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3.「自分をとりもどす」とは、自分についての関係性を取り戻すこと

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ICC FUKUOKA 2023のセッション「大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か? (シーズン9)」、全9回の③は、中村 直史さんの「自分」についての解説です。自分が見るもの、取り巻く景色、知り合いすべてが自分という考えを紹介します。理解したいのは「自分」でも、その「自分」とは? さらに議論が深まっていきます。ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。次回ICCサミット KYOTO 2023は、2023年9月4日〜 9月7日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください

本セッションのオフィシャルサポーターは ノバセル です。


【登壇者情報】
2023年2月13〜16日開催
ICC FUKUOKA 2023
Session 2F
大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か? (シーズン9)

Supported by ノバセル

「大人の教養シリーズ 人間を理解するとは何か? (シーズン9)」の配信済み記事一覧


人、土地、景色、歴史…全部がつながってまるっと自分

中村 それで、自分は自分の個体…、それを言っているのが、スライドの左側にある「自分(の命)」と書いてある円で、普通に考える、個体としての自分です。

今言った話(前Part参照)は右側の円です。

真ん中に自分の個体はあるかもしれないけれど、その周りに打ちガキだったり、アオサだったり、春が来たぞというシンボルだったり、あとは採っている人も、自分が子どもの頃からお世話になっているおばさんだというつながりがあったり、そういう土地、見てきた景色、知っている人、歴史の時間、全部がつながっていて、それがまるっと自分だという拡張した自分、という自分でありたいという思いが強いんです。

それで、さっきも言った通り、それらは死なない。

北川 そうですね。

中村 そうじゃないかなと思っています。

井上 これ、絶対右側の人のほうが優しいですよね。

中村 (少し考えて)優しいというか、少なくともちょっと安心していられるかなという気がします。

哲学者の内山 節さんの本に割と僕は影響されているのですが、内山さんは群馬のド田舎に暮らしている哲学者なので、今の話をよくするんですよ。

▶参考:『いのちの場所 (シリーズ ここで生きる)

内山さんは、漢字の命としての「命」と、ひらがなの「いのち」というものは違うという話をするのですが、右側にある縦軸は上に「先祖」、下に「子孫」と書いています。

横軸は左に「人」、右側に「土地」と書いています。

これはちなみに内山さんが書いた図ではなくて、内山さんが言っていることを僕が図にしているだけです。

もともとの日本の農村社会の中では、縦軸の過去=先祖、行く末の未来=子孫とのつながりと、左側は人、右側に土地というつながりがあって、それ全体として「いのち」というものが存在しています。

これは養老先生の話とかなり近いものだと思うのですが、そういう「いのち」というものを日本人はずっと「いのち」としてとらえてきたはずだけれど、どんどん、どんどん近代化して都市化して、自分の個体としての命としてしか考えなくなってきているので、「剥き出しの個」という言い方をしますが、そうなっていることが、いろいろなつらい原因でもあるんじゃないかということです。

北川 なるほど。

中村 ただこれはちょっと難しくて、右側のしがらみが面倒くさくて左側を目指してきたところもあるので一概には言えません。

ただ、左側で生きやすい人たち、つまり個性で生きていける人たちですが、今すごく目立っている人たちはたくさんいると思いますが、割と本当は僕も含めて、そこでガンガンやっていける人は限られているんじゃないのかなという気がしています。

「自分をとりもどす」とは?

中村 そういう話を考えていったときに、よく「自分をとりもどす」みたいなことを言ったりするじゃないですか。

じゃあ、「自分をとりもどす」とは何なのか?と。

「自分をとりもどす」というときも、だいたい普通は「自分らしさをとりもどす」みたいな文脈で話をされると思うんですよ。

だけど本当は「自分らしさをとりもどす」というのは、自分の個性をとりもどすというよりは、この関係を全部ひっくるめてとりもどすということなんじゃないのかなということを、最近すごく考えています。

これは僕がいつも仕事でベンチマークにしている、フィンランドのケロプダス病院発祥の「オープンダイアローグ」という精神疾患の患者さんに対しての治療方法のアプローチです。

▶参考:『オープンダイアローグとは何か

北川 なるほど。

中村 これは何かと言うと、今まではお医者さんが治療方針を決めて投薬したり入院を決めたりしていたのを、それを一切やめて本人つまり患者さん、家族、お医者さん、看護師さん、ケアワーカー、友人という複数人が対等な立場で、本人がいないところでは絶対に何を決めないというたった1つのルールだけで単純に話をするだけの方法なんですよ。

北川 面白い。

井上 へえ。

中村 これで薬物の処方と入院患者さんの数が劇的に減りましたが、これは基本的に話すだけで、ゴールも設定しない、立場の上下を持ち込まない、ただ対等に話す。

これが面白いのは、自分以外の人が自分について話しているのを聞くところです。

北川 ああ、やっぱり他己紹介なんですね。

中村 そうなんですよ。

北川 へえ。分かる。

中村 いくつもの声を反射させているのを聞いているうちに、なんか理由は分からないけれど、なんかとりもどすというわけなんですよ。

北川 へえ。

中村 とりもどしているのは多分自分の個性ではなくて、ざっくり言うと関係性をとりもどしているというか、関係性の中の物語をとりもどしているんだと思うのですが。

「つながり」の中に自分がいるというよろこび

中村 さっきも紹介したYAMAPという一般的には登山アプリと言われているアプリのパーパスを言語化する仕事を、最近させていただきました。

「地球とつながるよろこび。」というパーパスを掲げていて、YAMAPのために作った言葉ではあるのですが、自分の人生として、わりとこれだなと思っています。

いかに地球とつながるのか。

「地球」と言うとちょっと大きすぎるので、ちょっとスピリチュアルな感じがしてしまうのですが、「地域」と言ってもいいし、「自分の身の回りの土地と人」と言ってもいいのですが、そういうことを考えているので、なんかそこなんじゃないかと思うんです。

村上さんのスライド(Part.1参照)の中にもありましたが、Well-beingというのはWell-connected being(ウェル コネクティッド ビーイング)ということなんじゃないかなということを考えながら、最近生きています。

僕は会社のスローガンや社名を考えるときも、基本的には自分を会社の1人だと思って縦軸、横軸を考えて、どう歴史と未来とつながることができるか、会社の大きさを、どれだけ自分の自己を大きくできるかを考えながら考えるということをやっています。

北川 へえ。面白い。

わたしでもなく あなたでもなく

中村 最後です。

小林(雅)さんから登壇の打診があったときに、「言葉という観点で」みたいなことを言われましたが、このスライドを作っているときに、言葉の観点は何もないなと思って。

(会場笑)

最近、友人がFacebookで上げていた短歌にすごく感動したので、最後に言葉としてただ持ってきました。

今の話とはあんまり関係無い、でもちょっとは関係あるのですが、こちらです。

「つなぐ手の  わたしの部分が  少しずつ  わたしでもなく  あなたでもなく」

北川・井上 なるほどねえ!

中村 これ、カッコよくないですか?

北川・井上 カッコいい、カッコいい!

村上 ちなみにそれはお友達が?

中村 あっ、違います。これはお名前を忘れてしまったのですが、歌人の方の短歌です。

ちなみにその友人は、奈良のたんぽぽの家で障害者の方たちのアートをいかに社会に広げていくかという素晴らしい取り組みをしています。

たんぽぽの家は本当に素晴らしいので、ぜひチェックしてみてください。

そこの職員さんが上げていたのですが、要はサポートする側とサポートされる側という立場を超えて、障害者の方たちとスタッフの方たちの関係性のことを代表する言葉として言った言葉ですが、めちゃくちゃカッコいいなと思うんですね。

すいません、僕の話は以上です。

井上 これが、だからコネクティッドの部分なんですね?

中村 そうかなあと。それが、わたしでもなくあなたでもないことがそこに始まっているというのが、なんかめっちゃカッコいいなと思ったんです。

ぬか床も「私でもなく あなたでもなく」

井上 すごくいい言葉で、ちょっともしかしたら台無しにしてしまいそうなんですが、僕の教え子に環境微生物の研究をしてBIOTAという会社を起業した伊藤(光平)君がいるのですが、彼はぬか床の話をするんです。

ぬか床の研究をしていて、あれもこねるじゃないですか。

あそこで自分になっていくんですって。

中村 へえ。

井上 おばあちゃんが手でこねていくと、手にいる微生物がぬかに付いていって育っていきます。

こねていると、そこのこねているところは、わたしでもなくぬかでもなく。

中村 ああ、面白い、面白い!

井上 という形で、「僕らはぬかなんですよ」みたいなことを突然言うんですよ。

だから、その感覚は確かに僕にもあるなと思って、これは物でもいいんですかね? 例えば家の毛布。

自分の毛布ってあるじゃないですか。あれは超気持ちいいですよね。

多分、自分の微生物がめっちゃ付いているんですよ。

村上 匂いとかも含めて、なんか自分だけのものみたいな。

井上 そうそう。なんかあそこに入ると、なんか「コネクトしたな」じゃないですけど、元に戻るというか。

村上 面白いですよね。

冒頭(Part.1参照)で、人間は社会的生き物だと言ったのはまさにそこで、結局単純に独立した自分というものは存在しえないわけで、何らかのコネクションがあったり社会の一部の役割があったりします。

今のお話の五島列島とか、周りのコミュニティに属している感じがすごく強いとか、そういうような要素もあるでしょうし、あとは物理的に言うと、結局物や人に触ったときには、微妙に粒子交換が発生するじゃないですか、超素粒子の世界で言うと。

そういう意味だと、科学的にも自分のミクロの世界では、こう触ったら(手元のMacに触れて)、僕とMacは今ちょっと粒子が交換されているんですよ。

超ミクロな話ですが、これは本当なんですよ。

弱い力が働いて、ちょっとずつ粒子が交換するので、握手すると、その人と物理的に粒子交換しているわけですよね。

我々が今言っているのは、合っていますよね?

北川 合っています。

村上 Ph.D.にお墨付きを得ましたので、合っています。

なので、やっぱり境界線は結構曖昧だということで、今、(石川)善樹さんが何かを語りたい感じで、何か圧が出ています。

井上 語りたいマークが(笑)。

石川 いえいえ(笑)。

井上 何か話してくださいよ(笑)。

シーズン8の議論「祭りと墓」再び

石川 中村さんの話を聴いていてふと思ったことがあって、全体の自分と小さい自分がいるスライドがあるじゃないですか。

内山先生は素晴らしい人で、僕は内山先生の本を全部持っています。

中村 素晴らしいですよね。

石川 日本人は全員読んだほうがいいですね(笑)。

中村 同意です。

石川 めっちゃいい人です。

村上 でもね、(石川)善樹さん、これ、どこかで善樹さんが言ったことで、結局会社の最終的な役割は祭りと墓(歴史)だという話があったじゃないですか(シーズン8より)。

石川 ああ、そうそう。それに近いですよね。

村上 そう。ホールディングスカンパニーのすべきことは結局祭りと先祖を祀る墓(歴史)で、それをやっていれば会社は上手く回るんじゃないかという説を善樹さんが唱えましたが、この図を見たときに、「先祖×土地」は「墓」じゃないですか。

そして、先祖、人、子孫をつなぐものって、僕は「祭り」だと思ったんですよね。

だからこの話は、善樹さんの以前の話とすごくリンクして、ああ、なんか、あとこれに祭りと墓があって、自分があってとなると、このサークルがすごくしっくりくるなと思いながら見ていたんですよね。

素人である自分と玄人である自分

石川 そうでしたね。

その話もあるし、あとちょっと思ったのは、自分をたどる道は2つあると言われていて、素人の道と玄人の道ですが、左側が素人、右側が玄人に結構近いなと思ったんですね。

どうしてかというと、素人は色で言うと白で、基本的に引き算していくということなんですよ。

「剥き出しの個」と書いてありますが、役職とか実績とか、いろいろなそういうものを引いていった後にそれでも残るものが素人としての自分です。

玄人は色で言うと黒で、いろいろな色を積み重ねていくと黒になるんですよ。

村上 色は全部混ぜると最終的に黒になりますね。

石川 そう。それは足し算としての自分というか、引き算した自分と足し算する自分とを行ったり来たりするのが、生きるということなのかなと思いました(笑)。

村上 なかなか、なんか、いいですねえ。

善樹さん、リモートのほうがいいこと言うんじゃないですか?

(一同笑)

石川 (笑)。

村上 ちょっと落ち着いて話せるからかもしれない。これは新しい発見。

石川 飲み込まれない。

井上 リモートのほうがいいんだ(笑)。

北川 その置物は何なんですか?

石川 これは子どもの貯金箱じゃないですか(笑)。

北川 特に意味はない?

石川 意味はないです。

村上 ありがとうございます。中村さん、どうもありがとうございました。

北川 聞きたいことがまだ山のようにありますけれどね。

村上 そうですよね。これはこれで多分1つのセッションとして成立しうると思いますね。

井上 いや、本当に。

村上 最後の短歌も、すごくジンとくるものがありますね。

井上 いやー、深いですね。

1回リンパ組織論の話をしたじゃないですか、境目の(シーズン3より)。

あの境目のところもまた議論したいなと思いました。

村上 そうですね。

井上 どうやって足し算したり、そこを乗り越えていくかというか、発想がね。

村上 結局、比較したり何かしないと、境界や自分と他とか、自分のポジションって、単純にポツンといても分からないというパラドックスがあるので、そういう話ともつながるのかもしれませんね。

(続)

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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/戸田 秀成

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