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ICCカンファレンスの特別会場において株式会社LITALICO 代表取締役社長 長谷川 敦弥 氏 と 同社 取締役 中俣 博之 氏の2名をお迎えし、「LITALICOのすべて」をテーマに約60分間のインタビューを行ないました。3回シリーズ(その1)はLITALICOの事業のトランスフォーメーションや採用力に関するテーマで議論しました。是非御覧ください。
ICCサミットは新産業のトップリーダー600名以上が集結する日本最大級のイノベーション・カンファレンスです。次回 ICCサミット FUKUOKA 2018は2018年2月20日〜22日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
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【登壇者情報】
2016年9月6日・7日開催
ICCカンファレンス KYOTO 2016「ICC SUMMIT」
Session 4E
特別対談「LITALICOの経営のすべて」
(出演者)
長谷川 敦弥 株式会社LITALICO 代表取締役社長
中俣 博之 株式会社LITALICO 取締役
(聞き手)
小林 雅 ICCパートナーズ株式会社 代表取締役
竹内 麻衣
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▶「LITALICOのすべて」の配信済み記事一覧
小林雅氏(以下、小林氏) 今回、LITALICOの代表取締役の長谷川さんと取締役の中俣さんにお越しただきました。
2人での対談は初めてということなので、根掘り葉掘り聞きたいと思います。
早速ですが、LITALICO(リタリコと発音します)という会社を知らない人も結構いらっしゃると思うので、まずLITALICOはどんな会社なのかということを、創業経緯や事業内容を含めてお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。
長谷川 敦弥氏(以下、長谷川氏) まずLITALICOという名前ですが、利他的の「リタ」と利己的な「リコ」の組み合わせで、「関わる人たちの幸せを実現することが自分たちの幸せにつながる」ということでLITALICOという名前になっています。
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長谷川 敦弥
株式会社LITALICO
代表取締役社長
1985年2月生まれ。
2008年名古屋大学理学部数理学科卒業。
2009年8月に株式会社LITALICO 代表取締役社長に就任。
「障害のない社会をつくる」というビジョンを掲げ、障害のある方に向けた就労支援サービスを全国56カ所、発達障がいのある子どもを中心とした教育サービスを全国68カ所、小中学生にプログラミングを教えるIT×ものづくり教室や、子育て中の親に向けたインターネットメディアも展開。幼少期の教育から社会での活躍までワンストップでサポートする独自の仕組みを築いている。従業員数1,400人、年間約3万人の応募を集める就職人気企業に成長。2016年3月、東証マザーズに上場。企業理念は『世界を変え、社員を幸せに』
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小林氏 素晴らしいですね。
長谷川氏 10年間 障がい者支援を一貫してやってきていて、今は障がいのあるお子さんの教育から社会での活躍まで、家族も含めて支援していく、という事業を行っています。
今、「LITALICOジュニア」という教室に 発達障がいのあるお子さんが8,000人ぐらい、大人だと精神障がいのある方を中心に、年間で2,000人ぐらいが「LITALICOワークス」という就労支援サービスに通ってくれています。
この分野には、優しく障がい者を包んでいくといったサービスはたくさんあるのですが、希望がちゃんと持てるような明るいサービスというのがまだまだ少ないと思っています。
ですので、子どもに障がいがあると言われると親御さんはその段階で一気に先が真っ暗になってしまいます。
普通であれば、「小学校に行って大学に行って… 」という道が見えますが、障がいがあると言われただけで今後どうなっちゃうのか分からない、という話しになってしまう。
LITALICOに出会ったらこの子の基礎力も強みも伸ばしていけるし、将来はきっと明るい未来につながっていくんだ、と思ってもらえるようなサービスを提供していきたいと思っています。
「LITALICO長谷川」の誕生秘話
小林氏 ありがとうございます。
そもそも長谷川さんは焼肉屋でバイトされていたそうですが、当時何故LITALICOという会社に入って何故社長になったのか、というお話を伺い、その次に中俣さんの自己紹介をお願いしたいと思います。
長谷川氏 最初、僕自身はビジネスとか起業とか社会課題等に全く縁がありませんでした。
18才の時から岐阜県多治見市の小さな個人経営の焼肉屋さんでアルバイトをしていましたが、そこで出会った焼肉屋のオーナーは、僕の長所ばかりを見てくれていました。
僕は子どもの頃からADHD(注意欠陥・多動性障害)傾向で、じっとできなかったり、授業に集中できなかったりで先生に怒られてばっかりいたんですが、その焼肉屋のオーナーだけは「敦弥君は優しい」「敦弥君は行動力がある、リーダーシップがある、いい声してる」とか「お客さんに好かれる」とか僕の個性の全部を肯定してくれました。
大学2年生ぐらいになった時にそのオーナーが「敦弥君はもしかしたら日本を背負っていくような人になるかもしれないよ」「敦弥君は世界のリーダーになるかもしれないね」等と言ってくれて、それが結構大きなきっかけでした。
最初はそう言われてもまったく信じていなかったのですが、オーナーは繰り返し繰り返し何回も言うので僕もだんだんつられていって、ビジネスとはどうなってるのか、僕だったら日本をどうしたいのか、世界の問題とは何か、ということを考えるようになり、政治家の先生や経営者にいろいろと会いにいくうちに、いつのまにか「世界を良くする」ということを仕事にしたい、というのが自分の中の信念として固まっていきました。
まずはビジネスの力をつけようと思い、大学の3年間はITの会社で丁稚奉公させてもらったのですが、その中で技術の力は凄い、技術によって世の中はもっともっと変えられる、「世界は変えられる」という確信を持ちました。
僕自身は何をやりたいのかを考えた時、ITだったら何でもいい、というふうにノンテーマでやることは、自分がなかなか頑張れないので難しかったんです。
例えば富裕層向けのポータルサイトを作るという企画があった時、全くやる気が起きなかったんです。
小林氏 やる気がないと全くやらなそうなタイプですよね。
長谷川氏 やらないんですよ。
「これって意味あるんですか」という感じで全く動かなくなってしまい、「こういうのは僕はできないんだな」と気づきました。
逆に医療を変えていく、教育を良くする、戦争はどうやってなくそう、ということを考え出すと、異常なエネルギーが沸いてきて、「こういうことに自分は時間を使っていきたいんだな、世界的に重要で自分にしかできないフィールドで命をぶつけたい」とその時強く思いました。
色々見る中で障がい者福祉の分野をちゃんと勉強したい、というので当時の LITACLICOに入り、入社して1年たったら社長になりました。
小林氏 「てんや」で社長にならないかと言われたというエピソードがありますよね。
次は中俣さんにお話をお伺いしたいと思います。
DeNAからLITALICOへ
簡単にキャリアのお話をしていただきながら、なぜLITALICOに転職したかをお聞かせください。
中俣博之氏(以下、中俣氏) 私は新卒でDeNAに入りました。
元々2006年の笹塚の雑居ビルにオフィスを構えていた時からアルバイトでずっといたので、DeNAには丸8年ぐらいいました。
ゲームが始まる前のオークションの事業から本当に色々やらせていただきましたが、初めはモバオクという子会社のオークションサイトに出向になり、そこで雑務をやらせていただきました。
1984年新潟県新潟市内野生まれ。筑波大学第三学群卒業後、株式会社ディー・エヌ・エーに入社。新規事業開発をはじめ、国内・海外企業との提携・買収案件や、海外支社での経営企画・戦略を担当し、帰国後 株式会社LITALICOに入社。同年10月、取締役に就任。採用、新規事業、マーケティング、経営企画領域を管掌。現在は次世代戦略全般を担当。
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その後にどうしても南場さんと一緒に仕事がしたいということで、当時社長室が新設されたのでそこに配属させていただきました。趣味人倶楽部というシニア向けのSNSがあるんですが、それの立ち上げ・事業担当を現場としてやらせていただき、ゲームを作ったりテレビCMを作ったり、採用や人事制度を作ったり、海外支社の経営を行ったり、最後はゲームの事業部門のマネージメントをさせていただいて、29才の時に長谷川に会ってLITALICOに入りました。
小林氏 長谷川さんとはどこで出会ったんですか。
中俣氏 普通に採用試験を受けにいきました。
小林氏 何で受けたんですか。
中俣氏 元々DeNAの採用をやっている時に、とても優秀な内定者数人がうちを蹴って LITALICOにいくということがありました。
そこでLITALICOという会社を調べると、自分がやりたいことをやってるいい会社だな、ということでLITALICOは常に意識をしていました。
僕の兄は障がいを持っているという事情もあり、もともといつかは障がい者の人たちの支援をすると自分のミッションとして決めていました。
ただ30才でいくのか40才でいくのか50才でいくのか、そのタイミングは決めていなかったのですが、僕が29才の時にありがたいことにDeNAで事業本部長をやってくれないかという話をいただきました。これはDeNAへの5年、10年のコミットメントを求められる素晴らしいオファーだと思ったのですが、これに自分が命を使っていくのか、ということを改めて考えました。
30才の手前で考えますよね。
その時に、もともとの自分のミッションに立ち返って行こうかな、というような割とゆらゆらとしているタイミングの時にLITALICOという会社に入りたいと思って、一番最初に社長室で長谷川とお会いさせていただいて、3時間ぐらい話しました。
小林氏 どんな会話をしたんですか。
長谷川氏 何を話したかはあんまり覚えていないですね。
彼はDeNAのなかでも有名だったので、僕が25才の頃から彼の存在は知っていました。
DeNAにも内定していたうちの新卒に「周りに誰か優秀な人いない?」と聞いた時、「DeNAの私のメンターがとても優秀で、この分野にも関心があるので合うと思います」と言っていたので、DeNAのサイトの中俣の写真を見ながら「ちょっと小洒落てるな」等と思いながら、この人が優秀なんだな、と思って顔だけはすごく覚えていました。
その時は声をかけに行くことは無かったのですが、何故かすごく気になって定期的に見ていました。
小林氏 なるほど、ストーカーみたいな感じですね。
(会場 笑)
中俣氏 僕もよく知っていたので、初めてお会いさせていただいて3時間ぐらいのうち2時間ぐらいは僕が一方的に自分のやってきた仕事を話し、その仕事の内容に興味を持ってくれたのでそのディスカッションをしながら、ラスト1時間は長谷川の「会社をこうしていきたい」というような話を聞いていました。
僕と長谷川は年齢が一緒で、経験も豊富ですし、また社会の問題もよく考えているということろがあり、個人的には会社に入るということは誰の神輿を担いでいくのか、ということだと思っているのですが、その時に彼の神輿を是非担ぎたいな、と強く思いました。
その後会社の近くで1回ご飯を食べに行った時、「行きます」と言ってすぐにDeNAを辞めてきました。
LITALICOの事業トランスフォーメーション
小林氏 ありがとうございます。事業のトランスフォーメーションといいますか、障がい者雇用から始まり、今では教育事業やインターネットサービスのように新しい事業を色々とやられていて、そのタイミングで新しい経営幹部の方がどんどん入ってくると思いますが、組織の作り方で気をつけてきたことはどういうことですか。
長谷川氏 事業ではなくて組織ですか。
小林氏 御社の場合は特に事業と組織、一体の話しになるかと思います。
長谷川氏 事業という観点で言うと、解決したい課題の本質により迫っていくというのがずっと追求してきている部分です。
一番最初はB to Bの会社で、企業から人材紹介料をいただいて障がい者の方を紹介する、という形でやっていたのですが、例えば障がい者の方が100人いた時に企業がお金を払っても雇いたいというのは、上の5%ぐらいなんです。
残りの95%の人は相変わらず働けないままというふうになっていて、残りの95%をエンパワーしてどう彼らの個性を活かせるような社会づくりをするのかというよりも、本質的な観点に立つと、うちはB to Bは向いていないと思ったんです。
B to Cじゃないとそういう人にリーチはできないということで、2008年当時、うちの会社はB to Bの売上が98%位でB to Cはほぼやっていないという状況でしたが、そこからB to Bは売却等して全部撤退し、B to Cに切り替えました。
そして障がい者の方向けの職業訓練のサービスをやったのですが、これは本当にやってよかったと思っています。
これまで本当に働けないという方が訓練に来て働けるようになっていったので、目的が1つ達成できました。
一方で、職業訓練のサービスに来た人というのは精神疾患の人が大多数だったので、「彼らは何故、 精神疾患になったのか?」ということを考え始めました。
精神疾患になったら、たとえば統合失調症の方は幻覚が見えたり幻聴が聞こえたりと結構大変なのですが、なんでそういうふうになったのかということを本人達にインタビューをしながら調べてみると、意外と幼い頃からの失敗体験の積み重ねにより、若いころから発症した方が結構多かったんです。
且つ、ちょっと変わった個性を持っている個性的な方も多かったのです。
そこで、ユニークな個性を持った子ども達に合った教育が無かった結果、精神疾患を発症してしまう方が多くいらっしゃるのではないか、という仮説を立てて、変えるべきなのは教育であると思ったのです。
もちろん精神疾患になった方が幸せになれる社会づくりをしようと思っていますが、一方で精神疾患にならないような教育や家族の関係性がある社会というのも同じぐらい大事だということで、教育をやりだしたのが2011年です。
小林氏 学びながら段階的に、ということですね。
長谷川氏 そうです。
教育の事業では、子どもはたとえば週2回ぐらい、学習塾的な感じで教室に通ってきてくれているんですが、週2回の指導だけで出来ることには限りがあるとも感じました。
何が効果的でインパクトがあるのかを考えると、子どもの短所ばかり見ていた親御さんが長所を育む親御さんに変わると、子どもに対してとても大きなインパクトがあるという気づきがありました。
一番最初うちに来る親御さんは、「この子を他の子と同じにしてください」といって来られますが、そういう親御さんが「短所を見るのはやめて長所を見ていきます」というふうに変わることは子どもにとって一生の価値があるということに気づき、親向けのサービスをやっていこうと思いました。
親向けの教育、「ペアレントトレーニング」サービスを今、実際に開始しているほか、ウェブサイト上で親が正しい教育情報を得られるようなサービス等、親向けのサービス作りにシフトしていっています。
事業の目指す姿と組織のケイパビリティのギャップ
小林氏 なるほど、でも色々アイディアが出て来る中で、聞いている限り組織の人材において全く違うケイパビリティが必要だと思うのですが、それはどのように解決してきたのですか?
長谷川氏 これは個人的には忍耐だったと思います。
小林氏 初めは全く出来ないわけですよね。
長谷川氏 出来ないです。
僕は人生を考えるスパンがすごく短いんです。
最短で最大の効果を出しにいきたいという性格が非常に強くて、例えば今も「LITALICO発達ナビ」という発達障がいのある子どもの親御さん向けのポータルサイトは、元は違う名前で2012年からやっていました。
ただケイパビリティがついてこなくて当時は失敗していましたが、今は中俣が入ってくれたから上手くいくようになりました。
当時は同時多発的にやろうとしていたのですが、能力的にはまだまだ難しいということで減速させ、まずこの1本でナンバーワンを取り、しっかりナンバーワンが取れたらまた次の1本でナンバーワン、というふうにちゃんと勝てるフィールドで勝って戦力値を高めてから次をやっていく、という形で今やってきています。
実際に店舗で、人と人との関わりで障がいのある方を支えていくということにおいてはナンバーワンになれる力がついてきたので、いよいよインターネット事業をやろうというタイミングで彼にこちらからオファーを出して、彼が来てくれたおかげでインターネット事業が立ち上がってきました。
小林氏 中俣さんが入った後、ネット系の人は何人ぐらい入ったんですか。
中俣氏 正しく言うと、僕はインターネット事業を立ち上げる為に入ったわけではなくて、初めは管理本部に取締役でも執行役員でもなく一兵卒として入り、もともと大人向けの施設の事業や子ども向けの施設の事業等色々見させていただいた中で、新しい事業もやらなければいけないのでインターネットもやらなければ、というのが僕の思考回路ですが、彼の中では端から僕がインターネット事業をやるという解釈だったようです(笑)。
インターネット事業をやるにもエンジニアもディレクターもデザイナーもプランナーもおらず、戦力がない状態だったので、一番最初は外部の業務委託や僕のDeNA時代の先輩2、3人に入っていただいて、その中でビジョンが強く新しいことをやっていきたいというメンバーを何人か選んでチームを作ったのが2年前です。
そこから紆余曲折ありましたが、何とか今は何十人かの組織になりました。
LITALICOの採用力の秘密
小林氏 先程中俣さんもおっしゃってましたが、LITALICOさんは採用が強いというイメージがあるのですが、新卒の応募が10,000人ぐらいですか?
長谷川氏 新卒だとそれぐらいです。中途も含めると年間30,000人ぐらいです。
小林氏 その強さの秘密は何なんでしょうか。
でも一方で、組織のケイパビリティ的に新しいことにはついていけないわけですよね。
長谷川氏 だんだんケイパビリティも上がってきたのですが、採用力というところでお話すると、やはり理念やビジョンに対して真っ直ぐにいっているというのがあります。
客観的に見ると、社会的な課題の解決というのを経済性も両立しながらやっていくという選択肢が世の中にはまだ少ないと思うんです。
上場企業に入ると、社会性等は度外視してやはり利益が第一という働き方か、若しくは社会性を優先しようと思うと小さなNPOで経済性や自分の収入も犠牲にしないといけないかもしれない、と極端に思っている方が多い中で、LITALICO はバランスのある選択肢として多くの方に興味を持っていただいているというのが1つの理由だと思います。
もう1つは、やはり採用活動を強化しているという部分で、それは中俣が入って「もっと採用活動をやるべきだ」と僕は怒られました。
小林氏 もともと採用力がある中で、また更に強化されたということですか。
長谷川氏 素地は結構あったんですが、それを活かしきれていなかったという感じです。
一般的な会社さんと比べたらもともと高い位置にあったのですが、あと10倍上手く出来るのに何で頑張らないの、ということを中俣に怒られました。
小林氏 そういうことを考えたきっかけは何だったんですか。
中俣氏 まずは、出来る出来ないというよりも、LITALICOという会社自体がそもそも社会の中で影響力を持っている中で、やりたい事業はすごくいっぱいあるのにリーダーが採れていないから出来ないという現実を見て、何故リーダーが採れていないのかを考えた時、経営者がコミットしていないなと思いました。
採用部はコミットしているけど経営陣がコミットしていないので、僕も長谷川も時間の半分は採用に突っ込んで、これが合理的な話かどうかは短期で判断するのではなく長期で見よう、という話をしました。
その結果、全体の採用力がアップしましたね。
小林氏 採用を強化し始めて何年ぐらいですか。
中俣氏 僕が入ってすぐなので2014年ぐらいです。
小林氏 劇的に変わりましたか。
長谷川氏 変わりましたね。
実際に事業を任せていけるリーダーがぐっと集まってきてくれました。
小林氏 どういうところから集まってきたんですが。
長谷川氏 業界は多方面ですね。
インターネットもあれば広告もあり、業種も営業、エンジニア、プランナー等本当に色んなところから来てもらいました。
小林氏 中俣さんが入る前はそういう人はいなかったんですか。
長谷川氏 大分少なかったですね。
小林氏 採用を強化して、新しい事業を作る人材を採ろうということでやり始めたんですね。
長谷川氏 それで一気に流れが変わってきました。
小林氏 新しい事業を立ち上げる人材というのは、どの会社も欲しいじゃないですか。
その中で何で採用力というのがあるのかというと、やはり社会性があり、理念が非常に強いからという理解で正しいですか。
長谷川氏 僕はそうだと思います。
中俣氏 インターネット業界から来た身からすると、やはりベンチャー業界の盛り上がりがありますよね。
資金もいっぱいあり、人材も流動化していく中で、ユニークな企業が増えてるかというとまだそんな感覚は僕は持っていないのですが、その中でユニークなポジションをLITALICOは取り続けているというのが大きいと思います。
あとは、東北の大震災等があり、自分の人生を何に使うのかというのをみんなが考え始めた、という業界の動きを考えると、自然な流れかなと思います。
(続)
続きはこちら:LITALICOのすべて(2)当事者意識と自浄作用が働く組織の創り方
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編集チーム:小林 雅/榎戸 貴史/城山 ゆかり/戸田 秀成
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