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「今後のメディアやジャーナリズムはどうなっていくのか?」7回シリーズ(最終回)は、会場からの質問をもとにメディア業界の連携、メディアの中立性、そしてデジタル時代の課題を徹底議論します。是非御覧ください。
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ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回200名以上が登壇し、総勢800名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。次回 ICCサミット KYOTO 2018は2018年9月3日〜6日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
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【登壇者情報】
2017年9月5〜7日開催
ICCカンファレンス KYOTO 2017
Session 8D
今後のメディアやジャーナリズムはどうなっていくのか?
(スピーカー)
安部 敏樹
一般社団法人リディラバ 代表理事/株式会社Ridilover 代表取締役社長
今田 素子
株式会社インフォバーン/株式会社メディアジーン
代表取締役CEO・ファウンダー
佐藤 慶一
講談社
「現代ビジネス」エディター/ブログ「メディアの輪郭」著者
堀 潤
ジャーナリスト/NPO法人「8bitNews」代表/株式会社GARDEN代表
(モデレーター)
瀬尾 傑
講談社
コミュニケーション事業第一部部長
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最初の記事
1.新しいメディアを創るリーダーたちが語るメディアとジャーナリズム
1つ前の記事
6.ジャーナリズムを担う人材をどう育成するか?
本編
瀬尾 そろそろ時間なので、会場からご質問があればお願いします。
質問者1 BuzzFeedの古田です。
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古田 大輔
BuzzFeed Japan 株式会社
BuzzFeed Japan(バズフィード・ジャパン)創刊編集⻑
1977 年⽣まれ、福岡県出⾝。2001 年早稲⽥⼤学政治経済学部卒、2002 年朝⽇新聞社⼊社。京都総局、豊岡⽀局、社会部、アジア総局(バンコク)、シンガポール⽀局⻑、デジタル版の編集などを経て、2015 年 10 ⽉ 16 ⽇に BuzzFeed Japan による新メディアの創刊編集⻑に就任。
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業界の中でどう連携していくかというような話を、登壇者のみなさんが取り上げていましたが、実際のところ全然連携していないのですよね。
例えば、国連特別報告者のデイヴィッド・ケイさんが来日した時も言っていましたし、そのすぐ後に来ていたジャーナリスト保護委員会の人たちも同じことを言っていたのですけれど、日本ほどジャーナリズム業界がお互いに喧嘩してそこを支える組織がない国はないよね、と。
この問題は、どうしたら良いと思いますか。
ジャーナリズム業界内での連携をどのように生み出す?
堀 先日僕も呼んでいただきましたが、古田さんたちのグループでハッカソンをやっていたのは、すごく良い取り組みだと思いました。
ジャーナリスト/NPO法人「8bitNews」・株式会社GARDEN 代表 堀 潤 氏
そこには伝統的なメディアもウェブ系のメディアも入っていました。
互いを結び付けているのが技術というところでしたが、それは皆本当に欲しているものなので、そういったものは共有できるのかなと。
そのようなところから草の根的に広げていくしかないのかなと思います。
本当に必要としているものが何なのかを明確にした上で、それを皆で補い合えるものを何かやろうということしかないかなと思って、あれはすごく良い取り組みだなと思いました。
質問者1(古田) ありがとうございます。
あの時には僕は事務局の中にもいたのですが、かなり意識的に新聞社とテレビ局を取り込みました。
結局のところ、日本のメディアで職業ジャーナリストとしてやっている人は、数で言うと大半が、新聞社かテレビ局の人です。
朝日新聞・読売新聞で数千人いて、日本全体で2万人とかだとしたら6、7割ぐらいは新聞社、テレビ局の方々です。
でも今、(本セッションの)壇上には誰もいないわけで、これをどうしたら良いのかなというのを僕はずっと考えていることなんですけれど、瀬尾さん、どうでしょうか。
瀬尾 実際、僕らも色々な新聞社に声をかけたりするんですけれど、新聞社同士って難しいのですよね。
霞が関の取材で役所と記者が激突する、ときには出入り禁止になるなることががあります。
僕はそういう時にこそ、記者クラブはが団結して報道の自由を妨げないよう異議を唱えるべきだと思っているのです。
だけど実際にはそうはならない。
例えば、経産省が扉に鍵をかけるようにしましたよね。
僕自身は霞が関に誰でも入れる状態なのはおかしいので、経産省は正しいとは思っているのですが。
でも、新聞記者に聞くと「鍵をかけるのはおかしい」という意見が多い。
なら記者クラブが団結して異議を唱えればいいのになぜ言わないのだろうって思います。
新聞社の人と話していて分かったことなのですが、ぶっちゃけて言ってしまうと、ここ5年程で、思っていた以上に新聞社同士の仲が悪くなっているようです。
昔は「あらたにす」みたいな、朝日新聞・日本経済新聞・読売新聞等、何社かが共同で組んだ取り組みがあったんだけど、決定的にダメになったのは従軍慰安婦問題で、あの時に読売新聞が朝日新聞の読者を取っていこうとして、従軍慰安婦問題のこれが問題だというようなビラをばらまいたのですよね。
朝日と読売の戦いはイデオロギーの戦いではなくて、ビジネスの戦いになってしまったから、朝日の人は絶対にそれを許せないと思ってる人がトップのほうにいて、読売も逆もありということなんです。
過去に毎日新聞で西山事件というものがありました。
▶参考:西山事件(Wikipedia)
西山さんという記者が外務省の官僚と愛人関係になって沖縄密約をすっぱ抜いたのはそこがルートなんじゃないかという話が出た時に、読売は毎日新聞を攻撃して、結果的に部数が激減した毎日新聞は倒産したんですよね。
朝日新聞も同じことをしかけてきたと思っていて、その恨みがあるんですよ。
新聞社同士をくっつけるのは、正直に言うと無理だなと思いました。
アカデミックな場で利害関係を抜きにした議論を
安部 それは本当にそうだなと思っています。
私は、大沼保昭先生という国際法の大家である学者の最後の教え子なんですけれど、その関係の話があります。
一般社団法人リディラバ 代表理事/株式会社Ridilover 代表取締役社長 安部 敏樹 氏
今ある従軍慰安婦問題とかアジア女性基金等のアクションに関することは、学者などがリーダーシップを取って教え子が読売新聞や朝日新聞にそれぞれにいるという形、すなわち、アカデミックの世界として一度議論を引きうけて、そこに各新聞社の人が来るという形で議論がなされていたのですよね。
今でもそのコミュニティは残っているけれど、若い世代にその意識があるかと言うと全然なくて、20代、30代はたまに私とか学生とかがいて、他は60代、70代で従軍慰安婦問題について議論をするというような現状です。
そこには外務省の人もいるし、読売新聞や色々な新聞社の人もいます。
そこでビジネス的なトラブルにならないのは、きちんとアカデミックの人がまとめているからだと思います。
「あるべき姿をフラットに議論しよう、ビジネスは別だから」というのを担保している。
スクール・オブ・ジャーナリズムもそうですけど、中立の立場から何かそれを取りまとめて皆さんの議論をならしていく。
ビジネスではない、アカデミック・セクターや、あるいは第三者委員会があれば良いのではないかなと思います。
瀬尾 もう1つ思ったのは、ネットの中で質を評価する指標をどうつくるかかということです。
新聞社やテレビ局、出版社でもそうなんですが、プラットフォームに対して自分たちのコンテンツが安く買い叩かれているのではないかと文句を言うんだけど、個別で愚痴を言うのではなくて団結して言えばいいのにというところがある。
新聞社やテレビ局同士の対立というのはイデオロギー的な部分もあるんだけど根本的にビジネス的なシェアの奪い合いです。
しかしメディア同士が争っても仕方がない。
本当の競争相手がプラットフォームならば、ちゃんと自分たちメディアがプラットフォームよりも社会に役立っていることを示し、世の中を味方にしていかなくてはいけない。
そのためには自分たちが良い記事を作っていることを証明するために指標を作って、ビジネスとしてこの仕組みでやりましょうといったことが必要です。
記事の質の高さを証明するような指標作りの研究会に新聞社、出版社、テレビ局、オンラインメディアにも入ってもらって、さらにはプラットフォームにも加わってもらい、そういった評価手法を作っていきたい。
そうした場所で皆で議論していきましょうということはやっていこうと思っています。
違う意見・立場の人々をメディアでどのように扱えばよいか
瀬尾 続いて質問を受け付けます。
質問者2 e-Educationの三輪です。
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三輪 開人
特定非営利法人e-Education
代表理事
1986年生まれ。早稲田大学在学中に税所篤快と共にNPO、e-Educationの前身を設立。バングラデシュの貧しい高校生に映像教育を提供し、大学受験を支援した。1年目から合格者を輩出し「途上国版ドラゴン桜」と呼ばれる。大学卒業後はJICA(国際協力機構)で東南アジア・大洋州の教育案件を担当しながら、NGOの海外事業総括を担当。2013年10月にJICAを退職してe-Educationの活動に専念。14年7月に同団体の代表理事へ就任。これまでに途上国14カ国8000名の中高生に映像授業を届けてきた。2016年、アメリカの経済誌「Forbes」が選ぶアジアを牽引する若手リーダー「Forbes 30 under 30 in Asia」に選出される。
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堀さんと安部さんに近い質問になってくるんですが、私も前職がJICAでどちらかと言うと官に近い立場で、今はNPOという立場で仕事をしていて、両サイドの声をこの数年聞き続けてきました。
最近Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)の運動のように声を出せなかった人の声が出てくるのがすごく良いなと思う反面、実は上の方々が別の視点で、全体配分のことを考えながら問題を解決しようとしていることがあります。
そこには別の力学や意図があって、どうしても双方のバランスを保つのが難しいなと思うことがあります。
まさに新聞社のお話もそうなのかもしれないですけど、どちらかを立てればどちらかが傷付く、どちからを立てればどちらかを批判することになってしまうような場合、ジャーナリズムではどちらかを立てるべきなのか、どちらも立てるべきなのか。
どちらも立てるのであれば最後に出てくるものはどちらの意見もありえますよねというところで終わるのか、その先に新しいソリューションまで提示していくところまでいくのか、個人的に思われているところでも良いのでお願いします。
堀 明確なアンサーがあります。
NHKの報道にはまさにそのジレンマがありますから。
何が欠点、限界なのかというのも明白です。
1つは尺、文字数で、枠に限界があるから枠の中で消化しようとするので、すごくつまらない両論併記になったり、もしくは一方の誤解を招くところでストーリーを作り、こんなはずではなかったのにと取材相手に思わせてしまうことも起きるという、これは物理的な問題です。
もう1つは、2度取り上げられないことです。
昨日やったよね、既視感あるよね、こないだやったやつだよねと言われて報道できないということになってしまうのです。
同じテーマを何度も違う角度で検証・報道する
堀 本当は事実の探求なんて終わりもないし、検証の角度なんてダイヤモンドをカットするよりも複雑なカット数で磨き上げることができるはずなのに、既視感があるのでやめますとなってしまう。
これを改善する必要があると思っていて、たとえばテレビだったら、日本にない24時間のニュース専門の地上波チャンネルを公共放送がやるべきだし、それがないならメディアグループでお金出し合ってそれを運営する電波を持てば良いと思います。
将来的に電波が開放されれば、電波オークションで引っ張ってきて立ち上げるということもやれば良い。
ウェブは何回やっても良いし、どの角度でやり続けても良いし、でもやり続けるということを覚悟を決めてきちんとやりましょうねという仲間が必要です。
僕が積極的に声をあげて言ったら、みんな制作者はそういうジレンマを抱えていてそうだと言う人は増えているから、将来的には変わるなと思っています。
安部 私はスタンスの明確さがないメディアはダメだと思っていて、両論併記するだけではなくて、何かしら明確なスタンスを、1つの記事ではなくてメディアの全体として持つべきだと思います。
例えば弊社では「社会への無関心はダメだよね」というのは絶対的なスタンスとして持っているのと、もう1つは「問題の責任を個人に押しつけない」ということも大事にしています。
どちらかと言うと今の社会問題は構造に問題があるので、構造から解きましょうというスタンスを持っています。
このようなスタンスを持たないとダメで、そのスタンスが好きかどうかをいくつかのメディアの中から選んでいくというのが読み手にとってわかりやすい形だと思います。
両論併記するとか、「トップもああいうふうに言っているのもわかるんだけど現場もこういうふうに言っているんだね」ぐらいで終わってしまうのだとしたら、それはあまり意味のある情報提供じゃないと思っています。
そこにある程度スタンスも出していければ良いし、そのスタンスは記事単体で終わってしまってはいけない。
瀬尾 ありがとうございます。
手をずっと挙げてくれている明石さんに最後質問していただこうと思います。
魅力的な「創作物」という媒体とどのように戦う?
質問者3 動画メディアを運営していますワンメディアの明石と申します。
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明石 ガクト
ワンメディア株式会社
代表取締役
1982年静岡生まれ、2006年上智大学卒業。2014年6月に分散型動画メディア「Spotwright」(現:ONE MEDIA)を創業。スマートフォンに最適化したミレニアル世代向けのニュース動画を自社内で企画から製作まで一貫して行い、Facebookやスマートニュースで月間100本以上のコンテンツ配信を実現している。またスマートフォン向け動画のコンテンツ製作メソッドや広告ビジネス、および海外動画メディアの動向において日本トップクラスの知識と事例を有している。
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メディアとジャーナリズムのこれからというテーマで、僕は今すごく気になっていることがあります。
先ほど安部さんから摂食障害の記事がヒットしたという話がありましたが、今Netflixで摂食障害をテーマにした「To the Bone」(「心のカルテ」)というドラマが非常にヒットしています。批判もすごいのですが。
世界で放映していて色々な国からあまりに危険すぎるから放映を止めてほしいという声もあるんだけれども、でもヒットしている。
ひょっとすると安部さんがやろうとしているような記事という形態よりも、このようなフィクションという形の方が、多くの人にとって摂食障害の認知とか理解が進む可能性が実はあります。
しかし、これは面白ければ良いというフェイクニュースと根底は一緒だと思います。
そういう創作物とジャーナリズムの歴史を比べると創作物が圧倒的に古い中で、ジャーナリズムは実は若い業界で、でも進歩が止まっているように見える。
これからのメディアビジネスにおいて、明らかに創作物のほうが強いという仮説をもったときに、皆さんがどう戦うのかをお伺いしたいです。
これは良い質問ですね(自画自賛)。
安部 良い質問!
(会場笑)
強制力を働かせられる文脈でサービス提供する
安部 弊社の事業に関することでは、明確な答えがあります。
無関心な人にどうやって関心を持たせるかと言うと、本当に無関心な人に関心を持たせるのは無理なのです。唯一の答えは、強制的にその機会をもたせるということです。
私は本当に関心がない人に対しては、強制的に連れて行ってしまおうというのがモットーです。
それが10代の人に対しては教育という文脈で可能なのです。
中学、高校の修学旅行に、そのような体験を組み込めば、絶対に連れて行けるので。
では、大人に対してはどうするのかということが鍵です。
大人に対してのリカレント教育、再教育というような、社会に生きる市民の当たり前のレベルを上げていきましょうと教育の文脈から「行こうよ、行かなければダメだよ」という機会をいかに作れるかだと思います。
それは色々な企業と組んだりしながらやっていけるのではないかと。本質的には、創作物のほうが制限が少ないから面白いはずです。
でもそこは創作物は創作物だけど、こういうものはこういうものとして理解しておかなければいけないよねというある種の強制力を持った形も含めたメディアであり、教育でありという形を追いたいなと思っています。
今田 元々サイゾーというメディアをやっていましたが、その時のメディアはジャーナリズムをエンターテイメントするというようなものでした。
株式会社インフォバーン/株式会社メディアジーン 代表取締役CEO・ファウンダー 今田 素子 氏
難しくて怖いものがジャーナリズムではなくて、きちんと読んでもらうことのほうが重要だということで、どうやったらきちんと読んでもらえる形にするのかが重要で、それは紙でもネットでもあまり変わらないかなと思っています。
佐藤 いただいた質問が難しくてきちんとした答えはないですが、テレビなど放送系のコンテンツが公共性とか社会性に関して議論できる土壌にあるというのが素晴らしいと思っています。
新しいメディアは歴史上見ていても、出てくる度に批判されてきて、それこそテレビが出てきた頃は大宅壮一さんが「一億総白痴化」と言っていました。
あの頃何が言われたかというと、テレビは紙芝居以下ぐらいだと言われていたことが文献として残っています。今、Netflixのコンテンツやネットニュースを見るのを止めて、紙芝居見ろと言う人いたら「え?」となりますよね。
そういう時代と比べると、今そういうシリアスなコンテンツが議論される土壌にあることが、今回の議論もそうですけど、メディアの議論としては進歩しているのかなと思いました。
安部 付け加えで、社会問題を扱うのであれば事実を調査している我々だからこそ、逆に創作物を作るというのはありだと思うんです。
ここまでやって良い、やってはいけないというラインは僕らのほうがわかると思うから。
そこまで入ってやっていっても良いと思います。
様々な業界とジャーナリズムを結びつける
堀 昔、深夜にJ-WAVEのラジオ番組を聴いていたら、V6の岡田准一さんの番組でゲストが田原総一朗さんだったんです。
田原さんが番組冒頭で「岡田君、ジャーナリズムって何だと思う?」と聞いて、岡田さんが「事実を伝えることですね」と答えて、「良いね。じゃあ、事実じゃない映画とかあれはジャーナリズムじゃないの?」「うーん」というやりとりがあったんです。
大事な話だなと思いました。
ジャーナリズムってどこの分野にもどこの誰にもあるし、「ジャーナリズム=ジャーナリストが伝えること」ではないというのはすごく大事だと思います。
記者じゃないとジャーナリズムを語れない、メディア人じゃないと語れないみたいなこの風潮を変える必要があると思っていて、だから個人の市民メディアをやろうと思ったんです。
僕自身の活動としてはそういう観点から色々な業界の皆と一緒にこの社会問題ってこうだよねって話す機会を積極的に広げています。
芸人の、ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんと一緒にイベントをやったりもします。
そうすると色々なところに「社会問題」が散らばっていきます。
アメリカの映画なんて、ジャーナリストが脚本に入るのは当たり前です。
日本ではそのような交流が薄いので、ジャーナリズムには垣根はありませんというのをもっと広げていくことが大事なのではないかなと思います。
(皆さんが)おっしゃった視点にものすごく共感します。
フィクション/ノンフィクションの垣根を壊せる可能性
瀬尾 ジャーナリズムとよく似た意味で、ノンフィクションという言葉が使われますよね。
僕らも編集者としてやっている時にノンフィクションとは何だろうという疑問にあたります。
ノンフィクション小説にしても、書き手を通じて、編集があったりするので、小説化する時点である種フィクションになっているわけですよね。
例えば、僕は沢木耕太郎さんのファンなのですが、彼の小説に関して考えていることがあります。これは僕が沢木耕太郎さんに聞いたわけではないので想像なのですけど。
沢木さんの作品には『深夜特急』といった名作がたくさんありますが、彼がここ何年か書いてるものはあのようなスタイルではなくて、誰かの語り起こしのスタイルなんですよね。
僕が思っているのは、沢木さんがニュージャーナリズムの旗手として色々な取材スタイルをやっているうちに、リアルに忠実になっていこうとし、そうすると誰かが聞いたことを書くしかなくなってきたのではないかということです。
要するに、自分が編集者的に、どの情報を捨てる/捨てないみたいなことをやっていくと、フィクションになっていくのではないかというある種の怖さみたいものを改めて感じて、あのようなスタイルになったのではないかなというふうに僕は思っています。
堀さんが言ったように、メディアの中では尺などの色々な事情によって削られていくことによって生まれる恣意的な部分もあります。
僕にはデジタルメディアの可能性としてやってみたいなと思っていることがあります。
デジタルメディアでは、先ほど出た、尺の問題を解決できる可能性というのはあるわけですよね。
デジタル上の週刊誌、例えば現代ビジネスにある記事があって、◯◯さんのコメントが出ているとします。
週刊誌上は5行の分量しか出ていないとしても、そこをクリックしたら◯◯さんの音声が流れて、僕たちの取材した1時間の音声が全部流れますとか。
そうすれば◯◯さんの言っていることも伝わりますし、それを編集する編集側の意図も伝わり、もしかするとフィクションとノンフィクションの垣根を壊すことがデジタルでできるのではないかと思っています。
そのような可能性も探っていきたいなと思っています。
今日はパネラーの皆さん本当にありがとうございました。
また、セッションを聴いて・読んでいただいてありがとうございました。
有意義な話ができたと思いますが、つまらなかったとすれば僕のモデレーションの責任ですね。
改めて4人のパネラーの方に拍手をお願い致します。
ありがとうございました。
一同 ありがとうございました。
(終)
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編集チーム:小林 雅/榎戸 貴史/戸田 秀成/浅郷 浩子/尾形 佳靖
【編集部コメント】
メディア運営に携わる一編集者として、本シリーズはとても楽しく、勉強しながら編集させていただきました。登壇者の皆様、貴重な議論をありがとうございました。(尾形)
最後までお読みいただきありがとうございます!他にも多く記事がございますので、TOPページからぜひご覧ください。
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