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「新シリーズ 世界の偉人伝 (シーズン1) 」全9回シリーズの(その4)は、COTEN深井 龍之介さんが選んだ偉人を紹介。期待を裏切らない解説で、有名な『三国志』の軍師「諸葛孔明」を紹介します。COTEN RADIOさながらに、まずは諸葛孔明が生まれた時代背景についてたっぷり説明します。 ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2021は、2021年9月6日〜9月9日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションは、ICCサミット FUKUOKA 2021 プレミアム・スポンサーのリブ・コンサルティング様にサポート頂きました。
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【登壇者情報】
2021年2月15〜18日開催
ICC FUKUOKA 2021
Session 12E
Nizi Projectから学ぶ採用と人材育成の仕組みとは?
Supported by リブ・コンサルティング
(スピーカー)
石川 善樹
公益財団法人Well-being for Planet Earth
代表理事
小林 正忠
楽天株式会社
Co-Founder and Chief Well-being Officer
深井 龍之介
株式会社COTEN
代表取締役
丸 幸弘
株式会社リバネス
代表取締役 グループCEO
(モデレーター)
井上 真吾
ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン
パートナー
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最初の記事
1. 新シリーズ誕生! 登壇者が選んだ「イチオシ偉人」を語る
1つ前の記事
3. 世界が注目する「松尾芭蕉」に学ぶ、イノベーション・サイクル
本編
井上 では続いて、深井さん、お願いします。
深井さんが選んだ偉人は、『三国志』の軍師「諸葛孔明」
深井 はい。僕が取り上げる偉人は、「諸葛孔明」(181~234)です。
諸葛孔明を知らない人はいないと思います。
『三国志』で一番有名とも言える人物です。
偉人かどうかでいうと、たぶんすごく好き嫌いが分かれる人物だと思いますが、今日は彼の実態をお話しして、みんなで楽しもうかと思います。
「超」がつく偉人、諸葛孔明より偉人だという人は正直たくさんいますが、あえて諸葛孔明が本当はこんな感じの人なんだよという話をみんなで楽しみながら、その後の議論もできたらと思います。
井上 丸さんは、諸葛孔明を知っていますか? 科学者ではないですが。
丸 まあ聞いたことはあります。
(一同笑)
ちょっと苦手な感じ……、松尾芭蕉もあの句ぐらいしか知らないですから。
深井 諸葛孔明は軍師のイメージがありますよね。
丸 軍師なんですね?
深井 そうなんですよ。
石川 軍師っぽいものを手に持っていますね。
深井 戦争に強そうじゃないですか?
丸 でも、戦ったら勝てそうな感じがしますね。
石川 1on1じゃないんですよ(笑)。
深井 実は戦争はめちゃくちゃ弱かったのです。
丸 そんな感じがしますね。
石川 弱いんですか??
深井 はい。ほとんど勝っていません(笑)。
だから、「彼の何がすごいのか?」という話になります。
漢王朝の崩壊期に登場「諸葛孔明」
深井 まず諸葛孔明が生きていた時代の説明から入りたいと思います。
諸葛孔明は漢帝国という漢王朝の崩壊期に出てきた人物です。
年表の右にある魏・呉・蜀の3国の中の、蜀という国の、宰相といって総理大臣のような立場で国家のナンバー2として活躍しました。
この時代は、その前までに400年間漢帝国が続いています。
僕たちの場合、江戸幕府が無くなってから、まだ160年ぐらいですよね。
400年間という長さは相当すごくて、その当時生まれた農民からすると、漢帝国が無くなるなんてことは想像もできません。
ずっとおじいさんのおじいさんの、そのまたおじいさんのおじいさんの……と延々と遡る代から漢帝国で、無くなるはずのないものが無くなったのが、この時代です。
漢王朝崩壊の原因
深井 なぜ漢帝国が無くなったのかというと、政治がとても腐敗していました。
活躍していたり、国のことを思ったり、民衆のことを思って政治をしようとする政治家は潰されて、貴族が私利私欲を肥やしていました。
そして、変な宗教が流行します。
石川 面白いですね(笑)、なぜですか?
戸籍上の人口が激減
深井 かわいいイラストを出しましたが、当時は相当悲惨な時代で、人口が激減しています。
石川 これは減り過ぎじゃないですか?
深井 減り過ぎです。6,000万人いた人口が1,400万人まで戸籍登録上減っています。
しかし、本当は生きています。戸籍から外れてしまった人たちは流浪の民となって、山賊などになっているのです。
重税や食糧危機で普通に生活できなくなってしまって、4分の1以下の1,400万人になっているということなので、登壇している僕たちで言うと、このうち3~4人が戸籍から外れる状態です(笑)。
丸 僕が最初に外れますよ。
(一同笑)
深井 こういうとんでもない状態の時に張角(道教の一派である太平道の創始者。?~184)という怪しい人物が現れて、「私が触ったらあなた方の病気が治る」「自分はすごく縁起がいいんだぞ」という話をして、民衆がそれにすがっていく現象が起こります。
そして、30万人くらいのすさまじい農民蜂起を起こして、国家が揺れたとんでもない時代でした。
それが『三国志』の時代です。
乱世の雄たち
深井 そこで現れたのが、『三国志』を好きな人はたぶん全員知っていると思いますが、呂布(?~199)、董卓(?~192)、馬超(176~222)といった人物です。
人選がなんでこの3人なのか、自分でも分かりませんが(笑)。
丸 全く分かりませんねえ。
(一同笑)
深井 『三国志』のコーエーテクモゲームスのゲームなどをしていたら知っていると思いますが、一番有名なのが曹操(155~220)と孫権(182~252)と劉備(161~223)です。
この3人が三国志時代をつくっています。
それ以外にも、漢王朝が不甲斐ないので、自分がこの国を乗っ取ってやろうという人たちがたくさん出てきた時代です。
2つの強国に対して3つ目の国で、拮抗状態をつくる
深井 『三国志』といえば、魏・呉・蜀の3つの国の時代ですが、なぜ『三国志』の時代になったかというと、実は諸葛亮(諸葛孔明)(※) の仕事の1つでした。
▶編集注:諸葛孔明は、「姓(=氏)」が「諸葛」、「諱(=名)」は「亮」、「字(=呼び名)」は「孔明」。
これは諸葛亮が、三国状態にして拮抗状態を作って三つ巴にすれば、非常に弱い蜀の国の皇帝である劉備でも、ものすごく強い2国の魏と呉になんとか対抗して生きていけるという戦略を作って、それを実現したのが三国時代です。
石川 確かに3つだと、魏が蜀を攻めると、魏に呉が入ってくるから、うかつに動けないということですよね。
深井 そうなんです。バランスが取れます。
『三国志』の時代になる前は、袁紹(?~202)、袁術(155~199)、馬超、呂布、董卓など、非常にたくさんの人がいました。
このたくさんの人の中で曹操(魏)と孫権(呉)と劉備(蜀)で三国状態をつくりましたが、国を持っていなかった劉備が、諸葛亮に蜀という土地で国をつくるように言われて国をつくったら、本当に三国状態にできました。
劉備はもともと草履を編む職をしていた貧乏な家の生まれで、人望はありましたが、ほぼなんらスキルは持っていないという変わった人物です。
一方で魏の曹操は、頭が良く軍事的にも天才で、人望も劉備よりある、全部のステイタスで勝っているような人物です。
そして呉には名門の生まれの孫権がいました。
諸葛亮は非常に強い2国(魏と呉)が拮抗するところに3つめの勢力として蜀を持ってきなさい、それをやるのは劉備、あなたです、という話をして栄達させていきました。
三国構想を実現に導く
深井 このように、曹操、孫権、劉備の三国時代を構想したのは諸葛亮でした。
正忠 相当な策士ですよね。
劉備玄徳に戦いをしなくていい状態を作る戦略を立てたということですね。
深井 そうです。劉備は戦争に弱いので。
石川 「戦」いを「略」す、まさに戦略家ですね。
深井 ただ、これを言うとややこしくなるのですが、諸葛亮が持っていた三国構想は、その構想自体は比較的平凡な策で、当時の人間であれば3つ目の国をつくることは思いつくことができました。
ですが、それを劉備にやらせて実現させてしまったところが、彼のすさまじいところですし、実際に劉備に重用されたのもすごいところです。
丸 強くなかったから、よかったんでしょうね。弱い人を当てたのが天才的ですね。
深井 そうですね。まさにその話をこれからしたいと思います。
(続)
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続きは 5. 武力以外すべての仕事を担える「諸葛孔明」は、部下にしたい人物ナンバー1 をご覧ください。
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/尾形 佳靖/戸田 秀成/小林弘美
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