【NEW】ICC サミット FUKUOKA 2026 開催情報詳しくはこちら

1. 稲とアガベ岡住さん「まちを未来に残すには文化が必要、プロダクト起点であるべき」(能登コネクテッド 特別企画 – スペシャル・プレゼンテーション)

9月22日〜24日の3日間、石川・能登にて開催された「ICC石川・能登コネクテッド」。ICCサミットの登壇者・参加者たちが3日間にわたって石川や能登を訪れ、地元企業や被災地の見学、ディスカッションを重ねました。この記事では、現地の方々も含む約60名が参加したDAY2の「ICC能登コネクテッド」のプログラムから、稲とアガベ 岡住 修兵さんが登壇した特別企画のスペシャル・プレゼンテーションとQ&Aの書き起こしをご紹介します。ぜひご覧ください。

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット FUKUOKA 2026は、2026年3月2日〜3月5日 福岡市での開催を予定しております。詳しくは、公式ページをご覧ください。


【登壇者情報】
2025年9月22〜24日開催
石川・能登コネクテッド 
特別企画 – スペシャル・プレゼンテーション
Produced by ICCパートナーズ

(スピーカー)
岡住 修兵
稲とアガベ
代表取締役

(モデレーター)
朴 理沙
ICC運営スタッフ


朴 理沙さん(以下、朴) 能登の被災地ガイドツアーを終えて、皆さんここに集まっていらっしゃると思います。

午前中のセッションを含めて、皆さんがご自身で能登を体感したり、話を聞いて感じたりしたことが色々あるかと思います。

これから、秋田の男鹿で挑戦する稲とアガベの岡住 修兵さんに、スペシャル・プレゼンテーションをしていただきます。

岡住さんは、ICCサミットのSAKE AWARDの初代優勝者、クラフテッド・カタパルトの優勝者です。

このセッションでは、あえて他の地域のお話を伺って刺激を得て、そこから学ぶ時間にしますので、よろしくお願いいたします。

本セッション記事一覧

  1. 稲とアガベ岡住さん「まちを未来に残すには文化が必要、プロダクト起点であるべき」
  2. シーベジタブル友廣さん「世界一の海藻食文化がある能登。養殖藻場で、産業と海が豊かになる循環を」

北九州出身の岡住さんが男鹿に来た理由

岡住 修兵さん 午前中はご案内をありがとうございました。


岡住 修兵
稲とアガベ株式会社
代表取締役

1988年、福岡県北九州市出身。神戸大学経営学部を卒業後、秋田県・新政酒造で酒造りを学ぶ。2021年に秋田県男鹿市に「稲とアガベ醸造所」をオープン。新ジャンルのお酒「クラフトサケ」造りを行うとともに、レストラン「土と風」を立ち上げる。2023年春、食品加工所「SANABURI FACTORY」を立ち上げ、廃棄リスクのある酒粕をマヨネーズにする加工生産をスタート。また同年8月一風堂監修レシピのラーメン店「おがや」を立ち上げる。2024年には宿「ひるね」を開業。今後はホテルや蒸留所の建設を予定しており、多くの優良な雇用を創出することを目指す。クラフトサケブリュワリー協会初代会長。Forbes JAPAN CULTURE-PRENEURS 30。ICCクラフテッド・カタパルトグランプリ。

能登には震災後初めて参りまして、本当にマイナスになってしまったまちを眺めて、自分だったら何ができるだろう、立ちあがれただろうかみたいなことを考えながら、このプレゼンテーションで何を話そうかと考えていました。

能登の現場を見て、再生について何か伝えられるものがあるかわからないですが、僕ができる話しかできないので、色々なことに取り組んできた稲とアガベの4年間について、今日はお話しさせていただきたいと思います。

よろしくお願いします。

秋田県の男鹿半島から参りました。

地図で見ると、日本海側の半島と言えば、能登半島と男鹿半島かなと思っています。

古い時代にはつながっていたところなので、今日は来ることができて嬉しいですし、自分も半島つながりで何ができるかなとすでに考え始めていますし、これからも考えていきたいと思います。

能登半島と同じように、男鹿には雄大な自然があります。

本当に素晴らしい場所です。

能登の祭りと同じように、「なまはげ」という固有の文化があります。

これが街のプライドになっているところも、まちとして似た点かなと思います。

男鹿は本当に良いところですが、残念ながら文化、自然があって、食も美味しい場所は、日本中いたるところにあるわけです。

そのため、男鹿もご多分に漏れず、僕が来た当時はシャッター街が広がるまちでした。

企業も撤退しています。

このまちに僕が来たのは2021年の10月で、今年の10月で丸4年になります。

その間に醸造所を立ち上げたのを皮切りにレストラン、食品加工場、ラーメン屋、宿、蒸留所、スナック、ホテルをつくりました。

立ち上げから3年半で、8拠点ほどつくってきました。

震災でマイナスになったまちの皆さんに、「ゼロから」なんて言うのはおこがましいですが、シャッター街になってしまったまちに、何も持っていない自分がチャレンジしたことは誇りですし、そういったチャレンジを今日お伝えできればと思います。

▶︎3年で6.5億円調達。「稲とアガベ」が爆速事業拡大の先に見る男鹿のグランドデザインとは?(POTLUCK YAESU)

僕自身は今男鹿で事業をしていますが、生まれも育ちも福岡県の北九州です。

大学時代に、居酒屋で新政酒造さんの日本酒を飲んでめちゃくちゃ感動したので、ここで働きたいと思って、その場で、居酒屋の店主に、「明日、新政酒造さんに電話してみようと思います」と話をしました。

そうしたら、その居酒屋の店主が、新政酒造で働きたいと言っている青年がいると、お店のFacebookに上げてくれて、それをたまたま見た新政酒造の社長が「いいっすよ」とリアクションをくれました。

(会場笑)

それが、今から12年前の出来事です。

日本酒免許の取得を目指して

4年半かけて酒造りに従事して、自分の醸造所を立ち上げたのが2021年の10月です。

空き家になっていた駅舎を改装し、中にタンクを並べて、酒造りをさせてもらっています。

僕たちは、日本酒造りを学んできましたが、完全な新規参入は認められていません。

会社をM&Aをしない限りは免許が得られず、日本酒は参入できないのです。

それはおかしいなと思っていて、法律を変えることに実はチャレンジをしています。

僕が日本酒を造る時は、法律を変えて新規参入する時で、それを目標にしているので、今造っているのは日本酒ではありません。

今は、「その他の醸造酒」の免許を活用して、米と麹にフルーツやハーブなどを加えて発酵させる「クラフトサケ」というものを造っています。

代表的なのは、米と麹にホップを加えて一緒に発酵させた「交酒 花風」です。

米と麹とぶどうで発酵させて、日本酒とワインを融合させた「稲とブドウ」も造っています。

クラフトサケは、もともと存在しないジャンルでした。

今日もここにいる、クラフトサケ仲間の(haccobaの佐藤)太亮君とともに、クラフトサケブリュワリー協会を立ち上げて、3年前からクラフトサケと名乗らせてもらっています。

このクラフトサケという新たなジャンルをしっかりとした文化にすることを目標に、色々な活動に取り組んでいます。

まちが未来に残るためにできることは全部やろう

例えば、こういったイベントを開催しています。

ここは、普段は人っ子一人歩いていない男鹿駅前の広場ですが、そこに、4,000人ぐらいが集まったとニュースになりました。

日本のクラフトサケ醸造所 7社が秋田県男鹿市に集結「クラフトサケ ブリュワリーフェス”猩猩宴(しょうじょうえん)”」8月20日(土)〜21日(日)JR男鹿駅前にて開催(PR TIMES) 

他にも、寒風山という男鹿を象徴する山の山頂で、ディナーイベントを開催しました。

日本全国のシェフ6名とペアリングのスペシャリスト5名が秋田県男鹿市に集結し、3日間限定の野外レストラン”曐迎(ほしむかえ)”をオープン 各日抽選30名限定の特別コースディナーを提供(PR TIMES) 

最近取り組んでいることとしては、今、耕作放棄地がどんどん広がっていて深刻です。

そこに対して、戻していこうとする。

最近は農業に軸足を置いて、本気で取り組んでいます。

これまでは少しずつやってきましたが、再来年からは社内の者が現地に張り付く形になります。

こんなことをやりながら、僕たちは男鹿のまちづくりをさせてもらっています。

なぜまちづくりをしているかというと、このままいくと男鹿のまちがなくなってしまうからです。

人口減少ナンバーワン県が秋田県で、秋田県の市の中で男鹿はナンバーワンです。

このままいくと、本当にまちはなくなってしまいます。

まちがなくなってしまったら、せっかくつくった醸造所もいつかはごみになってしまう。

それはすごく悲しいので、僕はまちが未来に残るためにできることは全部やろうと言って、色々なことをやってきました。

酒の力で男鹿に人を呼び込む

ただ、がむしゃらにやっていてもしょうがないので、常に初めから言わせてもらっているのは、「酒は地域のメディアである」ということです。

酒は、男鹿という地域の名刺代わりに日本中、世界中に飛び立ってくれる存在だと捉えています。

かつ、酒は特殊能力を持っていて、飲んで美味しければその酒の産地に行きたくなるのです。

そういった力をお借りして、男鹿に人を呼び込みたいと思っています。

でも、空き家だらけでコンテンツが不足していると、せっかくお酒を通して男鹿に来てもらったとしても、楽しむ場所がないわけです。

そのため、この場所でシャッターを開けていくと決意して、レストランを立ち上げました。

酒造りの工程では、酒粕が必ず出ます。

出た酒粕は、秋田県内では年間400トン廃棄されているので、それはもったいないと、食品加工場をつくり、廃棄されていた酒粕を使ってつくる「発酵マヨ」というプロダクトを自ら商品化しました。

何もなかった空き家が発酵マヨのような食品の加工所になり、それを販売する雑貨店になりました。

▶︎SANABURI FACTORY(稲とアガベ)

他にも、「バターのいとこ」というお菓子をつくっているGOOD NEWSと協業して、酒粕からつくるスイーツ(早苗饗レモン(さなぶりれもん))を開発してもらいました。

こういったお店が、今伊勢丹、羽田空港にあります。

「何もないまちから出ていけ」のマインドを変える

2年前に立ち上げたラーメン屋のらーめん「おがや」を立ち上げました。

なぜラーメン屋なのかというと、男鹿にラーメン屋がなかったからです。

ラーメンを食べたいじゃないですか。

(会場笑)

僕の息子は今5歳ですが、この子が中学生になって反抗期を迎えた時に、「ラーメン屋もないまちに産みやがって」と言われたくないと思って。

(会場笑)

地域の子どもたちは、「こんな何もないまちからは出ていけ」と言って育てられるのです。

これは、非常にもったいないと思います。

僕にとっては、この空き家だらけになっていたまちが全部宝物に見えるのです。

何もないまちからは出ていけと言って育てられたら、自分の人生を悲観して生きるしかないじゃないですか。

今日見たような更地の風景を見ていると、悲しくなりますよね。

だけど、マインドを切り替えたら、前向きになれるのですよ。

そういったことを、本気で地域の子どもたちに伝えたいなと思うのです。

そんなことを言っていたら、ラーメン専門店の一風堂さんが手伝ってくれました。

一風堂が開発してくれた塩ラーメンと醤油ラーメンは、めちゃくちゃ美味しいです。

目の前の建物が、ラーメン屋です。

このように行列ができるラーメン屋です。

そうこうしていたら、宿がなくなり、信用金庫の支店も、銀行の支店もなくなりました。

宿はインフラなので、宿がなくなったら、来る人が減ってしまいます。

そのため、超特急で宿をつくりました。

この宿はICCスタッフも務める(荒木)珠里亜が一生懸命立ち上げてくれました。

▶︎宿泊事業(稲とアガベ)

その他にも、工場を改装して、酒粕由来のスピリッツやジンの蒸留所「早苗饗(さなぶり)蒸留所」を、今年(2025年)の1月に立ち上げました。

稲とアガベ関連会社 株式会社SANABURIがクラフトサケづくりの副産物である酒粕から抽出したアルコールを使用した蒸留酒づくりの拠点「早苗饗(さなぶり)蒸留所」を一般公開開始(PR TIMES) 

こういった商品です。

こちらは、もともと「シーガール」というスナックだった店を、名前はそのままにきれいに改装して復活させました。

今年の6月に立ち上げたのが、「ホテルかぜまちみなと」です。

もともとはこのような建物でしたが、

生まれ変わらせました。

サウナがあり、「マッチャイナ」という中華ダイニングが入っています。

3年半で8拠点、事業は10事業以上です。

全部の拠点が徒歩圏内であることが特徴で、まちの景色が変わってくると、地域の人たちの意識も変わってくるなと実感しています。

旅館や飲食店で、復活の流れが生まれています。

有名な経営者が旅館を引き取って素敵な旅館にしてくれたり、地元の人たちが飲食店を復活させたりする流れが生まれてきたのは、私たちの誇りです。

【森長旅館】文化財の蔵で“ととのう”。蔵サウナ貸切付き宿泊プランを販売(PR TIMES) 

まちを未来に残すには文化が必要

ただ、僕たちがつくっているのは全部コンテンツで、コンテンツというものは、生きている間に古くなってしまうものですよね。

ですから、コンテンツだけをやっていても、打ち上げ花火で終わってしまうと思いました。

このまちを本当の意味で未来に残すためには、文化の柱をつくらないといけないなと思っています。

それで掲げているのは、「男鹿酒シティ構想」です。

男鹿を酒のまちにしたいと思っています。

僕たちだけでなく、多様なプレイヤーがこのまちで酒造りをして、そこでハシゴ酒をしたり、色々なプレイヤーが競い合って良いお酒を造ったりという文化を、まちにつくりたいと思っています。

こんなことを続けていくうちに、企業が手伝ってくれたり、移住者が20〜30人ぐらい来てくれたりしました。

今後、ファクトリーショップをつくる計画があり、来年春にオープン予定で、今資金を集めています。

ENEOSの保養所を最近引き取りましたが、結婚式場にしたいと思っています。

結婚式場になぜしたいかというと、結婚式場がないからです。

(会場笑)

葬儀屋はありますが、結婚式場がありません。

これはまちとして、悲しいじゃないですか。

「そんなまちに未来がありますか?」という話です。

人生の喜びを共有できる場所を、儲からなくてもいいのでつくりたいと思っています。

まちづくりはプロダクト起点であるべき

最後に、エッセンスとして、よく言わせてもらっているのが、「まちづくりはプロダクト起点であるべき」ということです。

結構、サービス業起点で宿や飲食店などを立ち上げたりもしますが、群雄割拠ですし、そこに人が来る理由を作るのは大変です。

小さいプロダクトでも何でもいいので1個つくれば、プロダクトは自分が行かなくても旅立ってくれるわけです。

そのプロダクトが、地域を知るきっかけになったりするのです。

そういったことを大事にした上で考えると、僕は酒っていいと思うのです。

日吉さんをまちのみんなでサポートしていき、再興していく流れがあってもいいのではないかとか、僕はそんなことを考えながら午前中に、能登のまちを歩かせてもらいました。

ICC男鹿コネクテッドのセッションで、五島列島なかむらただし社の中村 直史さんが語ってくださったことにつながりますが、写真の左端に映っているのは、僕がまちに入っていくきっかけとなった公務員の池田さんです。

【一挙公開】ICC男鹿コネクテッド「魅力あふれる地域を創るには」(全4回)

池田さんがものすごく熱心に、岡住君が来てくれたら嬉しいと言って、まち中を案内してくれました。

これほど情熱的な人がいるから、僕はここに来たいと思って、男鹿で事業をしています。

僕のような土地に縁もないような人間がまちに現れるかどうかというと、難しいかもしれないです。

けれども、受け入れる側で、入り口になる、池田さんのような人になることはできるのではないか、という話を直史さんがしてくださいました。

僕のような人間が来ることが入り口ではなくて、まち側としてどんなチャレンジャーも受け入れるよというマインドが、最初の入り口であるべきではないかと思います。

長くなりましたが、以上です。

Q&A

 プロダクト起点のまちづくりもそうですし、私自身は仕事の用事があるわけでないのに、なぜか今年3回も男鹿に行ってしまいました。

(会場笑)

毎回行くたびに進化していく男鹿をここ数年見てきて、やはり一人の思いがあって始まって、色々な人が自分ごととしていって、つくられたまちというものを実感しています。

時間の都合上数名になってしまいますが、皆様からご質問を頂きたいと思います。

プレイヤー、マネジメント人材をどう集める?

林 俊伍さん 素晴らしいお話をありがとうございました。能登の現代集落の林です。

これから、地域に1億から10億の会社を100個創りたいなと思っています。本業はこみんぐるという会社をやっています。

似たような構想を持っていらっしゃるなと思いながら、一番のボトルネックはプレイヤー等、マネジメントができる人の数だなと思います。

今後、僕の想像ではそこが一番ボトルネックになると思いますが、どうやって解消しているのか教えていただきたいです。

岡住 全然解消していませんが。

(会場笑)

全部のプロジェクトマネージャーを僕自身がしていた感じですが、そこから、仲間が集まってきて、僕よりも優秀な仲間と一緒に会社を創り、新しいホテルについては僕は何もやっていません。

新しいホテルをどうやって黒字にしていこうかということについても、週1のミーティング以外、ほぼ入っていません。

極端なところまで行くしかないのです(笑)。

自分で行って、その先に仲間が集まってくるものだと思います。

ICC代表 小林 雅さん(以下、小林) 稲とアガベのCFOで齋藤 翔太さんという方がいるんですが、凄腕ですごいですよ!

(会場笑)

お金とコンセプトだけで立ち上がるから、現場は大変らしいけれど、それでも続くからすごいですよね。

我々にはまねできないですが、とりあえずやってみる、そういうやり方もあるのだなと、僕は思いました。

(会場笑)

岡住 そうですね。一度、自分がやっているプロジェクトの数を数えてみたら、90プロジェクトだったのです。

そのうち30プロジェクトしか社内に共有していなかったので、60プロジェクトは僕しか知らないわけです。

(会場笑)

今は多分、(プロジェクトは)150くらいあります。

 非常に共感します。

 ありがとうございます。(荒木)珠里亜が後ろのほうで、深く頷いていました。

(会場笑)

小林 補足すると、(岡住さんは)エキセントリックなんですよ。変な人を連れてきてしまいました!

(会場笑)

自分ごとにできるかもしれないと思わず、半分ぐらい真似していただければ。極端な人選でした。すみません(笑)。

▶︎5. 「街づくりのプレイヤーが増えない問題」にどう対応するか?(ICC FUKUOKA 2024のセッション「地方創生を実現する新しい「街づくり」とは?」より)

相手に協力したいと思わせる自分であることが大事

林 直孝さん 大丸松坂屋の林と申します。

今年の6月に先ほどのホテル「かぜまちみなと」にも1泊だけでしたが行かせていただきました。

初日に岡住さんが「市役所に行きましょう」と言って、行く直前に携帯で「市長いる?」と連絡して、市長(菅原 広二市長)に会わせていただいたのです。

行政、市長とのコミュニケーションの近さというか、信頼しあっているのを見てすごいなと思ったのですが、男鹿のまちを変えていくということで、そのつながりをどのように捉えられていますか?

岡住 非常に協力してもらって、そのおかげで僕たちは進んでいます。

でも、あてにしてはだめなのです。

お金もない市政ですし。

こんなことをやってくださいとは、1回もお願いしたことはありません。

そのスタンスは、非常に大事にしています。

この写真は、市長と初めて会った時のものです。

市長とお昼ご飯を食べようと池田さんが言ってくれて、つなげてくれました。

僕がその時に言ったことを市長がいつも言ってくれるのですが、「市長は死にますよね? 僕も死ぬんですよ。僕も市長も死んだ後の男鹿の未来を一緒に創りましょう」という話をしました。

上の世代と下の世代は、対立したりすることがありますが、そこに対して、一緒の仲間だと言ったことが、非常に響いたのです。

その時に、市長は「男鹿はお金がない。だけどお金以外のことは全部やるよ」と言ってくれて、それを本当に体現してくれています。

でも、僕は無理していますが、本当にお互いに無理をしない(ことは大切で)、相手に何かやってほしいというスタンスだとうまくいかないと思います。

そして、本当にやって(協力して)あげたいなと思えるような自分であるかどうかみたいなところが、関係値としては非常に大事になってくるのではないかといつも思っています。

市長は素晴らしい人です、本当に。

 ありがとうございます。

もっとご質問したい方がいらっしゃったと思いますが、時間になりました。

岡住さんに、大きな拍手をお願いいたします。

(終)

編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/戸田 秀成/小林 弘美

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