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6. 哲学が直接の解決法に弱く見える理由

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ICC FUKUOKA 2024のセッション「大人の教養シリーズ 経営者になぜ「哲学」が必要か?」、全7回の⑥は、Poetics 山崎 はずむさんが、ビジネスで哲学を活用できる場面についてアドバイス。ミッションの策定など、ビッグピクチャーを描くときに哲学は有効だと言います。終盤は山崎さんと谷川 嘉浩さんとで、知られざる哲学者の特性をトーク。ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット KYOTO 2024は、2024年9月2日〜9月5日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。

本セッションのオフィシャルサポーターは エッグフォワード です。


【登壇者情報】
2024年2月19〜22日開催
ICC FUKUOKA 2024
Session 5D
大人の教養シリーズ
経営者になぜ「哲学」が必要か?
Supported by エッグフォワード

(スピーカー)

石川 善樹
公益財団法人Well-being for Planet Earth
代表理事

田中 安人
グリッド CEO / 吉野家 CMO

谷川 嘉浩
哲学者 / 京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師

山崎 はずむ
Poetics
代表取締役

(モデレーター)

嶋 浩一郎
博報堂 執行役員/博報堂ケトル クリエイティブディレクター・編集者


問題を切り分けようとする考えも哲学

石川 例えば、なぜ経営者に哲学が必要なのか、なぜ?なぜ?と今やったじゃないですか(前Part参照)。

逆の問いで、「なぜ経営に哲学が必要でないのか」と言われても、多分出ると思うのですよ(笑)。

谷川 それはやはり日常の明確な課題に取り組むときに、わざわざ立ち止まっている場合ではないので、そういうときには必要ないのですよね。

石川 このテーマと、テーゼ(※命題)とアンチテーゼ(※対立関係にある命題)を、ジンテーゼ(※統合されたより高い次元の命題)でしたっけ?

それをずっと繰り返していくのが哲学なんでしたっけ?

弁証法(MBA用語集)

山崎 それは場合分けができる気がします。

前半の問い(「なぜ経営者に哲学が必要なのか」)は、例えば「ビッグクエスチョンを考えるときは」、後半のなぜ必要でないのかという問いは、「目の前の課題を解決するときは」という常にIf条件が付いている形です。

だから、多分その問いがはらんでいるものに関していうと、「状況による」という一番日和見主義的な回答になると思いますが、でも実際そうだなというのが思うところですね。

石川 でも、一方で、目の前の課題には哲学は必要ではないと言いますけれども、哲学には色々な思考体系があるから、むしろ目の前の課題にこそ哲学の思考が役立つんだという意見もあり得るわけじゃないですか。

山崎 対話とかはそうだと思うんですよ。

石川 先ほどの話(前Part参照)ですね。

山崎 対話の技術みたいなところで言うと、それが効いてくるかもしれないけれども、経営者にとって、いったいどの局面で哲学が必要なのかというところに問題を切り分けることができると思います。

ちなみに、問題を切り分けようとする考えも僕は哲学かなと思います。

今日のテーマを字面で見て、これに直接回答しようとするのではなくて、「そもそもこれって必要なの? 疑似問題(※) じゃない?」と思えることも大事だし、経営者のどの局面で哲学が必要なんだろう、経営判断するときなのか、それとも日々メンバーとコミュニケーションを取るときなのか、株主となのかお客様となのかによって、全然違うというところがあります。

▶編集注:疑似問題とは、問いを立てる際の暗黙の仮定や前提が誤っていたり、検証できないものに依拠していたりするため答えがそもそも存在しない問い(Wikipedia)。

それぞれ切り分けたときに、回答のバリエーションが出るかなという印象がありますね。

石川 大きい問題は切り分けろというのが、まさにデカルトの『方法序説』(1637)ですものね。

『方法序説(Amazon)

それでいくと…(沈黙)

谷川 なんですか(笑)、納得しちゃったみたいな(笑)。

田中 この間(ま)は何なんですか?

石川 どういうときに必要なんだろうというのは?

谷川 とりあえず、その場面に哲学者を地蔵のように一旦置いてみたらわかるかもしれないし、置く哲学者によって切り分け方が変わる可能性はありますよね。

ビッグピクチャー作りに哲学が効く

石川 難しいですよね。

悩んでいるときには、結構目の前のことで悩んでいることがあって、悩んでいて必要じゃないときこそ哲学者が必要みたいな、そういうことなのかなとちょっと思ったりして(笑)。

187A5502.JPG

山崎 でも確かに、これは余裕がないとできないのは本当だと思います。

僕が経営レベルで活かせていることが仮にあるとしたら、例えばミッション、ビジョンを策定するときで、これは哲学観とかではなくて、どういう世界を作るかというときです。

人工知能を作りたいなと思うけれど、過去の哲学的なところを参照して作れないかみたいな大きなビッグピクチャーを作るところでは、非常に効いてくるところもあるなと思います。

あとは各メンバーに、「なぜ疑問を投げかけなければいけないのか」というときに、問いを字面で受け取ってそのまま回答するのではなくて、コンテクストを考えうるのも一つの実践値だよねみたいなところを、メンバーと話す会話の共通コードにするというか…、だからなぜって言っていいんだよと。

特に日本の企業経営の中であまり良くないなと自分が会社に入ってから思ったのは、暗黙知やいわゆる“察しろ”文化が結構強いことです。

なぜと言っていいんだよみたいな風土を作るときに、「察しろ」はまさに対極です。

もっと建設的に、僕らが使っている定義を理解することによって、一緒に経営で向いている方向や事業戦略がわかるようになるためのツールを整えるという意味においては、なぜと言える風土は必要だと思います。

「哲学が必要なわけは?」といったときに、皆さんが「いや、売上が上がらないんじゃないか」というと、そこはまあ確かにそうですが、その手前のソフトのところにおいては寄与するところはあるなと思ってやっている感じですね。

ただそれを普段の経営の中で、あえて「哲学だよ」とは言わない感じですね。

コミュニケーションの技法も学べる

嶋 TBSで『不適切にもほどがある!』というドラマがありますが、むちゃくちゃ面白いですよね。

体育教師が1986年から2024年にタイムスリップでやってきて、昭和の価値観の人と今のコンプライアンスバリバリの人たちが議論するのですが、あれもまさに感覚的にはメタ構造で、1986年の価値観と2024年の価値観を初めて離れてみると、価値観と価値観が戦っているみたいに。

田中 僕はスポーツマーケティングもやっています。

いまだスポーツの現場には殴る蹴るが横行しているところもありますが、スポーツの現場で「なぜ?」と言えるような状況を作ることが心理的安全になるから、もしかしたら「なぜ?」を投げかけられるような環境を作ることが第一歩なのでしょうか?

谷川 そうだと思います。

ビッグビクチャーみたいなものを描いたり、ビジョンに関わることを扱うのもそうだし、コミュニケーションに関することや対話の風景に関することを扱うときにも、「お互いに対して疑問を投げかけてもいいよね、当然」と思えるかどうかは大きいですよね。

あとは、なぜギリギリ学問や人文の界隈にいる人が議論ができるかというと、一応立て前としては議論の成果は、その個人に帰属するというよりも、議論に参加したみんなの成果だということになっているのです。

プラトンの著書を読んでいると、実はソクラテスは非常に気を遣いながら質問をしています。

例えば『ラケス』という本の中で、勇気について考えようと対話をしています(※)。

▶編集注:ソクラテスを中心に、2人のアテネ市民とその息子たち、ラケスとニキアスという高名な2人の将軍たちの間で「勇気とは何か」を主題に対話した。

『ラケス』(Amazon) 

勇気について知っていそうな将軍を呼び、「ラケスさん、あなたはこの間の戦争ですごく活躍したそうじゃないですか。よかったら勇気について喋ってくれませんか?」というようなことを言うわけです 。

でもラケスはそれに対して、「いやいや、そんなソクラテスさんの前で喋れないですよ」みたいに言うのです。

「いやいや、そんなこと言わずに」とか、意外と本題が始まるまで長い時間を費やしていたりします。

だから、問いかけの技法みたいなものも頑張れば哲学から学べたりするのかなと、なんとなく思いました。

わからないですがね…、現実の哲学者は友達が少なかったりすることは確かにあるので(笑)。

石川 会場で、哲学者の友達がいる方はいます? 今日はラッキーですよ。

今日1人、皆さんにできましたからね。(谷川さんが手を挙げる)

嶋 今度名刺交換して(笑)。

谷川 そうですね、私も友達が増えてありがたいです(笑)。

哲学が直接の解決法に弱く見える理由

谷川 でも、不思議なことだと思っていて、言葉を扱っていてコミュニケーションを分析したり対話を分析したりすることが得意なのに、社交性がないのは不思議だなといつも思います。

なぜなんですかね? 俯瞰しているから?

山崎 熱狂できないというか、だからフェスに行くのは向いていないとか、あとは酔っ払っていても、どうもメタで見てしまうとか。

田中 常にメタ認知の特性があるから、クールになってしまう特性があるということですか?

山崎 クールというか…、やはりゲームで遊ぶよりも、ゲームのルール自体が気になってしまうとか。

石川 だから抽象に行ってしまって、具体のHow、具体でこうしたらいいんだよ、商談ではこうしたらいいんだよという、具体と抽象の行き来が弱いんじゃないですか?

山崎 それはそうだと思っていて、というのも、ドメイン知識はドメイン知識のエキスパートに任せるべきというところがあります。

そのドメインの中では解決しないものをちょっと広げてあげるのには向いていて、それがゆえにどうしてもそのドメインでの直接的解決方法というよりは、対話の方法における問いの投げかけみたいな、ある種汎用性の高いものになりがちなのかなという気はしますね。

ただ、もう耳が痛いほどわかるというか、「じゃあ、本当に何の役に立つの?」と言われると、どうしても直接性というところで言うとあれなんだけれども…、というのは常にあるかなというところではあります。

嶋 でも、先ほど言った『不適切にもほどがある!』の1986年の意見と2024年の意見がバチバチやり合っているのは現実的には見ることができませんが、フィクションだからメタ的に2つの価値観のぶつかり合いを見ることができます。

日本人はいわゆる弁証論的にA対Bになったとき、どっちが勝ちみたいなことになってしまいますが、1986年の意見を見ているともうダメだし、2024年もダメなところはあるし。

石川 喧嘩両成敗みたいな(笑)。

嶋 あのドラマを見ていると、いいアイディアを思いついたりするみたいな、そういう視点を哲学がくれるみたいな感じは、すごくするのですけれどね。

(続)

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編集チーム:小林 雅/小林 弘美/浅郷 浩子/戸田 秀成

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