貞腐れている人も見かけます。でもクライアントに対しては、経営者を動かすためにありとあらゆる手段を尽くしてやっているんですよ。同じことを社内でもできるはずです。
社内にはそこまでやらないんですよ。「同じことやればいいやん」というふうに思うんですね。
リンクアンドモチベーションは創業オーナー経営者がいる会社なので、代表に決裁をもらうことがポイントになります。大企業でやるなら、また違った根回しが必要だと思います。
僕の場合は、「ちょっと相談、いいですか」という感じで代表に持って行きます。横に座って資料を見せながら、「これって、こんなこと考えてるんですけど、何かいいアドバイスあります?」とか「どうやったら上手くいくか、ちょっと教えてほしいんですよね」と質問します。
そうすると「こうやってみればいいじゃん」とやってるうちに、一緒に考えてもらえるようになるのです。
以前参加していたカンファレンスで川邊さん(川邊 健太郎 ヤフー株式会社 副社長執行役員 最高執行責任者)が登壇されていたのですが、楽天の方が質問していていました。
「オーナー経営者は、どうやったら提案を聞いてくれるんですか?」と。
川邊さんが、「無理だ。聞いてくれないよ」と。「ただ、あたかも、オーナー経営者が自分で考えたかのように調整するのが大事だ」と答えていました。
「オーナー経営者は自分が考えたことはコミットするじゃないですか」というふうに言っていました。
僕はそれを聞いて「そうだよな」と思ったんですね。僕はかなりそこは考えて努力します。新規事業においても、代表者のポリシーやミッションは徹底的に反映させるようにしています。そこまでやっていない中で「聞いてくれない」と言って不貞腐れるというのは、うちの若手なんかでもすごく多いなと思っていてます。
「まず、それぐらいやってから言わないとだめだよな」と思います。僕は、新しい事業を始めるときは、そのあたりも万全を尽くしますね。
起業家の方々も投資家から資金調達するときに、相当考えてやるじゃないですか。起業家と「一緒だな」と思います。
僕は、「俺は、社内政治嫌いなんですよ」みたいに言う人は幼いなと思いますね。そこは、やり抜かなきゃならないですよね。
本当にやったほうがいいということがあるんだったら、あらゆることに勝負を賭けたほうがいいですね。
質問者1 同じように悩んでいる社会人の方、多いと想いますので素晴らしいアドバイスがありました。
麻野 会社を辞めなくてもできること、いっぱいあると思いますよ。
キャリアの前半は「自分探し」よりも「自分づくり」
質問者2 働いていく上で大切にしている考え方など、他にあればお伺いしたいです。
麻野 管理部門時代に直属の上司が代表の小笹だったので。彼の影響をものすごく受けています。
よく言われていたのが、特にキャリアの前半は「自分探しよりも自分づくりをしろ」ということでした。
要は、みんな迷うと。
「自分がやりたいことはなんだろう」みたいな感じで悩むけれど、「やりたいことなんか、キャリアの前半においてはない」と言われました。
要は、「仕事をあんまりやったこともないのに、そのない材料の中からやりたいことなんか探しても、ロクでもないことしか見つからない」ということなのです。なので、「やりたいことなんかないんだ」と。
よく会社に、「この仕事やりたいんです」と言って入って、「すごく、つまらないので辞めます」と言って、また別の会社に行って、「次こそ見つかりました」と言って、仕事やって、また「つまらないので辞めます」と言う人がいます。
ほとんどは、その仕事がやりたくないことだったのではなくて、「やれないから面白くない」ということが、キャリアの前半にすごく多いと思います。
例えば、自転車も乗るといいことがいっぱいあるじゃないですか。早く着くとか、景色が開けてきて楽しいとか、風が気持ちいいとかあると思いますが、補助輪を外して練習しているとき、そういうのは何も味わえないじゃないですか。
風も吹いてこない、景色も開けてこない、早く着かない。もう、転んで、転んでなので。
そのタイミングで「やっぱり自転車は、俺のやりたいことじゃなかったです」と言っちゃうのはよくないというのと一緒ですよね。
自転車に乗れるようになって初めて「なんだ、自転車のほうがいいかな」と思うんですよね。
小笹からは「あんまり、やりたいこととか考えるな」と言われましたね。
「自分探しをするな。自分づくりをしろ。」と言われました。要は、「やりたいことを探す」よりも「やれることを増やす」ということにこだわれということでした。
「自分のやりたい仕事」と、「やりたくない仕事」があるのではくて、「この仕事をやりたいなと思える自分」と、「やりたくないなと思う自分」がいるだけなのです。
「どんな仕事が来たとしても『これ、面白いな』と面白がれるような自分づくりを最初にしなさい」とも言われました。
ただ、そうやって自分をつくっていったときに初めて「社会の中で自分は、こういうことをやりたい」とか「やるべきだ」というのは生まれてくる。
それまでは「もう自分探しをするな」ということですね。
人事をやれと言われたときも、「やってみるか」とか、社長室行けと言われたとき「やってみるか」とか、現場に行けと言われたときも、「まあ、やってみるか」と思えたのは、このような背景があったと思います。
確かに、自分を振り返って、今、投資事業とか、クラウドの新規事業やっていますが、10年前に「俺は、組織の支援を強みとした投資事業をやりたい」なんて、どこを捻り出しても出てこない感じですよね。
それは、いろんな経験があったからで生まれるわけです。逆に、今はもう、明確なやりたいことがありますね。
質問者2 キャリアの前半というのは麻野さんで言うと何歳ぐらいだったのでしょうか?
麻野 僕で言うと、感覚的には、投資事業をやりたいってと言ったタイミングが、初めて自分でやりたいことに向き合ったタイミングでした。2013年末、社会人になってちょうど10年ぐらいですかね。年齢で言うと32~33歳だったと思います。
やりたいことがあるなら、もう飛びついてやればいいと思います。「やりたいことがないこと」に悩む必要はないなと思いますね。
投資事業もやっぱり、自分のやれることを広げておいたので、それがものすごく 活きていますね。
あれだけ嫌だった、IRのときに投資家の皆さんに対してずっとエクセルを見ながらやった1on1も、自分が投資する立場になると、ものすごく活きたし、「こんなこと聞いても意味ないな」というのが、そのときの経験で分かるようになりました。
何が役に立つか分からないなと思いますよね。
「成長できる会社」を見極める3つのポイント
質問者1 インタビューアーの福村さん=質問者3((NPO法人アイセック・ジャパンの事務局長の慶応義塾大学4年生 福村)のように今からどこに就職しようという大学生に対してどのような観点で就職活動をしたら良いか?など人生のアドバイスをいただけないでしょうか?
麻野 やりたいことがあるなら、一旦、その自分の直感を信じて挑戦すればいいと思いますが、ボヤっとしているのなら、やれることが増やしやすい会社に行ったほうがいいと思います。
いわゆる、一般的な言葉で言えば、「成長できる会社」ですね。若いうちから成長できる会社に行ったほうがいいと思います。
僕は、「成長できる会社」を見抜くときに3つぐらいのポイントを伝えています。
こういうキャリアの話は、割と定性的な話が多いので、定量的なことになるべく置き換えて話したいなと思っています。
1つ目が、「成長率」です。これは、売上高が昨年よりもどれぐらい成長しているのかですね。
2つ目が、「平均年齢」ですね。会社の従業員の平均年齢ですね。
3つ目が、「粗利率」です。
当然、ほとんど全部の会社が「若いうちから成長できます」と言うじゃないですか。
でも、実際にはその中に「成長しやすい会社」と「成長しにくい会社」がある。
それを見抜くためには、僕はこの3つがいいなと思っています。
「成長率」というのは、昨年対100%の会社と、150%の会社だったら、若い人にもらえるチャンスが全然違うんですよね。
「昨対(昨年対比)と売上が一緒です」となったときに、若い人が入っても、仕事を任せようと思ったら、誰かから仕事を奪って渡さないといけない。そんなコストはかけたくないですよね。
でも、成長率が150%だったら、去年よりも半分、仕事が増えているので、若い社員だろうが何だろうが、仕事を振っていかないと会社が回らないですよね。だから、成長率は、すごく大事だなと思っています。
2つ目が「平均年齢」です。もちろん、平均年齢が髙くても、若い人にチャンスがある会社はあるかもしれないですが、やっぱり、全体的な傾向で言うと、これは相関関係にあると思うんです。
僕は、いろんな会社様と仕事しましたが、平均年齢42歳の会社で、28歳のプロジェクトリーダーの下に45歳とか50歳の部下がついて仕事をしている会社は非常に稀有です。
ほとんどの会社が、50歳の人が部長で、40歳の人は課長で、30歳の人は主任で、25歳が担当者というふうになります。やっぱり、人間の能力を測るというのは難しいのです。
この(インタビューアーの)3人で、誰の能力が高いのか、順番を付けるというのは、すごく難しいじゃないですか。
Aさんのほうはコミュニケーション能力があるけれど、Bさんのほうがロジカルである、となるとどちらの方が能力が高いのかを比べるのは難しいのです。
1番簡単なのは、「君は5年仕事をしているから、2年仕事をした人よりも能力があるね」と言うほうが「納得感」が高いですよね。年齢という物差しが、人間にはものすごく強く働くのです。
やっぱり平均年齢が低いほうが、若いうちから中核で働けるというのはあると思いますね。
最後の「粗利率」というのは、ざっくりと言うと、粗利率というのは、仕事の難しさを表していると考えられます。これは、いろいろな業態があるので一概には言えないですが。
昨対の成長性が高くて、平均年齢が若くても、本当に誰でもできる簡単な仕事を若い人にゴリゴリやらせているだけで、仕事は誰でもできる仕事ということもあると思います。
そういう仕事はだいたい粗利率を見れば分かります。
同じ1億円の売上でも、9,999万円で買ってきて1億円で売るというのは、難易度が低いですよね。
でも、何もないところから、自分のアイデアを1億円で買ってもらうというのは、ものすごく難しいです。分かりやすく言うとそういうことですね。
本当にこれは粗い眼鏡ですが、この3つが揃っていると割と(自分が)成長する速度が速いのかなと思っています。
インターネットの会社にそういう会社が多いですね。だから僕は、乱暴なアドバイスかもしれませんが、やりたいことが全く見つからなければ、インターネットの会社に行けばいいのではないかと思います。
悩んでいる暇があったら、目の前の仕事を本気でやろう
質問者1 最後に。これは、毎回皆さんにお伺いしていることです。
今、まさにキャリアに悩んでいる、若手や学生に対して、一言アドバイスを頂ければ。
麻野 若手の、20代の方や、ビジネスパーソン、学生さんに向けて伝えるとしたら、やっぱり、先ほどの「自分探しよりも、自分づくり」ということ、「悩んでいる暇があったら、目の前の仕事を本気でやったほうがいい」のではないかということです。
若いうちは、「皿に盛られた飯を食う」という、そのスタンスが僕はいいんじゃないかなと思います。僕のキャリアでというところから言えることで言うと、そこが1番大きいですかね。
そうして、自分をつくっているうちに、やりたいことがどこかで見えてくると思うので。
そのときにやれることが増えているということが、すごく大事だなと思いますね。
質問者1 ありがとうございました。記事になるのが楽しみです。
麻野 とんでもないです。ありがとうございます。楽しかったです。
僕も、自分で話していて「俺、こういうことを考えているんだな」ということが言語化されました。
一同 ありがとうございました。
(終)
編集チーム:小林 雅/根岸 教子
今回のインタビューはICCカンファレンスのボランティア・チームの3名(坂本・松尾・福村)が担当しました。30歳前後のビジネス・パーソンや大学生が直面する課題を直接質問することでリアリティのあるインタビューとなりました。
ICCカンファレンスのボランティア・チームはこような第一線で活躍する経営者・幹部と直接インタビューする機会もあります。興味が有る方はぜひスタッフ募集ページをご覧ください。
大学生の福村さんはNPO法人アイセック・ジャパンの事務局長です。2016年9月13日のICC/AIESEC ソーシャル・イノベーション・カンファレンス2016を共催します。
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