逆境しかないプロイセンを統治することになった「ホーエンツォレルン家」 | 【ICC】INDUSTRY CO-CREATION

2. 逆境しかないプロイセンを統治することになった「ホーエンツォレルン家」

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歴史ファンのみなさんお待たせしました、シーズン4に突入した「歴史から学ぶ『帝国の作り方』」、今回のテーマはプロイセンです。全7回シリーズの第2回目は、COTEN深井 龍之介さんによるプロイセンの誕生の解説。歴史上の成り行きでホーエンツォレルン家が、別の法律で動く2箇所の土地を治めることになりました。これでもかという悪条件が揃った誕生の背景を、ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回300名以上が登壇し、総勢900名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2022は、2022年9月5日〜9月8日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。

本セッションは、ICCサミット FUKUOKA 2022 プレミアム・スポンサーのM&Aクラウドにサポート頂きました。


【登壇者情報】
2022年2月14〜17日開催
ICCサミット FUKUOKA 2022
Session 5D
歴史から学ぶ「帝国の作り方」(シーズン4)
Supported by M&Aクラウド

(スピーカー)

宇佐美 進典
株式会社CARTA HOLDINGS
代表取締役会長兼CEO

北川 拓也
楽天グループ株式会社
常務執行役員 CDO(チーフデータオフィサー) グローバルデータ統括部 ディレクター
(登壇当時)

小嶋 智彰
ソースネクスト株式会社
代表取締役社長 兼 COO

深井 龍之介
株式会社COTEN
代表取締役

山内 宏隆
株式会社HAiK
代表取締役社長

(モデレーター)

琴坂 将広
慶應義塾大学
准教授(SFC・総合政策)

「歴史から学ぶ「帝国の作り方」(シーズン4) 」の配信済み記事一覧


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1つ前の記事
1.シーズン4のテーマは、明治期の日本が手本とした「プロイセン」

本編

ヨーロッパの封建制の特徴

深井 日本でも、ヨーロッパと同様、戦国時代や江戸時代は封建制度を採っていました。

ただ、ヨーロッパの封建制と日本や中国の封建制には、大きな違いがありました。

統一権力がなかったヨーロッパでは、主君を2人持つ家臣や、それぞれ別の主君から渡された2つの土地を持つ家臣もいたのです。

これは、他の地域では起こっていないことです。

有名な例で言えば、フランスのノルマンディーという地域のノルマンディー公は、フランス王の家臣でもあり、イングランド王でもあります。

イングランド王としてのノルマンディー公はフランス王と同格ですが、ノルマンディー公としてのノルマンディー公は、フランス王の家臣なのです。

ノルマンディー公ウィリアム(世界史の窓)

変わった状態ですよね。

でも今も、兼業で2つの会社に入っている場合は、同じことが起こっています。

ある会社の社長が、別の会社では顧問や取締役ということがありますよね。

琴坂 昔の国家がそういう形だったということは、そういった仕組みが人間の中に備わっているということですよね。

深井 そうですね。

琴坂 1人の主人が言うことが絶対だとは限らない。

深井 そうです、それがデフォルトではないということです。

封建制の説明は、後のパートで活きてきます。

30年に及ぶ宗教戦争で人口激減・土地は荒廃

深井 少し話が飛びますが、修道士国家でキリスト教が強い力を持っていた中世の時代、国家をキリスト教の力によって治めていたのに、宗教戦争が起こります。

その宗教戦争の後期、三十年戦争(※) (1618〜1648)という、30年間も続いたものすごく長い戦争が起こったのですが、主な戦地はドイツでした。

▶編集注:ドイツを中心に展開した、新教と旧教の対立に起因する、ヨーロッパ最大規模の宗教戦争(コトバンク

スライドには首を吊るされている絵がありますが、虐殺なども起こり、30年間でドイツは荒廃したのです。

人口は激減し、農地もボロボロにされるという事態が起こりました。

小嶋 1600年頃なので、日本だと江戸時代初期くらいですよね。

深井 そうですね。

北川 なぜこのような内戦が起こったのですか?

深井 シンプルに、カトリックとプロテスタントが戦ったのです。

それによって、ヨーロッパは一度ぐちゃぐちゃになりました。

当時のドイツは神聖ローマ帝国の時代ですが、キリスト教の権威はどんどん落ちていき、国土は荒廃して、神聖ローマ帝国の皇帝の地位も失墜していきました。

つまり、誰も権力を持っていない状態になってしまうのです。

琴坂 宗教が理由の戦争で、結果がこの有様ですからね。

ローマ教会の権力を真正面から否定するような勢力と戦って…そうなっても、仕方ないですよね。

ドイツ騎士団の長ホーエンツォレルン家が台頭

深井 色々な言葉が出てきて申し訳ないのですが…(笑)。

琴坂 このあたりから、高校生も世界史を学ぶことを諦めますね(笑)。

皆さん、別に覚える必要はないですからね。

北川 発音できないから(笑)。

深井 世界史を専攻していた方なら聞いたことがあるかもしれませんが、ホーエンツォレルン家(※) が台頭してきます。

▶編集注:ドイツの貴族の家系。1415年、ブランデンブルク辺境伯の地位を獲得、1618年、プロイセン公を兼ね、さらに1701年にはプロイセン王の称号を得て、ハプスブルク家に匹敵する勢力となる。19世紀、ドイツ民族統一の中心となり、1871年、ドイツ帝国の成立と同時に皇帝の称号を持つ(コトバンク)。

先ほど、1つの貴族や豪族が複数の領地を持っているという話をしました。

それとは全然関係なく、世襲が行われないドイツ修道士国家があったという話もしました(前Part参照)。

宗教戦争で荒廃したドイツを立て直していった、大きな2つの家がありました。

それが、「ホーエンツォレルン家」と「ハプスブルク家」です。

ホーエンツォレルン家が台頭して栄達していきますが、これは、たまたまプロイセンの原型であるドイツ修道士国家のリーダーに選ばれていたのが、ホーエンツォレルン家出身だったからです。

琴坂 たまたまだったと理解して良いのでしょうか?

深井 完全にたまたまです、運です。

宗教改革を受けて、ドイツ修道士国家はキリスト教による統治をやめ、世俗化しようとしたのです。

▶独与党名に「キリスト教」の謎 騎士団国家がルーツのプロイセン(日経BizGate)

国を、貴族に譲ろうとしたということで、たまたまその時のトップがホーエンツォレルン家だったので、そのままホーエンツォレルン家に譲ったのです。

歴史においては、こういう何の理屈もないことが起こるのです。

琴坂 まさかの展開ですね。

飛び地の領土を持つ「プロイセン」が誕生

深井 その結果、飛び地でプロイセンという国が誕生します。

琴坂 色々な君主を持つという状態のまま国が変わるので、荘園が全て残るということですね。

深井 ホーエンツォレルン家は、ホーエンツォレルン家としての領地を持っていました。

それとは別の離れたところに、ドイツ修道士国家があり、たまたまホーエンツォレルン家の人がそのリーダーだった時にキリスト教統治をやめることにしたので、結果的にホーエンツォレルン家が国家の領土を引き継いだわけです。

そうすると、ホーエンツォレルン家は、離れた別々のところに領地を持つという状態が発生しますよね。

これは、通常は起こらないことです。

琴坂 いびつなM&Aですね。

深井 そうですね(笑)。

北川 飛び地は2つではなくて、3つか4つじゃなかったですか?

深井 その時はたくさん飛び地を持っていたんです。

三十年戦争で荒廃した結果、一部取られたりもしています。

北川 ああ、そういうことね。

深井 ちょっと分かりにくいのですが、この時ホーエンツォレルン家が獲得したのが、濃い緑の部分です(上スライド)。

大きく2つに分かれていますよね。

小嶋 すごい距離ですね。

超強国に囲まれながら行政の異なる国を統治

深井 東プロイセンと書いているのが、ドイツ修道士国家の土地だったところで、今のベルリンであるブランデンブルクがあるところが、もともとホーエンツォレルン家が持っていた土地でした。

このように、いきなり飛び地が発生するわけです。

この飛び地国家プロイセンを囲む国がどこも非常に強く、当時5倍以上の人口を持つフランス、南にはハプスブルク家のオーストリア、東にはポーランド、その先にはロシアです。

琴坂 何かもう、滅亡待ったなしって感じですね(笑)。

深井 (笑)滅亡待ったなしなんです。

この時点で、飛び地、かつ複合君主制で行政のルールが違う、別々の法律で動いていた2つの土地を統治せねばならなかったのです。

超強国に囲まれながら、別々の法律で動く2つの土地を統治せよというミッションが、ホーエンツォレルン家に課されたということです。

琴坂 逆に、みんな及び腰で、これは無理だろうと思っていたのですよね(笑)。

だからこそ、ホーエンツォレルン家がスムーズに国を引き継げたのではないでしょうか。

深井 それもあるかもしれないですね。トップに立つのが怖かったのかもしれない。

琴坂 もし攻め込まれていたら、お前がトップだろと言われて殺される立場ですものね。

深井 これらの条件によって、この後ヒトラーによるナチスに至るまでの、ドイツの国家戦略が決定づけられていくのです。

北川 図の中の、緑の斜線部は誰が持っていたのですか?

深井 この時はポーランドですが、後で取り返します。

小嶋 当時は、ポーランドのほうがずっと強かったのですよね。

深井 はい。この時のポーランドはめちゃくちゃ強かったです。

これがホーエンツォレルン城です。すごくドイツっぽいでしょう?

北川 深井さんは、行ったことはないのですよね(笑)?

深井 ないです(笑)。興味ある方は行ってみてください。

北川 行きたいですねえ。

琴坂 ノイシュヴァンシュタイン城みたいですね。

ドイツに来たら見てほしい!おとぎ話のように美しいお城5選(たびこふれ)

深井 このような条件下に置かれたプロイセンは、どういう戦略をとったのでしょうか?

(続)

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続きは 3.プロイセンの「弱みを強みに変える」戦略とは をご覧ください。

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編集チーム:小林 雅/小林 弘美/浅郷 浩子/戸田 秀成/大塚 幸

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