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社会課題の現場から③ ソーシャルセクターはなぜ生まれてきたのか?【F17-6E #3】

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「今、社会課題の現場が熱い」【F17-6E】セッションの書き起し記事をいよいよ公開!6回シリーズ(その3)は、パブリックセクター・ソーシャルセクターの歴史についてお話いただきました。是非御覧ください。

ICCサミットは新産業のトップリーダー600名以上が集結する日本最大級のイノベーション・カンファレンスです。次回 ICCサミット FUKUOKA 2018は2018年2月20日〜22日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。


【登壇者情報】
2017年2月21日・22日・23日開催
ICCカンファレンス FUKUOKA 2017
Session 6E
「今、社会課題の現場が熱い」

(スピーカー)
安部 敏樹
一般社団法人リディラバ 代表理事
株式会社Ridilover 代表取締役社長

三輪 開人
特定非営利法人e-Education
代表理事

(ナビゲーター)
竹内 麻衣

「今、社会課題の現場が熱い」の配信済み記事一覧

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最初の記事
【新】社会課題の現場から① NPOで培ってきた力がビジネスでも生きる【F17-6E #1】

1つ前の記事
社会課題の現場から② ソーシャルセクターの資金調達のコツ 【F17-6E #2】

本編

竹内 安部さんが会社と向き合って提案を通して行く際に必要なロジックがあるとおっしゃっていましたが、そのロジックについて詳しくお伺いしたいです。

▼引用▼

安部 「日本国内で500兆円くらいお金が流れる中で、試算の仕方は色々ありますが120兆円くらいはガバメントマーケット、自治体や国が扱っているマーケットです。しかしそうは言ってもそこにはお金が動いているので産業にはなり得ます。それでも産業になっていなかったという歴史があります。それは何故なのか。」

これをきちんと説明する必要があります。

あとは、どんなタイムスパンで見てもいいですが、いわゆるプライベートセクターと言われる民間企業とパブリックセクターと言われる公共集団(国や自治体)の間にどうしてソーシャルセクターが生まれてきたのかという歴史的背景を論理的に説明することが重要です。

▲引用終わり▲

安部 長い歴史的な観点から見た時に、まず「なぜパブリックセクターが生まれたか」という話があると思います。

昔から、個人で解決できず皆で解決しなければならないというテーマというのが存在します。

1つは防衛です。軍隊を作って用意しておかないと、いざという時に自分の家族や国民を守れません。

あるいは社会として、怪我をした人を治すための病院を作ることや、年配者を助けるために年金を作りたいという話もあります。

こういった一人では実現できないけどみんなが必要とするものを実現するために皆からお金を集めてパブリックセクターは出来上がりました。もちろんそれは統治という意味で武力とともにあったわけですが。そしてパブリックセクターには特徴がいくつかあります。

1つは大規模な投資が得意ということです。

防衛もそうですし、最近ですとアメリカでオバマケアを導入したような国民皆保険なんかもそうです。

オバマケアをなぜあんなに保険会社が嫌がったかというと、効率性というのは規模によって決まってしまうからですよね。

保険は規模が大きくなればなるほど効率性が高まります。

しかしオバマケアのように国全体が一つの保険機能を持ってしまうと、既存の保険会社は効率が悪くなり潰れるほかなくなってしまいます。圧倒的な競合を作ってしまう。だからあんなに揉めました。

パブリックセクターは昔から大規模で単純な仕組みのものに投資をするのが得意でした。

というのも徴税権というのを無限に持っているわけですからお財布は極論無限にあるわけです。ただ、みんながある程度納得する、というのが注文としてつきます。

何となく自分たちにも還元されている、という実感が大事になるわけです。

バングラデシュもそうですし、パブリックセクターはどこでもそのような特徴を持っています。

日本も戦後は単純な社会で、まずは国民を食べさせるという課題がありました。そのようなシンプルな課題はパブリックセクターが得意なところで、米を生産し流通を守るための投資を行いました。

今の途上国にもそういう特徴があります。

バングラデシュもそうですが、未だに飢えていたり、電灯の下で教育が受けられない子供がいます。

それはシンプルな課題なので「パブリックセクターが投資をして解決しましょう」という流れになるのが自然です。

ミャンマーなんかとにかく中国から農業機械買いまくって農業生産増やして自国の農民を食わしていくのを目指してますしね。

成熟社会では社会課題の現場がブルーオーシャンになる

安部 一方で、日本のように成熟した先進社会になってくると、皆が納得するような1つの社会問題というのはなくなってきます。

少子高齢化が問題になってくる可能性があるにせよ、基本的には社会が成熟し先進化すると、課題が多様化するので、皆が納得する課題というものはありません。

戦後すぐの日本には、分かりやすく食料が足りないという課題がありましたが、食が足り始めると、自分のビルに陽が差さないことが「人権侵害だ」というようなことを言い出します。

これは実際、日照権として人権と認定されていますが。豊かになると一見”わがまま”のように思えるものも出てくるのです。

その中に社会問題となるものもあります。

しかしそれは、昔のようにたった1つのものに対して大量の投資が必要となるようなものではなく、細切れでどれくらい投資が必要か分からないくらいのものです。

そうすると、どこに小さな穴が空いているかということを、国はそもそも発見することもできなければ、その穴に対してどう投資すれば解決できるのかと見積もることもできません。

投資するリソースはめっちゃ持っているので、見積もってくれさえすれば投資はできるのに。

社会問題の発見、見積もり、投資という3つのパターンにおいて、最初の2つを国が担えなくなってきました。

これを担うプレーヤーが必要となんとなく気づいた人たちが作ってきたのが、NPO等のソーシャルセクターです。

そしてソーシャルセクターも、見つけた穴を自分の手持ちのお金で埋めようとしていて、(数ある穴のうち)どの穴が一番まずいのかは考えることができていません。

だから無数にある穴を全部発見して(必要な投資を)見積もるという内容に特化した組織があると良いと。

リディラバという組織はそこを担うことを目指して社会問題の可視化をしています。

企業がなぜそこに入っていかなければいけないかというと、企業の方からしてみるとその穴というのはお金が動く可能性が高い場所だからです。

しかも、企業は高い「解決能力」を持っています。

昔のような大きな穴であれば国が動いた方が効率が良かったので、企業が出て行く必要はありませんでしたが、穴のサイズが小さくなると企業が動いた方が効率が多いものがかなり多くなってきます。

なので、昔は企業はそんなこと考えなくて済んだ、というのはある程度事実なのですが、今は周辺環境的にも以前以上に企業が社会課題の解決をすることを求められている。

タイミング的にもそれをやらない理由はないと思います。

「社会課題の現場に今ブルーオーシャンがあるから参加した方が良いですよね」というわけです。

ソーシャルセクターの事業化モデル

安部 一方で、なぜ企業が社会問題を敬遠してきたのか、やっても儲からないと思ってきたかというと、1つの理由は社会問題を事業化する時の特徴にあります。

それは「サービスの受益者がお金を払えるわけではない」ということです。

ホームレスのおじちゃんに食事を提供したからといって、そのおっちゃんからお金を取ることはできません。

しかしそれを広い視点で見れば、地域の治安を守るとか社会におけるセーフティネットを作ることで、皆がチャレンジしやすくなってくるということがあるはずです。生活保護からの社会復帰を促すだけでも実質的に国はコストが浮くわけです。その一部を会社がもらうようなビジネスはあってもいいですよね。

受益者からはお金を取りづらい。間接的なステークホルダーをマルチセクターで巻き込んでいく事業モデルを組まないといけません。これが難しい点です。

しかしその点を除けば、基本的にはお金は動いているので事業になりうる、と。

ちなみにソーシャルセクターを事業化することに対しての先駆者はイギリスです。イギリスでもかなり事例が出てきているのを見ると、そこまで慎重になるフェーズでもないように思います。

だから早く参入した方が良いのですが、企業の皆さんはそれを分かっていないので、まずは理解するところから始めましょうといことで、現場視察から始めてもらいます。

そして社会問題の中のどのドメインに特化するかを考えましょうということを企業に話しています。

こう話すと比較的皆さん納得してくれて、一度行ってみようかという気になってくれます。

三輪 これに近い話があります。

僕は前職がJICAで、対政府案件をたくさん持っていました。その中で驚いたのが、政府の予算が予想以上の規模だったことでした。

これは日本にも同じことが言えますが、政府がやっている事業にかかるコストは、思った以上に非効率な部分があります。

例えば先生1人をトレーニングするのに100万円/人掛かります。4万人の先生をトレーニングしようとすると、それだけで400億円もの大金が必要になってきます。

しかし、400億円も掛けないと本当に先生不足が解消されないかというと、絶対そんなことはありません。苦手な教科を映像で教えたりもできます。

そもそも国の予算の計算が合わない部分を、企業が代替案として、コスト計算でこれだけ削減できますと提案すれば十分なビジネスになります。

海外でのBtoGは、これまでもありましたが最近加速化しているような印象を受けます。

竹内 日本企業はそのようなチャンス、「穴」があることにまだ気づいていないことが多いのですか。

三輪 先ほども少し話しましたが、先手を打っていたのは日本の商社さんで、大きなリスクをとってその分野に果敢に入って行きました。

例えば日本のNTTに近い、ミャンマーの国営の通信会社と郵便局を持っているMPTという組織があります。

そこは今住友商事とKDDIの合弁会社でとしっかり事業連携しています。

それに近いような対政府のビジネスは商社さんが元々実施していましたし、今なお得意とする分野なのかと思います。

ただし、民間企業で自社で完結するビジネスをやっている会社さんがそれをやろうとすると、対政府コミュニケーションだったり、現地の草の根調査におけるリスクを取れるところが少ないです。

先ほど安部さんがおっしゃっていた課題を見つけるところと見積もりについては、もしかしたら商社さん以上に、活躍できるNPOが増えてきたかもしれません。

AI・ロボットが発達すると社会問題を考える人が増える

安部 一方で、これはお金になるか、という視点だけで始めてしまうのはよくない。人間の活動の中で市場経済が及ばない領域は結構多い。

我々も企業向きにはお金になるから来てくださいという話をするという側面はありますが、お金を稼げないからと行ってその社会活動に意味がないかというとそういうことでもありません。

全てをお金で解決できるわけではありません。むしろ資本主義はそれで失敗してきています。

外部不経済というものもそれなりに出てきている中で、共助という形で皆で助け合ってどうしましょうか、という場合もあるでしょうし。

しかももっと長いスパンで見たら、そもそも人は働くなくても良いということになる可能性も高い。

社会における生存コストが下がって、食事を最低限とるくらいでは問題なく、人工知能等がより大きな役割を果たすようになれば、働かなくても良いとなってきます。つまり暇になる。

私が思うに、人は暇になると社会のことを考えたくなる。

民主主義が生まれたのはギリシャのアテナイです。そこでは奴隷制度が発達していました。

他の国から連れてきた奴隷が全部身の回りのことをやってくれるので暇になりました。

人は暇になると急に真面目になり社会のことを語り合うようになります。そこで民主主義が生まれてきました。

現代では奴隷の代わりに人工知能を持つロボットが出てきているので、人間の本質的欲求である社会のためになりたいという気持ちが出てきて、世の中が良くなるために何かしたいという人が増えてきます。

それはいいことですし、テクノのロジーの発達によって、それに費やせる時間も生み出されてきました。

そのような風土もあるので、お金になるという視点だけではなくて人が生きる上でのクオリティオブライフ的な観点から見ても社会のことを考える時間が長くなる方が、結果幸せになるのかもしれません。

(続)

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続きは 社会課題の現場から④ “強者が弱者を救うモデル”はもはや通用しない をご覧ください。

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編集チーム:小林 雅/榎戸 貴史/戸田 秀成/横井 一隆/立花 美幸

【編集部コメント】

パブリックセクター・ソーシャルセクターの成り立ちの話は、リディラバ安部さんのカタパルトのプレゼンテーションともリンクしているので、ぜひそちらもご覧ください。(立花)

続編もご期待ください。他にも多く記事がございますので、TOPページからぜひご覧ください。

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