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「人生100年時代の幸せな生き方とは?」7回シリーズ(その6)は、インターネットやSNSが現代に生み出した「寂しさ」の正体をヤフー川邊氏が解説します。文化の変化で幸せはどのように変わるのか?是非御覧ください。
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ICCサミット FUKUOKA 2018のダイヤモンド・スポンサーとして、Motivation Cloud (Link and Motivation Inc.) 様に本セッションをサポート頂きました。
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回200名以上が登壇し、総勢800名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。次回 ICCサミット KYOTO 2018は2018年9月3日〜6日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
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【登壇者情報】
2018年2月20-22日開催
ICCサミット FUKUOKA 2018
Session 7F
人生100年時代の幸せな生き方とは?
Supported by Motivation Cloud (Link and Motivation Inc.)
(スピーカー)
石川 善樹
Campus for H
共同創業者 / 医学博士
井上 浄
株式会社リバネス
取締役副社長CTO
川上(全龍)隆史
宗教法人 春光院
副住職
川邊 健太郎
ヤフー株式会社
代表取締役社長 社長執行役員 CEO
(モデレーター)
南 章行
株式会社ココナラ
代表取締役社長
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最初の記事
1.経営者×研究者×宗教家で「幸せ」を語り尽くす!
1つ前の記事
5.100年生きるということは、本当に幸せなのか?
本編
南 一つ疑問が浮かんだのですが、「不幸せ」が何かを定義することはできるのでしょうか?
幸せの定義は色々な本に書いてあるのですが、それがない状態というのは不幸せなのかということが、納得できるようなできないような感覚があります。
他者との比較から「幸せ」や「不幸せ」が生まれる
川邊 他の動物はどうかわかりませんが、人間にとっての幸せというのは、「他者と比較することによって感じられるもの」だと言われています。
不幸せも、他者と比較することによって感じられるものなのではないでしょうか。
僕が業界の人間として問題意識を持っているのは、「リア充」です。
ソーシャルメディアで誰かが幸せをひけらかすことによって、不幸せを感じてしまっている人は沢山いるのではないかなと思いますし、先ほどの石川さんの解説によると、承認欲求はLike型やWant型なので、きっと満足していません。
一方で、今の世界的な宗教って、だいたい皆2,000年前くらいに出てきたものじゃないですか。
SNSで皆が「リア充、イェーイ!」なんてやって世界中で共有するなんて、想定していないじゃないですか。
インターネットによる「寂しさ」の再生産
石川 インターネットの登場が幸せに与えた影響についての研究があります。
パソコン通信の時代は、見知らぬ人と繋がれば繋がるほど幸福度が上がっていました。
ところが、Facebookが登場して知り合いときちんと繋がれるようになると、幸福度が下がるようになったんですよ。
川邊 僕は2000年代前半にそういった研究をして、「寂しさ再生産」という言葉で定義したんですよね。
ヤフー株式会社 代表取締役社長 社長執行役員 CEO 川邊 健太郎 氏
インターネットが進めば進むほど、寂しさが再生産されていくような社会になっていくのではないかと。
もちろん幸せになっている人も沢山いると思うのですが、寂しさが再生産されている人達も沢山います。
マーク・ザッカーバーグ(Facebook社 CEO)らを描いた『ソーシャル・ネットワーク(The Social Network)』という映画のラストシーンを覚えていらっしゃいますか?
ただただ、F5キー(リロード)を押し続けます。
次の何かがないのか、何かがないのか。
まさにあれが「埋まらない心」を表していて、寂しさを再生産しているのだと思います。
石川 これからの社会の在り方を探るヒントとして、今日のテーマである「宗教」というのは結構面白いなと思いますね。
僕らがブータンにいる時に議論したのは、原型を探ることの大切さでした。
ブータン仏教の源流から幸せを考える
石川 大もとがあってそこから色々枝分かれして物事が進んでいくのですが、原型に遡ると、そうではない発展の仕方もあったのではないかということが分かります。
ブータン仏教の原型はどこにあるのかを探っていくと、ジャイナ教だという話になりました。
井上 ジャイナ教。
石川 ジャイナ教には、僕ら人類の未来のヒントがあるかもしれません。
川邊 ジャイナ教の戒律には、不殺生があるようです。
他のものを殺す勿(なか)れと。
結果、微生物も殺したくないから、ほうきで前を掃きながら裸で歩くのです。
石川 更に、髪の毛も禁止です。
川邊 そうですね。
石川 修行して成人になると、服を脱いで髪の毛も取るのですが、剃刀は文明的過ぎるということで禁止なんです。
川邊 むしり取るのです。
石川 「イヤー!」と言いながら素手でむしり取るのです。
井上 嘘でしょう?(笑)
川邊 それで、どう展開するんですか?
取り敢えずジャイナ教の知識をひけらかしただけになっているのですが(笑)。
石川 ジャイナ教が面白いなという話だったのですが、仏陀は最初ジャイナ教に入っていて、厳しすぎではないかということになりました。
Campus for H 共同創業者 / 医学博士 石川 善樹 氏
川邊 仏陀は、「俺には無理!」となったのです。
石川 ジャイナ教がなかったら、仏教は誕生していないんです。
そもそもどうしてジャイナ教ができたのかを調べてみると面白くて、大元にあったのがバラモン教なんです。
バラモン達が牛を焼くという儀式をしていて、牛を焼くといい匂いがしてそれが神様のところに行くと。
焼いた牛を食べてみると、美味しいじゃないですか。
これは美味しいということになって、もっと牛を持ってこいという話になったらしいんです。
庶民はバラモンの人達に次々に牛を要求されるので、これを何とかして止められないかということで考え出されたのが、殺生禁止という理屈なのです。
そして、ジャイナ教というのができるのですが、一言で言うと、「常に、弱い立場にある人達が何か新しいものを創り出す」ということなのです。
やはり、どうしたって世の中には格差が出てきます。
インターネットもその格差を開くかもしれません。
弱い立場の人が沢山出てきているというのはもう間違いないことで、その人たちが今はまっていたり、心の支えになるものは多分インターネットではないかもしれないですね。
科学による数値化が必要
川邊 先ほどもお話したように、寂しさ再生産の中で、他者と比較して自分がリア充ではないということで不幸を感じている人が沢山出てきているでしょう。
また、今後「ポスト・ヘルス時代」になった時に、例えば、B型肝炎やC型肝炎を治すのに500万円くらいの薬が出てきて、お金持ちは「ポスト・ヘルス時代」に先に突入できるかもしれません。
しかし、お金のない人は「ポスト・ヘルス時代」に突入できなくて相変わらず55歳で死んでいくような人達がいて、こういう人達にどんな幸せの回答を提供できるのかというのは、課題なのではないでしょうか。
井上 僕が今考えている「ポスト・ヘルス時代」というのは、病気になる人が少なくなると、その医療費が本当に使わなければならないところに行く、というイメージです。
川邊 だから、それは一つの解決方法ですよね。
井上 そうです。
僕も幸せについて考えるのですが、毎度、最後に答えが出ません。
例えばドーパミンの量なんかでもう少し物質的にアプローチして…
川邊 科学者的ですね。
井上 そうですね。
幸せって何なのか、例えば昔誰かと話していたのですが、指をパチンとやった時にここ(額)でバーンと(脳内物質が)出ていたら、世界中がパチパチし出すんじゃないかと。
石川 ルー大柴…
(登壇者笑)
じゃなくて、誰でしたっけ、この、指をパチパチやられていた芸人さんは?
井上 ポール牧。
石川 ポール牧!(笑)
井上 例えば左(のパチン)でセロトニンで出る、というように制御が効くようになった時に、どういう価値観が生まれるのかなと考えるのが好きです。
今のところは、国別とか地域別などで見ていても、個人を解析していかない限り、その個人の幸せに落とし込めないのではないか思うので、僕は物質で測定できることが落とし込むのに必要だと信じて疑っていません。
そこで価値のバロメーターのようなものを使って、「今日、出ている?」といった感じで、その量で自分がどれだけ幸せを感じたかといったところを定量化できたら面白いなと思っています。
▶参考:組織のハピネスは加速度センサーで測れる(日立 矢野)(ICC KYOTO 2016)
文化や生活が、幸せの「ものさし」になる
川上 最近読んでいる本に出てきたのですが、マインドフルネスについて科学的に検証するものですが、例えばアメリカでマインドフルネスをやっている人達を考えると、女性でエグゼクティブで家庭を持っている人がマインドフルネスをやっているとします。
仮にその人と比べる対象として、2000年前に住んでいたインドの修行者を考えてみます。
やっていることや使っている経典は一緒で、脳科学的に見た時に、確かに同じことが起きていると思います。
しかし、目的が違う訳ですよね。
今のマインドフルネスでは、どちらかというと、今あることを楽しみましょうとか、人との距離を近く持ちましょうといったことを言うのですが、古代仏教では、食べ物に対しても快楽を感じてはダメなのです。
家族は修行の邪魔になるから、距離を置かないとダメです。
ある意味逆なんですよね。
考えてみると、単に数値化された脳内物質だけではなくて、文化や生活といったものが物差しになってくると思います。
文化が違うと物差しが変わる訳であって、その状況によって幸せなのかどうかがが違ってきます。
数値だけで見るというのは非常に難しいというか、僕にとっては不可能なのでないかと思います。
井上 僕は、物差しができると色々な解析ができるようになるという意味合いで考えています。
例えば、食事も絶対に関連があるんですよ。
腸内細菌というのがいて、それが出している物質が脳に作用するとも言われていて、マウスのモデルでは、精神疾患になったりすることももう分かっているのです。
だからどういう地域で何が食べられていて、どういう文化でというのを調べていけば、脳に与える影響が分かって、それはもしかしたら幸せに繋がっているかもしれない。
そういうことは考えられると思います。
ですから、僕としてはやはり、一つの物差しを作って今ある現象を調べていくことが常に必要で、そういう話は幸せというところと上手くセットしていかないと、怪しいサイエンスになってしまうなと思っているので気を付けたいところです。
石川 寂しさという川邊さんのキーワードでいくと、人って社会的動物なので、食べ物ではなくて人との接触で脳がすごく変わるじゃないですか。
コミュニティーをどう作るのかというのは…
川邊 幸せに直結していますよね。
石川 直結する気がするのですが。
南 話が盛り上がっていますが、残り15分なのでここでカットさせていただきます。
残り15分だということで、モデレーターの仕事に戻ります。
石川 何と!
南 何時間やっても続くと思うのですが…
(続)
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続きは 7.人生は、「これでいいのだ!」by 石川 善樹【終】をご覧ください。
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編集チーム:小林 雅/戸田 秀成/浅郷 浩子/尾形 佳靖/本田 隼輝/Froese 祥子
【編集部コメント】
パチンと指を弾いて脳が「幸せ」だと感じたとしても、それは「Learn型」の快楽ではないのでしょうね。科学で幸せが測れるようになっても、制御できるようになってはいけないのかなと思いました。(尾形)
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