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ICC KYOTO 2023のセッション「Well-being産業の今後(シーズン3)-」、全5回の④は、COTENの深井 龍之介さんが登場。古い昔から現代の思想家や哲学者が考えてきたというWell-being、現代でそれを推進する主体者は誰か?という問いを投げかけます。深井さんの意見、あなたはどう思いますか? ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に学び合い、交流します。次回ICCサミット FUKUOKA 2024は、2024年2月19日〜 2月22日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
本セッションのオフィシャルサポーターは住友生命保険です。
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【登壇者情報】
2023年9月4〜7日開催
ICC KYOTO 2023
Session 8E
Well-being産業の今後(シーズン3)
Supported by 住友生命保険
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▶「Session 8E-Well-being産業の今後(シーズン3)」の配信済み記事一覧
歴史上Well-beingは何度も考え直されてきた
深井 せっかくなので、いったん僕のほうからの投げかけを。
Well-beingを考えるときに、これを柱にしながら考えたほうがいいかなと思います。
歴史や哲学の力を借りて、考えてみたいなと思っています。
投げかけなので、盛り上がったら盛り上がればいいし、別になんか、「うーん?」ってなったら…(笑)
(一同笑)
石川 これが我々の選択肢に入るかどうか、今もう瀬戸際ですよ(笑)。
深井 まあ、提供はしているので、Well-beingだと思いますが。
Well-beingを誰が考えていたのか考えると、結構昔からいろいろな人が考えているなと思います。
今までこれが良かったよねと言われていたものがそうでもないというように、それぞれのマジョリティの心の中で認知されるようになってくる時代に、思想家のような人が必ず出てくるのです。
ルソー(1712〜1778)もWell-beingについて語っています。
ルソーは「自然状態」を唱えているのですが、すごくWell-beingの話をしているなと思うし、ブッダ(紀元前624年~紀元前595年)はめちゃくちゃWell-beingの話をしていて、どストレートにWell-beingの話をしている人です。
あとは例えば知行合一の陽明学を提唱した中国の王 陽明(1472〜1529)も、なんだかんだWell-beingのことを考えています。
▶知行合一(コトバンク)
だから、哲学はWell-beingとすごく密接に関わっているなと思います。
昔から考えていた、そして今の時代に僕たちが改めて考え直しているというのは、やはり傾向があるなと思っています。
善樹さんの、GDPが比例するところから比例しないところに行ったみたいな話がまさにそうだと思いますが、今までこれでやっていけばいいというルール、その根底の部分が変更されていくみたいな時代の転換点にやはりいるのだろうなと思います。
それで、考え始めているなとは思っています。
一方で、善樹さんにも聞いてみたかったのが、先ほどのWell-beingのグローバルスタンダードのコンセンサス(Part.1参照)は発展途上国だと、どのぐらい浸透しているのでしょう?
例えばインドの貧困層とかには当然浸透していなさそうと思っていますが、その辺は何かデータがありますか?
石川 まず、今の自分の生活を自己評価してもらうという測定法がなぜ使われているかというと、グローバルのどこに行っても、どんな人に会ってもだいたい通じるからです。
深井 なるほど。
石川 他の形式だと、答え方がわかりませんみたいなことがあるのです。
もちろん例外もあって、インドでは男尊女卑がすごいのです。
「自分の生活を、良いかどうか自己評価してください」と女性に言うと、「いや、それは旦那に聞いてください」「私の生活が良いかどうかは、私が決めるものではありません」というようなことがちょっと前にあったそうです。
このような事例も一部ありますが、ほとんどの場合、先ほどの自己評価で一応できます。
深井 本当にグローバルスタンダードでいける設定で作ってあるのですね。
石川 そうです。なぜかというと、自分の生活がいいかどうか、生活を自己評価してもらっているので、非常に分かりやすいのです。
人生とか、難しい話ではないので。
深井 それは自分の中で比べる?
石川 自分の中で比べます。
もちろん他の人との比較の中で、自分の生活を評価しているところもあると思うのですが。
深井 ありがとうございます。
Well-beingについて昔から考えていたよという話は、これで終わりです(笑)。
Well-beingを進める主体者は株式会社になる
深井 Well-beingについて考えたときに、Well-beingを世の中で進めていく主体者が誰になるのかを、僕は問いとして持って、ちょっと考えてみました。
結論から言うと、僕は株式会社が担う可能性がすごく高いなと思っています。
これは左が個人、中央が政治家、右が会社ですが、会社が担う可能性が非常に僕は高いのではないかなと思っています。
過去50年間のWell-beingは、福祉領域などで実現されていることがすごく多かったなと思います。
もちろん株式会社の貢献したところも非常に多くありましたが、最終的なWell-beingの質みたいなものを戦後に担保したのは、僕は国家だったなと思っています。
そういう時代でしたが、福祉領域などについて必ずしも国家が今と同じように、これから10年先も、20年先も行える前提が崩れてきているところもあります。
これから先、まさに選択肢みたいなものを担保したり、より増やしていくものの主体者として、非常に深く株式会社が関係してくるなと思います。
先ほどのGDPの話(Part.2参照)と結局一緒になってしまうと思いますが、今まで売上や利益を上げていくことをシンプルな指標として目指していたところから、個々人の生活やステークホルダーの生活みたいなところに対して、株式会社が投資していくようなスタイルが出てくる気がしています。
これは、言っている内容は一緒ですが、結構ダイナミックにそうなっていくのではないかと僕は考えています。
今でもありますが、例えば保育園問題で保育士が少ない、給料が少ないとか、僕たちの社会で子どもが大事なのは非常に自明なのに、そこにあまり予算を回していないみたいなことがありますよね。
そういうところに、直接株式会社が投資をしていくと思います。
なぜ投資できるかというと、Well-beingが大事で、それへの投資がWell-beingにつながることがわかっていて、金銭的なリターンだけではなくて、インパクト的リターンみたいなものが見込めるので、株式会社が自分たちの予算の中にそういうものを持っていて投資していくみたいなことも普通に起こり得るのではないかなと思っています。
そういうお金の出し方は、今までは税金の再分配で行われて、税金を徴収して株式会社が儲けたお金をいったん徴収して、それを再分配する形で行われていたのですが、それを株式会社や地域のコミュニティが直接担うようなことが、今後非常に増えていくのだろうなと思います。
藤本 例えば、今健康経営という文脈で、従業員の健康問題を、株式会社がお金出して、まあお節介します、と。
深井 そうですね。
藤本 それを今度はWell-being経営みたいに、従業員のWell-beingに会社がお金を出してお節介するみたいなイメージですか?
深井 そういうことです。
今は従業員に給与をまず払って、従業員はその給与から、子育てコストや生活コストなどを払っていますよね。
例えばですが、給与の代わりに企業が生活コストを払ったほうが、コストでいったら低いことが普通にあるわけですよ。
ベビーシッターを個人で雇うよりも、会社が保育士を派遣してくれたほうが安かったりします。
今の話は例えばで、どんなことでもいいのですが、そういうものを株式会社が直接投資として行うような世界が、起こり得るのではないかなと思っています。
これは結構今の概念の中から外れた、「ん?」となる話だと思うのですが。
優秀人材確保のためにWell-beingの直接投資が進む
石川 働いている時もそうですが、定年後に、年金を通してどれだけ支えてくれるのかは、いわゆる福利厚生になってくると思いますが、格差がすごいのです。
例えば、旦那さんが働いて定年を迎えて、残念ながら数年後に亡くなってしまった場合に、奥さんに年金を払い続けるかどうかというのは、会社によって本当に差があるのです。
だから働いている時も、定年後も含めて、生涯どういうサポートをこの会社はしているかという福利厚生を見ると、もう差がすごすぎて僕はびっくりするのです。
藤本 では、逆に働く人に選ばれていくみたいな感じになりますか?
石川 そうですね。
本当はそこも見たほうがいいですし、実際見る人はちゃんと見ていると思いますが、ほとんどの人は多分せいぜい給料が高いか低いかぐらいしか見ていないです。
これから会社を選ぶ時の視点として、石山さんの前職の会社(リクルート)がやっているIndeedなどは、アメリカではもう求人サイト内で、会社ごとのWell-being度を公開していますからね。
深井 まさに労働市場から、それが変わる可能性があるなと思っています。
人的資本経営みたいなことが叫ばれる今の世の中で、事業を創出したり、先にゼロイチを作ることができる人材は、ChatGPTでも代替できない、ものすごい重要な人材ですよね。
そういう人材を確保しようとすると、Well-beingに直接投資している会社でないと採用ができないみたいな現象は起こり得るなと思っています。
そうすると、株式会社がよりWell-beingに直接投資していこうとします。
給料で再分配してもらうというのは、生活コストに対する消費行動としても、投資行動としても、僕はやはり効率が悪いと思っています。
藤本 従業員として働いている間、老後も含めた、まさに生涯を会社が請け負わないといけない。
深井 まあ究極ですね。
または、定年後どのようにそれが継続するかというのは、また新しいロジックで作られる可能性があると思いますが、この会社に所属していれば子育てコストも下がって、生活コスト、例えば食事を作るコストも下がってみたいなことはあり得るなと思います。
ただ、問題が発生しそうだなと思っているのが、それによってWell-being格差が、多分すごく出るのですよ。
給料も低いしWell-beingも低い人と、給料が高いしWell-beingも高い人が出て、今でももちろんそうなっていると思いますが、より加速する可能性はあるなと思っています。
そうすると社会不安になるので、平均値としてのWell-beingがどうかというのはあまり関係なく、あまり良い国ではないみたいになる可能性もあるとは思います。
意見があったらぜひ遠慮なく言ってほしいのですが、今、そんなふうに感じました。
Well-beingを語るには死生観に向き合わねばならない
深井 究極的なところで、僕がすごく必要だなと思っていることがあります。
先ほどWell-beingは多様だという話がありましたが(Part.1参照)、実際に個々人のWell-beingを語る時に、生きるということを考えようとすると、死ぬとは何かを考えないと、やはり生きるということは定義できないし、意味が出てきません。
究極的には、意味が追求できないなと思っているのですよね。
これはあまり言いたくないのですが、今は長生きできればできるほど幸せだという概念が所与の前提です。しかし歴史を勉強していると、それは現代だけなんですよね。
だから、そこにこの後向き合っていかないと、実際にはWell-beingの生きることに対する意味の見出し方のパターンが、実はすごく少なくなってしまっていて、該当する人間と該当しない人間みたいに分岐するみたいなことが非常にたくさん起こり得るだろうと思っています。
なぜこういうことを思ったかというと、先ほど歴史上Well-beingは何度も考え直されてきたと話しましたが、基本的には各哲学で死ぬとはどういうことなのか、やはり考えたりするわけです。
今の僕たちの哲学の中で、死がどういうものなのかは、結構ふわっとしていますよね。
それを確定させるとすごく宗教っぽくなっていくからタブー感もあって、ここはどうなるのだろうなと思っているところです。
藤本 善樹さん、何か言いたそうな感じですが。
石川 これは堂々巡りというか、結局死を考えるためには生きるとは何なのかを考える必要があります。
藤本 いたちごっこですね。
石川 いたちごっこにはなってくるのです。
特に今の時代は、生きるということが何なのかという人生の指針がなくなってしまったのです。
ちょっと前までは、人生や良く生きるということには、いい学校に行って、いい会社に入って、そうしたらいい人生なんだという大前提があったのですが、今はそれを信じている人は、少数派だと思うのです。
いい学校に行けばいい会社に入りやすい、は信じている人がいるのですが、それがいい人生につながるか、いい会社の後のレール、指針がないですよね。
生きるということの哲学、指針もないし、死に関してもあまり哲学、指針がないのが、根本的には多分問題なのだと思います。
深井 だからこそWell-beingは、多分言われていると思うのですよ。
それが、そもそもWell-beingが出てきた直接の理由だろうなと思っています。
藤本 僕は小学校の時にずっと夜に眠れなくて、「人間死んだらどうなる?」と思って。
深井 (笑)。
藤本 ずっと考えていたらもしかすると学者になれたのかもしれませんが、小学校4年ぐらいの時にふと、人間死ぬまでは生きているんだと気づいて、だから死ぬ時後悔しないようによく生きようみたいに思ったのです。
僕はいまだにWell-beingはWell-dyingだと思っているのですが、死ぬ時にまあよかったなと思える人生かどうかから逆算してWell-beingを考えてしまうのですが、そういうのも含めて死の哲学なのでしょうか?
深井 そうだと思います。石山さん、どうですか?
藤本 まさに現代の空海、石山さんはいかがですか?
変わり続けるGDPの計算ルール
石山 空海は即身成仏で死んでいないことになっているので、56.7億年後にまたご来生されるらしいのですが、天の川銀河とアンドロメダ銀河が衝突する頃なので、それを一瞬として感じられないと空海ではないらしいのですね。
(一同笑)
なかなかこの悟りの道は厳しいなと思います。
石川さんにお聞きしたいのですが、東洋哲学の話や死生観は宗教とも絡むじゃないですか。
先ほどのコンセンサスのちょうど外側に出てしまうもので、例えばGDPだとサテライト勘定(※) があって、イギリスではガーデニングをするとアメニティが良くなるので、帰属計算でGDPに入れていいという独自ルールを足せたりします。
▶編集注:サテライト勘定とは、ある特定の経済活動を経済分析目的や政策目的のために中枢体系(SNA本体系)の経済活動量と密接な関係を保ちながら別勘定として推計する勘定であり、旅行・観光、環境保護活動、介護・保育、NPO活動、無償労働などの分野で整備されている(総務省参照)。SNA(System of National Accounts)とは国民経済計算のこと。
こういう地域ごとの特徴みたいなものを、中枢のコンセンサスの外側に足していくみたいなものは、現状どんな感じでしょうか?
サステナビリティでいうと1980年代頃にあたるから、まだそこまで行っていない感じですか?
石川 GDPをどうやって計算するかはよくご存知だと思いますが、変わり続けているのですよね。
それこそ一番最近大きかったのが、研究開発はGDPに含まれていなかったのです。
それが2016年ぐらいですかね。それが含まれたから、日本はGDPが突然ポンと上がって、アベノミクスの成果だと言っていたのですが、違うのです、GDPの計算方法が変わっただけなのです(笑)。
▶GDP、基準改定で19.8兆円かさ上げ – 2016年9月15日(日本経済新聞)
結局GDPの根本の思想は何かというと、生産にこそ価値があるという発想です。
GDPは、Gross Domestic Productなので、国内総生産です。
ですから、生産に位置付けられなかったものが、計算に入っていないのです。
例えば、日本だとガーデニングは多分入っていないし、家事や育児は、生産活動ではないということなのですね。
ちょっと前の研究開発もそうですが、そもそも生産とは何なのかというところの定義が複雑化、高度化して、いろいろ加わったり出たりしているのが今の状況ですね。
(続)
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編集チーム:小林 雅/小林 弘美/浅郷 浩子/戸田 秀成