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3. 起業家・投資家に知ってほしいアジアの革命ベンチャーキャピタリスト「梅屋庄吉」

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ICC FUKUOKA 2023のセッション「世界の偉人伝 (シーズン5)」、全5回の③は、 フローレンス駒崎 弘樹さんの登場。実は歴史オタクというフローレンス駒崎 弘樹さんが紹介する偉人は、日活の前身となる事業を立ち上げ、辛亥革命のパトロンとなった梅屋 庄吉。中国の歴史、アジアの歴史の中で大きな役割を果たした日本人がいたことを、ご存知ですか? ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。次回ICCサミット KYOTO 2023は、2023年9月4日〜 9月7日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください

本セッションのオフィシャルサポーターは ノバセル です。


【登壇者情報】
2023年2月13〜16日開催
ICC FUKUOKA 2023
Session 5F 世界の偉人伝 (シーズン5)
Supported by ノバセル

「世界の偉人伝 (シーズン5)」の配信済み記事一覧


駒崎 皆さん、こんにちは。

認定NPO法人フローレンス、会長の駒崎です。


駒崎 弘樹
フローレンスグループ 会長CEO
認定NPO法人フローレンス 会長

1979年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2004年にNPO法人フローレンスを設立。05年日本初の「共済型・訪問型」病児保育を開始。07年「Newsweek」の“世界を変える100人の社会起業家”に選出。10年から待機児童問題解決のため「おうち保育園」開始。のちに小規模認可保育所として政策化。14年、日本初の障害児保育園ヘレンを開園。15年には障害児訪問保育アニーを開始。その他赤ちゃん縁組事業、こども宅食事業などを行う。こども家庭庁「子ども・子育て支援等分科会」委員など複数の公職を兼任。著書に『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』(英治出版)、『社会を変えたい人のためのソーシャルビジネス入門』(PHP 新書)等。2022年1月、『政策起業家「普通のあなた」が社会のルールを変える方法』を上梓。

普段は日本中の子供と親を助けるNPOを運営しております。

今回はソーシャルセクター1の歴史オタクとして、NPO業界から、ITスタートアップ業界に派遣された刺客として、初めてICCサミットに登壇させていただきます(笑)。

ちなみに琴坂くんは大学の後輩で、大学時代には一緒にITベンチャーも経営していました。

そんなつながりで、再会できて嬉しいです。

辛亥革命を支援した梅屋庄吉

駒崎 今回は、「革命をローンチした起業家」というタイトルでお話しします。

辛亥革命をご存知の方はいらっしゃいますか?(挙手を促す)

聞いたことはありますよね。

辛亥革命は、1911年に中国で起こった、清を倒して近代的な国家を作ろうという革命です。

これは孫文が主導し、結果として、アジア初の共和国である中華民国という国が誕生しました。

共和国とは、民主主義的な国くらいに思ってもらえればいいです。

今の中国の前身というか、一つ前の国家ですよね。

隋や唐と並び、清は長く続いた王朝で、ラストエンペラー、辮髪、西太后などが象徴ですが、その大清国が倒されてしまいます。

その偉業を成したのが孫文であり、孫文が起こしたのが辛亥革命です。

でもこの革命は、ある日本人がいなければ生まれていなかったかも。

北川 ええーっ、本当ですか!?

駒崎 そのまさか!?みたいなリアクション、有難いですね(笑)。

今までしていたのは中国史の話ですから、ここに日本人が絡むの?と思いますよね。

しかし、ここでひょっこり出てきたのが、梅屋 庄吉(1869年1月8日〜1934年11月23日)なのです。

このヒゲと、ちょっとイケメンな感じ。

井上 これは本人の写真ですか?

駒崎 本人の写真です。

北川 すごいヒゲですね。

駒崎 当時、明治時代はカイゼルヒゲと言って、皇帝のようなヒゲがファッションとして流行っていました。

井上 おしゃれですよね、帽子もかぶっていて。

駒崎 おしゃれ、かつイケメンなので、めちゃくちゃモテていた人です。

そんな梅屋 庄吉ですが、1867年、「将軍をやめます、政権を天皇陛下にお返しします」という、徳川幕府による大政奉還があり、日本の革命である明治維新が起こりました。

権力を返しても、許さないということで、徳川幕府は薩長同盟に倒されてしまい、そこで政権転換が起こるというのが日本史です。

そんな激動の時代、大政奉還の翌年、明治元年の1868年(編集注:1869年の説あり)に、梅屋少年は生まれました。

そして養子として、長崎で貿易と精米所を経営する、梅屋商店の息子になりました。

当時は男の子が生まれなければ、親戚などから養子をもらって後継にしていました。

長崎と言えば、鎖国時代も唯一貿易ができた場所ですから、ある意味、対外ビジネスの中心地でした。

彼は、そこで貿易と精米所を経営していたそこそこ大きい中小企業の、何代目かの後継者になったわけです。

庄吉少年は、なかなかのアントレプレナーでした。

14歳の時、実家の船に密航します。

北川 何でですか!?

駒崎 海を見たかった、外を見たかった。

北川 へー。

駒崎 彼は船の中に隠れていて、乗組員がガラッと開けたら、「ぼ、坊ちゃん! どうされましたか、ここは海ですよ」となり、返すわけにもいかないので、上海まで一緒に行ったわけです。

北川 これは当時、違法でしたか?

駒崎 長崎において貿易は問題なかったのですが、大事な坊ちゃんが勝手に船に乗っていることは、社員としてはやばいですよね。

しかし庄吉少年は上海に渡航し、到着後、「じゃあ、親父たちによろしく」と言って、上海の街に繰り出したわけです(笑)。

自由だ、外の世界を見て学ぶんだ!と繰り出した瞬間に、有り金全てをすられて途方に暮れました(笑)。

ダメな感じですよね(笑)、留学して到着初日に現地ですられるみたいな状況です。

お金がなくなってしまった。

当時、日本人が移民として中国に出稼ぎに行っており、売春などで生計を立てる人もいましたので、日本人売春街もありました。

彼女らはからゆきさんと呼ばれ、日本の教科書には載っていない暗い歴史なので、ぜひ知っていただきたいと思います。

ジェンダーイクオリティのない時代でしたので、そんな状況でした。

そんなからゆきさんの使い走りなどをして、お金持ちの子なのに、そういう仕事で食いつないでいたのです。

欧米の列強に虐げられていた中国をなんとかしたい!

駒崎 波乱万丈な少年時代を過ごしますが、庄吉はそこで、ショッキングな光景を見ます。

長崎は国際都市だったので色々な国の人がいましたし、日本では中国人は愛称で呼ばれ、尊敬されていました。

しかし、その尊敬されていた中国人が、上海では欧米人に奴隷扱いをされていたのです。

井上 欧米人がいたのですね。

駒崎 当時、清は欧米から侵略されていました。

聞いたことがあると思いますが、アヘン戦争、アロー戦争。

井上 この時代ですね。

駒崎 そうなんです。

偉大なる大清帝国が、イギリスと戦争して負けてしまったのですが、その負け方も惨敗だったのです。

しかもアヘンを売りつけられて、清国の中国人はアヘン漬けになっていました。

それを何とかしようと高級官僚の康有為が立ち上がり、アヘンを禁止にした瞬間、イギリスから戦争を仕掛けられてしまい、負けてしまったのです。

それで中国人は欧米人から、「この猿ども」という扱いを受け、上海でひどい目に遭わされていました。

思春期だった庄吉は、「東洋人がこんなにも差別されている、なぜ肌の色が違うだけで列強に虐げられなければいけないのか」と、すごくショックを受けたのです。

アジア人が搾取されていてはいけない、列強に対抗しようと思いますが、列強の方が文明は進んでいます。

そこで、欧米を知る必要があると考え、留学することを決めました。

琴坂 日本には帰れたのですね?

駒崎 はい、何とか、ほうほうの体で日本に帰りました。

アメリカに行くことにし、留学のために乗った船で大火災が発生しました(笑)。

北川 アントレプレナーって、そういうものですよね(笑)。

駒崎 火に巻かれて死ぬか、飛び降りて死ぬか、どちらかを選ばなければいけない状況でした。

北川 マジですか、太平洋ですか?

駒崎 東シナ海ですね。

北川 東シナ海に飛び降りると、まず生き延びられないですね。

駒崎 まず無理なんですけど、何とか泳いで、フィリピンの島にたどり着いたのです(笑)。

北川 最強ですね(笑)。

琴坂 フィクションじゃないの(笑)?

駒崎 船は焼けたので、フィリピン近海で沈没せざるを得なかったのです。

何百人も乗客はいましたが、生存者は、庄吉と船長の2人だけでした。

琴坂 船長、それダメでしょ(笑)。

駒崎 船長、何でお前生きているんだと(笑)。

(一同笑)

お前は最後まで、船員を助けるんだろ?と(笑)。

琴坂 そうそう(笑)。

駒崎 こうなると、アメリカ留学を断念せざるを得ないですよね。

そこで失意の中、仕方がないと日本に戻りますが、庄吉の親は、命からがら戻ってきた彼に、後を継いでくれとビジネスを手ほどきし始めます。

それでバンバン取り組み始めますが、どんどん失敗しました(笑)。

特に大きかったのは、米相場への投機での大失敗。

琴坂 ちょっと…偉人感があまりないですね(笑)。

香港で写真館を立ち上げ、日活の前身となる事業で成功

駒崎 ここからです(笑)!

でも、親近感が湧いてきたでしょ? 皆さんと同じくらい、それ以上に彼は失敗しています。

北川 これまで、大体の博打に失敗していますからね(笑)。

井上 単なる自分勝手ですよね(笑)。

駒崎 単なる向こう見ずの青年です(笑)。

両親に迷惑をかけまくって、さすがに反省したのですが、居心地が悪くなります。

彼のお父さんは長崎の名主で結構偉い人でしたが、彼の顔に泥を塗りまくっていたので、庄吉は居心地が悪くなって、逃げるようにアジアを放浪し始めます。

そこで、カメラマンのトメ子と出会いました。

北川 これはすごいですね。

当時、女性のカメラマンはいなかったのではないでしょうか。

駒崎 女性のカメラマンは日本ではあり得なかったのですが、アジアではそういうこともあったようです。

それでトメ子と恋愛をして一緒に暮らすことになり、トメ子が写真を撮り、庄吉が事業を立ち上げる形で、香港で梅屋照相館という写真館を立ち上げました。

恋人と、グローバルにビジネスを始めた、ドラマみたいな話ですよね。

当時は写真館に来てもらって写真を撮るモデルでしたが、お客様のところに行って写真を撮る、出張撮影のモデルを発明し、それが大ヒットして、一気に成功者に成り上がりました。

井上 写真界のUber Eatsみたいですね。

駒崎 写真界のUber Eatsですね!

宇佐美 ラブグラフですね。

駒崎 そこからどんどんビジネスが大きくなっていって、当時は最新技術だった活動写真、つまり映画のビジネスを始め、大ヒットするわけです。

起業家の皆さん、何度も何度も失敗してバッターボックスに立っていると、いつかヒットとなり、それがホームランとなるのです。

北川 妻の手伝いをしているというのが大事ですよね。

駒崎 そう、トメ子という才能に出会ったのです。

でも、トメ子は妻じゃなくて彼女なのです。

北川 彼女なんだ!

駒崎 ここには書きませんでしたが後日談があるので、後で話します。

そしてその大ヒットしたビジネスが、後の日活の前身となるのです。

日活と言えば、日本の映画黄金時代を築いた会社です。

北川 すごい。

駒崎 例えば、南極探検の記録映画は、当時、白瀬矗という人が南極を探検して日本の旗を立てたのですが、それについて行ったり、伊藤博文の葬儀の潜入取材をしたり…。

北川 結構危ないことをしていますね。

駒崎 結構ギリギリのところですよね。

南極探検も結構リスキーなんですけれど、当時の若手社員に「行かないとクビだ」と言っていたようです。

北川 南極探検に行った人は大体、死んでいますよね。

駒崎 はい、それでも行かせたようで、それがヒットしたようです。

北川 彼はやはり、基本的にはリスクテイカーなのですね。

駒崎 基本的にリスクテイカーです。

ちなみにトメ子ですが、ここまで成功させてくれたのに、彼が実家に帰った時に親が連れて来た別の女性と結婚しろと言われ、2人は引き裂かれてしまい、違う女性と結婚してしまいます。

北川 そこはリスクを取らなかったのですね(笑)。

駒崎 散々顔に泥を塗っていた親の頼みだったので、聞かなきゃいけなかったようです(笑)。

悲恋ですね。

孫文と意気投合し、資金を援助

駒崎 そんな梅屋 庄吉は、香港で孫文と出会います。

当時の孫文はまだペーペーで…。

井上 29歳。

駒崎 孫文は、自分たち中国人が虐げられているのを何とかしたいと思っていて、それを庄吉に伝えると、東洋人差別にショックを受けていた庄吉は「差別のない国、アジアを作ろう」と意気投合します。

そして言うのです、「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す。」と。

北川 おお~!

宇佐美 かっこいい!

駒崎 かっこいいですよね!

孫文はこれに、スポンサーに、エンジェルになってくれるのかと大感激するわけです。

当時の孫文は何でもないわけです。

琴坂 日本に留学中の孫文ですか?

駒崎 そうです。

この後、孫文は日本に亡命してくるのですが、庄吉は色々なキーマンと彼を会わせました。

そして孫文は梅屋の軍資金提供を受けてバンバン蜂起するのですが、めちゃくちゃ失敗します。

命からがら、ほうほうの体で逃げ回るような状態でしたが、へこたれないのです。

孫文はアメリカやヨーロッパを回り、どんどん支持者を増やしていきました。

革命資金を集めるファンドレイジングをしました。

似たような活動をしている人もいたのですが、バラバラにやるのではなく大同団結しようと声をかけ、糾合しました。

その結果、中国革命同盟会というものを結成したのです。

中国革命同盟会は、9回武装蜂起をして9回失敗しました(笑)。

北川 蜂起とは、何をもって成功とするのですか?

駒崎 良い質問ですね、では10回目の話をしましょう。

9回目までは、蜂起をしては清国の軍隊から攻撃されて、同志を失いながら逃げていました。

10回目、武昌というところで蜂起を行い、役所などを乗っ取ることに成功します。

北川 乗っ取るのですね。

駒崎 乗っ取ると成功です。

小さいところでも勝利をすると、それが各地に波及し、「うちも蜂起する」となるのです。

そのうち裏切る政府も現れ、何と3分の2の自治体が独立しました。

そうなればもう、こっちのものですよね。

清朝は崩壊します。

北川 基本的には武力行使なのですね。

駒崎 最初は武力です。

でもドミノ倒しのようになり、途中からは武力ではなくなりました。

宇佐美 ちなみに、各省が独立しただけであって、共和国になるとは思っていなかったわけですよね?

駒崎 はい、独立した各省を、中華民国というグループ会社が束ねて、孫文がホールディングスの代表になったということです。

それで中華民国が成立しました。

ということで、この革命をローンチしたのは孫文だけれど、そこにVCとしていたのは梅屋庄吉なのです!

ですから皆さん、皆さんは梅屋 庄吉になれるわけなんです!

北川 (笑)。

井上 なるほど(笑)。

駒崎 ですから皆さん、ともに梅屋 庄吉になっていきましょう。

一緒に革命を起こしましょう!

北川 ちなみに、孫文になるのは(笑)?

駒崎 皆さん一人一人です。

孫文になる人もいれば、庄吉になる人もいる。

私は日本の孫文ですが…。

北川 ですよね。

駒崎 僕の庄吉になってくれる人を常に探しています。

ぜひよろしくお願いいたします。

【支援募集プレゼン】世界の医療的ケア児が参加するeスポーツのパラリンピック創出を目指す「フローレンス」(ICC FUKUOKA 2023)

北川 みんなフローレンスにはお金を出しますからね。

駒崎 ありがとうございます。

では、次の人にバトンタッチします。

井上 ありがとうございます(笑)。

北川 いやあ、面白かったですね(笑)。

(続)

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編集チーム:小林 雅/星野 由香里/浅郷 浩子/戸田 秀成

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