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3. 自分に住みついている「他者の言葉」について考えたことはありますか?

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ICC KYOTO 2023のセッション「大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か?(シーズン10)」、全7回の③は、コピーライターの中村 直史さんが登場。今回のテーマである「他者理解」について、家族の関係から解説します。家族や他者の言葉が自分の中に住み着いて、事あるごとに思い出されることは、誰にでも心当たりがあるのではないでしょうか? ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット FUKUOKA 2024は、2024年2月19日〜 2月22日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。

本セッションのオフィシャルサポーターは エッグフォワード です。


【登壇者情報】
2023年9月4〜7日開催
ICC KYOTO 2023
Session 2F
大人の教養シリーズ-人間を理解するとは何か?(シーズン10)
Supported by エッグフォワード

「大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か?(シーズン10)」の配信済み記事一覧


中村 前回から参加させていただいています、中村です。


中村 直史
株式会社五島列島なかむらただし社
代表取締役

クリエーティブディレクター/コピーライター 長崎県五島市出身。筑波大学卒業。カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校修士課程修了。2000年電通入社コピーライターとして数多くのクライアントワークに従事。 2019年五島列島なかむらただし社設立。以来五島・福岡・東京を中心にブランディングを中心とした仕事をしています。

コピーライターという仕事をしています。

▶編集注:中村さんのお仕事は公式HPの「してきたこと」をご覧ください。

いろいろ仕事をしていますが、今回紹介したい僕の仕事は、こちらです。

お手元のパンフレットの最初にも入っていますが、「ICC STANDARD」の言語化をお手伝いさせていただきました。

今時、「一生懸命」「応援」「対等」という基本的なことを謳っている人たちは、なかなかいないのではないかと思い、1周回って最先端だと思っています。

ぜひ皆さん、これを読んでいただいて、真剣に、一生懸命、実践していただきたいと思います。

前シーズンで紹介の短歌をプレイバック、コピーライター中村 直史さん

中村 他者理解についてです。

前回のセッション登壇時、僕の一番最後のスライドがこれでした(シーズン9より)。

これは、たまたまFacebookで友人が紹介していた短歌です。

「つなぐ手の わたしの部分が 少しずつ わたしではなく あなたでもなく」。

前回は「わたしでもなく」と書いていましたが、誤字でして、「わたしではなく」が正しかったです。

少しの差ですが、この差も面白いです。

これを投稿していたのは、奈良にある、アートや演劇で障がい者の自立を図るたんぽぽの家というすごく面白い団体の方です。

ちなみに、スライドの右下にある新井 由利子さんが、この短歌を詠んだ方のお名前です。

出発点に戻ろうと思い、これを持ってきました。

前回は、「この短歌、すごくカッコよくないですか?」と言ってただ紹介しましたが、よくよく考えると、悲しさと希望の両方があるように感じました。

悲しさというのは、「あなた」、つまり他者とは永遠に分かり合えないことで、一瞬分かったとしても、それは揺れ動いているので、次の瞬間にはもう分からなくなっているかもしれない。

逆に希望もあり、「あなた」との接点から新しい何か、つまり「わたし」でもなく「あなた」でもない何かが起こるということです。

この両方があると感じています。

これを出発点にして、僕の個人的な悩みを吐露させていただきたいです。

いちばん近いはずの他者、母を語る

中村 僕の直近の他者との問題は、母親のことです。

僕は、もともと東京で働いていましたが、今は五島列島に住んでいます。

五島列島に戻った理由の一つに、親の問題もありました。

父が認知症で、母が一生懸命介護をしています。

僕はそれをサポートしたいという思いがあり、両親の家のすぐ近く、200メートルほど離れたところに家を構え、この数年住んでいます。

サポートしたくて近くに行ったのに、行ったら面倒臭くてたまらないという状態が始まっています。

もともと母は面倒臭い人だったのですが…。

石川 中村さんも面倒臭い人ですよね(笑)。

中村 僕は全然、面倒臭くないですよ、本当に(笑)。

(一同笑)

井上 異常に怪しいですね、そこまで言われると(笑)。

中村 僕は、こんなにやりやすい人間はいないのではないかというほど…。

石川 (笑)。

村上 自己理解とは何かという、また別のテーマを…(笑)。

中村 面倒臭いと思うのは色々理由があるのですが、それを象徴するのが、母の口癖なのです。

1分で、ぱっと思いつくだけの母の口癖を書き並べました。

「負くんもんか」は、負けるもんかという意味です。

「あなたたちに負ける」は、あなたたちに負けてしまうことが許せないという文脈で使います。

つまり、若い人たちや子ども夫婦に負けるのが許せないということです。

「どら」は「ちょっと、ちょっと」、「あんさ」はあのさ、「そっがさ」はそれがねという意味で、これらは全部、自分がこれから何かを話す、行動する時に使われる言葉です。

「あたしだ」は、私だったらという意味です。

とにかく自分、自分です。

「ぎばった」は、頑張ったということです。

「4時起きじゃった」と、4時に起きてこれだけ私は頑張った、私はすごいということを言い、世界に対して、自分は負けたくないという意志が強い人です。

石川 寂しさの発信が行われていますね(笑)。

中村 寂しさの発信なのかもしれないですね。

こういう形で、母はグイグイくるわけですが、こういう言葉を聞く度に僕は胸のあたりがこう…グワーっと、「ああ、また来た」という気持ちになるのです。

長年一緒にいるので、うまくやり過ごしたりいなしたりしながら仲良くはしているのですが、そういう感情が沸き起こるのです。

妻と時々話すのは、多分、母が死んだ後にめちゃくちゃ懐かしくなるのは、これらの言葉だろうということです。

これらを懐かしみながら、うちの母はああいう人だったねと、口癖を真似しながら話すのだろうと思います。

自分は他者からもらった言葉でできている

中村 身近で、自分にとって大きな存在なので母を例に出しましたが、自分というものが1つの箱だとしたら、その中には色々な他者の言葉たちが勝手に居座っているなと思います。

もちろん、人間が言葉だけでできているとは言いませんが、コピーライターとして今回参加しているので、言葉という観点で人を捉えてみたいのです。

スライドにある丸を自分という存在の箱だと考えた時、その中に、他者によって発せられた言葉たちが、好むと好まざるとにかかわらず、居座ってしまっているのです。

つまり、そうやって他者からもらった言葉というもので、自分ができている状態だということです。

よくよく考えると、自分から生まれた言葉はないかもしれない。

なぜかと言うと、新しく言葉を生み出した経験はないからです。

全ての言葉は既にあったもので、全部もらいものです。

村上 教わった言葉や、教育においてもらった言葉でしょうね。

中村 はい、そういった言葉も含めてです。

他者からもらった言葉しか存在せず、そしてそれで自分ができている、これは何なのだろうと思うのです。

仕事をする時に決まって出てくる他者の言葉

中村 補助線として、僕が仕事をする時に出てくる他者の言葉たちを並べてみました。

「ウダウダいうなら俺が書くぞ」は、僕のコピーライターの師匠によく言われていたことです。

コピーライターは、会社の中で上の立場になっていくと、自分ではコピーを書かずにディレクションをするディレクターになるわけです。

現場で考える人間がコピーライターとしてコピーを書くわけですが、もともとコピーライターであった人間は自分で書きたいのです。

でも、若手を育てることも必要なので、書かなくなって、ディレクションをする立場になります。

僕が「クライアントが言っていることは違うと思う」「これを受け入れられない社会がおかしいと思う」などと言うと、すぐさま「ウダウダいうなら俺が書くぞ」と言うような上司だったのです。

(一同笑)

とりあえず手を動かせ、書け、というような人でした。

「それを人は仮病と呼びます」は、僕が、上司からのプレッシャーが強すぎてお腹が痛くなり、帰らせてくださいと言った時に、上司から言われた一言です。

(一同笑)

今だったらパワハラではないかと…(笑)。

「納品だけならサルでもできる」「やりたいことがある人は、幸せな人です」も、よく言っていましたね。

「おもしろければいいんでしょ」という言葉もありました。

これらの言葉は、僕のキャラクターでは発しないものです。

僕の上司が言っていたことで、めちゃくちゃ頻繁に言っていたかは分からないけれど、自分の中に残っている、居座ってしまっている言葉たちです。

「AWKWARD」は、不器用、出来が良くないという意味です。

僕が留学中についていた先生がめちゃくちゃ厳しく、留学生は英語ができないということを一切加味せず、レポートに赤ペンで指摘を入れまくるのですが、一番多く書かれた言葉が、AWKWARDでした。

厳しいなぁといつも思っていて、でもすごく残っている言葉です。

自分にはなかったものが、仕事をする際、無意識のチェックポイントになっているのです。

例えば、先ほど見せたICC STANDARDの文章をつくっていたときも、頭の中に「AWKWARD」という言葉が浮かび続けて、一文一文書きながら「筋が通っているか?」「心を動かされるか?」と自分に問いかけるのです。

これはAWKWARDではないか、あの先生なら赤ペンで指摘を入れるのではないか、と考えてしまうし、クライアントが面倒だなと思った時も、「ウダウダいうなら俺が書くぞ」という言葉が頭の中にやってきて、やらなきゃという気持ちになるわけです。

自分のキャラにない言葉がなぜか自分に住みついている

井上 自分で言うことはないのでしょうか?

中村 自分で人に言うことはないですね。

井上 自分で自分に言っているということですか?

中村 自分で自分に言うだけです。

先ほど善樹さんにも言った通り、僕はすごい……。

石川 ……そうですよね。

中村 面倒臭くはない。

石川 まっとうな(笑)。

中村 まっとうな人間です。

石川 長崎・五島に住む中村さんは、「島の良心」と言われていますからね(笑)。

中村 そうです。

ですから、「納品だけならサルでもできる」と人に言うようなキャラではないのです。

だけど、それが住み着いてしまっています。

スライドの下に書いていますが、自分にはなかったもの、他者からもらったものが無意識のチェックポイントになっているということです。

自分に住み着いた他者の言葉を手がかりに生きている、と言えるかもしれないと思います。

「負くんもんか」という母の言葉は、自分にはない負けず嫌いなところです。

「ウダウダいうなら俺が書くぞ」は、僕にはない厳しさ。

自分にはないのに、なぜか住み着いてしまった。

それらの言葉をどういうつもりで言ったのか、母はどういう経緯でそういうことばかり言うようになったのかと、考えはするけれど、いくら考えても理解はできないと思っています。

(続)

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編集チーム:小林 雅/小林 弘美/浅郷 浩子/戸田 秀成

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