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ICC KYOTO 2025のセッション「ジャパンハート吉岡秀人 特別講演 「人のために生きることは、自分のために生きること」- これからの生き方を考えよう 」、全6回の③は、余命わずかな子どもたちとその家族を前に医療ができること、日本で行う「スマイルスマイルプロジェクト」について紹介します。そこで吉岡さんが気づいたこととは? ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット FUKUOKA 2026は、2026年3月2日〜 3月5日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションのオフィシャルサポーターは EVeM です。
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【登壇者情報】
2025年9月1〜4日開催
ICC KYOTO 2025
Session 4B
ジャパンハート吉岡秀人 特別講演 「人のために生きることは、自分のために生きること」- これからの生き方を考えよう
Supported by EVeM
(スピーカー)
吉岡 秀人
特定非営利活動法人ジャパンハート最高顧問/ファウンダー/小児外科医
(モデレーター)
白井 智子
CHEERS
代表取締役
山田 敏夫
ファクトリエ
代表
(リングサイド席)
上田 誠一郎
インターナショナルシューズ
専務取締役
岡本 拓也
LivEQuality大家さん
代表取締役社長
尾田 洋平
一般財団法人 地域・教育魅力化プラットフォーム
専務理事
鬼丸 昌也
認定NPO法人テラ・ルネッサンス
創設者
金谷 智
LX DESIGN
代表取締役社長
亀石 倫子
一般社団法人LEDGE
代表理事
川口 加奈
認定NPO法人 Homedoor
理事長
小嶌 不二夫
ピリカ
代表取締役
園田 正樹
グッドバトン
代表取締役
田口 一成
ボーダレス・ジャパン
代表取締役社長
冨田 啓輔
HelloWorld
代表取締役Co-CEO
中川 悠樹
特定非営利活動法人AYA
代表理事
野口 昌克
SMILE CURVE
代表取締役
廣瀬 智之
Tomoshi Bito
代表取締役社長
福寿 満希
ローランズ
代表取締役
松本 友理
Halu
代表取締役
三浦 美樹
一般社団法人日本承継寄付協会
代表理事
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たくさんの亡くなっていく子どもを見つめて

吉岡 ただ、助かる子たちばかりではなく、亡くなっていく子どもたちもたくさんいます。
例えばミャンマーでは、毎年3,000人ぐらい小児がんになりますが、ほぼ全員が亡くなります。
日本では今や8割近くの子どもたちが助かる小児がんですが、ミャンマーでは、治療してもまだ1割も助かっていないと思います。
当時は、もっとひどかったです。
この子は生まれて20日過ぎの子で、僕のところに来た時は、口の中から腫瘍の塊が出ていました。
お母さんが、おっぱいが飲めないと言って連れてきたのです。

僕は子どもの外科が専門ですから、すぐにがん、正確には悪性リンパ腫であるとわかりました。
もうこの時点で、この病気でこの子が死ぬことが決まっているわけですね。
そういう時に、どうするかというのが僕の悩みでした。
僕が学んでいる時、日本でもたくさんの小児がんの子どもたちが死ぬのを看おくってきたのですが、僕がいつも感じていたことは、頑張って治療している間はいいのですが、助からない子どもたちがいて、どこかで薬が効かなくなるポイントがあるのです。
薬が効かなくなった後、死ぬまでの間に、家族にとってはいいことは一つもないわけです。
それでも親であれば1%でも生存の可能性があったら、最後まで治療を続けて欲しいと思うのが人情です。
治療をしなければ、子どもは死ぬ直前まで元気に生きられるのです。
僕は海外でたくさん未治療のまま死んでいく子どもたちを見てきましたが、思っているより楽に死んでいきました。
日本の子どもたちは抗がん剤によって治療されるので、感染症を起こしたり、吐いたり、下痢を起こしたり大変で、その時期は、子どもが弱っていくだけだから、家族にとっていいことはないでしょう?
そうすると、まだ子どもが元気だった頃や治療して入退院を繰り返していた頃のことは思い出してくれるのに、悪化してから死ぬまでのことは思い出してくれないのですよね。
なぜなら、辛いから、生きていくために、思い出さないほうがいいからですね。
でも、それも不幸なことだなと思うのです、まだ子どもは生きていたのにと。ましてや、子どもが親のために、人生の最後に一番辛い思いをして、人生で一番頑張っている時のことを思い出してもらえないなんて、気の毒だなと思いました。
どうしたらその時のことを記憶として残してくれるのだろうかと思った時に、一日だけでもご飯を思いきり食べてくれた日やものすごく笑ってくれた日があれば、親御さんは絶対思い出してくれると思ったのです。
だから、こういう時間を作らないといけないと思って、がんになった日本の子どもたちに向けて、今、色々なことをしています。
先ほどの、口の中から腫瘍の塊が出ていた子も、もう死ぬのは決まっています。
でも母親は、一度だけ僕のところへ子どもを連れて来て、腫瘍の塊がなくなれば、おっぱいを飲んでくれて、この子の寝顔や息づかい、体温を全部記憶に残してくれるでしょう?
だから、僕はこの子に麻酔をして手術をして、塊をかき出しました。
上あごから発生しているので全部は取れないですが、できるだけ取って治療しました。
この写真は、翌日、血が止まっておっぱいを飲んでいるところです。
このまま、この親子を家に帰しました。
この後、この親子は二度と現れていないですね、お金もかかりますから。
だから、医者にとっても、患者さんにとっても、ワンチャンスしかありません。
その時に、治療するのか、しないのか、何をするのかを含めて決めないといけないですね。
それは正解がないので、どんな選択をしてもいいと思うのですが、僕は治療を選択したのです。
この後、この子はおそらく亡くなっているのだろうと思います。
余命少ない子どもの希望を叶える外出支援
吉岡 がんになってもう残された時間がない日本の子どもたちを、色々なところに連れて行っています。
かつては、日本の医者はどこにも行かせてくれなかったので、きょうだい同士も会えませんでした。
コロナの時と同じで、抗がん剤を打っている子に感染症をうつしたら亡くなるので、会わせてもらうことができなかったのです。
そして、最期はみんな病院で亡くなりました。
治る見込みがないのに、何かあったらということで、医者たちも強制的に入院させて、家族が旅行に行きたいと言っても、それはだめですと認めなかったのですね。
でも、時代が下って、今だったらできるのではないかと、10年ぐらい前にふと思いました。
小児科医と看護師が付いたら、行かせてくれるのではないかと思うようになったのです 。
日本には、北は北海道大学から南は九州大学まで、15の小児がんの拠点病院があります。
国立成育医療研究センターや東京都立小児総合医療センター、神奈川県立こども医療センターなど、東京近郊の拠点病院の医者に話をしたら、みんな協力的で、時間がない患者さんたちを紹介してくれました。
この子は東京の子ですが、5歳の時に神経から出るがんになりました。
当時は15歳でした。

10年間、人生の3分の2をがんと戦い続けて、今から解放されようとしている頃です。
主治医から電話が来て、もうラストチャンスなので、どうしても連れて行ってあげてほしいところがあると言われたのが、伊豆シャボテン動物公園でした。
この子は百科事典でサボテンを見てすごく気に入って、どうしてもその公園にある日本一大きな「金鯱」という種類のサボテンを見たいと言っていたのですが、再発を繰り返すので行けなかったのです。
時間だけが過ぎて、とうとう立てなくなってきて車椅子に乗るようになって、ギリギリのところで僕らのところに連絡があり、連れて行った時の写真です。
公園では小さな鉢植えのサボテンを買って帰れるようになっていて、公園に入った時に、花が咲いている鉢植えのサボテンを見て、その子のお母さんが、「まぁ、きれい」と言ったのです。
それをその子は覚えていて、帰りにお母さんのために、お小遣いでサボテンを買いましたが、花の咲いていないサボテンを選んで買ったのです。
お母さんは花を見て「きれい」と言ったのに、「あれっ?」と思うじゃないですか。
その意味は、後からわかりました。
それは何かというと、この子は15歳で、もう長くないと、だいたい自分の寿命を悟っているのです。
おそらく自分自身に言い聞かせたのだと思いますが、「僕はこのサボテンの花が咲くまで、頑張って生きます」というメッセージを、お母さんに向けて込めたのだと思うのです。
残念ながら、この子はこのサボテンの花が咲くのを見ることなく、この世を去ります。
人生における豊かさとは
吉岡 この子が亡くなった日、僕はミャンマーにいて、難しい手術をしていました。
腰椎麻酔で始めた手術がうまくいかなくて、全身麻酔に切り替えて、血だらけになった手術着を着替えに行って戻った時に、僕のスマートフォンに、今亡くなりましたというメッセージが入ったのです。
いつも大変な目に遭うと、皆さんも「なんでこんな目に遭わないといけないんだ」「なんでまた自分だけこんな目に遭っているんだ」と思いますよね、人間だから。
人生なんて、生老病死でしんどいことばかりですからね。
僕も大変なことがあると、「またこんな目に遭って」みたいに思いながら、いつもやっているのですよ。
でもこの子が亡くなったというメッセージを見た瞬間に、僕が何と思ったかというと、「ああ、自分はなんて幸せなんだろう、こんな目に遭えて」と、心の底から思ったのです。
そう思うと、ふっと落ち着いてきて、その後手術に戻ったのですが、流れるようにうまく進みました。
僕も人生で辛いことはたくさんあったけれど、いいこともたくさんあったじゃないですか。
僕は、人生の豊かさとは、いいことと悪いことの落差だと思っているのですね。
これはいつも言うのですが、皆さんがキャラバンを組んで砂漠で道に迷ったとします。
1週間水が飲めなくて、喉がカラカラになったその時に、オアシスを見つけて水を飲む。
でも、その時のオアシスの水はぬるくて、ちょっと濁っている。
それでもその水は、おそらく皆さんが一生のうちで飲む水の中で最も美味しく、最も価値のある水ですね。
皆さんが起業して大成功を収めて、お金持ちになって毎日美味しいものを食べて、今日も明日もお寿司を食べて、あさってはステーキを食べて、そこに皆さんが本当に豊かさを感じるか、ありがたいと思って生きられるかというと、そういうわけではないですね。
結局、僕らが認知している豊かさというのは、この落差のことなのですよ。
いいことと悪いことの落差が大きければ大きいほど、僕らは豊かに生きたということになるのかもしれないですね。
それを、僕はその時、直感的に感じたのだろうと思います。
ディズニーランドで最後の思い出づくり
吉岡 もう1人、こちらは東京の病院に入院していた、当時13歳の女の子がいました。
筋肉から出るがんで、とうとう胸膜に転移して、がん性胸水といって、水が胸の中にたまって肺が膨らまないので、息切れします。
車椅子でないと病院の中を移動できず、トイレに行くのも車椅子で、ハアハアしてしまって、ご飯もうまく食べられなくなりました。
病院の治療はストレスがたまるし、思春期の女の子ですから、「お父さんのこと大嫌い」みたいな感じで、お父さんと仲が悪いわけです。
この子のどうしても行きたかった場所は、東京ディズニーランドでした。
この子も、間に合うか間に合わないかわからないギリギリのところでしたが、先ほどの写真は、なんとか間に合って連れていった時のものです。
着くと、あれほど息切れして立てなかった子が「自分で車椅子を押したい」と言い出して、車椅子を押している時の写真です。
そして、あれほど「お父さん嫌い」という感じだったのに、お父さんと一日中2人でニコニコ、ニコニコしながらいい時間を過ごして、この日はたくさんご飯を食べて帰りました。
ボランティアで手伝ってくれた人たちに、この子はお礼の手紙を書いてくれました。
けれども、その手紙が届く頃には、この子は亡くなっていました。
その後、お母さんが僕らのところへ来て言っていたのは、お父さんが本当に辛い思いで、目を離したら自殺してしまうから、夜になると車の助手席に乗せて、行く当てもなく首都高をひたすら毎日くるくる、くるくる回ったということでした。
そういう時間を何カ月も過ごした後、ようやくお父さんが少しずつ立ち直って、今はなんとか元気にしていますという話をしに来てくれました。
このように、日本でも、残された時間の少ない、生きるか死ぬかの毎日を送る子どもたちを、コロナ期間中でも100組以上、色々なところに連れていきました。
大量にスタッフを増やさないと追いつかなくなっている状況ですが、日本の子どもたちのためにも色々とやっています。
▶︎小児がんと向き合う子どもたちの応援団 スマイルスマイルプロジェクト(ジャパンハート)
(続)
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/戸田 秀成


