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「自分でできること・できないことを直視する」起業人生で気付かされた大事なこと【KS16-1A #5】

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「創業期の苦難をいかに乗り越えるか」【KS16-1A】セッションの書き起し記事をいよいよ公開!7回シリーズ(その5)は、組織を創る上での「仲間(人)」をテーマに、会社を経営していく中での苦難・大事なことをお話しいただきました。是非御覧ください。

ICCカンファレンスは新産業のトップリーダー160名以上が登壇する日本最大級の招待制カンファレンスです。次回 ICCカンファレンス KYOTO 2017は2017年9月5〜7日 京都市での開催を予定しております。参加者の募集を開始しました。

登壇者情報
2016年9月6日・7日開催
ICCカンファレンス KYOTO 2016「ICC SARTUP」
Session 1A
「創業期の苦難をいかに乗り越えるか?」
 
(スピーカー)
上原 仁 
株式会社マイネット 
代表取締役社長
 
田中 弦 
Fringe81株式会社 
代表取締役
 
内藤 裕紀 
株式会社ドリコム 
代表取締役社長
 
吉田 浩一郎
株式会社クラウドワークス 
代表取締役社長 CEO
 
(モデレーター)
琴坂 将広 
慶應義塾大学 
准教授(SFC・総合政策)

予告編はこちら:【新】古今東西・ネット起業物語 – 創業期の苦難を歴戦の起業家たちが語る【KS16-1A #0】
その1はこちら:「いま私が22歳ならインドで起業する」成長企業の起業家たちが大学生に戻ったら【KS16-1A #1】
その2はこちら:かつてITベンチャーは社会の「はみ出し者」だった(マイネット上原)【KS16-1A #2】
その3はこちら:「スタートアップ=資金調達と勘違いしている人が多い」ドリコム内藤氏が語るおカネの考え方【KS16-1A #3】
その4はこちら:「競争優位性がないことを受け入れた」クラウドワークス吉田氏の気合い経営【KS16-1A #4】


上原 ベンチャーやスタートアップをやる場合の存在価値は「成長」なんです。

凄いことがある程度再現できるようになると、大資本がやった方がいいという状態になりますが、ベンチャーであるということはその変化率(成長率)が存在意義なので、利益額が結構出ていてもその利益が成長しなくなったところで存在価値がないんです。

これ以上成長しないだろうと思ったため、大資本の会社、マイネットの場合は、Katy(ケイティ)という事業をヤフーさんに売却しました。

キャリアは事業と共にある

上原 少し話はずれますが、Katy(ケイティ)は元々35人ぐらいでやっていましたが、成長が止まると思ったので事業を売却したときには15人ぐらいまでに圧縮していました。そのため、余計利益がでている状態になったんです。

その最後に残ってくれた15人を事業と共にヤフーさんに転籍して頂くというのも1つの選択でしたが、結局3人だけ転籍して頂きました。

Katy(ケイティ)は完全に飲食向けのサービスだったので、飲食の業界で生きてきたスタッフ3人は、このサービスと共にヤフーさんに転籍して頂いた方が良いと思い、残りの12人を会社(マイネット)に残したんです。

本人たちもマイネットが好きだから、「事業よりもマイネット」という理由でマイネットにいることを選択してくれたんです。

しかし、結果的に1年半ぐらいの間で残った12人全員がいなくなりました。

それは私の起業人生の中で一番の大失敗だと思っています。

彼らは嫌で辞めたというよりも、火が消えたんです。

自分たちが立ち上げて自分たちがここまで持っていった事業、というのに対して成功体験を感じで自分のキャリアを磨いていたのに、会社に残るという選択をさせたせいで火が消えてしまい、別の世界に行ってしまうことになりました。

彼らのキャリアからすると、ヤフーに行ってその事業をやり続けた方が良かったわけです。

私の中では、事業と一緒に人ごと売るというのは悪いことという感覚がまだありますが、そういうねっとりした考え方で人を会社に残すと、結局それこそが一番罪なわけです。

売却の瞬間は人ごと売るといって、どれだけ「鬼だ悪魔だ」と言われようとも、「あなたのキャリアはこの事業と共にある」と言ってキャリアと共に過ごさせてあげる、というふうにすることが

大事なんだということが一度売却をした時に学んだことです。

琴坂 人との別れというのが一番の苦悩であると感じていますが、そういうのに対してどのように立ち向かい、克服していくんでしょうか。

例えば、吉田さんも結構辛い経験されていると伺っていますが、一緒に船に乗っていた方たちが色んな理由で出ていってしまう、という困難はどのように受け止められていますか。

本当に苦しい状況の時に当事者で居続けられるか

吉田 せっかくなので盛り上げていきますが、内藤さんは私が辞めた時どんな気持ちでしたか?

(会場爆笑)

琴坂 僕が言えなかったことをばっちりと聞いていただきました。

内藤 そうですね、当時は自分の奢り高ぶりも含めてですが、学生で会社を作って4年ぐらいで上場して、時価総額も1千億円を超えていて、「何でもできる」と調子には乗っていたわけです(笑)。

最年少の上場経営者でしたし、24才ぐらいでICCカンファレンスのような場において、1時間のセッションを自分1人で話す側にいました。

しかし、上場して1年後に赤字を出して、恐らく初めて大きく失敗をするという経験をしました。

会社の中が混乱していたので、正直 吉田さんが辞めたということよりも、あの頃はそもそも会社をどうやって再建させるか、ということでいっぱいいっぱいでした。

吉田 2007年3月期で赤字を出して、リストラもして、新卒の内定取り消しをし、楽天の出資を受けたのが2008年の3月ですね。

内藤 2008年の3月末までにPL(損益計算書)を黒字にするか、借りたお金を返すかをしないと会社が潰れるという状況にいたんです。

上原 その時に抜けたの(笑)?

吉田 はい、すみません!

(会場笑)

内藤 その時に自分の中では一番成長したと思います。

ただ今の質問でいうと、

吉田 覚えていない・・・・

内藤 覚えていないわけではありませんが、それよりどうやって会社を再建するかということでいっぱいいっぱいで、土日も無く寝てない、というような状況だったのです。

琴坂 そういう時に辞める側の気持ちをもう少し教えてください。

吉田 自分でネタを出しましたが、だんだん私の評価が下がってきますね・・・

先程の上原さんの話しも一緒で、関連するところは、本当に苦しい環境の時に当事者で居続けるというのはすごく難しいんです。

当時 私はドリコムの執行役員を退任(降格)した後、子会社の取締役をやっていました。

(営業担当だったが)ドリコム本体の営業ラインから外れていた時期でもありました。

そういった意味で、その状況において当事者として思えなかったというのが正直なところです。

それから自分が経営者として経営したほうが上手くいくんじゃないか、と思って1回目の起業をしたのですが、全然上手くいきませんでした。

それどころか、自分がやったことと同じように役員が顧客をもって独立したので、結局自分がやったことは返ってくる、という感覚を持ったりしました。

自分でできること・できないことを直視する

内藤 以前もこのようなセッションで吉田さんと話をしていて凄いなと思ったことがあったんです。

吉田さんが今の会社を立ち上げた後に、自分が不得意なことをすごく理解して、出来ることとできないことを直視し、自分が出来ないことは出来る人に任せる、ということに踏み切ってから上手くいったという話をしていましたよね。

吉田 それはドリコムの執行役員を降りたことがめちゃくちゃ悔しくて、立場的には痛かったんですよね。

ドリコムが上場し、上場企業の執行役員から降りたので、それは何でなんだろうということをそこから3年4年ずっと考えていました。

そこで分かったのは、自分は得意なことは限られている人だということです。

色々努力はしたんです。

その3年間、会計が分からなかったので簿記を全部勉強して、簿記の試験を受けたり、ロジカルシンキングがダメだから開発案件が炎上したんじゃないかということで、ロジカルシンキングを勉強して、ロジックツリーとかデータベースの構造を自分でやってみたり、色々したんです。

しかし、自分が得意なのは熱意や人を引っ張り上げる力であり、それ以外のところはみんなの方が優秀なので皆んなの力を借りないと、ということを1回目の起業の失敗を通して痛感したというのはあります。

内藤 僕も2007年、2008年に初めて自分の出来ることと出来ないことを直視できて、そこからもう一度立て直しに入れました。

自分の出来ることと出来ないことをちゃんと理解してる人って、特に若いうちは少ないと思っています。

どん底になったのはきっかけですが、本質的には自分の不得意なこと、得意なことをちゃんと直視する経験を早いうちに出来るか出来ないかというのが重要で、それを勘違いしていると、不得意なのにやっているという状況が起こるので、周りも不幸になっていくし、ずれていくわけです。

琴坂 創業期の困難そのものが成長機会で、それでご自身が成長されていったということですか。

吉田 私は極端なケースです。私は今は人材採用も担当していないし、事業計画も作っていません。

内藤 それを聞いてすごいなと思いました。

逆に経営者として何を仕事してやってるんだろう、と思いますよね。

全部できるという思い込みで突っ込んでいく

吉田 採用すると皆んないい人に見えてくるので、仲良くなってみんな内定を出しちゃうんですよね。

基本的に、仲良くなるのは得意なんですが、見抜くの下手なので、それで過去に散々揉めました。

上原 本当にそのとおりで、人間は結局のところ、好きで得意な事以外は上手くいかないというのは間違いないと思います。

しかし、「好きで得意」をあまり早めに決めてしまうと、絶対に小さくまとまるんですよね。

学生のうちに、「これが得意で好きなんです」と言ってそれで決めてしまって、いい感じに成功している人はあまり見ません。

どちらかというと、意固地になって「全部できる、何をやっても自分が一番」という感覚で1周、3年から5年 過ごした方がいいと思います。

琴坂 吉田さんや内藤さんみたいに、ある程度成功するまでガーッと突っ込んでいく、といったほうがいい。

上原 そう、全部できると思ってたでしょ。

吉田 はい。

上原 僕も全部できると思っていたし、インターネット得意だと思ってました。

そしてプロダクトサービスを作れる人だと自分のこと思い込んでましたが、全部間違いで、ただの商売人だということに気付けたんです。

琴坂 それはいつ頃気付いたんですか。

上原 2年半前ですね。

琴坂 最近ですね。

上原 本当に最近です。

3つプロダクトを出すと、200万人とか35,000店舗とか中途半端に上手いくので、意固地でい続けましたよね。

結局 自分が本当に得意なことって、気合いれて人を引っ張っていくこと、あとは商売、営業活動をちゃんやるということは誰にも負けない、ということに40歳で気づきました。

琴坂 田中さんはお話を聞いてどのように感じましたか。

特にお伺いしたいのは、最初に(親会社のネットエイジの)出向で戻られた、自分の船を離れた方々をどのくらい慰留されたんですか。

田中 ないですね、全然ない。

居続ける人もいたので、居続けてくれる人を大事にしようと思っていました。

僕も独立したいと思っていたわけではないので、出向の仕組みとはそういうもので「そんなものでしょ」といった感じで、特に何も悲しい思いはしませんでした。

独立してからは人が辞めるのは嫌だなというのは当然ありました。

Fringe81はマネージメントチーム(経営陣)も完全に(親会社とは)別に集めてました。半分は新卒から育ていますので、僕のマネージメントチームはすごく若いんですよね。

平均年齢は僕から6歳くらい離れています。

ちょっと特殊な会社の作り方をしましたが、子会社だからというのはそんなに特殊なことはありませんでした。

(続)

編集チーム:小林 雅/榎戸 貴史/戸田 秀成/城山 ゆかり

続きは ベンチャー企業がキャズムを超えるためには?【KS16-1A #6】 をご覧ください。
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【編集部コメント】

続編(その6)では、是非ご期待ください。他にも多く記事がございますので、TOPページからぜひご覧ください。

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