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ICC KYOTO 2025のセッション「大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か?(シーズン14)」、全5回の最終回は、中村直史さんが登場。「合」を「つくりあう」と読み換え、力をあわせて素晴らしいもの・こと・場面が誕生する背景を考えます。スピーカーたちが「合」を考えた末にたどり着いたCo-Creationとは? 最後までぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット FUKUOKA 2026は、2026年3月2日〜 3月5日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションのオフィシャルサポーターは EVeM です。
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【登壇者情報】
2025年9月1〜4日開催
ICC KYOTO 2025
Session 2E
大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か?(シーズン14)
Supported by EVeM
(スピーカー)
石川 善樹
公益財団法人Well-being for Planet Earth
代表理事
井上 浄
リバネス
代表取締役社長CCO
中村 直史
五島列島なかむらただし社
代表 / クリエーティブディレクター
林 要
GROOVE X
代表取締役社長
(モデレーター)
村上 臣
スマートニュース
VP of JP Product
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▶『大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か?(シーズン14)』の配信済み記事一覧
村上 では最後に、直史さんからお話を頂きましょう。
よろしくお願いします。
中村 直史さんが語る「つくりあう」ということ
中村 ちょっと毛色が違う話になるかもしれないです。

僕はコピーライターの仕事をしており、ICCスタンダードをつくるなど、言語化をするのが仕事です。

長崎県の五島列島に住んでいるので、今日は五島うどんをアピールしようと、このTシャツを着ています。

▶五島うどんの特長(五島手延うどん協同組合)
村上 かわいい(笑)。
中村 今回のテーマをもらう前から、「つくりあう」ということについて、この夏考え続けていたのです。

きっかけとしては、僕の住んでいる五島列島にGOTOGINというクラフトジンがあるのですが、それをつくっている人たちと一緒に、「つくる」ということはどういうことなのかについて、ずっと雑談していたんです。
よくよく考えてみると、「つくりあう」ということがキーなのではないかと。
「つくりあう」という言葉は、普段はあまり使わないですが。
それで、「つくりあう」とはどういうことなのかずっと考えていたら、臣さんから「合」というテーマが来たので、これはまたシンクロしているかもと感じました。
村上 そうですね。
小学3年生の国語の授業を見学
中村 最近、教育に関わる仕事をするようになったので、小学校の授業をたくさん見学させてもらっています。
公教育は、レベルが下がっている、今時一斉に本を開いて授業をするのはどうなの、デジタルでもっと効率良くできるのでは、など結構批判にさらされがちです。
そこで、公教育がどういう状態なのかをきちんと見ておく必要があると思い、あちこちで見学させてもらっているわけです。
とある東京の小学校では、昔ながらの黒板があって、生徒たちが先生のほうを向いた状態の授業をしていました。
僕が見学した3年生の授業の教材は、『まいごのかぎ』という話でした。

『まいごのかぎ』を知っている方はいらっしゃいますか?
いないですよね。
日常があって、ある時、非日常に入り込んで、また日常に戻っていくファンタジー小説で、『となりのトトロ』みたいな感じです。
主人公は小3の女の子で、一人で下校中、道に光るものを見つけます。
よく見るとそれは鍵で、拾ってみるといつの間にか異世界に迷い込み、そこで植物や動物との不思議なやり取りが起こり、気づけばまだ現実の、下校の道に戻っていたという物語です。

この物語について先生が生徒に、「主人公が異世界に入り込んだのは、どの時点からでしょうか?」という質問を投げかけます。
後ろで先生の話を聞いていた僕たち大人にとっても、少し難しい問題でした。
なぜかと言うと、光った時点から異世界だったのか、その前に風が吹いていたので、その時点だったのか…、普通に考えれば鍵を拾った時点だと思うのですが、いろいろ可能性があるからです。
井上 僕は、「生まれた時から?」と思ってしまいました。
村上 (笑)
井上 あ、だから国語の点数がいつも悪かったのか。そういうことだ、なるほどね。
議論は紛糾、授業時間中に終わるのかとドキドキ

中村 そういう考えもありますよね。
いろいろな授業があって、面白い授業はカリスマ先生がグイグイ引っ張っていって盛り上がることが多かったのですが、この国語の授業の先生の場合、とにかく自分からは話さなかったのです。
生徒の指名も、先生が当てるのではなく、当たった生徒が次の生徒を指名するやり方でした。
そのテンポも早く、ランダムにどんどん当てていくシステムです。
当てられた生徒はそれぞれ、どの場面からと思うかを答えていくわけですが、先生は当てない代わりに当たった生徒の顔をじっと見ることを繰り返します。
その行為と、テンポ感がすごく面白いと思いました。
子どもたちの意見は大きく3つくらいに分かれ、議論も紛糾し、生徒たちはすごく盛り上がっていました。
そんな中、先生は答えに導びこうとしません。
僕は教育に携わるようになり、文科省がどれだけ細かく、この時点までにこれを学ばなければいけないという指定をしていることを聞いていたので、結構ドキドキしながら見ていました。
つまり、この授業は収束するのか、と。
村上 着地しないのではないかと。
中村 そうです。
心配しながら見ていましたが、それでも先生は答えに導かないのです。
そんな時、授業の終盤ギリギリに、その時に当てられた女の子が、おずおずと小さな声で、それまで誰も言わなかった素敵な発見について発言したのです。
どの生徒もみんな入口を気にしていたのに、その子だけは、出口を気にした意見でした。
「出口がこうだった、それを考えると、多分ここが入口だったのではないか」と話した時、それまで盛り上がっていたクラスがいきなり「おぉ…」と唸るという場面があったのです。
井上 で、その子はどの時点だと答えたの?
中村 あ、その子の発言の具体的な内容は忘れてしまったので、すみません。
(会場笑)
井上 え、聞けないんですか!?
中村 いや、そこは…。
石川 そこは本質じゃないんですよ(笑)!
(一同笑)
井上 ああ、そこは要らないですね(笑)。
石川 すぐに欲しがるのは、研究者の悪いところだよ(笑)!
井上 だから国語の点数が悪かったんだね(笑)。
石川 これが合の人なんですよ、我々はチーム和だから。
中村 進めていいですか(笑)?
井上 はい、どうぞ(笑)。
「つくりあう」ことの力を実感
中村 最後に少しだけ残った時間で急いでまとめて、授業は終わりました。
その後、先生にインタビューする時間があったので、「最後の最後に、あの生徒が良い答えをする目論見はあったのですか?」と聞きました。
というのも、彼女がエース的な生徒だったのかなと思ったので。
村上 その子の番になるまで待っていたのかな、ということですね。
中村 そうそう。
先生の回答は素敵なものでした。
「目論見はありません。普通はクラスのエース的な生徒を教師が当てて、答えが出て、授業がまとまります。けれど、その作為はみんなに絶対にバレる。そうすると、今日のようなエネルギーの高まりは生まれない。みんながグルグル一生懸命考えているエネルギーは絶対に生まれない。」と。
そして、「見通しがないのは怖くてたまらない。けれど、その怖さに耐えて、作為を何とか捨てて、クラスみんなの考えるエネルギーをどれだけ高められるか。それが教師の勝負所です」と言ったのです。
村上 ほう、すごいねえ。
中村 公教育良いじゃん、と思いました。
すごくかっこいいなと思います。
あのクラスの中には、先生が言葉に出していない、言外のメッセージがあったと思います。

それは、「全員対等」だということです。
多分、能力には差があると思います。
けれど、全員対等で、全員にポテンシャルがある、だから全員で答えを探す、そのための我慢だったと思うのです。
その前提を信じているから、答えに導かない。
だから、作為は捨てなければならず、想像通りの道筋は辿らない。
つまりこれは、一人ひとりの生徒と場への「敬意」なのではないかと思います。
敬意があるから、作為を捨てるということです。
そう考えた時、最後に発言した生徒の素晴らしい発言は、彼女の能力だけで出てきたものだったのか。
あれは、みんなのエネルギーの高まり、必死のやり取りの中から、能力が高められたからこそ出てきたものではないかと思い、これこそが「つくりあう」ことの力なのではないかと思ったのです。

彼女の答えというよりも、あの場がつくり上げた力によるものであり、その力はなかなかにすごいものなのではないかと思います。
そして、その状況に至るための鍵は、場への敬意、全員の能力を信じる立場に立つということではないかと思いました。
作為を捨てて敬意を散りばめるというのはなかなか難しいことだと思いますが、そうすることの先にあるのは、一人ひとりが、彼ら自身を超えて、思いもよらなかった場所に辿りつくことができる状態です。

それが、「つくりあう」ということの力なのではないかと思います。
人間国宝を辞退した陶芸家、河井寛次郎
中村 少し話は変わりますが、今回のICCは京都開催です。
京都には、河井寛次郎記念館があります。

村上 良いですね。
中村 河井 寛次郎をご存知の方、いらっしゃいますか?(挙手を促す)
なかなかいないですよね、臣さんくらいですね。
村上 そうですね(笑)。
中村 河井 寛次郎は、1890年から1966年、明治から昭和を生きた陶芸家です。

その昔、民藝運動というものがありました。
▶民藝とは何か(日本民藝協会)
民藝運動は、美術は、選ばれた人たちだけの棚の上に飾っているようなものではなく、民衆の中に本当の美があるはずという運動であり、これを中心になって広めた3人のうちの1人が河井 寛次郎です。
柳 宗悦をご存知の方はいると思いますが、柳 宗悦もその3人のうちの1人です。
村上 補足すると、濱田 庄司、河井 寛次郎、柳 宗悦が提唱したのは「用の美」という考え方で、それはつまり、生活の中の道具に美しさがあるという考え方です。
民藝運動は「用の美」を追求する運動であり、先ほど言及した床の間の話(前Part参照)も民藝運動の一部です。
中村 河井 寛次郎の作品は素晴らしいです。
陶芸だけではなく木工作品もつくっていますが、本当に素晴らしいです。
河井寛次郎記念館は、ここから歩いて30分ほどのところにありますが、河井寛次郎が生きていた家がそこにあるという状態です。
つまり、暮らしが美だと提唱した人の暮らしが、そのままそこに残っているということであり、これは河井 寛次郎らしいと思います。
河井 寛次郎の素敵なところは、素晴らしい作品をつくり続け、非常に高い評価もされていたけれど、人間国宝も文化勲章も辞退したところです。
理由として、河井 寛次郎は、とても誠実な人だった、真面目で良い人だったと言われています。

だから人間国宝も文化勲章も辞退したと言われていますが、僕は、彼はそもそも、彼の作品は自分がつくったものだと思っていなかったのではないかと思っています。

河井寛次郎もまた「つくりあう」感覚でいたのでは
中村 河井 寛次郎は、素晴らしい言葉をたくさん残しています。
例えば、「ひとりの仕事でありながら ひとりの仕事でない仕事」。
ちなみに、河井寛次郎記念館に行けば、焼き物のための、土でできた素晴らしい窯も見られます。
河井寛次郎の孫によると、彼は仕事をしている際、常にメモ帳をぶら下げて、仕事中に思い浮かんだ言葉を書き留めていたらしいです。
この言葉は、そのうちの一つです。
焼き物は一人で作業をするものですが、思いついた言葉を書き留め、夕食の時に家族に披露するらしいのです。
その際、言葉を思いついたとは言わず、「こんな言葉をもらった」と言うと。
一人で作業をしているのに、誰からもらったのだろう、と思いますよね。
そこが、河井 寛次郎の素晴らしいところだと僕は思っています。
「此等の言葉はすべて讀まれる人の言葉であつて、自分の言葉ではない。自分の言葉でありやうがない。」

これは、河井 寛次郎が自分の言葉をまとめて出版した本(『いのちの窓』)の最初に書いている言葉です。
どういうことかと言うと、河井 寛次郎はおそらく、技術も思想ももらったものであり、一人で仕事をしていても常に、尊敬する先人たちと世の中の人たちと一緒に「つくりあっている」感覚だったのではないかと、僕は思っています。

少し逆説的かもしれませんが、その感覚をずっと持っていたからこそ、あれだけのオリジナリティに満ちたものをつくり出せたのではないかと僕は勝手に思っています。
敬意を持ち「つくりあう」ことでたどり着く未来

中村 僕も表現の世界で仕事をしていますが、いかに良いものをつくるか、どうすればつくれるかと常々考えています。
先ほどの授業の話や河井 寛次郎の生き様を考えると、つくるとは別に、態度として「つくりあう」という行為があると思っています。

例えば、この場であればこの会場にいる人、そして、共に暮らす人、一緒に同時代を生きている人なども含めた、「あなた」「あなたたち」という存在があります。
社会に生きていると、僕らはつい、「あの人はできる」「あの人はできない」などの判断を瞬時にしてしまいがちです。
しかし、そうではなく、ポテンシャルとして「あなた、あなたたちはすごい」「人間というものはすごい」という敬意を持ち、その上で自分はどんな工夫をなしえるかというコール&レスポンスを、たとえ一人で何かをつくっていても行うという態度が、自分の力を超えた、思いもよらなかった未来に自分を導いてくれるのではないでしょうか。
河井 寛次郎は、なぜ仕事をするかと言えば、知らない自分に会うためだ(「新しい自分が見たいのだ──仕事する」)という言葉も残しています。
▶河井寬次郎の言葉と生き方|暮しが仕事。仕事が暮し。(Discover Japan)
背景を考えると、その言葉の意味は、今お話ししたようなことだったのではないかと思いました。
ICCの「CC」は、「Co-Creation」という意味です。

イベントのタイトルとして使っている言葉ですが、実は、ものすごいポテンシャルを持った態度や行為を指すのかもしれません。
単にコラボレーションしようということではなく、相手に対する無条件の敬意と、それを超えていくために自分はどんな工夫ができるかというコール&レスポンスをするうち、いつの間にか自分を超えていく力があることに気づくことができれば、結果的に、思いもよらなかった未来に行き着いていることがあるのではないかと思います。
結果的にと言ったのは、狙ってできることではないからです。
せっかくICCの場に集まり、みんなで一緒にいられているので、みんなで「つくりあう」ことをぜひやりましょう。

という僕からの話でした、ありがとうございます。
村上 ありがとうございます。
シーズン14のまとめ
村上 4人から、大変素晴らしいプレゼンテーションを頂きました。
最後にクイックにまとめたいと思います。
今回は「合」というテーマでお送りしましたが、「合」ではなく実は「和」なのではないかという定義から始まり、ロボットとAIの共生について議論し、「合」には非日常をどうつくるかが大事ではないかということでした。
そして最後に直史さんから、「つくりあう」ことについて、自分との対話についてのお話を頂きました。
これはまさに、過去との対話、つまり先人が行ってきたこととの対話です。
今の自分がいるのは、これまでの積み重ねがあるからこそで、自分がすごいわけではないという非常に謙虚な姿勢と、相手に敬意を払うことで、「つくる」が「つくりあう」になっていく。
それが、我々が今ここで行うCo-Creationなのではないかということで、うまくまとまったと思います。
皆さんにとって、何かの参考になったら幸いでございますし、このセッションがシーズン15、16と今後続くのか、そして間(あわひ)ちゃんがこのセッションに登壇できるのか(Part.1参照)、全ては皆さんのアンケートの結果にかかっております。
(会場笑)
私はアンケート全てに目を通しておりますので、忌憚のないご意見、コメントをよろしくお願いいたします。
では、ここでお開きとしたいと思います。
ありがとうございました。

(終)
▶カタパルトの結果速報、ICCサミットの最新情報は公式Xをぜひご覧ください!
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/戸田 秀成


