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4. パワーバランスを重視して勝つ稀有な政治家、ビスマルク

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歴史ファンのみなさんお待たせしました、シーズン4に突入した「歴史から学ぶ『帝国の作り方』」、今回のテーマはプロイセンです。全7回シリーズの第4回目は、プロイセンの”鉄血宰相”ビスマルクが登場します。もめにもめていたフランスとの関係を落ち着かせ、近代化を推進したビスマルクは、軍備増強よりパワーバランスで、列国を凌いでいきます。その類を見ない視点とは? ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回300名以上が登壇し、総勢900名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2022は、2022年9月5日〜9月8日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。

本セッションは、ICCサミット FUKUOKA 2022 プレミアム・スポンサーのM&Aクラウドにサポート頂きました。


【登壇者情報】
2022年2月14〜17日開催
ICCサミット FUKUOKA 2022
Session 5D
歴史から学ぶ「帝国の作り方」(シーズン4)
Supported by M&Aクラウド

(スピーカー)

宇佐美 進典
株式会社CARTA HOLDINGS
代表取締役会長兼CEO

北川 拓也
楽天グループ株式会社
常務執行役員 CDO(チーフデータオフィサー) グローバルデータ統括部 ディレクター
(登壇当時)

小嶋 智彰
ソースネクスト株式会社
代表取締役社長 兼 COO

深井 龍之介
株式会社COTEN
代表取締役

山内 宏隆
株式会社HAiK
代表取締役社長

(モデレーター)

琴坂 将広
慶應義塾大学
准教授(SFC・総合政策)

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最初の記事
1.シーズン4のテーマは、明治期の日本が手本とした「プロイセン」

1つ前の記事
3.プロイセンの「弱みを強みに変える」戦略とは

天才ビスマルク登場

深井 しかしここで、ビスマルク(1815〜1898)という1人の天才が登場しました。

個人的には、ドイツがとるべき戦略をきちんととれたのは、ビスマルクだけだと感じています。

ビスマルク(世界史の窓)

ドイツは、フランスとのパワーバランスにずっと悩んでいました。

自分を守ろうとするとフランスから殴られ、殴り返すとまた殴られるということを繰り返していたわけです。

ビスマルクは、外交上、フランスを孤立させることに成功したのです(ビスマルク体制※)。

▶編集注:1878年から90年まで、ビスマルクが推進した国際体制。ベルリン会議以後、三国同盟を軸に三帝同盟・再保障条約などを結び、フランスの孤立化とドイツの国際的地位の確保をねらった(コトバンク)。

その結果フランスはドイツを殴ることはなくなりました。

そして、プロイセンもドイツ帝国(1871〜1918)も、そこまで強力な国にはしないことで、フランスから殴られることもなくなりました。

彼は、フランスとのパワーバランスをうまく取る、という戦略をとったのです。

ドイツは、ビスマルクが生きている間は何とかなったのですが、彼の死後20年足らずで、第一次世界大戦(1914〜1918)に突入しました。

文化が異なり忠誠心もないM&Aだと争いに負ける

深井 ビスマルクのプロイセンは、オーストリアを倒して(普墺戦争※)ドイツ民族を一つにまとめ、国民国家にし、近代化を進めます。

▶編集注:1866年プロイセンとオーストリア間で行われた戦争。ドイツ連邦諸国の多くはオーストリア側についたが、ビスマルク首相のもと参謀総長モルトケの率いるプロイセン軍はケーニヒグレーツの戦でオーストリア軍を大破、7週間で完勝した。オーストリアはドイツ連邦を脱退、同連邦は解体しドイツにおけるプロイセンの覇権が確立した(コトバンク)。

これが、ドイツ帝国ですね。

3. 第一次世界大戦で、国民意識が芽生えた「国民国家モデル」の帝国が勝った理由

琴坂 国民国家化が進み、自国を守ろうとする意識や動員力につながったという理解で正しいのでしょうか?

深井 そうですね。それまでは貴族同士で戦争をしていましたが、兵士が「自分の国だ、自分の戦争だ」と感じることで士気が上がるのです。

プロイセンの時代、彼らが一番困っていたのは脱走兵でした。

色々な民族を集めているので、忠誠心が低いのです。

しかし、自分はドイツ人だと思っている兵士が「ドイツのために戦うぞ」と思うようになると、強くなります。

ですから、第一次世界大戦の時のドイツは強かったですよね。

宇佐美 やはり、離職率の高い会社はダメだということですね(笑)。

琴坂 脱走兵ですね(笑)。

深井 そうなんですよ。

文化も違う、忠誠心もない状態で、色々な会社をM&Aで統一しようとしても、それは難しいのと同じです。

文化で統一できるというのが、国民国家の特徴です。

小嶋 ナポレオンが最後、ロシア遠征(※) で負けたのは皆さんご存知だと思いますが、当時のフランスは既に領土が広すぎて、兵士の多くが外国の兵士だったため、彼らからまず脱走していく状態だったようです。

▶編集注:1812年、ナポレオン1世が大陸封鎖令に違反したロシアに対して行った遠征。モスクワを攻略したが、ロシア軍の焦土戦術に遭って退却、寒さとロシア軍・農民ゲリラの追撃により惨敗に終わった(コトバンク)。

フランス人兵士も多いですが、ドイツから接収した土地から出た兵士は…。

宇佐美 新たに接収した土地では、まだ国民国家の意識が根付いておらず、そのエリア出身の兵士はダメだったということですね。

琴坂 貴族の時代は、例えるとMBAを持っているような、上の層だけが戦って守り、他は従属している感じだったのが、国民国家になると、一人一人に権利が与えられる代わりに、義務としての国防が課せられました。

戦う義務があるけれど、同時に戦うモチベーションもある状態で、戦争に動員できるし、方向性を共有していたということですね。

深井 そうですね。

琴坂 そうしなければ戦争に勝てないということが分かったので、ドイツも経営体制を変更していったのですね。

企業も形成過程によって戦略が方向づけられる

深井 イギリスは産業革命で近代化しましたが、フランスはボトムアップスタイルで急に近代化しました。

ドイツは、フランスとは形成過程が違うので、フランスと同じようには革命は起こらないのです。

琴坂 確かに。

深井 「自分たちはどうやって近代化すればいいのか?」とドイツ人はすごく困り、国にとってどういうモデルが最適なのか、みんなで考えたのです。

そのうちの1人がカール・マルクス(1818〜1883)で、共産主義国家を作ったほうがいいと言いました。

しかしドイツは結果的に共産主義国家にはならず、ビスマルクらエリートたちのトップダウンによって国を近代化させていきました。

ちなみにこの近代化の過程は、(明治維新後に)武士による近代化が起こった日本とそっくりです。

日本は、プロイセンをモデルとしていたということです。

琴坂 明らかに、国の形成過程に紐づく流れがあったということですよね。

深井 そういうことです。

ドイツは、他の国をそのまま真似できなかったということで、これは企業でも同じことが言えるのではと思います。

企業の形成過程によって、戦略はある程度、方向づけられていくのではないでしょうか。

琴坂 逆に言えば、形成過程を活かした形での改革を継続して起こしていたことが、プロイセンが生き残った理由でもあるのではないでしょうか。

深井 そうですね。

琴坂 別の国のベストプラクティスをそのまま行おうとはせず、都度、リーダーたちがその時の最適解をひねり出し続けていたということですよね。

パワーバランスを重視した稀有な政治家、ビスマルク

深井 繰り返しになりますが、ビスマルクだけが広い視野を持っていたと思います。

ビスマルクは、この写真の中央にいる人物です。

プロイセンのことしか考えていなかったので、逆に視野が狭いという説もありますが(笑)。

皆さんがプロイセンの経営陣になったと仮定すると、自国を強くするためには通常、軍備増強をまず考えますよね。

でもビスマルクは、パワーバランスを考えたのです。

どれくらい突出すれば他国からリアクションがどれくらい返ってくるか、ということを想像しながら調整し続けていったということです。

この発想は、なかなかないものではないでしょうか。

普通に考えれば、どんどん強くなればいい、なれるだけ強くなろうと思いますよね。

でも、そうなるとナポレオンのように周りを取り囲まれるので、ビスマルクは成長スピードを調整したということです。

琴坂 経営戦略の原点は、戦争の戦略です。

当時、国家間で、全力で全面戦争ができる時代になりましたよね。

しかし、それをしてしまうと、お互いの国が崩壊してしまうことを各国のリーダーが理解し始めたというのも、背景にあると思います。

その状況に合わせて、ビスマルクは戦略を作ったのだと僕は理解しています。

小嶋 ビスマルクの時代、鮮やかに、デンマーク、オーストリア、フランスに3連勝をします(※) 。

▶編集注:順に、デンマーク戦争(1864)、普墺戦争(1866)、普仏戦争(1870〜1871)。

そこで、賠償金や領土割譲についてはかなりセーブしているのです。

第一次世界大戦の賠償金があまりにも重すぎたために第二次世界大戦が起こった、という流れがありますよね。

当時、ドイツの皇帝も世論も「もっと取れ」と言ったところを、ビスマルクは抑えて、バランスを取ったというエピソードがあります。

ビスマルクに学ぶ最強の教訓~戦術と戦略を見極めよ(WEB歴史街道)

琴坂 そうですよね。

武力行使や戦争ではないところ、外交というか、交渉ややり取りに長けたリーダーだったのではないかと思います。

深井 そうですね。

宇佐美 これは、いわば各国が談合していた感じなんですかね?

「安売り競争をすると利益が出なくなるので、これくらいの値段で売ろうか」みたいな、軍事力はこれくらいのレベルにしようねというやり取りがあったのでしょうか。

深井 それもありますが、プロイセンは近代化に成功して強くなったのにセーブしたのです。

この「セーブ」というのは、資本主義で生きている僕たちはしないし、する必要もないですよね。

琴坂 例えると、携帯サービスのような寡占状態になっていて、1,000円のサービスを100円で提供することはできるが、競合も100円でできることを知っていて、そうすることで全員死んでしまうと分かっていたのではないでしょうか。

だから、1,000円を、100円ではなく900円くらいにしておいて、全員がちゃんと儲けながら生きていこうという構造を作ったわけですよね。

深井 おっしゃる通りです。

言いたいのは、ビスマルクは普通の人が見えているところの、1つ2つ上のレイヤーを見て、俯瞰した上で物事を決断することができた人だと思う、ということです。

ビスマルクの死後、第一次世界大戦が勃発

北川 賠償金を取れるのに取らなかったというようなビスマルクの哲学は、どのような幼少期、原体験から生まれたものなのでしょうかね?

深井 一説によると、ドイツ帝国を拡大することについて、ビスマルクには個人的なインセンティブというか、強い情熱があまりなかったのではと言われています。

これは、ビスマルク本人はプロイセン人で、プロイセンはオーストリアを打ち負かして、ドイツ帝国を作っていたためです。

勿論、戦略的理由はあったのでしょうが、もともと、ものすごく大きくしたいとは思っていなかったということです。

北川 子どもの頃に、何らかの原体験がありそうですよね。

深井 あるんだろうけど、そこまでカバーしていません(笑)。

北川 COTEN RADIOで、子どもの頃の話もしますよね。

深井 しますね、今度ビスマルクだけでやろうかな(笑)。

▶編集注:COTEN RADIOの「S22.第一次世界大戦」では、エピソード「#164 ヨーロッパの諸葛亮!?ビスマルクの恐るべき外交センスと拮抗する世界」で、ビスマルクを取り上げている。

ビスマルクが亡くなるとドイツは全くバランスが取れなくなり、強いゆえに周りにどんどん攻めていくようになります。

琴坂 第一次世界大戦は、ドイツが攻めた結果なのですよね。

深井 そうです、ドイツがガンガン攻めた結果、世界戦争に突入しました。

▶編集注:ドイツ帝国の第3代皇帝ヴィルヘルム2世は、1890年、ビスマルクを罷免し、皇帝主導の帝国主義的膨張策である世界政策(「新航路」)を展開して世界大戦の要因を作った(世界史の窓参照)。

しかしここでドイツは、大敗を喫します。

ボロ負けした結果、絶対に立ち直れないレベルの、大量の賠償金を課せられました。

琴坂 到底払えない額ですよね。

深井 フランスはドイツとずっとケンカをしていてドイツが嫌いだったため、フランスが強く主張して課されたものです。

琴坂 確か、最近まで払っていましたよね?

深井 最近まで払っていました。

琴坂 すごいですよね(笑)。

北川 第一次世界大戦の賠償金を?

琴坂 すみません、うろ覚えなのですが。

ドイツ、第1次大戦の賠償金完済 終結から92年後 2010年10月4日(日本経済新聞)

深井 とにかく、すごく長い期間をかけて払いました。

ドイツが大敗した結果、ヒトラー(1889〜1945)が出てきたというわけです。

(続)

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続きは 5.プロイセンから続いている、ドイツの「弱者の戦略」 をご覧ください。

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編集チーム:小林 雅/小林 弘美/浅郷 浩子/戸田 秀成/大塚 幸

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