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ICC KYOTO 2022 ソーシャルグッド・カタパルト – 社会課題の解決への挑戦 -に登壇いただいた、石徹白洋品店 平野 彰秀さんのプレゼンテーション動画【自給自足の集落に伝わる端切れを出さない服「たつけ」から、持続可能な理想郷づくりに取り組む「石徹白(いとしろ)洋品店」】の文字起こし版をお届けします。ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット FUKUOKA 2023は、2023年2月13日〜2月16日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページのアップデートをお待ちください。
本セッションのオフィシャルサポーターはICCパートナーズです。
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【登壇者情報】
2022年9月5〜8日開催
ICC KYOTO 2022
Session 11A
ソーシャルグッド・カタパルト – 社会課題の解決への挑戦 –
Sponsored by ICCパートナーズ
平野 彰秀
石徹白洋品店株式会社
取締役
1975年、岐阜市生まれ。東京大学工学部都市工学科卒、同大学院環境学修士。北山創造研究所、Booz Allen Hamilton(現PwCコンサルティング合同会社Strategy&)を経て、2008年、岐阜市へUターンし、地域再生機構に参画。2011年秋、約100世帯250人の山間集落・岐阜県郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)に移住。2014年春、石徹白農業用水農業協同組合を設立し、集落ほぼ全戸出資による小水力発電事業を立ち上げた。その模様は、映画「おだやかな革命」(2018年公開)で取り上げられた。2012年に妻の平野馨生里が創業した石徹白洋品店を2017年法人化。日本に洋服の文化が入ってくる以前の、端切れの出ない直線裁ちの服をリデザイン。限界集落にかろうじて残されていた、日本人の知恵の詰まったサステナブルな「民衣」を広める活動をしている。2011年人間力大賞、2015年より内閣府地域活性化伝道師、2022年石徹白洋品店として地域再生大賞準大賞受賞。
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平野 彰秀さん 皆さん、おはようございます。
石徹白洋品店の平野と申します。
大量消費に疑問を感じ、自給自足の「石徹白」に移住
私は今日、岐阜県郡上市の山奥にある、石徹白という集落からやってまいりました。
この集落は、最寄りのスーパー、コンビニまで車で30分、標高950mの峠を越えて、スキー場を2つ越えた、さらにその奥にある集落です。
冬には2mを超える積雪があり、なかなか厳しい自然条件ではありますが、四季の移ろいと自然がとても美しい集落なのです。
おそらく人が住むのにふさわしい場所で、縄文時代よりずっと、この集落には1,000人ほどが住んできました。
ところが、昭和30年代の1,300人をピークに、人口は一気に減少しまして、今は250人を切るような状況となってしまっています。
実は私は、この集落の出身ではありません。
岐阜市で生まれ育ち、18歳から東京に住み、32歳まで東京で仕事をしていました。
商業施設の開発や、経営コンサルティングの会社に勤めていたのですが、環境負荷についてあまり考えることなく、次々と新しい商品を出すような、大量生産大量消費の社会に少しずつ疑問を感じ始めていた時に、この集落の人たちに出会いました。
不便であるが故に、自分たちが食べるものは自分たちで作る。
コンビニでおにぎりを買うのではなく、おにぎりを自分たちで握る。
そして、その自然の恵みに感謝をする。
そんなお年寄りに出会うことができて、この人たちの暮らしには、サステイナブルな社会のあり方について、何かヒントになるものがあるのではないかと思い、今から11年前の2011年、妻と2人でこの集落に移住しました。
集落でエネルギー自給率230%の水力発電を作る
最初に行ったサステイナブルな取り組み、それは水力発電です。
集落の方たちに話をうかがうと、この集落では昭和30年まで、水力発電によってエネルギーを完全に自給していました。
そこで、2007年から一緒に小規模で水力発電の導入を続け、2016年には集落のほぼ全世帯が出資をし、2億円以上の投資をして、エネルギー自給率230%を達成する発電所を作ることができました。
この模様は、映画としても取り上げていただきました。
▶作品解説 | 映画「おだやかな革命」 (odayaka-kakumei.com)
私たちの取り組みに賛同してくれる仲間たちも増え、50近い世帯が移住してきて、廃校寸前だった小学校も生徒数が5倍に増え、今や待機児童もいるような集落になっています。
さて、私も4人の子どもを授かりまして、人口増加に貢献しております。
お年寄りから教わった端切れが出ない服「たつけ」
ここからが本題です。
地域の人たちに教えていただくサステイナブルな取り組み、それを、衣服においても発見することができました。
11年前、この集落に住み始める時に、私の妻は手仕事で服を作りたいと、洋服を作り始めました。
色々な試作品を作ると、どうしても端切れが出てゴミが出てしまう、そこにジレンマを感じていたのです。
その時、地元の方に教えていただいたのが、この「たつけ」という服です。
これはかつて、農作業のために地元の人たちが自分で作り、はいていたものでした。
80代のおばあさんたちに話を聞くと、作り方をちゃんと覚えていらっしゃって、その作り方を教えてくださったのですが、それは驚くべきものでした。
スライドの左側は洋服のズボンのパターンですが、赤い部分は端切れとなるので捨ててしまいます。
でも、スライド右側の「たつけ」の場合、細長い布を3つに切り、さらに四角と三角に切り分けて、それらを折り紙のように組み合わせることで、最小限の布でパンツができるという知恵で作られるものだったのです。
実は、私が今日はいているパンツが、「たつけ」というものです。
前から見ると普通のスリムパンツですが、後ろに特徴があります。
少しマチがあり、しゃがんだり、足を開いたりといった動きが非常にしやすいです。
ストレッチ素材が存在する前に、こういった形を考えた日本人は、とてもすごいと思います。
5種類を商品化し、作り方を公開
お年寄りから教わった服のパターンは全部で6種類あり、今、そのうちの5種類を商品化しています。
このシャツも、普通のシャツのように見えますが、全て直線裁ちでできているシャツです。
これは、石徹白だけの話と思われるかもしれません。
でも、実は違うのです。
皆さん、考えてみてください。
日本に洋服が入ってくる前、日本人は着物を着ていました。
だけど、着物は動きにくいですよね。
ですから、必ずズボンがあったはずなのです。
「鶴の恩返し」のように自分たちで機織りをし、織った布を無駄にせず、直線を組み合わせて着るという服が、日本中いたるところにあったのです。
それは、産業革命で日本に洋服が入ってから、完全に消されてしまった服なのです。
私たちにこの服の作り方を教えてくれた90代のおばあさんは、越前シャツの作り方を教えてくださった後、福祉施設に入られてしまいました。
もう色々な生活の知恵を教えていただけないと考えると、本当に悲しいのですが、せっかく教えていただいた、ギリギリ残すことができた知恵ですので、自分たちの中だけにとどめておくのはとてももったいないと思いました。
ですので、看板商品であるにもかかわらず、作り方を冊子にして、完全公開をしています。
この冊子は販売していますが、今では3,000人くらいの方がこの冊子を購入して、「たつけ」を作ることに挑戦してくださっています。
化学染料をなるべく使わず、育てた藍で染める
私たちは、水のきれいな源流の近くに住んでいるので、水も汚したくありません。
化学染料をなるべく使わず、藍を育てて、藍染の服を作っています。
周りの草木を集めて、草木染めをし、自然の優しい色にしています。
持続可能なものづくりを体現する理想郷をめざす
私たちが実現したいのは3つです。
この、「たつけ」という直線裁ちの服は、本当に日本人らしい服だと思いませんか?
だけど、今日初めて聞いた方がほとんどだと思います。
日本人は今、洋服を着ていますが、この端切れを出さない服を、本当に広めていきたい。
私は今40代ですが、この服に出会ってしまったからには、この服を広めないことには死ねないと思うようになりました。
ぜひ、皆さんにも着ていただき、広めていきたいと思っています。
そして、服というのは土から生まれています。
その源流がたどれるようなものづくりをし、この集落で幸せに暮らし、働ける場を作っていきたいと思っています。
皆さん、応援よろしくお願いします。
(終)
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編集チーム:小林 雅/星野 由香里/浅郷 浩子/正能 由佳/戸田 秀成/大塚 幸