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歴史ファンのみなさんお待たせしました、シーズン4に突入した「歴史から学ぶ『帝国の作り方』」、今回のテーマはプロイセンです。全7回シリーズの第5回目は、ビスマルク死後に起こった第一次世界大戦とヒトラーの登場について。また国がたどる運命について、地政学からも考察します。HAiK山内 宏隆さんの鋭い分析にもご注目ください。
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回300名以上が登壇し、総勢900名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2022は、2022年9月5日〜9月8日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションは、ICCサミット FUKUOKA 2022 プレミアム・スポンサーのM&Aクラウドにサポート頂きました。
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【登壇者情報】
2022年2月14〜17日開催
ICCサミット FUKUOKA 2022
Session 5D
歴史から学ぶ「帝国の作り方」(シーズン4)
Supported by M&Aクラウド
(スピーカー)
宇佐美 進典
株式会社CARTA HOLDINGS
代表取締役会長兼CEO
北川 拓也
楽天グループ株式会社
常務執行役員 CDO(チーフデータオフィサー) グローバルデータ統括部 ディレクター
(登壇当時)
小嶋 智彰
ソースネクスト株式会社
代表取締役社長 兼 COO
深井 龍之介
株式会社COTEN
代表取締役
山内 宏隆
株式会社HAiK
代表取締役社長
(モデレーター)
琴坂 将広
慶應義塾大学
准教授(SFC・総合政策)
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最初の記事
1.シーズン4のテーマは、明治期の日本が手本とした「プロイセン」
1つ前の記事
4.パワーバランスを重視して勝つ稀有な政治家、ビスマルク
ヒトラーが登場した背景
深井 ドイツが第一次世界大戦で大敗した結果、ヒトラー(1889〜1945)が出てきたというわけです。
ドイツは、フランスに殴られて跳ね返して、殴られて跳ね返して…をずっと繰り返しています。
北川 次は殴られる番ってことですか(笑)?
深井 (笑)フランスと仲良くなったので、今はちょっと状況が違います。
琴坂 ドイツは毎回、すごくまずい状況に置かれると、その状況に合うリーダーが選ばれてきましたよね。
ヒトラーも、ああいう状況でなければ選ばれるわけがなかったと思います。
深井 そうですね。
ヒトラーは、ポーランド領域、ロシア方面に勢力を拡大しようとしました。
当時のドイツはかなり工業化が進んでいたので、穀倉地帯が欲しかったのです。
一つの国としてまとめようとすると、当時の領土だと足りなかったということです。
攻められるほうからしたらたまったものではないですが、自己防衛として拡大しようとしました。
飛び地状態から領土を獲得して一つの国にまとめたフリードリヒ大王の時代(Part.3参照)と、動機はあまり変わらないです。
琴坂 海外の植民地はあまりなかったのでしたっけ?
深井 フランスとイギリスに比べ、ドイツの植民地獲得への参入は遅れていましたね。
皆さんご存知だと思いますが、ナチスが負け、枢軸国の敗北で第二次世界大戦が終結します。
スライドの一番下に書いてある「生存圏」というのが、先ほど説明した、東に拡大しようとしたということです。
琴坂 最大時の領土がすごいですよね、すごい勢いで拡大しましたよね。
深井 大きいですよね。
やはりドイツの地理的条件が、これらの挙動をドイツに強要した一つの理由だと思います。
最悪な地理的条件下、生き残ってきたドイツ
山内 宏隆さん(以下、山内) 僕も深井さんの、地政学的な解説にはすごく賛成です。
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山内 宏隆
株式会社HAiK
代表取締役社長
1975年大阪にて自営業の家に生まれる。東京大学法学部卒業後、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)入社。2000年ドリームインキュベータ(DI)の創業に参画、2006年東証一部上場。執行役員として、IT・通信・メディア・コンテンツ・金融・商社・流通等の業界を中心に戦略コンサルティング・実行支援を行うと共に、スタートアップ企業へのプリンシパル投資・戦略構築・組織構築を手掛け8社のIPOを達成。15年以上に渡り一貫して「競争優位性の構築と成長の実現」を追求してきた。投資先であるアイペット損害保険株式会社代表取締役社長(日本損害保険協会理事を兼任)を経て、2016年株式会社HAiKを設立、現在に至る。
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地政学の教科書を読むと、ドイツやプロイセンの例が必ず出てくるのです。
地政学の観点から一言で言うと、ドイツは最悪なのです。
琴坂 最悪なんですか(笑)。
山内 最悪なのです。
逆に、日本なんてめちゃくちゃ良いですよね。
東の隅っこで、海に囲まれていて、東と南に特に誰もいない。
でもドイツは、イギリス、フランス、イタリア、オーストリアに囲まれ、東にロシアと最悪です。
最悪の地理的条件を運命付けられた国なのに、それでも生き残れるんだなと思います。
めちゃくちゃ頑張り屋さん。
深井 本当にそうなのです。
山内 涙なしには語れないくらいの…。
深井 頑張り屋さん(笑)。
山内 優秀ですよね?
深井 優秀でなければ国はなくなっているはずなので、優秀にならざるを得なかったのだと思いますね。
山内 地政学の観点から言うと最悪で、だからこそ、生き残るためのスキルセットを組み合わせた感じの国ですね。
深井 生き残るには、軍隊を強くするしかなかったのです。
一時消滅したポーランドとの違いは?
小嶋 ポーランドは何度も領土を獲られて、分割されて、滅びて、返してもらって…と繰り返していますよね。
▶編集注:ポーランド分割は1772年、1793年、1795年の3度にわたった。1795年に、隣接していたロシア、プロシア、オーストリアの3国に分割され、ポーランドは消滅。1795年から第一次世界大戦が終了する1918年に独立するまでの123年間、ポーランドは世界地図から姿を消すことになった(わかる!国際情勢「ポーランドという国」参照。)
山内 そうなんですよね。
深井 第二次世界大戦も、ポーランド侵攻(1939)によって始まりました。
北川 奪われる度、ポーランド内では言語や通貨、人種が入れ替わっていたのでしょうか?
小嶋 最終的には領土を取り戻していますが、ポーランドはドイツと似たような地理的条件を持っており、占領されて、国際会議をして戻してもらって…を2、3回繰り返しています。
深井 条件は同じだけど、ドイツと違って負けているパターンです。
琴坂 ポーランドとプロイセンの条件はどう違うのでしょうか?
ポーランドは毎回ボコボコにされていますが、プロイセンは生き残っている、その差の理由は何か思い当たりますか?
偶然で片付けるには…。
深井 個人的には、フリードリヒ大王時代の理性による国家運営が当たった(Part.3参照)のが、とても大きいと思いますね。
あの時代にポーランドは堕ちていきましたし、周りの国が「神様に認められているから王様である」と言っていた時代に、フリードリヒ大王は「合理的に考えて、自分が王様をするのが一番良いから王様をしている」と言っていたわけです。
そういう論理を作っていったのです。
山内 あと、ドイツ騎士団(Part.1参照)も影響していると思っています。
彼らは基本的に、ものすごくプライドの高い人たちです。
気高い感じですので、滅びることというか、従属することを良しとしなかった気がします。
ヨーロッパでは生産力が必要なので、戦争でも相手国を根絶やしにはせず、「自分たちが上、お前たちが下」というレベルの決着がついた時点で戦争をやめます。
ドイツ騎士団は、そういった従属関係になることを良しとしなかったのではないか、と思いますね。
琴坂 ユダヤ人など、他民族のよりつくところとなっていたという理由もあるのでしょうか。
統治されている土地に色々な民族が息づいており、国がなくなると生きる場所がなくなるという感情を持っていたとか。
深井 僕は、フランク王国の正統後継であり、ものすごく強い国であるフランスが周りの国を形成しているという感覚を持っています。
小嶋さん、どう思いますか?
小嶋 そうですね、そう思います。
フランスは土地がすごく肥沃なのですよね。
一貫した弱者の戦略
山内 基本的に、プロイセンは一貫して、弱者の戦略をとっていますよね。
深井 そうですね。
山内 ビスマルクの出自は、貴族の良い家の放蕩息子です。
北川 やっぱりそうなんですね。
山内 放蕩している時に世間を見ていたので、ものすごく現実主義者でした。
一言で言うと、気高い精神を持ちながら、現実をよく知っていたのです。
現実をよく知っている人がいなくなった瞬間、滅びのフェーズが始まった感じがしますね。
北川 相手から獲り切らないというのは、いじめられっ子の発想ですよね。
山内 ビスマルクは、弱者であることをものすごく理解していたので、弱者の戦略を取り続けました。
でも、自分たちは強いと勘違いした皇帝が神聖ローマ帝国(962~1806)を作ったり、ヒトラーのような独裁者が出てきたりして失敗しました。
琴坂 富国強兵を掲げる時、前時代的な考えでは土地と人口が必要となりますが、ビスマルクの頃は産業革命の時代なので、資本装備や技術が必要とされたのですよね。
深井 近代化しないといけませんでした。
琴坂 ですからビスマルクは、必ずしもヨーロッパ内で戦わなくても強くなれるという発想を持っていたのではないでしょうか。
深井 確かに。
琴坂 戦う暇があるくらいなら、新体制で遊んだほうがいい、という先進的な発想を持っていたと思います。
当時のドイツのアイデンティティとは?
北川 ドイツの、国としてのアイデンティティはどうなっていたのかが、すごく気になっています。
ポーランドも一時期プロイセンに飲み込まれましたし、国の位置が東から西に移動もしました。
統一している家で成り立っているのか、言語なのか、通貨なのか…ドイツという国のアイデンティティは何なのでしょうか?
深井 当時、まさにビスマルクたちが、アイデンティティを何におくべきかと考えました。
そして、ドイツ語を話している民族だと定義しました。
北川 やはり言語なのですね。
では、ポーランド人はずっとポーランド語を話していたのですね。
深井 詳しく調べていませんが、多分そうだと思います。
当時、オーストリアをどう捉えるかがすごく問題になっていました。
北川 オーストリアでもドイツ語を話していますからね。
深井 しかし、オーストリアの一部はハプスブルク帝国として残り、それがそのままオーストリアとして今も残っています。
強国の周辺にある緩衝地帯が生き残る理由
北川 ポーランドは何度も土地を奪われて返されてを繰り返していたので、ポーランドという名前が残っていなくてもおかしくない状態でした。
それでも、なぜ何度も蘇ってきたのかが、すごく不思議です。
深井 全滅はさせなかったからでしょうね。
北川 あとは、きっとポーランド語だからですよね。
深井 そうだと思います。
山内 ポーランドが残っている理由は、緩衝地帯だからです。
地政学の観点から見ると、ヨーロッパはフランスがいて、ロシアがいて、真ん中の困った人たちが、プロイセンやドイツとして集合したのです。
ドイツが強くなってフランスと緊張関係になり、第二次世界大戦ではヒトラーが攻め込むわけですが、間には緩衝地帯が必要だったのです。
北川 そういうことか。
山内 今ウクライナで問題になっているのは、ウクライナも緩衝地帯だからです。
北川 そうですね。
山内 なぜ弱い国が存在するかと言うと、地政学的には弱い国が緩衝地帯として必要だからです。
北川 その緩衝地帯にはドイツ人は行きたがらないから、他民族がその地に残るということですね。
山内 帝国主義の面白いところは、緩衝地帯が必要だということです。
例えば北朝鮮がなぜ存在しているかと言うと、アメリカ・日本と、中国の間に緩衝地帯が必要だからという背景もあります。
琴坂 ウクライナ情勢はまさに、そうですね。
山内 ロシアの目から見ると、ウクライナがNATOに加盟しようとした動きは、日本で例えると、敵が九州まで攻めてきたような感覚です。
そんなの認められるわけがないというのがロシアの立場で、西側が譲らなければ戦争になると思います。
(※本セッションは2月15日に開催。同月24日にロシアはウクライナに対する軍事侵攻に踏み切った)
▶ウクライナ大統領、欧米も批判 NATO加盟の回答要求 2022年02月20日(JIJI.COM)
プロイセンから続くドイツの基本戦略
深井 話が戻りますが、今は、EUの中でドイツは主要なプレイヤーであり、フランスとは一応仲良くしています。
フランスとドイツが仲良くしているのは、世界史上初で、今のドイツは、イギリスやフランスという大国の間でバランサーとして機能しています。
山内 EUという枠組みは、基本的には独仏同盟です。
ドイツとフランスが戦争をしている限り、周りの国も含めてめちゃくちゃになることが100年、200年かけて分かったので、ドイツを取り込んでロシアを排除するというのが、EUでありNATOです。
ウクライナ問題も、根本的な部分は全く同じです。
深井 ロシアが共産主義国家にならなかったとしたら、ドイツが緩衝地帯となった可能性があるので、ドイツはやばかったと思います。
ロシアが共産主義国家になったので、ロシアとは組めないフランスは、ドイツに近寄りやすくなったのです。
琴坂 ドイツと仲良くしなければ、ロシアが直接自分たちに接する形になるのですね。
北川 確かに。
深井 フランスとドイツの関係について、世界史上の大きな転換点を迎えたということです。
軍事先行の理性に基づいた国家をプロイセン王国が作り、ビスマルクのドイツ帝国の時代に上からの改革に先導された国民国家を作り、ヒトラーの第三帝国(※) 時代に、民主主義から生まれたとはいえ全体主義国家となりました。
▶編集注:ナチス統治時代のドイツの異称。神聖ローマ帝国、ホーエンツォレルン家のドイツ帝国に続く第3の帝国の意(コトバンク)
こうしてドイツの興亡を見ていくと、やっていることはずっと同じで、「トップダウンで統制し、軍事力を増強して戦う」ことしかしていないのです。ドイツの戦略は基本的に、これだけです。
琴坂 確かに。
ドイツがたどった歴史を企業に置き換えると
深井 話は最初に戻りますが、バラバラだった領土という弱みを克服するため、規律を重んじ、軍事を増強し、それを文化として浸透させていきました。
この戦略が、自分たちが弱いからとった戦略だと自覚していたのはビスマルクだけで、それ以外の王様たちは文化に飲まれて戦いに出て、大敗を喫するということが起こりました。
というのが、今日の話のまとめです。
ドイツがたどったこの経緯を企業に置き換えてみるとどうなるだろう、というのが僕から皆さんへの問いかけです。
ぜひ、考えてみてほしいです。
琴坂 ありがとうございます。
(続)
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続きは 6.外敵に攻められない環境の日本で最大のリスクは「仲間はずれ」 をご覧ください。
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編集チーム:小林 雅/小林 弘美/浅郷 浩子/戸田 秀成/大塚 幸
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