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トップ経営者が、尊敬する偉人の業績を思い入れたっぷりに語る「世界の偉人伝シリーズもついにシーズン3! 全8回シリーズの②は、引き続き北条 政子の紹介です。夫、父、弟を巧みに利用して権力闘争を生き残り、朝廷に立ち向かったすえ武家社会を打ち立てる。今の東京があるのも、鎌倉幕府ができたから…聞けば聞くほどものすごい政子の業績、ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2022は、2022年9月5日〜9月8日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションは、ICCサミット FUKUOKA 2022 プレミアム・スポンサーのリブ・コンサルティングにサポート頂きました。
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【登壇者情報】
2022年2月14〜17日開催
ICCサミット FUKUOKA 2022
Session 10E
世界の偉人伝 (シーズン3)
Supported by リブ・コンサルティング
(スピーカー)
北川 拓也
楽天グループ株式会社
常務執行役員 CDO(チーフデータオフィサー) グローバルデータ統括部 ディレクター
(登壇当時)
山内 宏隆
株式会社HAiK
代表取締役社長
石川 善樹
公益財団法人Well-being for Planet Earth
代表理事
深井 龍之介
株式会社COTEN
代表取締役
(モデレーター)
井上 真吾
ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン
パートナー
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1.シーズン3、最初に紹介する偉人は“最強のベンチャーキャピタリスト”北条政子
本編
鋼のメンタルで権力を維持した“尼将軍”
山内 北条政子のお兄さん(北条宗時)は死にましたが、頼朝は生き延びて、壮絶な権力闘争が、対京都(朝廷、天皇家、藤原家)、鎌倉(関東武士団)で始まるのですが、夫(源頼朝)、父(北条時政)、弟(北条義時)を巧みに利用して、壮絶な権力闘争を生き残ります。
この過程の中で、父を永久追放しています(※)。
▶牧氏事件~北条義時公はなぜ、父・時政を追放したのか(闘犬乱舞。北条高時ブログじゃ)
弟と組んで父を追放することを、平気でしているのです(笑)。
その辺りの政治感覚は傑出していて、結局、源氏の系列はすぐ絶えて3代で止まりますが、北条家と北条政子は最後まで生き残ります。
夫(源頼朝)、長男(源頼家)、次男(源実朝)、長女(大姫)、弟(北条義時)を次々に失いますが、メンタルがすごくて、鋼のメンタルで権力を維持します。
最後は尼将軍と言われて、征夷大将軍には就いていませんが、女性ながら実質的に第四代鎌倉殿になって、全部を取り仕切りました(※) 。
▶北条政子 ~ もうひとりの「鎌倉殿」“ 尼将軍 ” と呼ばれた頼朝の妻 ~(歴史人)
編集注:頼朝の死後に征夷大将軍となった頼家、実朝が相次いで暗殺された後、北条政子は鎌倉殿として京から招いた幼い三寅(後の藤原頼経)の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された(Wikipedia参照)。
ちなみに、夫の源頼朝は不審死しました。
頼朝はたぶん変な死に方をしています。『吾妻鏡』(※)に1行だけ、死んだときの経緯が書かれています。
▶落馬事故による頼朝の死の真相とは?『吾妻鏡』空白の3年間の謎(JBpress)
『吾妻鏡』は鎌倉幕府のオフィシャル歴史書なので、もっとちゃんと書いてあるはずなのですが、ちょろっと1行だけ書いてあるのです。
石川 源頼朝は、若いときから認知症だったという話がありますよね。全く機能していなくて、と。
山内 おっしゃる通りで、最後のほうがちょっと変なのですよね。
それを当時、北条政子たちが仕切っていたという話があります。
長男の源頼家が、幽閉後、言うことを聞かないので、孫(源頼家の長男・一幡)もろとも殺します。
次男の源実朝は、孫(源頼家の次男・公暁)によって殺されます。
長女の大姫は、政略結婚に利用されそうになり、精神病で死んでいます。
弟の義時とはすごく仲が良かったのですが、義時の死後に妻の一族を皆殺しにしてしまいます。
▶尼将軍・北条政子 人生最後の一仕事(NHK)
これぐらいの人です。
石川 当時はそういう感覚なんですよね。
山内 ある学者の先生によると、「鎌倉武士団に近い組織を今で例えるなら、広域暴力団『源組』のようなもの 」ということなので、だから政子は、そこの姐さんですよね。
▶鎌倉幕府の成立は1192(イイクニ)じゃない 決め手は「源組」の誕生にあり?(AEROdot.)
現代社会で言うと、行動原理が暴力団に結構近くて、力で物事を決めるとこうなります。
特に源氏は殺し過ぎていて、平家よりはるかに親兄弟を殺しまくるので、すごいと言えばすごい。
北条政子は、こんな時代を生き延びてきた人です。
64歳で朝廷に勝利し、東国に権力基盤を確立
山内 クライマックスは、64歳のときです。
時の朝廷、天皇と藤原家という1000年近く続く大権力と対峙して、承久の乱(1221)が起こります。
討伐されそうになるのですが、圧倒的武力のカウンターパンチで、京都を制圧します。
結果として、日本の西半分も自らの勢力下に置きました。
結局、源氏が途絶えるので、死後 150年間は北条家が実質的に日本を支配します。
こんなことをやったのは、日本の歴史上、徳川家康や、それ級の人しかいないですよね。
石川 Wikipediaで「革命」という言葉を調べてもらうと面白いことが書いてあるのですが、日本は革命が起きたことがない国である、とあります(※) 。
▶編集注:「中国大陸は易姓革命も含めて多くの革命を経験しており、また朝鮮半島やベトナムでも易姓革命や近代以後の革命は起こっているが、それらに比して日本では、有史以来革命が起こったことがないとされている。」(Wikipedia「革命」より)
山内 天皇家は残すので。
石川 天皇家というものに対して、本当に革命を起こした人はいないのですよね。
革命が歴史上起こったことのないこの国で、最も革命に近いことをやったのが北条政子ですね。
山内 はい。結局、源頼朝が1000年間で活躍した人に選ばれた(Part.1参照)のは、武家政権を誕生させて、その後、足利家、そして徳川家の武家政権が続くという影響を残したからです。
さらに言うと、明治維新後も仕切っていたのは武士出身の人たちなので、それで帝国主義に走っていくわけです。
だから、ここで武力を使って半革命みたいなものを起こしたことが、後々800年くらい影響が続くという、それ級の人ですね。
石川 僕の想像ですが、日本の歴史で言うと、聖徳太子たちは天皇家と仏教とでうまく支配する仕組みを作って、そこに武家が入って、三権分立ではないですが、そういう構造を作ったのだと思いますね。
山内 そうです。示唆は何なのかというと、まず当時、女性でここまでやった人がいるということが、結構すごいなと思っています。
それを除いても、国の力が2倍になったという言い方を僕はするのですが、関東は当時、とんでもないド田舎だったのです。
そこにある種の、武士が主人公の都を作って、そこから800年くらい支配していって、しかも権力基盤は基本的に東国にある状況にしました。
室町時代だけ都がちょっと京都にもありましたが、鎌倉府がありました。
日本という国はずっと、京都、大阪、奈良の辺りで、ちょろちょろやっていた国だったのです。
それを東にも、もう1つドーンと大きな都を作って、そちらを中心にやっていったということです。
日本人オリンピック選手の金メダル獲得数から思うこと
山内 ちょっとイメージしていただきたいのですが、こちらは夏季オリンピックの日本人選手の男女別金メダル獲得数です。
ピンクが女子の金メダル数、青が男子の金メダル数、緑が混合で卓球の伊藤・水谷ペアです。
これはメダル全体や冬季オリンピックを含めても、似たようなグラフになっています。
明らかに1990年ぐらいにメダルをほとんどとれない暗黒時代のような時期があって、またバーっと伸びてきていますが、伸びたのはほとんど女性です。
日本はあまり元気がないとか色々言われますが、今後復活していくとしたら、ビジネスの分野もこうなるに決まっていると確信しています。
スポーツの世界と比べて、30年くらい遅れていますが。
石川 今の日本のビジネス界は、ソウルオリンピック(1988年)だと。
じゃあ、岩崎恭子(※)が現れるのを我々は待っているんですね。
▶編集注:1992年バルセロナオリンピックで平泳ぎ200mで金メダルを獲得
あるいは北条政子が現れるのかも(笑)。
山内 はい。現れると、僕は確信しているというプレゼンテーションでした。
男子出産を果たす一方、武士団の地位向上にも貢献
北川 北条政子が、女性であることがメリットだったことはあったんですか?
山内 そもそも平安時代もそうですが、血族がすべてなので、男子を産むことは非常にすごいパワーなんですね。
北条政子は、2人とも死んでしまいましたが長男も次男も産んでいて、特に次男は35、6歳で産んでいます。
当時としては相当な高齢出産なんです。
そういうこともちゃんとしながら、武士団という人たち、今でいう自営業者というか、ベンチャー経営者みたいな人たちだと思いますが、そういう人たちの地位も上げていきました。
ここまでのことを、70年の人生で一人でやった人はちょっといないなという評価ですね。
北川 もっと知りたくなるプレゼンでしたね。
山内 すごい人なんですよ。北条政子は本当にすごいのですよ。
北川 じゃあ、COTEN RADIOで(笑)。
山内 ぜひ取り上げていただいて。
石川 日本の権力構造というものが、長い歴史の中でどう形作られたのかという視点も入ると、すごく面白いというか。
山内 ちょっと細かい話になって恐縮ですが、承久の乱の前に、後鳥羽上皇(1180~1239)が執権の北条義時を討てと命令を出すのですが、これは鎌倉幕府を潰せということでもなく、義時だけ排除しろとやるのです。
これは公家社会のいやらしいところで、内部分裂を誘ったのです。
これに対して、当然義時はいいヤツなのでかなり日和るのですが、大演説をぶちかまして、関東武士団を一致団結させたのが北条政子で、それは記録に残っています。
▶北条政子が辿った生涯と人物像に迫る。「承久の乱」の名演説の中身とは?【日本史人物伝】(サライ.jp)
『東京リベンジャーズ』の、「日和ってる奴いる? いねえよなぁ!!?」 みたいな話をして、それで20万人ぐらい軍隊を集めて、一気に制圧します。
石川 そうですね。公家が日本の権力構造だった中では重要な存在ですね。
山内 そうですね。天皇家と藤原氏でなんとか1000年近くやっていましたが、制度疲労を起こしてしまっていて、新しい仕組みが必要だというときに、東国に武士たちが新しい国を作ったという、そこなんですよね。
もし、北条政子がいなかったなら…
山内 北条政子がいなかったら、後の元寇( 文永の役1274年、弘安の役1281年)で負けていたと思うんです。
モンゴルが攻めてきましたが、そのときに一応西国を含めて関東武士団が仕切っていたので、徹底抗戦をします。
神風も吹いてモンゴル軍を退却させるのですが、公家とかで政権を維持していたら、結構危なかったと思います。
だからものすごくインパクトを与えた人だと思います。
石川 神風も最近の歴史によると、確かに台風みたいなものはあったのだけれど…。
山内 ちょっと創作というか、誇張というか。上陸させないように防衛をしまくっていたら、雨風が吹いて、一部がいっぱい死にましたということで。
石川 そういうことに一応なっているんですよね。
▶フビライ・ハンの野望をくじいたのは「神風」だったのか――いま改めて「元寇」を検証する(2021.11.12)
山内 では防衛しまくっていたのは誰ですか?というと、いわゆる御家人と呼ばれる、将軍に忠誠を誓う武士団が必死に防衛したのですよね。
井上 北条政子がいなければ武家社会も生まれなかったし、東京に拠点ができることもなかったし、ある種、東京ができたのは、北条政子のおかげかもしれない。
山内 そうですね。東に日本の重心をグッと持ってきたのは、源頼朝であり、北条政子であるということですね。
石川 北条政子がいなかったら、元寇で、まさにここ福岡が。
山内 そうですね。占領されています。
井上 ICCもなかったと(笑)。
石川 なかった可能性があります。我々は中国語を話していた可能性がある。
山内 可能性が高い(笑)。
井上 ありがとうございます。次はだいぶ趣向が変わりますが、北川さん、お願いしていいですか?
北川 ここからシフトするのは、ちょっと厳しくないですか?(笑)
井上 いやいや、むしろそれがいいですよ。
石川 この北条政子のまま、いけるけどね。
北川 いっちゃいます?
石川 いけるいける(笑)。
(続)
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/星野 由香里/戸田 秀成/小林 弘美
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