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「レジェンドが語り尽くす!メガベンチャーを創るための経営者の仕事とは?」6回シリーズ(その3)は、1985年の通信自由化を受け、電電公社(現NTT)に対抗して誕生した第二電電(現KDDI)の創業ストーリーを、連続起業家にして現レノバ会長の千本倖生さんが語ります。ぜひご覧ください!
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ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回200名以上が登壇し、総勢800名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。次回ICCサミット FUKUOKA 2020は、2020年2月17日〜20日 福岡市での開催を予定しております。参加登録などは公式ページをご覧ください。
本セッションは、ICCサミット KYOTO 2019 ダイヤモンド・スポンサーのMotivation Cloud(Link and Motivation Inc.)様にサポートいただきました。
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【登壇者情報】
2019年9月3〜5日
ICCサミット KYOTO 2019
Session 9B
【特別企画】レジェンドが語り尽くす!メガベンチャーを創るための経営者の仕事とは?
Supported by Motivation Cloud(Link and Motivation Inc.)
(スピーカー)
千本 倖生
株式会社レノバ
代表取締役会長
藤森 義明
シーヴィーシーアジア・パシフィック・ジャパン株式会社
最高顧問
(質問者)
麻野 耕司
株式会社リンクアンドモチベーション 取締役 /
オープンワーク株式会社 取締役副社長
(当時)
永田 暁彦
株式会社ユーグレナ 取締役副社長 /
リアルテックファンド 代表
平尾 丈
株式会社じげん
代表取締役社長執行役員CEO
(ナビゲーター)
宮宗 孝光
株式会社ドリームインキュベータ
執行役員
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最初の記事
1.「最初の100日で戦略を描き、3年で結果を出す」“プロ経営者” 藤森義明さんが語る経営者の仕事とは
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2. 米GEの成長と変革を率いた二人のCEO「選択と集中のウェルチ氏」「水平展開のイメルト氏」
本編
宮宗 では次に、千本さんへの質問に移ります。まず永田さんの質問からです。
永田 千本さん、よろしくお願いします。
千本さんは、通信とエネルギーという厳しい領域を両方経験されています。
僕たちユーグレナもミドリムシによってバイオ燃料を作っていますが、既存の確立された企業が強く、ベンチャーとしてこれを突破するのは、難易度が非常に高いと感じています。
これまでの経験で、なるべくリアルな、既得権益との闘いの例を教えて頂けますか。
千本倖生さんが明かす、第二電電が生まれた時代背景
千本 倖生さん(以下、千本) もう35年前のことですから、まあオフレコにしてもしなくても同じな気がしますが……。
(会場笑)
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千本 倖生
株式会社レノバ
代表取締役会長
京都大学工学部電子工学科卒業、フロリダ大学Ph.D。日本電信電話公社(現在のNTT)入社、その後、1984年に第二電電株式会社(現在のKDDI)を稲盛和夫氏らと共同創業し、専務取締役、取締役副社長を歴任。1995年に慶應義塾大学、大学院教授に就任。その後カリフォルニア大学バークレー、カーネギーメロン大学の客員教授を経て、シリコンバレーのエクセレントカンパニーのネットアップや世界最大の通信社のロイターの取締役を務める。1999年にはイー・アクセス株式会社を創業。代表取締役社長、代表取締役会長などを歴任。2005年イー・モバイル株式会社を設立し、代表取締役会長CEOに就任、同社の拡大をリードしてきた。2014年4月に株式会社レノバ社外取締役に就任。2015年8月より代表取締役会長に就任。
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千本 ですから、オフレコではなくオンレコで結構です(笑)。
通信の例から話しますね。
昔は、電電公社(日本電信電話公社)、国鉄(日本国有鉄道)、専売公社(日本専売公社)という国営企業体がありました。
電電公社には30数万人、国鉄には45万人が勤めており、独占状態でした。
特に電電公社は、電気通信について誰も参入させない、国が保護するという姿勢でした。
それが、中曽根政権の時に民営化をしたのです。
▶[1985年]電電公社からNTTが誕生,網につながる端末も自由に(日経XTECH)
皆さん、小泉政権での郵政民営化を覚えていると思いますが、あれよりもはるかに大きい民営化でした。
中曽根さんは、電電公社、国鉄、専売公社の3つを、1985年に同時に民営化しました。
当時、私は電電公社の一員で、2、3千人の部下を抱えてそれなりに偉かったので(笑)、エリートサラリーマンだったのです。
世界の動きを見たら、あの判断は間違っていたのではないかと当時は思っていました。
アメリカの通信業界は既に競争状態になっており、アメリカと日本の通信料の差は10倍くらいでした。
日本では当時、東京から大阪に3分電話をかけるのが400円でした。
逆にアメリカで、東京と大阪間の10倍であるニューヨークとロサンゼルス間で電話をかけた場合、料金は40円ほどでした。
この値段の差は、アメリカでは競争があったからです。
巨大な既得権益に挑み、ベンチャーを創る
千本 1985年の日本というのは、今の中国やベトナムのように、素晴らしく成長していた頃でした。
▶プラザ合意から33年、1985年は何だったのか(東洋経済Online)
ですから、エネルギーや通信などの基本のインフラはもっと伸びると思っていましたが、その一方で、独占による高い料金が続けば成長が続かないだろう、と思ったのです。
そこで私は電電公社の中で一人、反旗を翻し、NTTとなった電電公社に対抗する新しいベンチャーを作ろうとしたのです。
電電公社にいる10%ほどのエリートは、世界の流れを知っていたので、何かしなければいけないと思っていましたが、実際に行動する人はいませんでした。
私はアメリカの大学院の教育を受けていたので、彼らとは少し違ったのです。
巨大なベンチャーを創るときに大事なことはいくつかありますが、そのうちの一つはどんな人と出会うかです。
私の場合、稲盛和夫さんに出会ったのです。
当時の稲盛さんは50代半ばで、京都セラミック(京セラ)という企業にいました。
京都の企業というのは、京都に置いた本社を動かさず、ユニークな製品を作り出すものです。
その京都で当時若手のリーダーだった稲盛さんと一緒に作った会社が、第二電電、後にKDDIになる会社です。
▶KDDIが成功した「たったひとつ」の理由(PRESIDENT Online)
当時は、電電ファミリーといって、当時世界でも優位だったNEC、富士通などを含めた数百万人に影響力を持っていたのが電電公社です。
それに挑んでベンチャーを創るというのは、巨大な既得権益に対する反抗でした。反社会的行動でした。
ですから、あらゆる政治的、社会的な圧力が、信じられないくらいあったのです。
(続)
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続きは 4. 営業利益率20%の会社を創れば、世界のどこに行っても戦える(CVC藤森さん) をご覧ください。
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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/尾形 佳靖/戸田 秀成/大塚 幸
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