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ICC KYOTO 2022のセッション「世界の偉人伝 (シーズン4)」、全8回の②は、HAiK山内 宏隆さんが語る伊奈 忠次について。息子、孫の代を含んで合計60〜70年かけて「利根川を東に曲げた」伊奈一族。今の東京の繁栄は、彼らの事業によって可能となったものなのだそうです。ぜひご覧ください!
ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。 次回ICCサミット KYOTO 2023は、2023年9月4日〜9月7日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページのアップデートをお待ちください。
本セッションのオフィシャルサポーターはリブ・コンサルティングです。
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【登壇者情報】
2022年9月5〜8日開催
ICC KYOTO 2022
Session 7F
世界の偉人伝 (シーズン4)
Supported by リブ・コンサルティング
(スピーカー)
石川 善樹
公益財団法人Well-being for Planet Earth
代表理事
丸 幸弘
株式会社リバネス
代表取締役 グループCEO
山内 宏隆
株式会社HAiK
代表取締役社長
渡邉 康太郎
Takram コンテクストデザイナー / 慶應義塾大学SFC特別招聘教授
(モデレーター)
井上 真吾
ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン
パートナー
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孫の代まで60年かけて成し遂げた利根川東遷事業
山内 伊奈 忠次は何をやったか、伊奈 忠次のココが凄い!というところを挙げました。
北条 政子の時は5つ挙げましたね。
伊奈 忠次はこの4つをやっています。
正直、あまり資料も残っていなくて、今回準備するのにちょっと苦労したので、皆さんが伊奈 忠次を知らないのも当然ですね。
偉い人は肖像画や銅像などが残っていたりするのですが、伊奈 忠次は当然、古い時代のものは残っていません。
そういう人物です。
伊奈 忠次の何が凄いか?
正確に言うと、2人の子ども(嫡男 忠政:1585~1618、次男 忠治:1592~1653)と孫(忠克:1617~1665)の3代4人で、60〜70年かけて、利根川を東に曲げました。
利根川はもともと、今で言う東京湾に縦に下りていたのです。
丸 へえ、知らなかった。
山内 それを途中で曲げて、千葉県の銚子のほうへと流れるように、伊奈一族がやりました。
丸 (感心して)はあー。
湿地帯だった江戸を整備し、経済を活発化
山内 すごかったのは、一石四鳥みたいな手を打ったことです。
江戸は今の東京ですが、徳川家康が入府した頃の江戸はさびれていて、何が一番問題かというと、非常に湿地帯が多かったのです。
池や沼と付く地名がとても多いです。
井上 多いですよね。
山内 溜池とか、池袋などですね。
湿地帯が非常に多くて、ある意味、人が住めるような場所ではなかったのです。
よく見ていただくと、パキスタンやバングラデシュのようですね。
南が太平洋に開いていて、ちょっと山があって、それのミニ版ですね。
南から台風やモンスーンが来ると、ヒマラヤ山脈みたいな山にぶち当たって雨が大量に降って、それが川になってという所ですね。
江戸は、とてもじゃないけど人が住めるような場所ではなくて、突き詰めて、突き詰めて、突き詰めて原因を考えると、利根川のせいだったのです。
川が何本か流れているのは仕方ないとして、これを1本東に曲げるだけでだいぶ人が住めるようになるぞということに、まずそもそもちゃんと気づきました。
そして、曲げられるとするとこの辺だよなと、埼玉県のこの加須市から久喜市の辺り(※)から曲げるのですが、それもピンポイントで特定して、特定するだけでなく、実際に行いました。
▶編集注:坂東太郎の流れを変えた徳川家康の利根川東遷事業による利益と不利益 – まっぷるトラベルガイド (mapple.net)
このおかげで江戸に人が住めるようになりました。
しかも残った川を利用した水運、今で言うと高速道路みたいなものですが、水運を利用して経済活動を活発化しました。
しかも、いい感じの沼のような所から水を吐いていくわけなので、残ったところが農地(水田)になるわけですね。
さらに言うと、東に曲げた利根川は防衛ラインになります。
今のロシアとウクライナの戦争を見ても、太い川は防衛する時に非常に役に立ちます。
橋を架けるのも大変だし、橋を切り落とされると渡れませんので。
ここ京都では宇治川は防衛ラインで、瀬田の唐橋は戦争のたびに落とされました。
このように、都市整備、水運、農地開拓、防衛の4つを、1つの打ち手でやりました。
考えただけではなく、やり切りました。
伊奈 忠次は途中で亡くなるのですが、子と孫が引き継ぎ、気合と根性で利根川を曲げて(笑)、今に至ります。
今の流れが、曲げた後の利根川です。
結果として、伊奈 忠次は300年後の大正時代の初めに、この人はすごいんじゃないかということで叙勲され、正五位という位を贈られました。孫の忠克は、従五位(じゅごい)を贈られました。
気づいてもらって良かったねという感じですね。
死後300年経って、やっと認められるというのは、丸さん好みなんじゃないかなと思います。
丸 いやあ、こんなピンポイントに、どうやって気づいたんですか?
山内 そうなんですよねえ…。
丸 今だったらGoogle Earthを見て、「ここかな?」みたいにできますが。
これはすごい。
山内 ちょっと分かりにくいのですが…。
丸 いや、すごく分かりやすいですよ!
山内 江戸川と書いてある、ストンと東京湾に縦に落ちているような川がありますよね。
利根川はあの辺を走っていました。
関東平野は日本で一番広い平野で、要するに川がたくさんあります。
平野は、川が氾濫するたびに土砂が堆積してできた場所です。
平野は広くて、人が住んだり、農地としてのポテンシャルはあるけれども、定義による宿命で、洪水や氾濫と背中合わせだという所なんですよね。
当然、川を全部曲げるのは無理なので、赤い線で何年、何年とたくさん出ているじゃないですか。
あれをやっていったのです。
左上のほうの、川が何本か集まっている所をせき止めて、バイパスを通して右に持っていったのです。
44歳にして利根川東遷事業を開始
山内 逆に言うと、伊奈 忠次という人は、これしかやっていません。
伊奈 忠次の人生は、利根川東遷事業を除くと、大した業績がありません。
今日取り上げる4人の偉人の中で一番華がないと言うか、苦労の連続で、三河の土豪の家みたいな、しかも大した家に生まれていないのです。
父親が三河一向一揆(1563〜1564)に加わって、これは徳川 家康(1543〜1616)の三大危機の一つとされるものでしたが、鎮圧されて出奔し、流浪しました。
そして、織田 信長が鉄砲を使った長篠の戦いに、陣借りという形で帰参します。
大した武功はなかったのですが、戻ってきていいと言われて、帰参できました。
徳川 家康の長男、信康(1559〜1579)が織田家を裏切って武田家につこうとして、家康と親子喧嘩のような感じになって切腹するという悲しい事件が起きました。
運の悪いことに、伊奈 忠次は帰参した時に信康の直臣になっていたのです。
昔は連帯責任みたいになりますよね。
それでまた4年後に出奔、つまり逃亡ですよね。
伊奈 忠次は当時の自由都市、堺に逃げ込んでいたのですが、なんと本能寺の変(1582)の時に、徳川 家康が堺にいたのです。
これも、家康の三大危機の一つと言われていて、伊賀越えをして命からがら本拠地の三河に逃げ帰るのですが、たまたま堺にいたので、これを助けたのです。
それで、功績があるので戻ってきていいぞと、やっとそれで30代なのです。
槍働きができるわけでもないので大した功績がなくて、いわゆる文官というか奉行をやっていました。
どうも44歳の時に利根川を東に曲げることを提案したようなのですが、提案を受け入れてもらって死ぬまでずっとやり続けました。
名もない一芸のある家臣が徳川 家康の抜擢に応える
井上 なんか突然という感じがしますが、もともとは武将で、別に土木をやっていたわけじゃなくて?
山内 そうなんですよ、そこなんですよね。
徳川 家康の視点ですが、豊臣 秀吉(1537~1598)に関東に体よく追い払われて、そこは広いけれども沼地がたくさんある所でした。
多分、徳川 家康はすごく起業家的というか、災い転じて福となすような人だと思います。
関東平野は大阪平野の10倍ほど大きいので、これを本当にちゃんと開拓したら、自分が最強になるんじゃないかと、おそらく思ったと思います。
井上 割とシンプルですよね。
山内 そういう感じの人っぽいですよね。
徳川 家康は人生で何回も危機を迎えるのですが、その度にことごとくチャンスに変えていくのです。
すごいなと思うのが、当時何の功績もなかった伊奈 忠次を抜擢して、利根川を東に曲げろみたいなことを始めるのですね。
だから、人事の天才だし、実際それに応えた一芸のある家臣がいたのです。
徳川 家康は武田氏が治めていた甲斐の国を本能寺の変のドサクサにまぎれて獲得するのですが、そこには信玄堤(武田信玄によって築かれたとされる堤防)という治水技術があって、どうもその職人集団を抱えていたらしいです。
資料が残っていないので定かではないのですが、徳川家は金を掘るプロや、こういう土木工事のプロをことごとく家臣団にしていて、どうもそこで特殊技術を学習して、自分たちの統治に使ったようです。
今、関東の土地の時価総額は多分数百兆円です。
京都は見ていただいたら分かると思いますが、すごく狭いですね。
京都は平野ではなく盆地で、多分関東平野の1/50の規模です。
明治維新の時に首都が事実上東京に移転するわけですが、理由は諸説あって、多分単純に京都は狭かったのだろうと思います。
世界と競争していく時に、人がたくさん住める、世界と勝負できる都市を作ろうと真剣に考えると、多分日本の場合、関東平野の中心の東京しかなかったのです。
伊奈 忠次は、その礎を作った人です。
井上 なるほど。ちょうど2021年のICC KYOTO 2021のSTARTUP CATAPULTで優勝した不動産テックのestieも言っていましたが、面積を掛けると、トータルで言うとオフィス不動産は、東京が世界で一番高いらしいです。
▶オフィス不動産ポートフォリオ経営戦略のDXを推進し、日本の都市の価値向上を目指す「estie(エスティ)」(ICC KYOTO 2021)【文字起こし版】
その礎を作った人ということですね。
山内 だから、「徳川 家康が…」みたいに語られるのですが、いえ違いますと(笑)。
実現したのは、伊奈 忠次です。
よく経営者でも、ビジョンや構想、切り口は素晴らしいし、筋がいいけれども、実現できる家臣団がいないという人がいますよね。
そのソリューションを実際に提供したのが伊奈 忠次ですよね。
名も無い人ですが、ここにいらっしゃる皆さんの中にも、そういう人がいるんじゃないかなと思います。
別に華々しいことを普段やっていないかもしれませんが、ものすごく重要なことを日々コツコツやられている方も実際いらっしゃると思うので、苦しい時は伊奈 忠次を、ぜひ思い出していただけたらいいかなと思います。
温暖化と治水の重要性
山内 まとめに入ります。
僕は長期間かかっても実現させる人をすごく尊敬しています。
しかもそういうことを成し遂げるのは意外に名も無い人であったりして、歴史の資料にも残っていないかもしれません。
こういう人を発掘して、こういう場で皆さんにお伝えできたのはすごく嬉しいなと思います。
あともう1つは、温暖化の日本への示唆というか帰結は水害でした。
今パキスタンやバングラデシュが洪水で大変なことになっていますが、日本も結構近いのです。
ヨーロッパやアメリカは逆に気候変動で雨が降らなくなって大変だという感じらしいのですが、日本では明らかに水害が増えていて、今後は多分もっと増えるだろうというところです。
治水の重要性を認識する局面はもう1回来ると思いますので、皆さんぜひ頭に入れていただいて、その時には伊奈 忠次を思い出していただけたらというプレゼンテーションでした。
井上 ありがとうございます。
丸 いやあ、面白い!
治水は本当に重要で、日本の水門の技術は世界最強なんです。
これだけ川が多くて、それなのに水害が少ない理由は、実は水門の仕組みにあります。
井上 よく言いますものね、日本の川は勾配が急で、流れも速いし、数も多いと。
山内 「五月雨を集めて早し最上川」(『おくのほそ道』より)。
丸 そう。だから、水門とダムの仕組みは、輸出できる技術なんですよ、本当は。
井上 世界的に需要が増すということは、日本の産業として1つのチャンスかもしれませんね。
丸 チャンスですよね。
今、東南アジアなどでは、ベトナムも水害がたくさんありますが、なぜ日本は同じような川の流源があって、流れがあるのに、そうならないんだ?と聞かれます。
「水門が普通にあるからじゃない?」と言うと、「いや、(水門は普通に)ないから」と。
山内 江戸時代の統治者の一番大きな仕事の1つが、治水なんですね。
農民が多いので、その人たちが安心して農作物を作れるように、一生懸命治水していました。
その地味なインフラの上に、今日の安全や安心があるというのは忘れられがちですが、伊奈 忠次を思い起こしてください。
2023年の大河ドラマの主人公は徳川 家康ですが、伊奈 忠次は地味すぎて絶対出てこないはずなので、何かの折に思い出していただけたらと思います。
井上 ありがとうございます。
石川 ちょっとだけ付け加えていいですか?
山内 ぜひ。
石川 治水をする時に、最近概念が変わったんです。
山内 そうなんですか!?
石川 今までは川を見ていたんですね。そして水門。
でも川だけではなくて、結局水を貯めているのはそもそも森であるとして、「流域」という概念を作りました。
三浦半島に小網代の森があるのですが、関東地方で唯一の場所なんですね。
流域というのは、その川の始まりから終わりまでの、山全体や森全体を保全するという、治水の考え方にイノベーションを起こした日本人がいて、岸 由二先生といいます。
岸先生の『「奇跡の自然」の守りかた』という本がめちゃくちゃ面白いので、ぜひ。
山内 伊奈 忠次も生まれは三河の山奥で、関東に移ってきてからも本拠地は埼玉北部、群馬寄りの、だいぶ山や森の所だったので、そういうことになんとなく気づいていたのかもしれないです。
石川 ああ、そうだと思いますね。
山内 かなり上流で曲げないといけなくて、下のほうでやっても無駄だというのは、言っていたようです。
石川 どんどん広がって。
山内 根っこの所で、少しずつ少しずつ、何回も何回も、先ほどお見せした場所をしつこく曲げていくのです。
石川 そうですよね。
丸 川はすごいですね。
山内 すごいですね。
井上 本当に古くて新しい。
治水の概念もまた新しくなっているということなので、注目していきたいですね。
山内 そうですね、治水は熱いと思います。
かつ、丸さんがおっしゃられた通り、日本は結構優位性があります。
ヨーロッパとアメリカでは雨が降らなくなって、アジア一円では雨が逆に増えています。
丸 本当に増えていますね。
山内 特にアジアを狙って、日本の優れた治水技術やノウハウを、こういうストーリーとともに輸出できたらすごく素敵だなと思いますね。
井上 ありがとうございます。
山内 どうもありがとうございました。
丸 はい、次は私が行きますか?
(続)
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編集チーム:小林 雅/星野 由香里/浅郷 浩子/戸田 秀成/小林 弘美