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3. KLab 真田氏が語る「パドリング競争には参加しない」新規事業のテーマ設定

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『上場ネット企業経営者が語る「変化し続ける経営」とは!?』6回シリーズ(その3)では、KLab代表取締役会長兼社長 CEOの真田哲弥さんに、これまでの事業展開を“サイバード設立前”まで遡って解説いただきます。真田さんが信じる10年周期のジンクスとは?ぜひご覧ください!

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ICCサミット KYOTO 2017のプラチナ・スポンサーとして、Motivation Cloud (Link and Motivation Inc.)様に本セッションをサポート頂きました。

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ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。次回ICCサミット FUKUOKA 2019は2019年2月18-21日 福岡市での開催を予定しております。


【登壇者情報】
2017年9月5〜7日開催
ICCサミット KYOTO 2017
Session 10B
変化し続ける経営
Supported by Motivation Cloud(Link and Motivation Inc.)

(スピーカー)
上原 仁
株式会社マイネット
代表取締役社長

宇佐美 進典
株式会社VOYAGE GROUP
代表取締役社長兼CEO

真田 哲弥
KLab株式会社
代表取締役社長 CEO(当時)

内藤 裕紀
株式会社ドリコム
代表取締役社長

(モデレーター)

佐藤 裕介
株式会社フリークアウト・ホールディングス
代表取締役社長(当時)

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最初の記事
1. 業界のギャップを見つけて“選択と集中”で変化を遂げる「マイネット」

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2. 強みを活かした事業展開をし続ける「VOYAGE GROUP」

本編

佐藤 ここからは、株価推移も色々なドラマがあるKLab(クラブ)の真田さんにお話をお伺いしたいと思います。

こちらが、KLabの株価推移のグラフになります。

「KLab株式会社」株価推移グラフ
出典:Yahoo!ファイナンス (最新の株価情報はこちらをご覧ください)

KLabの源流はサイバードですね。

真田 哲弥氏(以下、真田) そうですね、サイバードの研究開発部門という形でスタートしました。


真田 哲弥
KLab株式会社
代表取締役社長 CEO(当時)

現・KLab株式会社 代表取締役会長兼社長 CEO / SOICO株式会社 取締役会長(非常勤)。関西学院大学在学中19歳で起業、4回起業し、成功と失敗を経験する。1989年、iモードのビジネスモデルの原型となるダイヤルQ2を利用した音声及びFAXによるコンテンツプロバイダを設立。1997年からは株式会社アクセス(現:ACCESS)でiモードの仕様策定、ブラウザ開発に携わる。1998年に株式会社サイバードを設立、取締役副社長&CTOに就任。2000年にIPO。2000年、同社のR&D部門として携帯電話向けソフトウェア研究開発型企業KLab(ケイ・ラボラトリー、当時)を設立、代表取締役社長CEOに就任。2011年KLab株式会社をIPO。2016年、KLab株式会社にて上場後の企業としては日本初の「信託活用型新株予約権インセンティブプラン」を導入。2018年、タイムカプセル ストックオプション™を提供するSOICO株式会社を設立、取締役会長に就任。

僕はサイバード設立前に、アクセスという会社で「iモード」の開発と、iモードにJAVAのVM(Virtual Machine)をのせる開発をプロジェクトリーダーとしてやっていました。

iモードのブラウザーが載った電話は所詮通信機器ですが、ダウンロードしたプログラムが走るようになったらこれはもうコンピューターであると。

当時はスマートフォンという言葉もなかったのですが、「絶対にこの手のひらサイズのコンピューターが、世界を席巻する時代が来る」と考え、「そのためのアプリを作る会社を作ろう」と思いました。

“世界初のスマホアプリ”を生み出したKLab

真田 当時はスマホという言葉はなかったので、「携帯コンピューターのアプリの会社を今やったら、俺はスティーブ・ジョブズかビル・ゲイツになれる」と言って、その誘い文句でエンジニアを口説いて集めて作った会社が、当時のケイ・ラボラトリーです。

ところがそんな時代は全然来やしない訳ですよ!

(会場笑)

iPhoneが発売されたのは2007年ですから、2000年当時にそのようなことをやっても飯が食えませんでした。

そこから本当に色々やりました。

佐藤 2000年に創業されて、最初の稼ぎ頭は何だったのですか?

真田 創業当時、スマートフォンという言葉はあったのですが、それはノキアの端末を指す言葉でした。

弊社は、そのノキア端末に最初に実装されて出荷されたアプリを作りました。

ですから世界で最初のスマートフォンアプリを作ったのは実は弊社です。

そのようなものを各メーカーさんに、端末の中にプリインストールされるよう、受託開発して提供していたのが最初の事業でした。

佐藤 そこからの大きな転換というは、どのくらいの時期に起こったのでしょうか?

真田 何度も転換がありました。

それでは食べていけないので、受託開発で色々な会社の裏側の開発を受けていました。

最初はどちらかというとサイバードとの住み分けというポイントがあったので、端末側のアプリに特化していました。

というのも当時は、サイバードの副社長 兼 KLabの社長として兼務していたので、端末サイドのビジネスをやるというところからスタートしました。

しかし途中から「関係ない。こんなことを言っていたら飯が食えない」となり、サーバサイドの開発もやるようになりました。

サーバサイドの開発をやるようになったときに、大規模高負荷に耐えうるという技術が当社の技術の中でも売れるということになり、そこにビジネスを大きく転換しました。

そんなことをやったり、途中で色々な変化がありました。

100人の壁にぶつかり、受託開発から自社サービスに注力

佐藤 いわゆるクライアントワークから自社サービス中心に移行していくのはいつの時期でしょうか。

それは上場前ですよね?

真田 かなり早いタイミングで、受託ビジネスだと自社サービスに限界があると気づきました。

2004年くらいに受託だけで20〜25億円の売上げに達しましたが、受託ビジネスだとそのあたりで伸び悩みます。

それ以上大きくしようとして新しい売上げを優先すると、何かの売上がなくなったりします。

また新しい人、優秀な人が入っても元々いた優秀な人が辞めたりします。

受託ビジネスだと、いわゆる社員100人の壁みたいなところがあり、そこから先に伸ばせないのです。

それで3、4年足踏みしました。

「このままでは伸びないな」と思い、ここから受託型ではなく、自社サービスに変えていかなければいけない。

もう1つ言うと、BtoB中心だったのをBtoCに変えていきたい。

この2つの変遷をしない限り成長が止まるという焦りがあり、そこから自社型ビジネスへの転換を2005年くらいからチャレンジし始めました。

結構色々なサービスを作りましたが、正直そんなに当たらないことが続きました。

そして2009年にゲームに参入しました。

ちょうどソーシャルゲームのブームで「ソーシャルゲームが来る。これだ!」と一気にソーシャルゲームに振り切ったのがこの2009年です。

既存の全BtoB事業を売却、ソーシャルゲームに集中

佐藤 それは、オープン化があったタイミングの、ガラケーのプラットフォームに載るタイプのゲームですよね。

真田 日本におけるソーシャルゲームとは、ミクシィさん、モバゲーさん、グリーさん、この3つのことでしたから。

それまではいつものビジネスをやっていたのですが、2011年くらいにそこに一気に振り切って、BtoBビジネスを全部売却しました。

例えばセキュリティ系のビジネスなどがあると、あまりに社内で企業文化が違っていました。

ゲーム系の人は金髪の人もいるのに、セキュリティビジネスの人は紺色のスーツを着ている訳です。

1つの会社の中での文化の衝突ではありませんが、1つのポリシーでやることが難しくなったことがあり、既存の他の事業を売却してゲームに集中しました。

そこが大きな変化でした。

佐藤 そこから上場後で言うと、2014年から2016年はドラマチックな感じですね。

2014年の半ばくらいに株価が一気に上がっているのはなぜでしょうか。

真田 当時上場した後、ソーシャルゲームブームの中で我々の機運は「海外だ、全世界だ」とイケイケな感じでした。

日本のARPU(顧客一人当たりの平均売上高)が海外の企業より何倍も高かったので、「日本の高いARPUモデルを海外に持って行ったら、もっと大きなビジネスになるのではないか」という仮説を立てました。

海外で売るためには海外のIP(知的財産)を取得して、世界に通用するIPで勝負しようということを考えた訳です。

ゲームのモバイル版を出す権利を獲得し、その開発をして発表したのがこの北アルプス(2014年の株価の山)です。

「KLab株式会社」株価推移グラフ(再掲)

北アルプス、中央アルプス、南アルプス、と株価が山をつくったチャートでした。

新規事業テーマの設定方法とは?

佐藤 ありがとうございます。

真田さんは最近はゲームに集中しつつ、次はどのような展開をお考えでしょうか?

真田 そうですね、売上げはあくまでもゲームで、ゲームはもちろんやり続けます。

しかし、そろそろそれ以外の新しいこともやらねばならないということで、2016年くらいから新規事業を本気でやろうというモードに変わり始めました。

佐藤 そういうときは誰かに考えてもらうのか、それとも真田さんがある程度テーマ感を持って仕事を振っていくのですか?

2年前にお会いしたときは「教育ビジネスだ」とおっしゃっていましたが。

真田 教育は僕の中でテーマとして持ち続けていて、やろうとしています。

それ以外にもいくつかテーマ設定をしていて、その中で新しい事業をやろうということでやっています。

佐藤 そのような色々なテーマを頭のなかにある程度持ちつつ、このタイミングで踏んでみようかと思うタイミングを計る嗅覚、つまりどのようなところで「よし、行こう」と思われるのですか。

事業の成否は「どのタイミングで行くか」に割と影響されると思います。

それの嗅ぎ分けについては何かシグナルがありますか。

真田 神の声が聞こえるときがありますね。

(会場笑)

佐藤 一切参考にならない回答ですね(笑)。

パドリング競争には参加しない

真田 不思議なことに、1989年9月28日、1999年9月28日、2009年9月28日と全部10年後ごとの同じ日に、新しいことを始めています。

だから、次は2019年の9月28日に何か始めるということにしています。

30年連続で続いています。

(壇上笑)

佐藤 30年に3回しかない機会というのも凄いですね。

真田 ジンクスも30年続くと大したものだなと。

そろそろ動き始めないといけないと思っています。

佐藤 何か仕込むならもうあと2年ですからね。

ゲームはこのまま頑張ってやるとして、他に注目している領域はありますか。

真田 今、世の中で皆さんが注目しているものは一通りウォッチしていますが、そこの中から抜け出す手法は2000年頃とは大分変わっています。

2000年頃に、僕は日本でというか、世界で最初にモバイルの可能性に注目したと自分では思っているのですが、当時は荒野の中を1人でぽつんと、前に道もないところを歩いている感じでした。

「モバイルが来るから、モバイルをやろう」と言っても誰も相手にしてくれないし、信用してくれない、くらいの状況でした。

しかし今やフィンテックなど世の中で扱われているテーマに行くと、まるで湘南でサーフィンをしている感じです。

波が1本来たら一斉にその波に乗りに行って「誰が早いか」を競争するような状態です。

今は本当にそんな状況です。

その中で、本当にその波のパドリング競争に参加すべきか、僕は若干の疑念を持っています。

一応そこはウォッチしつつ、皆の波に一斉にパドリングし始めることはやらないでおこうと思っています。

(続)

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編集チーム:小林 雅/本田 隼輝/尾形 佳靖/戸田 秀成

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