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2. 「問題の所在がわからない」ときが哲学の出番

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ICC FUKUOKA 2024のセッション「大人の教養シリーズ 経営者になぜ「哲学」が必要か?」、全7回の②は、哲学者はなぜ哲学を学ぶのかという問いからスタート。2500年以上前から繋いできた天才哲学者の思考をインストールすれば、効率良く天才風に考えられると谷川 嘉浩さんはいいます。大学院で哲学を学んでいたPoetics 山崎 はずむさんは、ビジネスに使える哲学として「対話」を紹介。ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット KYOTO 2024は、2024年9月2日〜9月5日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。

本セッションのオフィシャルサポーターは エッグフォワード です。


【登壇者情報】
2024年2月19〜22日開催
ICC FUKUOKA 2024
Session 5D
大人の教養シリーズ
経営者になぜ「哲学」が必要か?
Supported by エッグフォワード

(スピーカー)

石川 善樹
公益財団法人Well-being for Planet Earth
代表理事

田中 安人
グリッド CEO / 吉野家 CMO

谷川 嘉浩
哲学者 / 京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師

山崎 はずむ
Poetics
代表取締役

(モデレーター)

嶋 浩一郎
博報堂 執行役員/博報堂ケトル クリエイティブディレクター・編集者


哲学者は何をしていて、何のために哲学を学ぶ?

嶋 そもそも谷川先生、哲学者は何をやっていて、何のために哲学を学ぶのですか?

根本的にまずそこから知りたいですよね。

哲学は何が学べるのでしょう?

僕は振らないので、皆さん、次々遠慮なくどんどんツッコんでいただいて、わちゃわちゃやりたいと思いますので、よろしくお願いします。

谷川 現代日本で、「哲学」という言葉を色々な場面で目にするじゃないですか。

例えば、嶋さんが言ってくださった経営哲学や経営理念に相当するものを、「フィロソフィー」と表記している企業は結構ありますよね。

「哲学」は日常ギリギリ私が専門家としてやっている哲学は何かというと、古代ギリシアに始まる2500~2600年くらい積み上げられてきた、天才たちが使ってきた、研ぎ澄ませてきた色々な思考パターンや創造力を活用して考えるということかなと思います。

何のために学ぶのかというと、何ですかね…、基本的に哲学をやりがちな人の一つの特性として、手持ちの札や手持ちの思考パターンに飽きがちで、自分の考えをリフレーミングしたくて仕方がないのですよね。

だから、自己相対化ができるし、自己相対化が好きな人は哲学に向いているのかなと思います。

「メタ認知」と言ってもいいのですが。

嶋 メタ認知が好きな人は、哲学が大好物?

谷川 メタ認知が好きって、なんか変な人ですが(笑)。

山崎 熱狂できない、どこか冷めて、要は友達を作れないやつはそうだと思いますが(笑)。

谷川 (笑)。祭りの中でわーって言いながら、心のどこかで、わーって言っている自分を俯瞰しているみたいな。

山崎 この構造ってどうなっているんだろうとか、ゲームをプレーするよりゲームのルールとか起源が気になってしまう感じですかね?

谷川 はい。

嶋 まず最初におっしゃっていたプラトンから始まる……、何年前とおっしゃいましたか?

谷川 2500〜2600年前です。

嶋 2500〜2600年前からの天才たちの思考パターンの数珠つなぎみたいな。

谷川 そうですね。

ずっと前の人に反論したり、前の人に反論された人をむしろ復活させたりみたいな感じで、ネットワークが2600年ほど、ずっと続いていっています。

嶋 以前僕が谷川先生に、「飲み屋で飲んでいるのは哲学的ですか?」と質問したら、「飲み屋で飲むのも哲学的だと思うけれど、飲み屋で飲む哲学はコスパが悪いです」みたいに言われたことがあって。

「コスパ悪いんですか!?」みたいな(笑)。

最初、「やった!」と思ったんですよ、毎晩飲んで、僕も哲学しているみたいな。

でも、それよりは哲学書を読んだほうがコスパがいいということですよね? 天才たちの思考が集約されているから。

谷川 ちなみに言ったことをあまり覚えていなかったのですが、でも多分言いそうなことですね。

私たちは得意なことがあったり頭が良かったりするかもしれないですが、多分プラトンやデカルトほどはすごくない。この人たちは、歴史に名を残して何百年も地域を越えて読み継がれるほどの天才ですから。

私たちは、そこそこしか頭が良くない。

でも天才たちが途中まで考えてくれていたり、すごく便利なツールを作ってくれていたりするなら、それを使って続きを考えたりするとか、天才たちがどうやって世界を見ていたのかなというのをインストールしてみたら、めちゃくちゃ効率良く天才風に考えられるというような。

嶋 天才風に…、SaaSに近いですね。

谷川 そうですね(笑)。

嶋 先人たちが考えたものを、簡単にインストールできるみたいな。

谷川 簡単かわかりませんが、インストール可能であるという。

田中 未だにプラトンの論理は、解明されていない部分があるのですよね?

谷川 というのも、彼は意外と長生きで(※プラトンは80歳没)、長い人生の間に考えが変わっていたりするんです。だから、「解明されていない」というより、多様なプラトンがいて、どのプラトンに自分をフィットさせるかと理解した方がいいかなと思いますね。時期によって、ちょっと言うことが違うので。

実践的な哲学「プラグマティズム」

田中 そういう意味で言うと、先ほど言いましたように、哲学は本質や真理を追求し続けるものなんだなと、僕なりの理解をしています。

ここにいる自分がどうなんだとかという、そういうシンプルな受け止め方でいいですか?

谷川 ひとまずはいいと思います。私たち哲学者は何かを突き詰め、確からしい考えを追い求めています。ただ、留保も必要です。一般の方の「真理(truth)」という言葉のイメージは、絶対に揺らがないし動かない、みんなが絶対に合意できるみたいなイメージだと思います。

でも、そういう絶対的な「真理」は手中に置けるか?ということになると、現代の哲学では、多くの場合「そうだ」とは答えません。

例えば、ひとまずここまでは正しいと今の私たちは思っているが、100年後には違うと言われているかもしれないということはあるわけですよね。

イギリスの先駆的な奴隷制廃止が1833年。ヨーロッパ各国が膨大な借金してまで奴隷制を廃止し、世界各国に「奴隷禁止」の考えを輸出して、20世紀の100年かけて各国も奴隷制を公認できないような状況が作られました。200年前はあって当たり前、でも今は奴隷制なんて問題外じゃないですか。

だから、正しさが私たちの手元にあると自分なりに信じることはできるけれど、本当にそうかというのは、また別の問題かなとは思います。「真理」は目指すべき方向を指すものであって、手中に置けるわけではないと考えてみるといいと思います。

なんかモヤッとした説明に聞こえたかもしれませんが(笑)。

山崎 でも真理があるというよりは、例えば谷川先生が専門としている「プラグマティズム」だと、アメリカで生まれたものなので、非常にスタートアップの考え方と親和性が高い哲学です。

プラグマティズムと非合理な情熱。学びの果ての衝動。哲学者・谷川嘉浩氏インタビュー。(Less is More.by info Mart Corporation)

僕も「プラグマティズムを経営に活かしている」と言うと、今回のテーマに沿いそうだなと思ってちょっと言ってみたのですが、例えば宗教があって、神が本当にいるかどうかは問わないけれど、一旦神がいると信じておくと、その人にとって心が安らぐのだったら、もうそれはそれでいいよねという、役に立つかどうかだけで考えて、真理は問わないみたいな哲学もあったりします。

哲学というとどうしても、生きる意味とは?実体とは?と考えがちですが、結構実践的な側面もあります。

例えばスタートアップの中でも、これは真実か?と言われるとどうかわからないけれど、やってみたら役に立つからやってみようみたいな態度はあると思います。

それがアメリカで生まれていて、だんだん時間を経ていくことで、スタートアップ文化みたいなものと根付いているかもしれないみたいなところは、経営者としては考えているところです。

実はそういう考え方も、哲学の一種であるのです。

哲学はOSのような役割を持つ

田中 僕はよく思いますが、哲学と宗教の境目はどこにあるのですか?

谷川 哲学と宗教の違いとしては、宗教は強固な共同体があって、線引きもすごくはっきりとしていて、その中に囲い込む傾向にあります。

特定の教義以外は許さないし、教義を誤解することも基本的には許さない傾向にあって、一様の考えを共有したいと思っています。

哲学はむしろ逆というか、そういう共同体と共同体の間で成立するもので、「あれ?他の考え方もあるかも」「違う解釈もあるかも」「他のルールで生きている人もいるよね」という感じで、相対化する動きがあるのが特徴かなと思います。

だから、色々なアプリケーションを展開できるOSのようなものが哲学という感じで、個別のアプリケーションが宗教だったり宗教じゃなかったり、特定の個人の名前だったりするというイメージで私は理解しています。

嶋 やはり、SaaSなんですね。

谷川 ああ(笑)、そうです。確かに、確かに。

嶋 哲学というと、絶対普遍の真理のように思いますが、プラトンでも生きている間にコロコロ変わるというのは、要は世の中の捉え方や解釈の仕方は複数いっぱいあるよ、ポートフォリオだよというぐらいに考えればいいですか?

谷川 いいと思います。

哲学者ごと、分野ごとに得意なジャンルがあって、例えばカントで経営判断するのは、ちょっと難しいんじゃないですかね。

だから、自分に合った、このタイミングによった哲学者の考えをインストールすることができれば、いいのではないかと思いますね。

問題の所在がわからないときが哲学の出番

嶋 経営者やビジネスをしている人が、自分の考え方に合う哲学者を選ぶみたいなお話が出ました。

山崎さんがおっしゃった、スタートアップの経営者の考え方と、1回疑似的にこういうフレームで考えておいてもいいよみたいな「プラグマティズム」の考え方とはすごく近くて、それに乗っかっていくと企業活動などが円滑にいきそうな気がします。

そのマッチングはどうやれば? 西洋哲学だと2000年間以上脈々と数珠つなぎになっているところから、どこを引っ張ってくればいいですか?

どの引き出しを開けたら自分のビジネスに合う哲学者が出てきて、カントが出てきた!みたいになりますか?

谷川 最高なのは、山崎さんみたいに大学院まで行ってしまうのが(笑)。

嶋 今日会場に来ていただいた皆さんは、75分で解決しようとしていますから(笑)。

谷川 それは冗談ですが、実際には本当にガチで哲学を学ぶ必要はあまりないのかなと思っていて、「哲学が近くにいてもいいな」と、今日75分で思ってもらえるといいですね。

例えば、自分の会社の運営でもいいし、生き方でもいいし、個人的な悩み事とかでも、問題と解決手段がはっきりしていると、あまり哲学の出番はない。

問題や課題がはっきりしていて、そのためにどの手法を選ぶかということだったら、迷っている場合ではないわけで、ひとまず有効そうに見えるものから実行し、その結果を踏まえて次の行動を考えればいい。

でも、そもそも問題の所在がどこにあるかわからないとか、次のステップがどこにあるかわからない、どの解決策も問題をかえって混乱させるといったときに、哲学がいい相談役にはなる気はしています。

要は、その悩み事や議論の風景を哲学者が仮に眺めたとすれば、「あなたたちの言っていることや、やっていることは、この人に近いように見えますね」とか、「一見噛み合っているようですれ違っているから、あなたたちは問題の所在が見えてこずに混乱しているんじゃないですか」みたいなことです。

つまり、悩みの交通整理をしたり、別の見方を提示したり、迷い方の助言をしたりする対話のスパーリングパートナーになれる。

嶋 山崎さん指摘の、メタ構造が好き、友達が少ないはどうかはわからないけれど、普通に人生を送っていると怒っている人もいるし、泣きわめいている人もいるし、すごく優しい人もいるし、ビジネスをやったら客は怒るし不況になるしという、カオスの状況になっているのを、ちょっと上の視点から、「あなたたち、今こういう状況なんじゃないですか?」みたいに視点を色々くれる感じですかね?

日常で行われている哲学的な対話

山崎 必ずしもメタにならなくてもよくて、僕がビジネスの中で哲学が一番効くなと思っているのは、実は「対話」です。

社内の人と話すときもそうだし、社外の人と話すときもそうですが、例えばプラトンの著書を読んでいくとほぼ対話形式で書いてあって、少しずつ相手から問題を引き出していくような形で、今で言うコーチングに近い形になっています。

「同じ日本語で話しているのに、なんか噛み合わないな」とか、「あいつ、何言ってんだ?」みたいなことは日常でたくさんあると思いますが、実はその文字通りの言葉で、僕らはコミュニケーションしているのではないのです。

例えば互いに「経験」という同じ言葉を使ったとしても、その人のコミュニティや背景によって意味しているものが全然違うので、「今『経験』と言ったけど、それはどういう意味で言っている?」という、この問える能力は哲学の中で非常に重要だと思っています。

「経験」という言葉を辞書的な意味でうのみにせずに、その人がどういう意図で使っているのだろう?と考えるのは、これは「テクスト」というか、哲学書一般を読んでいくとか、対話をしていくときに非常に重要な態度だと思います。

メタにならなくても普段の実践の中で、例えば商談だとすると、僕らは商談解析のサービスをしていますが、お客様がどういう意図で言っているのかという、例えば「ヒアリングが重要だよね」ということは、よく営業だと言われたりすると思います。

あれはなぜ重要かというと、同じ言葉で喋っていたとしてもおそらくずれているものを、どんどん合わせにいく技術が対話で必要だと思うからです。

哲学書を読んだり哲学的な対話をしたりするのは、もう全然僕らも実は日常的に実践していることだなと思っています。

ただ、それがより意識的にできるようになる気がしていますが、どうでしょう?

谷川 おっしゃる通りです。

これは哲学者ではなくて言語学者の例えですが、言葉の扱いに慣れている人は「地図」と「現地」、現地というのは「土地」のことで、「地図」と「土地」の区別がつけられると言うのですよね。

きょうのことば 2021年3月 地図は現地そのものではない。(大谷大学)

この「地図」が言葉に当たるもの、「現地」や「土地」は地図が指し示している対象のことです。

普通、言葉って純粋に使っていると思うじゃないですか。「コップ」と言えば、コップそのもの、コップという現実のことだと感じている。日常の感覚だと、言葉と対象を区別していないんです。

でも、言葉と対象の間には常にギャップがあって、そのギャップは、文化や時代、共同体や個々人によって違う。ジェネレーションやカルチャーによるギャップを思い出せばわかりますよね。同じ言葉を使っていたら大体みんな現実も共有できていると常に人は勘違いしてしまうけど、実際はそうもいかない。

その区別をつけながら観察するのは、やはり得意だろうなと思いますね。だって、会話している人の言葉がどんな挙動で動いているのかを、日々眺めているんですよ。哲学者は、地図(言葉)と現地(対象)を区別しながら、色んな人の言葉遣いを眺めて暮らしています。

(続)

カタパルトの結果速報、ICCサミットの最新情報は公式Xをぜひご覧ください!
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編集チーム:小林 雅/小林 弘美/浅郷 浩子/戸田 秀成

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