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大物の持っているビジョナリー、フィロソフィーを、生身で体験!レジェンドが語る経営者の仕事シーズン2! 【ICC FUKUOKA 2020レポート#14】

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2月17日~20日の4日間にわたって開催されたICCサミット FUKUOKA 2020。その開催レポートを連続シリーズでお届けします。今回はDAY2のSession9C、「レジェンドが語り尽くす! メガベンチャーを創るための経営者の仕事とは?(シーズン2)」の模様をお送りします。大反響のシーズン1に登壇したレジェンド経営者、千本 倖生さんに加えて今回は日本M&Aセンターの分林 保弘さんが登場。ユーモアを交えながら若き経営者たちの問いに答えました。 ぜひご覧ください。

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回200名以上が登壇し、総勢900名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2020は、2020年8月31日〜9月3日 京都市での開催を予定しております。参加登録などは公式ページをご覧ください。

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2人のレジェンド経営者が登場

遡ること半年前、ICCサミット KYOTO 2019に登場した初企画「レジェンド経営者」セッションは、現レノバ会長にしてKDDIの前身となる第二電電の立ち上げに携わった千本倖生さん、米国GEでアジア人初となるシニア・バイス・プレジデントの他、数多くの企業のトップを歴任したCVCアジア・パシフィック・ジャパン最高顧問の藤森義明さんが登壇し、大きな反響を呼んだ。

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産業を創ってきた実績と言葉の重さ、時代背景は違えど、新しい価値を生み出すための苦闘など、いまだ現役の経営者でありながら、おふたりは後輩経営者たちに率直に語りかけ、大きな学びと感動を呼び起こした。

そこですぐに決定したシーズン2。千本さんは続投をご快諾いただき、日本M&Aセンターの創業者、分林さんにお声がけをいただいた。千本さんは前回、初参加のICCサミットの会場やセッションを見て歩き、楽しんでいただいたそうだが、今回は新型コロナウイルスが話題に上がり始めた時期であるため、セッション時間のみご来場いただいた。


千本 倖生
株式会社レノバ
代表取締役会長

京都大学工学部電子工学科卒業、フロリダ大学Ph.D。日本電信電話公社(現在のNTT)入社、その後、1984年に第二電電株式会社(現在のKDDI)を稲盛和夫氏らと共同創業し、専務取締役、取締役副社長を歴任。1995年に慶應義塾大学、大学院教授に就任。その後カリフォルニア大学バークレー、カーネギーメロン大学の客員教授を経て、シリコンバレーのエクセレントカンパニーのネットアップや世界最大の通信社のロイターの取締役を務める。1999年にはイー・アクセス株式会社を創業。代表取締役社長、代表取締役会長などを歴任。2005年イー・モバイル株式会社を設立し、代表取締役会長CEOに就任、同社の拡大をリードしてきた。2014年4月に株式会社レノバ社外取締役に就任。2015年8月より代表取締役会長に就任。


分林 保弘
株式会社日本M&Aセンター
代表取締役会長

1943年8月生まれ、京都府出身。立命館大学経営学部卒。父は観世流能楽師、母は裏千家茶道教授。自身は3歳で能の初舞台を踏む。大学在学中の1965年、『全米能楽公演ツアー』を企画、実行。全米35州を巡り、20以上の大学で4ヵ月に亘り能楽公演を行う。1966年、外資系コンピューターメーカーの日本オリベッティに入社。全国の中小企業や会計事務所にコンピューターシステムを導入、会計事務所担当マネージャーを務める。会計事務所との交流の中で、企業の「経営権の承継」問題が増加していることを認識。この状況を受けて後継者問題を解決するため、1991年に「株式会社日本M&Aセンター」を設立。1992年代表取締役社長に就任、「会計事務所」「地域金融機関」「商工会議所」などの情報をマッチングするプラットフォームの概念を標榜、中堅・中小企業M&Aの社会的意義も理念として確立。2006年10月に東証マザーズ上場、2007年12月に東証一部上場へと同社を導く。2008年6月より現職。東京商工会議所議員等を歴任。現在、学校法人立命館理事、日本オペラ振興会理事も務める。

壇上に質問者も含めた6人が着席すると、自然に拍手があがり、レジェンドのお二人は両手を振ってそれに応えている。壇上は、始まる前から和気あいあいとしている。

今回はCARTA HOLDINGSの宇佐美 進典さん、SHIFTの丹下 大さん、ビジョナルの南 壮一郎さんが質問者として参加。事前に3人から提出された質問に、レジェンドお二人が答えていくという形でセッションは進行した。前回に続いてモデレーターを務めたドリームインキュベータDIMENSIONの宮宗さんは、この場の意義を最初に説明した。

ドリームインキュベータ/DIMENSION宮宗 孝光さん

「ベンチャーの方々は、同質な人たちで固まる傾向があると思っています。大きく会社を創った方、実績を出している方に、内面や経営のポイントを聞くのは大事ではないかと思っています」

全編の内容は後日の書き起こし記事に譲るとして、ここでは問いとお二人の回答を軸に、セッションの模様をご紹介していきたい。

 成長し続けていく経営者は、どのように自分の器を大きくしているのか?(宇佐美さん)

CARTA HOLDINGS /VOYAGE GROUP宇佐美 進典さん

【千本さん】巨大な経営者と出会う/競争/世界を見ること

CARTA HOLDINGSの宇佐美さんから出た質問に対する、千本さんの答えが以上の3つ。

まず最初の「巨大な経営者」とは、第二電電創業をともに始めた京セラ稲盛和夫さんのこと。千本さんは当時NTTのエリートサラリーマンだった職を捨て、東京の最も家賃の安いビルの一室で、稲盛さんと2人で事業を開始した。

「巨大な、非常に奥の深い経営者とともに過ごした。それが私の人生で最大のイシューです。大物の持っているビジョナリー、フィロソフィーを、生身で、毎日の仕事のなかで、一緒に体験する。それがなによりもの教育でした」

そのとき稲盛さんを支えたソニーの盛田さん、セコム飯田亮さん、リクルート江副浩正さんらが、取締役会に出席して激論を交わすのを、千本さんは目の当たりにしたという。

「競争」は、イー・アクセス時代の強烈な競合、孫正義さんの存在で自分たちも強靭な経営体制を築けたこと、「世界を見ること」は、世界中、どこに何があるのかを自分の肌で感じて磨く機会を定期的にもっていたことを明かし、その重要さを語った。

【分林さん】仕事に使命感をもつ

分林さんは初登場とあって、最初に自分の生い立ちから今までの道のりを語った。学生時代は山岳部の部長をしたり、東京オリンピックを見てアメリカに憧れ、渡米のためにあちこちの大学の学長へ手紙を書き送って全米能楽公演ツアーを実現させたそうだ。

父親は観世流の能楽師で、自身はサラリーマンになる気はなかったという。外資系のコンピューターメーカーで就業したのち、日本M&Aセンターを創業した。事業の仕組みづくりが好きだという。

「税理士さんからある日、分林さん、後継者のいない会社が多いんですよと相談されてね。じゃあM&Aの会社作りましょうか、と。僕はM&Aを1回もやったことないんですけどね(笑)。でも、集中してやればできるという自信があったんです。実際2期目から8,000万円の利益が出ました。

僕は仕組みが好きなので、北海道から九州まで、税理士さんを母体に50の会社を同時に立ち上げました。千本さんもふくめ、他の人も出資したいというので、株主は150人くらい。千本さんは、500倍くらいになったんじゃないですか?(笑)皆さん配当が出て喜んでくれました。

分林さん(写真左)の日本M&Aセンター創業時に出資していた千本さん

今まで赤字になったことは一度もありません。だから、2期目から毎年10%配当するのは礼儀だと思ってきました。それから順調に売上・利益がアップ。上場もすんなりできました。(中略)

僕自身としては、仕事は使命感です。お金が究極の目的でなく、仕事は使命感で、1件でもM&Aできたら社会への貢献になると思っています」

40代をどう過ごせば素晴らしい経営者になれるか。この年齢のころ2人がやっていたことは?(丹下さん)

SHIFT 丹下 大さん(写真左)

【分林さん】常に相手にとってプラスになることを考える

分林さんは起業するまではずっと、さまざまな企業へコンピューターを販売していたが、ただ売っているとは思っていなかったという。

「その会社にとっての経営のシステムを、どう作っていくかについて考えていました。そこで全ての会社のフローチャートを、どの業種であっても1つ1つ書き出して学んでいました。だから今でも、どの業種がどういう仕組みになっているか全部わかります。

この会社はどうしたら収益性が上がるか、安定するのか、成長するのか、社会性のある仕事ができるのか、4つの視点からシステムを考えていました。

京都にいるときも、西陣織の会社がどうしたらもっと利益が上がるのかについて講演をしたり、室町の呉服屋さんがどう利益管理をできるのかを考えたり。そういう感じで20代〜30代は営業をしていました。相手にとってプラスになることを常に考えていました」

【千本さん】社会の矛盾を正す事業で、義を立てる

丹下さんに向かって、「あなたまだ40代でしょ? 私たちなんて後期高齢者ですよ」と、開口一番に、会場を笑わせた千本さん。

「稲盛さんがJALの再建を決めたのは、78歳のとき。僕は40代では、第二電電、DDIセルラー(現在のau)を立ち上げました。

僕の経営の根底にあるのは、社会の中にある矛盾、ゆがみを是正するような、国家的なインフラを徹底的に改革することです。それによって社会に対して義を建てるというのが、いつも根底にあります。なんとかしてこの世の中を大きく変革する。だから基本的にインフラの事業にしか基本的にはフォーカスしていません。

電話の通話料金が世界1番高いから解決したい(第二電電)、ブロードバンドがアメリカの3倍高いから改革したい(イー・アクセス)、イーモバイル(現ワイモバイル)は、携帯料金が世界で最も高いのを下げたい。そういう社会インフラを正しい方向に持っていくのが、私の発想の原点です。

70歳になって、そこから少し変えて、日本の会社をどのようにして、世界に伍するような会社の仕組みにできるかを考えるようになりました。ガバナンスを仕組みの中に持ち込むことをしたいと思っています。それが社会の仕組みを変えることに繋がると思ったからです」

レノバの社外取締役から、会長職に変わったのも、社会を変える起業家だと見込んだ木南さんの会社に、よりハンズオンして関わるため。企業経営の骨格といえるCXOを入れ替え、社外取締役を大幅に増やしたという。まだまだ仕事が楽しいと千本さんは言った。

「だから40代のあなたもあと30年の間、やらなくてはいけないことはいっぱいあります。あなたには素晴らしい未来が待っている」

そう言って、千本さんがにっこりと丹下さんに微笑むと、丹下さんは「ぐうの音も出ないです」と全面降伏の表情だ。

生産性を上げるために、経営者が「あえて」やらないほうがいいことは?(南さん)

【分林さん】本業以外はやってはいけない

「日本電産の永守さんは、M&Aを数多くやっておられますが、回転するもの(モーター)と、それに関連するものしかやらないといいます。富士フィルムも僕は成功事例だと思うのですが、小森現会長が社長になったときから、本業と周辺に徹しているからうまくやっている。

エイチ・アイ・エスの澤田さんがハウステンボスの再建をするときに『これは異業種だから自分がやる、もし旅行業だったら今の社長がやる』と言っていたのが印象的です。そして見事、16年間赤字だったものを1年目から黒字化しました。

本業以外やるのがいけないのは、一人の経営者の頭が二分三分されるし、社員もついていけないからです。あとは相乗効果が出ないM&Aや、事業は絶対にやるべきではありません」

【千本さん】シンプルであれ。大局観への集中を反らしてはいけない

「CEOはやるべきことは大局、大きなスコープにともかく集中することです。創業CEOはどうしても、目の前のことに集中しがちですが、それはCXO(この場合は各部門の責任者)に任せるべきです。

創業者CEOだと、事業が好きだからついつい大局観を失ってしまう。

事業は複雑化するとだめになる。経営はシンプルなほうがいい。

人生も経営もシンプルなほうがいい。70年見てきて、経営は解きほぐして、因数分解して、シンプルにした経営が結局はうまくいきます。

松下幸之助さんが「私の道はこの道しかない」と何度もおっしゃっていました。

松下さんの最晩年、外部の人に会ったのは私だけなのです。幸之助翁が、御年89歳のときでした。

松下本社の役員室の長い廊下の奥に、相談役室があります。そこから毎日、松下病院に通っていらっしゃった。ちょっと来てくれと呼ばれ、そこで一対一で聞いたことには、自分の人生を振り返ってみて、本当に私にはこの道しかなかったと、繰り返しおっしゃっていた。

そのぐらい集中して、シンプルに、人の3倍もの熱意をもって焦点を当てて、仕事を楽しむ。

私の年になるとね、仕事ほど楽しいものはないんですよ。どんなに面白いホビーにお金をつぎ込んでも、仕事ほど楽しいことはありません。

だからそれに全力で、誠心誠意、120%の集中力をもって当たる。これが南さんに対する答えになるでしょうか」

ビジョナル 南 壮一郎さん

南さん「お二方の意見を身に沁みる思いで聞いて、グループ経営体制に移行した自分としては、どうすればいいかなと今、考えております(笑)。

(会場笑)

今まで、成功されてきたお話をうかがっていましたが、逆に『これはやらなければよかった』ということはありますか?

楽天イーグルスに関わっていた時期に、野村克也さんが『南君、不思議な勝ちはあるけれど、不思議な負けはないんだよ』とアドバイスされたことが今でも心に残っています。

勝った時は兜の緒を締めよ。しかし負けたら徹底的に敗因を研究し課題を要素分解して改善しなさい、という意味合いで受け止めてきた言葉ですが、お二人の失敗談からも、何か学ばせてもらえないでしょうか

ここにない質問なのですが、うかがってもいいですか?」

分林さん「僕は失敗したことがない」

よくぞ聞いてくれたというこの質問、分林さんの意外な過去のキャリアが明らかになった。

分林「僕ね、失敗したことないんですよ」

タメを効かせた告白に、会場がどっと沸いた。

分林「本当にね、挫折感は味わったことないし、何をやっても、うまくいく」

大真面目な主張に、壇上も大笑いだ。

分林「僕がサラリーマン時代に、喫茶店を開いたことがあるのです。本業にするつもりではなかったのですが、たまたま土地が当たったのでやってみることになりました。

僕はサラリーマンをそろそろ辞めようと思っていて、家族もいるし、店でもやって食べるのに困らないようにしておいて、それから自分のやりたいことをやろうと思ったのです。

これが、めちゃくちゃ当たってですね。喫茶店に行列! もうキャッシュはいらないというぐらい」

外資でサラリーマンとして成功していた分林さんが喫茶店で大当たり!? 会場は事も無げな自慢に大受けだ。しかし、ここに分林さんの仕組みづくり、事業づくりへのアプローチが明らかになった。

分林「僕は非常に心配性なので、様々な喫茶店に行き、メニューも徹底的に考えて、価格もいろいろ考えて、店舗をどうしようかと、いろいろなところを見に行きました。

僕も数千万円、初めて借金をしました。そういう様子をを見ていて、弟が言うのです。

『兄貴、絶対大丈夫や。喫茶店をやるのは、ええかげんな人間が多いんや。兄貴みたいにそれだけ真剣に考えている経営者なんてほとんどいないよ』と。それで、大当たりです。

だから会社だって2年目から配当出してるし、すんなり上場はして、すっと東証一部にも行ったし、ずっと株価は上がり続け、何をやってもうまくいって……」

壇上のメンバーから繰り返しはいいですと遮られ、会場には再び笑いが起こった。

分林「私は慎重派なのです。どうしたら成功するか、どうしたら失敗するかを、事前に実は全部考えているのです。右も左も、前方からも後方からも見ています。よく見てから実行しています。

全部計算して、シミュレーションをしているのです。だから失敗はしないのです」

M&Aを1回もしたことないにも関わらず、日本M&Aセンターが最初から順調だった理由は、ここにあった。しかし、南さんが求める失敗の例にはならない。千本さんが続いてマイクを取った。

千本「事業として、10年単位で見たら大失敗といえるかもしれないというものがあります。

PHSです。2000年の始めに、あの事業は携帯電話のライトバージョンとして、僕たちが日本で最初にやりました。結局消滅してしまいましたが、モバイルがスマホになって、スマホでもワイモバイル
のようにセカンドラインが出てきて、PHSは10年後に消えてしまいました。

PHSの歴史に幕、ソフトバンクが23年に完全終了(日本経済新聞)

10年以上続くだろうと思った事業を、2000年代に見抜けなかった。スマホという革命的な端末、新しい機能を追加できる端末を出すという発明があった。PHSではそんなもの実現できないですよね。

1960年代に私がアメリカのドクターコースにいたときに使っていたスーパーコンピューターの機能が、いまみなさんが2台、3台と持っているスマホです。そういう時代を20年単位で私は見通せなかった。私の人生で大失敗です」

「……失敗が、大きいですね……」

レジェンド経営者は、失敗も伝説的だった。驚きを隠せない質問者たちと会場だが、それでもこれを要素分解していけば、学べることは数多くあり、それは未来の産業創出へ活かす教材になるだろう。

自分が引退するタイミングをどう考えている?(宇佐美さん、丹下さん)

【分林さん】元気なうちはいろいろなことをやっていきたい

仕事が楽しい、うまくいっていると口々に言うおふたりに恐縮しながらも、モデレーターの宮宗さんは皆が聞きたいと思っているこの質問を投げかけた。経営者の引き際とはいつなのか?まずは分林さんから。

「2008年から会長になり、ほぼ社長(三宅卓さん)に任せています。できるだけ社員や役員の主張を尊重するほうなんです。僕がこう思っていたとしても、ゴールが一緒なら、社員や役員の意見を尊重する。そうでないと、誰も意見を言わなくなります。修正はしても否定は絶対にしません。

引退と考えてみたらあと3年で80歳で、じいじやん!と思ったのですが、医者から心臓年齢54歳と言われました(笑)。やることいっぱいあって、何をしても楽しい。元気なうちは、いろいろなことをやっていこうと思います」

【千本さん】ワクワク感、躍動感がなくなったとき

一方、千本さんは自分の情熱を炎に例えて語った。70代に入り、客観的に自分の内側を見つめながら、炎を絶やさない方法を見つけている。

「経営者として、ある種のワクワク感、躍動感がなくなったときは、次の新しい世代に渡すか、どこかの会社に売却して去るということになると思います。

人生のなかで、中に燃えるエネルギーの形は変わってきます。60代でメラメラ燃えている炎と、70代でガバナンス側で見るときの炎は違うのです。

60代のときまでは、メラメラと燃えているものがあって、本当にワクワクして、毎日みんなと思い切り議論する。そんな躍動感がありました。それがなくなったときに、次の世代に渡すべきだと思います。

70代になったら、ガバナンス、エンジェル、社会に対しての仕組みづくりに自分の関心をシフトしました。そういうときが、引退するタイミングじゃないですかね。引退しても別の仕事はいろいろあります」

後継者を指名して潔く去るということが、ともすれば美しく語られがちだが、好きで楽しめる仕事、役に立つ場があり、それがある限り現役のおふたり。逆説的には、後継者不在や事業の存続を思案するよりも、事業に打ち込めるならば、それは懸念する材料ではないと伝えているようでもあった。

上場する目的とは何でしょうか?(南)

【分林さん】認知、採用、提携、信用面のインパクトは絶大

いよいよ残り時間が少なくなり、核心的な問いが投げかけられる。会場には自身も含め未上場の起業が多く、未体験のものを知りたいということで、南さんからの質問だ。

「上場の目的は、お金が目的ではありませんでした。社会的信用です。

上場前からお客さんは大勢いたのですが、僕らは上場会社とのパイプがほとんどありませんでした。未上場だと、認知度がないのです。上場することによって、それは一挙に上がりました。

あとは社員を採用するときです。未上場であるため、優秀な人が入って来なかったときもあると思います。会社にとっては人材確保が大事なので、上場は重要でした。

上場すると、大企業と提携しやすいという面もあります。中小企業のM&Aは、かなり当社がやっていますが、上場していなかったら、提携できなかった大企業もおそらくあると思います。世界にも出ていくわけですから、そういう信用も大切です。

企業というものは、ゴーイングコンサーン(会社が将来に渡って事業を継続していくという前提)で、永遠に続くのです。でも人の命は永遠ではありません。南さんはあと50年くらい大丈夫と思いますが(笑)。

最後は相続税の問題です。上場したら、税金は株式を物納するか、売却するかという選択もできます。我々の場合はパブリックな会社にしていこうと思っています。

経営は一番優秀な人間がやればいいーー南さんに社長をやってもらってもいいですが(笑)ーーできる人がやればいい。上場すれば、内部でも外部でも一番適任者がやればいいと思うんです」

【千本さん】大義を立てる。事業を加速させる調達ができる

「上場するのは、社会的仕組みを根本的に変えて、日本の社会を良くしたいと思うからです。

きちんと良くするというのが、上場することによって大義が立つと思います。それが1つ。

私は分林さんのように、キャッシュリッチではなくて、対極です。イー・アクセスのときに、未上場の時はできなかったのですが、上場した時に、ネットワークを作るために4000億円のファイナンスをしました。

そのコアはエクイティで800億円くらい。それにデットを足して、足りない分はリースしました。ベンチャーがファイナンスするときは、上場していないと出してもらえません。世界に通用する上場企業であるために、きちんとガバナンスもやりました。

NYのゴールドマン・サックスのCEOに説明に行き、投資委員会でまる3日間かけて説得するために、ガバナンスがあり、上場していることが必要でした」

事業の社会的意義を証明して、正々堂々と社会を良くする事業を加速させる資金を手に入れるため。それが千本さんが考える上場する目的だ。

紹介していないものも含め、それぞれの質問が盛り上がったため、聞けない質問がかなり残ったまま時間となり、お二人には迎えのタクシーが到着していた。

登壇者同士で固く握手を交わし、一足早く会場を後にするお二人には大きな拍手が贈られた。千本さんはにっこりと振り返り、サムズアップをして去っていった。

ユーモラスに朗らかに話す分林さんと、それを笑顔で見守りながら、随所に”燃える炎”を感じさせた千本さん。気さくにどんな質問にも答えてくださったおふたりに、残された壇上4人は、興奮を隠せなかった。

宇佐美さん「なんと、喫茶店! 60代でもメラメラ燃えるのか!」

南さん「失敗したことがないとは!」

丹下さんと宮宗さんも皆、尋常ならざる笑顔のままでずっと話が続いていた。いつもは自ら議論を展開し、聞く側を圧倒するようなパワフルな登壇者たちだが、今日は逆にすっかり圧倒されてしまったようだ。

まさに千本さんの話にあったように、75分とはいえ、巨大な、非常に奥の深い経営者とともに過ごす体験。大物の持っているビジョナリー、フィロソフィーを、生身で体験できるこのセッションは、私たちにとって、なによりもの教育といえるのではないだろうか。

(終)

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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/戸田 秀成

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