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ICC KYOTO 2025のセッション「ジャパンハート吉岡秀人 特別講演 「人のために生きることは、自分のために生きること」- これからの生き方を考えよう 」、全6回の⑤。2025年10月にカンボジアに新たに設立したジャパンハートアジア小児医療センターのねらいとは? ボーダレス・ジャパン田口 一成さんの質問で語る、吉岡さんの取捨選択、社会のセーフィティネットとは? ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット FUKUOKA 2026は、2026年3月2日〜 3月5日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションのオフィシャルサポーターは EVeM です。
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【登壇者情報】
2025年9月1〜4日開催
ICC KYOTO 2025
Session 4B
ジャパンハート吉岡秀人 特別講演 「人のために生きることは、自分のために生きること」- これからの生き方を考えよう
Supported by EVeM
(スピーカー)
吉岡 秀人
特定非営利活動法人ジャパンハート最高顧問/ファウンダー/小児外科医
(モデレーター)
白井 智子
CHEERS
代表取締役
山田 敏夫
ファクトリエ
代表
(リングサイド席)
上田 誠一郎
インターナショナルシューズ
専務取締役
岡本 拓也
LivEQuality大家さん
代表取締役社長
尾田 洋平
一般財団法人 地域・教育魅力化プラットフォーム
専務理事
鬼丸 昌也
認定NPO法人テラ・ルネッサンス
創設者
金谷 智
LX DESIGN
代表取締役社長
亀石 倫子
一般社団法人LEDGE
代表理事
川口 加奈
認定NPO法人 Homedoor
理事長
小嶌 不二夫
ピリカ
代表取締役
園田 正樹
グッドバトン
代表取締役
田口 一成
ボーダレス・ジャパン
代表取締役社長
冨田 啓輔
HelloWorld
代表取締役Co-CEO
中川 悠樹
特定非営利活動法人AYA
代表理事
野口 昌克
SMILE CURVE
代表取締役
廣瀬 智之
Tomoshi Bito
代表取締役社長
福寿 満希
ローランズ
代表取締役
松本 友理
Halu
代表取締役
三浦 美樹
一般社団法人日本承継寄付協会
代表理事
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▶『ジャパンハート吉岡秀人 特別講演 「人のために生きることは、自分のために生きること」- これからの生き方を考えよう』の配信済み記事一覧
▶︎編集注:会場で投影された一部スライドや動画は、著作権の関係と患者さまのプライバシーを考慮し、非公開にしています。ご了承ください。
ジャパンハートこども医療センターで手術を受けた少女
吉岡 ここで一旦話を切るのですが、僕から見た子どもたちの話などをお伝えしてきました。
最後に、子どもから見た病気、その家族から見た病気の話を、女の子に語ってもらいましたので、見てください。
シービンさん「がんだとわかった時もそうですが、足を切断しなければいけないと知った時、一番悲しい気持ちになりました。
ただ、この病院に来てから、他にも自分と同じ病気の人がいるのを見て、気持ちが楽になりました」
(14歳のシービンは骨肉腫の治療中。初めてジャパンハートの病院に来たのは2023年1月。すでに他の病院で診断を受けていたが、治療費が払えず抗がん剤治療を受けられる場所を探していた。2023年1月3日、『ジャパンハートこども医療センター』を初受診)
シービンさん「腫瘍がある部分がとても痛くて、足がしびれていました」
(右足を切断しなければ命は助からない。最初の診察で医師にそう告げられた)
シービンさん「足を切らなければ長くは生きられないと知った時、『もっと親と過ごしたい』、そう思って切断することを決めました」
(手術前の抗がん剤治療を経て手術の日を迎えた)
シービンさん「手術の直前には、恐怖や不安はおさまっていました。
足がとても痛くて、早く解放されたい、早く切りたいと思うようになっていました」
(手術は予定通り終了。術後の抗がん剤治療が始まった。歩く訓練も開始)
シービンさん「手術の直後はまだ強い痛みがありましたが、ジャパンハートの病院で治療を続けて、少しずつ痛みが取れました。
車椅子に座れるようになって、歩けるようにもなりました」
(シャワーやお手洗いも1人で行けるように。幼い弟の世話があるお母さんに代わって、お父さんが24時間付き添っている)
シービンさんの父親「他の病院で治療を受けていた時は、いつも強い痛みに苦しんでいました。治療費や入院中の生活費としてたくさんお金もかかりました。この病院に来てからは痛みが少しずつ引いて症状が良くなっています。スタッフもいつも親身になって診てくれます。ジャパンハートに感謝しています。
日本の団体がこうして長い間カンボジアで治療をしてくれているおかげで、この国の病気の子どもが数多く救われています」
(家族や友達に囲まれて育ったシービン。小児がん病棟では、『お姉さん』として幼い子どもたちに慕われている。入院生活は9カ月目に入り、再び学校に通える日を心待ちにしている)
シービンさん「大きくなったら医者になりたいです。両親が病気になった時に私が治してあげたいから。
(笑顔で家族のもとに帰れるように。その日はもう直ぐそこです)
シービンさん「(退院したら最初に)お母さんに会いたい。ずっとお母さんのそばにいたい」
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(会場拍手)
吉岡 ありがとうございました。
子どもが本当に来たいと思える病院づくり
白井 吉岡先生、ありがとうございました。
会場の皆さんは涙を流しながらお話を聴いていたと思います。こちらが、今年の10月に開院する新しい病院(ジャパンハートアジア小児医療センター)です。
▶︎カンボジア ジャパンハートアジア小児医療センター開設(ジャパンハート)

新病院の特徴やコンセプトを、ぜひお聞かせください。
吉岡 2つのコンセプトを込めました。
日本はどこの病院に行っても、同じでしょう?
同じようなところから入って同じようなところに行かされて、同じように薬をもらって帰るみたいな、どこも一緒じゃないですか。
日本人は1回フレームを変えたら、その後、変えられないのですよ。
もっといいものがあるはずなのに、たこつぼ化してしまって、そうなってしまっているのですよね。
この病院の1つ目のコンセプトとして、「子どもが」本当にいいと思う病院にしたいのです。
今、日本にある病院は、「大人が」子どもにとっていいと思った病院なのですよ。
だから、僕はこの病院中を遊園地のようにしたいと思っています。
まだ構想段階ではありますが、イラストがいっぱい壁に飾ってあるし、病院内を移動するのはゴーカートみたいな乗り物で、子どもたちが点滴棒をぶら下げるところがあって移動したりとか、ほかにもアイディアはまだまだ尽きません。
カンボジアはがんの子どもですら、そのうち半分ぐらいしか病院に来ていないのですよ。
日本だったら5年間がんをフォローするのですが、1年、2年(再発が)なかったら、親がもう大丈夫だと思って来院しません。
要するに、医療知識も広がっていないので、子どもが行きたいと言う病院でないと来ないのです。
良い医療をするだけでは、患者はそこまで来てくれません。
全く違う角度で切り込まないといけないと僕は思っていて、それが、子どもが本当に行きたい場所を作るということなのですね。
ですから、この病院ではそういう風にしてみたいと思っています。
例えば、ホスピタルアートは今たくさん出ていますが、それは大人がいいなと思っているアートであって、子どもがいいと思っているアートではないので、子どもがいいと思っているアートにしたいと思っています。
本当に子どもがいいと思う、子どもが来たいと思う病院を作るというのが、1つ目のコンセプトです。
エシカルな病院に来る子どもたちは未来を創るパートナー
吉岡 ただ、それだけでは評価されないと思っています。
評価されるために、2つ目のコンセプトとして、ものすごくエシカルな病院にしようと思っています。
今は何でも捨てるでしょう?
だから、将来的に病院内でもエシカルな取組みもしていきたいと考えています。
僕たちは、子どもたちを定義し直したのですね。
要するに、病気になって、病気を治療していく子どもたちではなくて、病気が治って、ともに一緒に未来を創っていくパートナーとして、子どもを位置づけたほうがいいのではないかと、僕は思ったのです。
例えば、なぜスイスの自然がきれいに残っているかというと、それはみんながお金を出してあの自然を維持しているからですよ、人間の手で作れないから。
でも日本は、例えば釧路湿原にソーラーパネルを敷きつめたりして、今、問題になっていますね。
でも、未来人はそんなことをしないでしょう?
未来人は、お金を出してでも大切なものを守りますよね。
それが未来の人たちだと思います。
僕は人間の進化とは、意識の進化だと思っています。
意識の進化であって、すでに肉体の形態的な進化ではないのです。
政治家の人もこれだけ汚職をしているでしょう?
なぜお金に惹かれるのかというと、それは日本人の意識がまだそこにあるからなのです。
ひと足先に、自分が正しいと思う世界をカンボジアでつくる
吉岡 だから僕は、日本人には申し訳ないのですが、20年先に途上国の子どもたちと行かせてもらおうと思っています。
そこはすごくエシカルにして、エコロジーとは何か、彼らにちゃんとエシカルの教育をします。
そして彼らと、それを日本と外国でやります。自分が正しいと思うから。
おそらく日本の色々な人たちが、病院を見に来てくれたり、取材に来てくれたりするでしょう?
そうしたら日本に広がるでしょう?
だって、途上国の子どもですらやれていることを、なぜ日本でできないのかーーと。
日本がこのような時代のなかで僕は、子どもたちのために、少しぐらい拝金的なことをやめるべきだと本気で思っているわけです。
だから、自分が正しいと思う世界を、先に海の向こうに作ります。
そして、そこでエシカルの教育をして、日本の人たちが刺激を受けてやってくれればいいと思っているのです。
今のまま放っておいたら、フレームを変えられない国だから、日本がそうなるのは20年後ですよ。
10年後ぐらいからは、そろそろ動き出すかなとは思いますけれども、僕は先に、20年先に行って、逆に日本に対してプレッシャーをかけて、もっと早くそれを加速させたいなと思っています。
(会場拍手)
白井 ありがとうございます。
今日はリングサイドにいらっしゃる方も、たくさん質問されたいのではないかと思いますが、山田さんは吉岡先生とのお付き合いが長いということで、ぜひお願いします。

山田 ジャパンハートという名前が「日本の心」で、今紹介があった海外のことももちろん一番今ホットなニュースですが、お話しされていた、日本の小児がんの子ども達への「スマイルスマイルプロジェクト」もそうですし、熊本に僕らの本社があるのですが、熊本地震や熊本の水害、東日本大震災、能登半島地震と、あらゆるところに災害支援に行っているのも、実はジャパンハートです。
▶ジャパンハート、熊本県と大規模災害時等における支援活動に関する協定を締結(ジャパンハート)
▶令和6年能登半島地震への緊急救援 活動報告(ジャパンハート)
吉岡先生の病院で小児がんの子どもたちの治療に携わった日本の大学病院の若手医師たちは、日本では稀で少ない症例の経験を日本に持ち帰って、日本人の子どもたちを救っていくという循環があります。
ですから、本当に日本の心は尊いなと思ったのですね。
僕自身も、もっともっと成功して、たくさん寄付ができる人間になりたいとすごく思うので、もどかしく、いつも生きています。
協力の仕方は本当に色々あって、ジャパンハートを支援する企業の方々がやられているように、ふるさと納税で応援する方法もあります。
ICC小林 雅さんがやられているように、こういう場を作ることもそうですし、それは皆さんが持っているサービスかもしれないし、皆さんが持っている、何か寿命の一部を、こういうチャレンジを応援することに使っていただけるとありがたいなと思っています。
今日はリングサイドに、先生と同じように心を救う活動をされている方がたくさんいらっしゃいますので、僕から指名させていただけたらと思いますが、ボーダレス・ジャパンの田口さんはいらっしゃいますか?
もしよかったら、質問でも感想でも頂けたらと思います。
よろしくお願いします。
Q たくさんの要望から、いかに選択をするのか?
田口 一成さん ありがとうございます。ボーダレス・ジャパンの田口です。

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田口 一成
ボーダレス・ジャパン
代表取締役社長
1980年生まれ、福岡県出身。早稲田大学在学中に米国ワシントン大学へビジネス留学。卒業後、㈱ミスミ(現 ミスミグループ本社)を経て、25歳でボーダレス・ジャパンを創業。 社会課題を解決するソーシャルビジネスのパイオニアとして、日経ビジネス「世界を動かす日本人50」、Forbes JAPAN「日本のインパクト・アントレプレナー35」、EY「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・ジャパン」に選出。2020年、カンブリア宮殿に出演。 TEDx『人生の価値は何を得るかではなく、何を残すかにある』の再生回数は110万回を超える。2021年『9割の社会問題はビジネスで解決できる』(PHP出版)を出版しベストセラーとなる。
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つい先日、僕らの仲間たちの子どもがミャンマーで生まれまして、春菜さん(吉岡さんの夫人 ジャパンハート理事長・小児科医)に大変助けていただいて、日本に来ることができて、命が救われました。
▶心臓病の赤ちゃんを救いたい─ミャンマーから日本へ緊急搬送のための支援プロジェクト(For Good)
改めてありがとうございます。
その時のジャパンハートの存在意義の大きさを感じるとともに、本当に丁寧に寄り添っていただいて、一体験者として、本当に素晴らしいと思います。
ご質問させていただきますと、たくさんの方たちが病院に来られると思います。
僕らもバングラデシュなど、色々なところで事業をしていて、現地の方がうちの工場で働いてくれています。
働きたいと来る人たちの中から、誰を雇ったらいいのか、そして誰かは必ず断らないといけないという選択を毎日しているので、その場合の基準というか、色々試した上で今はこうしている、そして将来的にはこうしたいなどあれば、お教えいただければと思います。
A 多くの人を助けたければ、自分が力をつけるしか方法はない
吉岡 ありがとうございます。
まぁ、その時に、自分の手の届く範囲のことをやるしかないですものね。
ですから、僕は当初は、がんの子どもを長い間、申し訳ないと思いながら、救えないまま看おくってきたのですよ。
だけど、少しずつ積み重ねて、今日はできないけれど、1年後は何とかできるかもしれないと思いながらやってきただけなのですね。
本当に全ての人、あるいは多くの人を助けたければ、自分が力をつけるしか方法はないのです。
だから、ひたすら自分の力をつける、能力をつけるということはどういうことなのかを考えながらやってきました。
それから、僕が常々スタッフに言っていることですが、例えば患者さんが来た時に、患者の人生を扱っているのではなくて、自分の人生を扱う作業なんだと言ってきました。
扱っているのは、他人の人生ではないのですよ。
自分の人生を丁寧に扱っているかどうか。
いい加減にすることもできるし、適当にすることもできる。
だけど、他人は他人の人生を生きていますが、自分は自分の人生の時間を使ってやっているわけじゃないですか。
自分の人生だから、それをどういう態度でやっていくのか。
だから、そういうつもりで、今日できなくてもいつかできるかもしれない。
それを諦めないで自分の力を伸ばしていくということだけを、いつも考えてやっていますね。
それから、先ほどの敏さん(山田さん)の話について少し触れると、実は人間は意識が拡大するか、縮小するか、二つに一つしかないのです。
僕がなぜ海外の子どもに医療ができるかというと、第二次世界大戦末期に何が起こったかというと、人々は防空壕に避難したでしょう?
お母さんたちは小さな子どもを連れて、抱っこして入りました。
でも子どもが泣く、そうすると米軍に見つかると思うから、一緒に防空壕にいる人が何をしたかというと、子どもを泣かすなと言ったのです。
子どもを泣かさない方法は一つで、息を止めるしかない。
結局、人間は追い込まれたら、そうなるのです。
最初は日本人、次は身内、そして家族という風になっていくのです。
人間は追い込まれれば、縮小していきます。
でも、拡大していくこともできます。
それはどちらかの方向しかなくて、止めることはできません。
でも、僕らの国、僕ら自身も、セーフティネットは自分の意識を拡大させることしかないと僕は思っています。
ですから、僕の中では海外の子どもを助けることと、日本の子どもを助けることとは、全く矛盾していないのですよ。
(続)
▶カタパルトの結果速報、ICCサミットの最新情報は公式Xをぜひご覧ください!
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/戸田 秀成


