【NEW】ICC サミット KYOTO 2026 開催情報詳しくはこちら

4. 新しい概念に対して構造的に弱かった「ダイバーシティ&インクルージョン」の帝国

▶新着記事を公式LINEでお知らせしています。友だち申請はこちらから!
▶ICCの動画コンテンツも充実! YouTubeチャンネルの登録はこちらから!

「歴史から学ぶ『帝国の作り方』(シーズン2) 」全9回シリーズの(その4)は、第一次世界大戦の結果を受けて、かつての帝国の強みがなぜ敗因となったのか?という、会場の質問についてディスカッションします。その問いは「変化に対応できなければ企業は滅びるのか?」という、変化の早い現代に重なりますが、そこでの真の問題とは何なのか? ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2021は、2021年9月6日〜9月9日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。

本セッションは、ICCサミット FUKUOKA 2021 プレミアム・スポンサーのリブ・コンサルティング様にサポート頂きました。

▼
【登壇者情報】
2021年2月15〜18日開催
ICCサミット FUKUOKA 2021
Session 6A
歴史から学ぶ「帝国の作り方」(シーズン2)

Supported by
リブ・コンサルティング

(メイン・スピーカー)

深井 龍之介
株式会社COTEN
代表取締役

(スピーカー)

宇佐美 進典
株式会社CARTA HOLDINGS 代表取締役会長 / 株式会社VOYAGE GROUP 代表取締役社長兼CEO

奥野 慎太郎
ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン
マネージング パートナー

北川 拓也
楽天株式会社
常務執行役員CDO(チーフデータオフィサー)グローバルデータ統括部 ディレクター

山内 宏隆
株式会社HAiK
代表取締役社長

(モデレーター)

琴坂 将広
慶應義塾大学
准教授(SFC・総合政策)
▲

▶「歴史から学ぶ『帝国の作り方』(シーズン2) 」の配信済み記事一覧


連載を最初から読みたい方はこちら

最初の記事

1.シーズン2は「生き残る帝国」から、事業やビジネスに活かせる学びを徹底議論

1つ前の記事
3. 第一次世界大戦で、国民意識が芽生えた「国民国家モデル」の帝国が勝った理由

本編

写真左から、HAiK 山内さん、慶應義塾大学 琴坂さん

琴坂 もう1つ、会場から熱い、長い質問が来ています。

「ローマ帝国はクラメンティア=寛容性で異民族との融合で発展した。中国も主客転倒しつつも北方民族と漢民族が融合した。過去の帝国では多様性を内包することで発展してきた例が多いように思えるが、第一次大戦では逆に多様性ゆえ(国民国家モデルを構成できなかった)帝国モデルが失敗したのは、なぜか? 強みが弱みに変わった最大の要因は?」

この質問内容は、確かにその通りですよね。

「多様性」は帝国の弱みになったのか?

琴坂 まとめると、「それまでは多様性やインクルージョンを実現した帝国のほうが強かったように思えるが、第一次世界大戦では逆に多様性が弱みになったのか?」という質問です。

COTEN 代表取締役 深井 龍之介さん

深井 素晴らしい質問です。

琴坂 かなり詳しい方ですね(笑)。

深井 ゴリゴリの質問ですよね(笑)。

きちんと解説しながら、回答します。

ローマ帝国民の定義は、ローマ市民権を持っているかどうかでした。

▶ローマ市民権(世界史の窓)

ローマ帝国は帝国化した後、異民族に対して非常に寛容な方針に変えており、市民権を異民族にも与えていました。

中国もそうですね。漢民族が治めていても、治めていなかったとしても、周辺の異民族をどんどん漢民族化していきました。

第一次世界大戦時においても、例えばロシア帝国は、「ロシア」と一言で言っても、メインのスラブ民族以外の他民族もたくさん住んでいました。

オーストリア=ハプスブルク帝国も、セルビア人など様々な民族を包含しており、それが理由で、バルカン半島で戦争が起こったこともあります。

▶バルカン半島の危機(世界の歴史まっぷ)

オスマン帝国についても、宗教が違うキリスト教国、例えばブルガリア(ブルガリア正教)も含まれていました。

では、彼らをどう呼ぶか? オスマン帝国がおそらく最も難しくて、「オスマン帝国人」という定義を作れなかったのです。

統治モデルを使い分けた英仏

ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン マネージング パートナー 奥野 慎太郎さん

奥野 でもインドやアフリカの植民地にいた人たちも、自分たちをイギリス人やフランス人とは思っていなかったわけですよね?

深井 思っていないです。

奥野 こういう人たちは、第一次世界大戦には参加していないのですか?

深井 とても良い質問ですね、彼らを参加させています。

イギリスとフランスが「国民国家モデル」を適用できた理由は、インドやアフリカが、彼らのコア地域から地理的に離れているからです。そのため本国は「国民国家モデル」で、離れている国々を別として「帝国モデル」で治めることができます。

オスマン帝国やロシア帝国は、コア地域内に異民族の住む地域を包含しています。そのため「国民国家モデル」と「帝国モデル」の使い分けができないのです。

琴坂 ああ、確かに近いですね。

奥野 大英帝国時代にインドに住んでいた人はインド人でよかったんですね。「あなたはイギリス人だ」とは言っていないわけですね。

琴坂 インドの人に対しても、一定層の国民に対しては、”名誉英国人”のような地位を与えていましたよね。アイデンティティを与え、位階を作っていました。

深井 そうです。

ですから、現地にいるイギリス人に対しては、同じ法律を適用することに何も問題がなく、現地でも同じ権利を保証されている人たちが「自分は大英帝国民だ」と思って生きていくことに関しても何も問題がないわけです。

琴坂 一方でうまくいかなかった帝国は、過去に経験した成功の方程式があって、それに固執したというか、転換できなかったところがあったのでしょうか。

深井 おっしゃる通りで、オスマン帝国が強かった理由は、その「多元性」からでした。

色々な民族を包含したゆるやかな連帯を築いているからこそ、強かったのです。

それが、「国民国家モデル」という新しい概念ができた途端、導入できた国しか近代化できないという状況が発生してしまったのです。

これは「外的要因」です。

この外的要因に、構造的に適用しやすかった国は成功したのです。

琴坂 「構造的に」ですね。

深井 構造的に適用できなかった国は、みんなすごく頑張りますが失敗しました。

「総力戦」は「国民国家モデル」だからこそできた

山内 1つ、思うことがあります。

第一次世界大戦は、「総力戦」だったという特殊性があります。

当時は、総力戦というのは初めての戦争モデルでしたよね。

深井 そうですね。

山内 総力戦をしようと思うと、「国民国家モデル」のほうが圧倒的に有利ですよね。

色々な人がいると、「何で自分が協力しないといけないんだ?」と思う人が出てくるのではないでしょうか。

深井 おっしゃる通りです。

総力戦ができた理由も、マスメディアが台頭して、例えばフランス人とドイツ人を分けて捉えていたからこそ、フランス人はフランス人として、ドイツ人はドイツ人として連帯できたのです。

総力戦とは、女性や子供も参加しているということです。

女性が兵器を作ったり、子供は15歳なのに18歳だと偽って戦争に行ったりすることが起きました。

それは「国民国家」だからできることであり、オスマン帝国にはできなかったのです。

「国民国家モデル」の適用は至難の業

琴坂 適用するチャンスはあったけれども、できなかったということでしょうか?

深井 チャンスはありました。

まさにこれは今日のテーマですが、ビジネスに例えるとどうなるかという話を皆さんとしたいのです。

適用はできるのですが、めっちゃむずいのです!

琴坂 いいですね、「めっちゃむずい」(笑)。

(一同笑)

ぜひ、その解説をお願いします(笑)。

深井 「国民の定義」のしやすさは、「コア地域」がどこかを分かりやすく定義できるかできないかで分かれました。

これは各国が、頭が良かったかどうか、先進的な考え方を持っていたかどうかとは、関係ないですよね。

琴坂 そうですね。

深井 そもそもイギリスがあのような国家形成になったのは、エリザベス1世の時代(在位1558~1603)に、たまたまアルマダの海戦(1588)でスペイン艦隊に勝って、そういう国家形成をして、たまたま「イギリス国民」を定義しやすかっただけなのです。

日本もそうです。たまたま島国だから、定義しやすかったのです。

オスマン帝国は、たまたま定義しにくかったのです。

そういった外的要因によって定義の難易度が変わり、結果、次のステージに進む難易度が大きく変わったのです。

アメリカ合衆国は、何も考えなくても定義ができたからこそ、強かったというわけです。

写真左からCOTEN 深井さん、CARTA HOLDINGS宇佐美さん、ベイン・アンド・カンパニー奥野さん

宇佐美 たまたまと言いながらも、コア地域を分かりやすく定義しやすい島国や小さい国は、意思統一も比較的しやすいですよね。

そう考えると、スタートアップや小さい企業の場合、トップが「こういう文化に変えていくぞ!」と言った時、それを実行しやすいです。

先ほどのトヨタの場合だと、変える難易度が高いという話とも通じるところがあると思います(Part.3参照)。

琴坂 そうですよね。

変化についていけない企業は、考え方が古いのか?

深井 そうですよね。もっと言うと、スタートアップが、どんどん自分たちを変えることができるこというによって成長したとして、時代が変わったり、Clubhouseのような新しいものが出てきたりして、プレイヤーのスタンダードが変わるとします。

その場合、それまで成功していた理由が、そのまま失敗理由に転換することが起こり得ます。

今日僕が言いたいのは、これです。

我々は企業について論じる際、えてしてマインドの問題だと思っていないでしょうか?

新しい変化についていけないのは、「経営者の考え方が古いのではないか?」とかよく言ったりしますが、僕が、歴史を勉強していて感じるのは、「構造の問題」が大きいのではないかということです。

企業、組織ごとに、歩んできた系譜や成功理由があります。

しかし、成功理由がそのまま失敗理由に転換するという、外的要因の変化があり得ます。

「第一次世界大戦後、何が起こったか」について少しだけご説明して、その時に、中にいる人がどうすれば良かったのかについて、皆さんと考えていきたいと思います。

構造的に、「国民国家モデル」の適用が難しかった国は、どうすれば良かったのか? もしくはどうしたのか。

これについて、議論をしたいと思っています。

(続)

次の記事を読みたい方はこちら

続きは 5. 負けた「帝国」はどうすれば勝てたのか? 中国とロシアを歴史から考察 をご覧ください。

▶新着記事を公式LINEでお知らせしています。友だち申請はこちらから!
▶ICCの動画コンテンツも充実! YouTubeチャンネルの登録はこちらから!

編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/戸田 秀成/大塚 幸

他にも多く記事がございますので、TOPページからぜひご覧ください。

更新情報はFacebookページのフォローをお願い致します。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!