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ICC KYOTO 2022のセッション「大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か?(シーズン8)」、全8回の⑥は、COTEN深井 龍之介さんが登場。絵画や文字から始まり、電信の発明に至るコミュニケーション技術の革新の歴史を語ります。それが社会にもたらしてきた変化とは? なるほど納得の解説、ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット FUKUOKA 2023は、2023年2月13日〜2月16日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。
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【登壇者情報】
ICC KYOTO 2022
Session 2F
大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か?(シーズン8)
Supported by リブ・コンサルティング
▶「大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か?(シーズン8)」の配信済み記事一覧
コミュニケーションは人間の考え方をどう変えたか?
村上 ここからは、さらに時空を歪めて頂きたいと思っているので、よろしくお願いします。
深井 はい、では、時空を歪めていきたいと思います(笑)。
コミュニケーションという技術の変革みたいなものが、人間とどう関連するかについて、歴史の一番最初から振り返るということを、10分で行いますね(笑)。
(一同笑)
現代は、コミュニケーション技術の革新が連続で起こっています。
人類の歴史の中で、コミュニケーションの技術革新が何を引き起こしたのかを見ていきましょう。
コミュニケーション領域での技術革新は、大きく分けるとこんな感じです。
最初は絵を描いていて、文字を書くようになりました。
後で説明しますが、交通インフラもコミュニケーション革新です。
そして紙が発明され、活版印刷が発明され、有線電信、無線電信が発明されました。
こういう変化がありましたが、それぞれが、社会を変えていきました。
スライドの左が、ゲルマン人のヨーロッパの戦士社会で、右がギリシャのポリス(都市国家)です。
この2つの社会の違いは、文字の有無です。
何が言いたいかというと、色々なものがあって右の状態になったというよりも、コミュニケーションの文字があるだけで、右の状態になるということです。
それを、これから話します。
文字が官僚制や交易を成立させた
深井 文字が登場したことで、色々なことが起こりました。
歴史上、初期に生まれたのはメソポタミアの楔形文字や、アルファベットの起源になったフェニキアの線文字A、エジプトの神聖文字(ヒエログリフ)、僕たちが未だに漢字として使っている甲骨文字などです。
▶文字はどうして生まれた?(ハイスクールタイムス)
これらの文字が出てきたことによって、まず交易ができるという現象が起こりました。
村上 2000年以上前に遡った話をしていますね。
石川 これは中国の都市ですか?
深井 よく分かりましたね。
中国にあった、斉(せい)という国の臨淄(りんし)という都市です。
交易をしようとしても、記録がないとできません。
農耕をして作物を採るのと交易をするのでは、全然スパンが違います。
交易は、サイクルの間にある貸付や、誰とどれくらい取引をしたか、合計でどれだけ取引したかなど、文字で記録することでしか成り立たないのです。
官僚制には、税を納めるという機能があります。
行政が税金を徴収するにも、文字がなければ成り立たないですよね。
村上 行って、数えて、帳簿に付けて、「これくらい納めなさい」と伝えないといけないんですね。
深井 そういうことです。
ですから、文字がなければ、交易もできないし、官僚制も行政も成り立たないので、先ほどお見せしたように、ゲルマンとギリシャのような違いが生まれるわけです。
交易路が都市間のコミュニケーションを活発化
深井 城郭都市が大きくなり、先ほどお見せしたように文字が生まれたことで、行政と交易が誕生して城郭都市化、より都市が大きくなっていきます。
都市同士が戦争をして、「あの都市が一番強い」みたいな状態になると、それが帝国というものになっていきます。
帝国が生まれ始める時代になって初めて、整備された交易路が生まれました。
ペルシア帝国の「王の道」や、今でもイタリアにある、ローマ帝国時代のアッピア街道、そして秦の始皇帝も、道の整備を行いました。
これによって、遠隔地同士のコミュニケーションが、ものすごい速さで行われるようになっていったのです。
交易路ができるまでは、都市間のコミュニケーションはとれなかったということになります。
このような巨大交通網に支えられることで、非常に大きな都市が生まれるという変化が社会に起こります。
城郭都市のスーパーバージョンみたいなものが生まれ、それは例えばローマ帝国です。
村上 すべての道はローマに通ず、ということですね。
深井 まさにそのことわざが示す通りです。
スライドは、2000年ほど前のローマ帝国の様子ですが、2000年前でこの状態というのは、やばいですよね。
競馬場みたいなものもあるし(笑)。
村上 普通に、都内の外苑前みたいな感じですね(笑)。
深井 そうそう(笑)。
井上 普通に東京に見えますね(笑)。
深井 そうなんです。
1つ、大きなコミュニケーション技術の革新があると、社会そのものに大きな変容が起こるということです。
この後、ローマ帝国は大きくなり、東の方では漢帝国が興るのですが、3世紀頃になると地球に気候変動が起きて、寒くなりました。
地球上が寒くなった結果、農業の生産性が低下し、北にいた騎馬民族が南下し始めました。
これによって漢帝国は滅び(220年)、西ローマ帝国も滅びました(476年)。
その後、何百年か技術革新が起こらない時代が到来しました。
つまり、一度停滞したのです。
このことからも、コミュニケーションの技術革新が起こらなければ、社会が停滞するということが言えると思います。
大量印刷ができるようになり社会が一変
深井 しばらくして、紙が発明されました。
7世紀頃、紙は中国王朝からイスラム、つまり中東の辺りに伝わり、それがさらにヨーロッパに伝わりました。
その後、15世紀には活版印刷が発明されますが、その時代まで、コミュニケーション技術の発展は起こらなかったのです。
発展しなかったから、社会も発展しなかったのです。
ただ、活版印刷機が発明され、大量に印刷物を刷れるようになった瞬間から、一気に社会が変わっていきました。
この時は聖書だったのですが、本がたくさん刷られたことで、社会には、キリスト教から離れて自分たちの理性で色々なことを探求しようとする啓蒙主義という文化が生まれました。
一方、キリスト教会の権威や権力がだんだん落ちていき、イングランドのヘンリー8世(1491~1547)やスペインのフェリペ2世(1527~1598)、エリザベス1世(1533~1603)、ルイ16世(1754~1793)など、王様の方がキリスト教会よりも力を持つ社会に変容していく現象が起こりました。
このように、技術革新は社会を思いきり変革させる力を持っているということです。
それに伴って、スライドの下に記載したように、当時の社会におけるメインプレイヤーが誰であるかも変わったのです。
(続)
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編集チーム:小林 雅/小林 弘美/星野 由香里/浅郷 浩子/戸田 秀成/大塚 幸